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悠久のムンバイ

Apr 10, 2005
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 ところが、その5分後、しばらく走ったところでまた列車が停止のチェーンを引っ張られて何者かにより止められました。誰が引いたのかはなぞです。
 列車が止まると、どこからともなく5人から10人くらいの小グループのムスリムたちが集まり始め、最終的には数百人の者たちが列車に向かって投石を始めたのです。列車では、防衛の為に窓やドアが閉ざされました。
 しばらくすると、S-6番の客車から黒い煙が立ち昇り始め、しばらくすると客車内から赤い炎が立ち昇ったのです。その後の調査で、かなりの量の燃料が列車内にまかれて火が付けられたとわかったのですが、詳細は不明のままです。

 この放火で、59人が焼死しました。そのうち、38人がVHPのメンバーでした。普通に列車に乗車していたVHP以外の乗客も何名か身元が判明しましたが、17人が身元不明のままです。この17名はウッタル・プラデシュ州からアーメダバードに出稼ぎに行こうとしていた貧しい人たちだろうと言われていますが、彼らは貧しいために、身内が死んでもその調査の為に現場まで行くお金がないのです。
 
 この事件が起きると、グジャラート州の与党BJPはすぐさま反応しました。彼らの対応は、州政府のものというよりは、完全にBJPの立場としてのものでした。モディ州首相は、死者を現場からアーメダバード市まで搬送することを決定し、翌日には死者がアーメダバードへと運ばれました。死者がアーメダバードに近づくにつれて、VHPの活動家たちが大々的に気勢を上げたので、市民の間でもいやがおうにもヒンズツバ精神が高まりました。アドバニ副首相を初めとする政府高官たちも、"この事件の背後にはイスラムやパキスタンの影がある"などとまだ証拠もないのに発言をして、反イスラム感情を高めました。

 ヒンドゥー教徒が大勢生きたまま焼き殺されたという反感は大きく、その日のうちにムスリムに対する報復が始まりました。ムスリムの商店が略奪・放火にあい、家屋が襲撃され始めたのです。この報復の中では、列車放火事件に対抗する意味で火が多く使われ、多くの商店や家屋を襲撃するとともに火をつけて焼き払い、その家の者たちを生きたまま火の中に投げ込んだのです。
 "目には目を"という報復の方法は、本来ハムラビ法典的なムスリムの人たちの考え方のような気がするのですが、インドも長い間イスラム国家の中に吸収されていましたので、ヒンドゥー教徒といいながらも、かなりの部分ムスリムが入ってるのでしょうか。
 
 この暴動は、列車放火事件のあった27日から始まり、新聞やテレビのマスコミで事件が報道されるにつれて広がり、28日、3月1日、2日と3日間に亘って大規模に行われました。数万人といわれる暴徒たちが暴動に加わりました。普段は一般市民の人たちが暴徒に加わって犯罪行為を繰り返したということもあるのですが、やはりVHPの過激な活動家たちがグジャラート州へと乗り込んで来て、暴徒たちを扇動したからここまで被害が膨大になったようです。それは、暴徒たちが地元のグジャラート語だけではなくて、ヒンドゥー語を使用したことなどから、よそ者がグジャラート州各地での暴動を指導していたことがわかっています。

 この暴動の収束が遅れたのには原因がいくつかあるのですが、グジャラート州の警察が暴徒たちを征圧するのではなく、暴徒たちを静観して何も行動を取らなかったばかりか、現場によっては暴徒たちの側について行動したところもあるようです。それには、警察官に圧倒的にヒンドゥー教徒が多いという事情ばかりではなく、CCT報告書が述べているように、"モディ州首相が、列車放火事件の夜、州警察幹部を自宅に集めて、これからヒンドゥー教徒が行うムスリムへの報復行動は制止しないように"と指示を出したことが挙げられています。
 民主主義社会では大切な、こういったCCT報告書のような市民の有識者の声がもっと取り上げられて真摯に正義が追求されていけば、もっと警察も裁判制度もインドの社会を良くしていくために機能することでしょうが、いかんせんマスコミも社会も無反応です。
 そしてもう一つ、インド中央から軍隊が暴動の鎮圧の為に派遣されもしたのですが、暴徒たちが軍隊の進む道に、木や瓦礫などの障害物をたくさん置いて邪魔をしたので、それも鎮圧が遅れた原因の一つとなりました。

 州政府の発表によれば、この3日間で、暴動による死者は千人にのぼるとのことですが、実際には2千人以上が殺害されたと言われています。何せ戸籍のないインドのことですから、一家で殺害されて誰も当局にクレイムしなければ被害者としての数に計上されません。彼らこそ、シンガポールの木ではなく、インドの人そのものなのですから。
 それに加えて、今回は"火"が使われたので、焼けた家屋の瓦礫などと一緒になり、死体が残っていない場合が多いこともその原因にあります。また、ヒンドゥー教は死体を大切にはせず、墓など作らずに死者をすぐに川に流してしまうので、よけいにわかりません。

 「グジャラート暴動」の本には、暴動で虐殺された人たちの例がたくさん載っているのですが、その中でも一番典型的なのは、前コングレス党国会議員ジャフリ氏の例です。彼は、チャマンプラ地区カルバーグ居住区に家族と一緒に住んでいたのですが、数千人もの暴徒に家を取り囲まれて、助けを求める悲壮な電話が警察幹部や州政府高官に何百回と掛けられました。彼の家には、彼の家の回りに住んでいた親戚や近隣者たち65人が保護を求めて集まってきていたのですが、彼の電話は、彼ら全員が最終的に暴徒によって焼き殺される直前まで続きました。
 目撃者によれば、彼は、警察の助けが当てにならないと知ると、絶望の中で、威嚇の為に空中に向けて銃を放ったとのことです。それが彼の最後の抵抗でした。暴徒たちは彼の家の中へとなだれ込み、少なくとも8人の女性が服を引き千切られて強姦され、数々の非人道的な振る舞いと共に、彼らを生きたまま焼き殺してしまいました。中央政府が機動部隊を派遣して彼の家に到着したのは、そのかなり後のことでした。グジャラート州の各地でこのような家屋への襲撃があちこちで起きたのです。

 暴徒たちは、ムスリムの家を襲っては火を放ち、そこで略奪したオートバイに数人でまたがっては、略奪した携帯電話でお互いに連絡を取り合って、さらに次々と襲撃を繰り返しました。
 暴徒たちは、避難しようとしてトラックに集団で乗車しているムスリムたちにも襲撃を加えました。アーメダバード市のモダサハイウェイでは、村からトラックに乗車して逃げてきた65人のムスリムたちが襲われ、全員が生きたまま焼き殺されて、奇跡的に1名だけが生き残りました。

 また、この生きたままの焼き殺しに加えて、今回の暴動でひどかったのが女性への強姦です。暴動や戦争が起きれば、この種のことはある程度はついて回るものですが、今回のグジャラート暴動では特にひどかったのです。それにも理由があります。
 実は、ゴドラ列車放火事件が起きた翌日のアーメダバードの地元紙の一面に、列車に乗車していたヒンドゥー教徒の女性数人が列車を襲ったムスリムの暴徒たちに拉致されて、その内の2人が集団でレイプにあい殺害されたとセンセーショナルに報道されたのです。この記事は、列車放火事件で"生きたまま焼き殺された"と同様の影響を与え、その後の暴徒の行動に大きく関与しました。
 この記事の事件は、その後の検証ででっちあげであった可能性が高くなっています。あまり裏取りもしないままに、責任感もなく、興味本位で記事にしたのでしょう。
 この記事で感情的に憎悪をいだいた暴徒たちは、襲撃の過程で、手当たり次第にムスリムの女性を襲っては集団でレイプして火の中に投げ込んでいったのです。こうなると、悲惨です。たまたまその場に生き残った人でもいればともかく、そうでもなければ強姦の被害者の数は把握不可能です。

 「グジャラート暴動」の本には、この女性への襲撃の例はたくさん出ています。しかし、以前にアウトルックの記事でも取り上げましたのでここでは特に取り上げませんが、この暴動については、いまさら言うまでもなく21世紀の出来事とは思えないひどさです。それでも、誰も罰せられようとはしない、この司法が機能しない国の体制は、日本でいえば江戸時代以前のものでしょう。
 こんなにもインドの行政を悪くしてしまった、大きな一つの要素はやはり賄賂体質です。とにかく、お金のある人は悪いことをしても罰せられませんし、弱者の立場にある人は、被害に遭ってもまったく助けてもらえません。

 この暴動の中でも、警察が全く機能しなかったことも明白です。まず、被害者が警察に電話を掛けても電話が切られて通じません。通じたとしても、「警察官を現場へ送るから」と答えるばかりで、いつまで経っても警察官は現場に着ません。それに加えて、政府高官から各地の警察署長に、"暴徒の行動を制止しないように"と直接連絡が入っていたので、警察署長は持っていた携帯電話の電源を切って雲隠れして所在がわからなかったという人が多かったようです。
 また、襲撃の現場でも、警察官たちがいるのを見つけて、襲撃を受けているムスリムたちが助けを求めて警察官のほうへ走っていくと、警察が彼らめがけて催涙ガスを打ち込んできた、という目撃談も語られています。警察車両の中に入っているガソリンを、襲撃の燃料とするために、暴徒に抜かせていた警察官がいたことも目撃されています。

 インドは、「世界最大の民主主義」と自負していますが、その意味するところは、ある面あたっていますし、ある面間違っています。いくら「最大」の民主主義でも、機能していなければ意味がありません。
 民主主義の利点であり欠点は、国民一人一人の意見を反映することです。国民一人一人が、最低限の教育を受け、ある程度の判断が出来るのならばいいのですが、できなければ、それによって出来あがる政府は「その程度」の政府でしかないのです。民主主義の一票は、教養のある人が国を憂いて投票しても一票ですし、自分のことしか考えない無教養で貧しい人がごろつき政治家にわずかなお金をもらって投票しても一票です。一票は一票で、一票には同じ重さしかないのです。
 ですから、インドは独立後すぐに全員に投票件を与えましたが、それが大きな間違いでした。日本のように、何らかの投票制限を設けながら、徐々に投票権を拡大していくべきでした。現在のインドの政治家全体の4割近くもが前歴を持っている人たちと聞いたことがありますが、もし本当ならば驚異的な政治体制です、今すぐにでもインドは森に帰るべきでしょう。
 
 インドのあるノーベル受賞学者が、インドと日本を比較して、日本は寺小屋の時代からかなりの量の書籍が国内にあり、知識の習得に前向きであったことが結果的に現在の日本を作り上げたと述べていますが、確かにインド人の書籍への関心は致命的です。ぼんやりと過ごすことができないように、いっそのこと、日本の寒い冬をインドに持ってきて、自己努力しなければ死んでしまう環境と、深い雪のために家の中で過ごす長い冬の時間を読書に当てる環境を提供すれば、森に帰るべき"ぼうっとしている"人たちを排除して、グジャラート暴動など発生しない新しい国に生まれ変わることが出来るかもしれません。
 でも、この天候が続く限り、100年経ったって"ぼっと"していて、またグジュラート暴動が起きることでしょう。パソコンには学習機能はあるのに、IT大国インドにどうしてそれができないのでしょう。
ミスワールドを産出しつづけるインド、きっと、ヒンディ映画の美しい女優がいれば、インドの男性たちは他には何も望まないのでしょう。

 注: 森の猿理論
   私が考える勝手な理論。森にいた猿のうち、強い猿がそのまま食料の豊かな森に残り、弱い猿は環境の過酷な草原へと追い出されたが、結局厳しい環境で切磋琢磨した猿が人類へと進化したのに対して、豊かな環境にいた森の猿はいつまでも猿のままであるということ。






Last updated  Apr 11, 2005 11:56:52 PM
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