人はパンのみに生きるにあらず
「人はパンのみに生きるにあらず」とはよく言ったものだ。確かに僕らには文化がある。だとすれば何の為に生きるのだ?いやいや、聞いてほしい。世田谷区に住む平凡な30男が人間の哲学を語る訳ではないからね。「僕の仕事におけるモチベーションはいったいなんだろう?」30の独身男が一度は考えるであろう疑問だ。それは小学校低学年の男の子が「女の子の体ってどうなっているの?」と考えるのとなんら変わりない稚拙な疑問。コンビ二でヤンマガを立ち読みしているときは忘れるくせに、ちょっと疲れてきたときにだけ思い出す好都合な疑問。別に腐ってるわけでも、悲観的になっているわけでもない。誰かと自分を比べて上だの下だの言うわけでもない。私利私欲や本能をむき出しにして生きていくことができない「もやしっ子」の僕は、どうやら物事のひとつひとつに理由がないと行動できないようだ。3流デザイナーがいい加減なモノをつくった後に「この作品のコンセプトは・・・」とか無理やりつくるのと同じだね。自分が嫌悪していることは自分の行動と表裏一体だから不思議なもんだ。だから例に漏れず「仕事におけるモチベーション」ってくだらない疑問に、今現在のところの答えを考えてみた。答えは単純だった。「結婚していない僕だって、仲間と家族がいるじゃん。」「自分に近い人間に僕という存在を認めてもらいたいじゃん。」「そしたら性格のよい美人と結婚できるじゃん。」「そしたらカミさん似のかわいい子供ができるじゃん。」あれ?中学生でも思いつくような答えじゃね?何事にも屁理屈をつけて簡単な事を難しく考える壁のある僕は、自分が考えていたよりも、ずっと単純な仕組みでできている。僕というゼンマイ仕掛けの玩具は、くるくるとネジを回してもらわないと、ピコピコと歩けない。くるくるとネジを回してもらわないと、タンバリンを叩けない。くるくるとネジを回してもらわないと、歌うことが出来ない。くるくるとネジを回してもらわないと、みんなを笑わせられない。くるくるとネジを回してもらわないと、仕事に行くことが出来ない。結局のところ、僕は僕ではない人間に生かされているのだ。皆は違うのかな?ふと、幼い頃に聞いた父の言葉を思い出した。「俺は父親だからお前より一瞬でも早く死にたい。」さて、明日もがんばろうかな。