2009/12/24(木)08:58
一日遅れだけれど
天皇陛下がいかに貴重かを外国人の視点から考えていた。
ぼく自身、人生の半分以上を聖書にどっぷり浸かったものにしていたから。
そのほうがわかりやすかったからなのかもしれない。
こんなに長い系譜をお持ちになっているのは、類まれなること。
連想できるものといえば、古代ユダヤの大祭司の系譜。
モーセの兄アロンから千数百年に及ぶが、二千年ほど前に郷里とともに失われた。
新約聖書にはダビデ王からイエス・キリストに至るまでの千年余りの系譜が2つ(マリアを経由するもの、ヨセフを経由するもの)ある。
そして、新約聖書によれば、復活したイエス・キリストは大祭司でもあるという。
キリスト教世界で
王であり、大祭司であるとされるのは、イエス・キリスト。
無論、単純な比較はできないが、
我が国の権威の源であり、
国の祭祀を司られる天皇陛下とは
それほどに、わたしたちのこころにとってたいせつな存在なのだ。
戦後教育とあの宗教の影響とはいえ、
陛下のことをおろそかに考えてきたこれまでの罪深さをひしひしと感じた。