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悠久のムンバイ

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Jul 17, 2006
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 ムンバイで多くの市民が犠牲になる列車爆破事件が発生しましたが、日本で考えるほどムンバイ市民たちは爆破事件を怖がってはいません。新聞記事には、もう次の日には平気で同じ路線の列車に乗って通勤しているムンバイ市民の写真が掲載されています。
 日本人にとって、爆破事件が市内で起きるような街に住むなんてことは考えられないのですが、何度も起きていると感覚が麻痺してしまうのです。
 同じことは日本でもあります。日本では日常的に交通事故が起きて、毎年何千人もの命が失われているのですが、日本人は「車に乗ると死ぬかもしれないから危ない」とは普通考えていません。
 ところが、仮に、発展途上国で車社会ではない人たちが「車の事故で毎年何千人も死ぬ」と耳にすれば、「そんな危険な国日本には怖くて行きたくない」と感じるはずです。
 同じです。爆破テロの起きない日本の市民にとって、爆破テロが起きるのはとても怖いことですが、爆破テロがしばしば起きるムンバイ市民にとって、爆破テロはただの日常の風景の一つに過ぎないのです。

 私がムンバイに滞在している間もかれこれ10回くらい爆破テロが起きましたが、「またか」という感覚でした。最後の爆破テロは、日本人がかなりしばしば行くタージマハルホテルの入り口前で起こり、日本人が巻き込まれていてもおかしくはない場所だったのですが、在留邦人の人たちの対応も冷静でした。その一方で、そのニュースを耳にして日本から連絡をしてくる親族などの声は深刻そうでした。

 日本人も海外に行くことに慣れてきて、ピントの外れた過剰な反応をする人は少なくなってきましたが、爆破テロが心配だから海外旅行を止めるよりは、日々の交通事故を心配して安全運転をすることの方が、命を守るためにははるかに大切なことです。 






Last updated  Jul 17, 2006 04:36:39 PM
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Aug 3, 2005
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 もうずっとずっと前、もう20年以上も前の大学時代に、私はインドをバックパック旅行しました。その当時、インドを旅行するに当たって、地球の歩き方やインド紀行記を何冊か読んだ記憶があります。

 そこで、今回偶然にも再び同じインドに行くこととなり、今度はインドに「滞在する」ことを考えて、インドの国、人、生活、習慣などを知りたいと思い本を探したのですが、適当なものがありませんでした。
 インドに関するものは、ほとんどが紀行文やインドの国の概要を説明したもの、又はインド宗教や哲学に関する専門的な本ばかりで、インドに住むのに参考になる生活情報がなかったのです。

 例えば、今のインドの人たちは、どんな生活を送っているのか、学校生活は、会社の生活は、アフターファイブは、スポーツは、ギャンブルは、レジャーは、買い物は、風俗は、治安は、賄賂は、恋愛は、そして、私たちはどうしたら楽しい滞在生活を送ることができるのか。

 それで、皆さんの参考になればと思い、取りとめも秩序も無い、気の向いたままに羅列した滞在記を楽天の日記に掲載しました。ムンバイで生活した滞在記ですが、インド全般に通じることも中にはあると思います。
 インドの社会のいろいろな背景がわかると、皆さんが滞在される時の視点に活用できるのではないかと思います。参考になれば・・・






Last updated  Aug 3, 2005 11:11:28 PM
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Aug 2, 2005
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悠久のムンバイ (2003年3月の日記)

 3月1日のインドとパキスタンの“クリケット戦争”はインドの勝利に終わったようで、その夜のムンバイは勝利の花火と爆竹で新年のドゥワリ祭りのような騒ぎでした。たかがクリケットの試合ではないかと思うのですが、ワールドカップでのインドとパキスタンの一戦は彼らにとっては特別な思い入れがあるようです。なにせ、クリケットの試合を午後から夜中までかけて延々10時間くらいしているのですが、いつもはあれだけ蟻の巣のようにうようよと溢れまくっている鉄道の駅のプラットホームから人が消えて、テレビの前が人だかりになっている写真が次の日の新聞に掲載されているくらいです。
 それに、“ワールドカップには優勝しなくてもいいから絶対パキスタン戦にだけは負けるな”というのがインド人の本心のようです。隣どおしで仲良くできないものでしょうか、まあ無理な注文でしょうが。

 これは世の常ですが、インドでもスポーツはやはり男性の方が圧倒的に興味があるようで、“クリケット戦争”に男性が燃え上がる一方で、女性は冷めて日常生活をたんたんと送っていたようです。まあ、家でクリケットに釘付けの旦那をこれ幸いに、“密会”に燃え上がっていた女性は反対にいたかもしれません。女性の浮気というのは普段でさえ旦那にはわからないのですから、こんな時にはよけいわかりっこないいいチャンスなのかもしれませんから。

 さて、インドの二大娯楽である「クリケット」と「映画」、クリケットがワールドカップでのインドの快進撃で盛り上がっている一方で、ボリウッド映画界は氷河期から抜け出せないようです。今週放映を開始した“バレンタイン・デイ”という映画は、初日の第一幕でさえ二階席はたったの10人、先週の“ドゥンド”という前宣伝では良さそうだった映画でさえ初日映画館の中にはたったの40人しかいないという燦々たる状況だったようです。
 この状況を評論家のアダシュ氏は「氷河期の中にいるという気持ちは捨てなくてはいけない。集中治療室ICUに入って治療中で、これからの復活を待っているのだと前向きに考えなくては」と映画界を鼓舞しています。

 どうして最近こんなにヒンドゥー映画が流行らなくなってしまったのでしょう。評論家の人たちは、“同じストーリーの焼き直しで新鮮みがない”とか“映画館の値段が高い”などといくつかの理由をあげていたりしますが、一つおもしろい話を聞きました。インドの大学生の間では、大学によってハリウッド映画が人気な大学とヒンドゥー映画が人気な大学とがあるそうです。お金持ちの人が行く大学ではハリウッド映画が話題に上り、中流家庭以下の人が行く大学ではヒンドゥー映画が話題になることが多いそうなのです。

 インドでは日本のように全員が一様ということはありません。ばらばらです。ガネーシャ祭などの各種の伝統的なお祭りなどにしても、インドでは街中がお祭りの渦と化しますが、よく見ると街に出て騒いでいるのは貧しい人たちばかりです。上中流以上のお金持ちの人たちはほとんど混じっていません。同じように、ヒンドゥー映画も、インドでの地位は“貧しい人の楽しむもの”という暗黙の雰囲気があり、インテリを自称する人たちはハリウッド映画だけを見ていて、ヒンドゥー映画を嫌う人も少なくないようです。

 インドでは、今までにも書いているのですが、生活のほとんどすべてに賄賂が重要な位置を占めますので、お金持ちかどうかで生活がすべて決まります。学校に入学するのさえも賄賂が幅を利かせていますので、基本的にいい学校にはお金持ちの家庭の子供が多く入学します。
 最近、ある大学の理事長が最高裁判所で裁判を受けている記事を目にしましたが、一人3ラックから5ラックを300人の入学生徒から集めた罪で起訴されたと報道されていました。この金額は、日本円に換算すると一人当たり80万円から150万円にもなります。それを300人から集めたのですから、尋常な金額ではありません。
 税金は国民の1%しか納税していないインドにして、この賄賂の額です。インドでは、お金が地表に出ることなくして国民生活の中を流れていきます。お金を稼ぐ人々は直接「現金」で賄賂として莫大な収入を得て、物を買うときも「現金」で支払います。巨大な現金が地下水のようにムンバイの地下を流れていくのです。 
 ですから、本当なら税金として集められ、公共施設や教育・福祉などに回り国民に再配分されるはずのお金が回収されないので、金持ちはいくらでも金持ちになり、貧しい人たちはさらに貧しくなり、公共のインフラや制度も整備されないままで、市民の貧しさにさらに拍車をかけます。

 さらに悪いことには、インドでは過去の英国による長い占領の影響で、高校以上の高等教育は基本的に英語で行われます。日常使用されるヒンドゥー語が話せるだけでは、いくら素質のある頭脳を持っていても高校へ進めません。英語が離せなければ教育も十分に受けることはできないのです。お金もなく、英語も話せなければ、いつまで経っても貧乏なままという連鎖に陥ります。

 ですからインドでは、英語を話すということが“教養を受けた人間である”というバロメーターとして見られてしまうという面があり、英語が話せないと非常に冷たい態度を取られることがあります。英語が話せる話せないで、はっきりと貧富や教養の差があると見られてしまうのです、悲しいことに。

 さて、閑暇休題、話題をキャンパスライフに変えましょう。インドの大学は都会と田舎でもかなり違うようです。タミルナード州の田舎の大学では、男女共学でありながら“デートする”なんて言葉は現実には存在せず、公共の場を男女が2人で一緒に歩くなんてことは現代でもまだとんでもないことのようです。一方、ここムンバイでは違います。
 数年前にはムンバイ市内の男女共学の大学に通っていた私の事務所で現在働いているインド女性と話をしていると、自分の周りにいた女生徒の70%くらいにボーイフレンドがいたというのです。その数字の高さにびっくりして、「それはただ親しい男友達という意味か深い関係にあるという意味なのか」とつい聞き返してしまったら、「ボーイフレンドはボーイフレンドという意味ですよ」と返されてしまいました、そりゃそうですが。ということは、前回の“悠久のムンバイ”での「10代の体験率48%」という統計もまんざら嘘ではないのかもしれません。やはりムンバイは都会だと改めて感心しました。

 話のついでに、その女性に、“田舎ではデートして2人で一緒に歩くことは駄目らしいけど”と聞いたら、ムンバイは日中に街中を2人で歩くことは全く問題ないとのこと。でも、一緒に歩くだけならともかく、“いつボーイフレンドとガールフレンドの関係に陥るようなことができるのか”と尋ねたところ、彼女たちはまずはグループで集まるらしいのです。彼氏彼女の関係にあるカップルか数組、男数人と女の子数人という単位で集まってからいろいろと考えて行動するらしいのです。そういえば、グループで集まっている姿を街中ではよく目にします。小学生でも、中学生でも、公園やスタジアムの一角に数人で集まり、男女男女と交互に座っては仲良く話し合っていたりします。あの、男女男女と交互に座ることがインドの若者の文化への抵抗だったのです。

 インドの学生は基本的に自分一人で住んでいる者はいません。自宅かもしくは親戚の家を頼って住んでいるので、彼氏と2人っきりになれるような空間は存在しません。誰か都合の良い人の家にグループで集まって、その中でカップルはカップルだけの世界を作って楽しむのでしょう。
 また、男女混合のグループで旅行に行くということも耳にします。私がゴア出張中に夜遅く大学生くらいの男女が10人くらい一緒に騒ぎながら歩いているのを目にしたこともあります。でも、さすがに、インドではまだまだそこまでが限界です。いくらグループでの旅行といっても、“ほとんどの親は許可するはずがない”そうですので、たぶん、女の子だけの旅行と言って旅行の許可を親から取っているのでしょう。とにかく言えることは、このインドでさえ、思春期の女性は止められないということです。

 ところが、インドでは“いくら学生の時につきあっていても結婚まで行く例は少ない”とのことです。ここでは、カーストの違い、貧富の差、宗教の違いなどの社会の障害が多いので恋愛結婚は成就しにくく、障害を乗り越えて結婚を目指す人もいるにはいるけど、やはり少ないそうです。社会の障害故に日本よりもさらに、学生時代の恋愛は恋愛でしかないということです。
 また、インドはソサイアティと呼ばれる家族・親戚・近隣者などの結びつきが強いので、結婚は、家族や親戚、友達などみんなから祝福されて結婚したいという願望が結婚する本人にも強いようで、それが恋愛結婚の比較的少ない理由にもなっているようです。

 さて最後に、入学希望者からたくさんの賄賂を集めたことで裁判になっている大学の理事長ですが、彼は弁護士としてマネシンデ氏を雇っていると新聞は伝えています。マネシンデ弁護士はムンバイでは超一流の弁護士として名が通っていて、極端な話、彼が弁護をするというだけでその裁判は無罪になるというくらい裁判官などにも影響の強い弁護士です。私もかつて彼に関わったことがありますが、さすがに頭脳明晰で法律にも詳しくて、裏の社会にも強く、見た目からして違います。パリッとしていて英国人のようです。非常に謙虚で勉強家でもあり、こちらが尋ねたことに関してわからないことがあれば、関連法律書を素早く紐解いて調べてくれます。

 ですから、彼の弁護士費用も桁外れです。まず、最初の手付け金が10ラック(約250万円)で、その後、裁判が開かれるたびに1回につき5万ルピー(12万円)が加算されます。それが彼の正当な報酬です。インドの生活水準から考えれば、天文学的な金額です。
 彼を雇っているということは、その理事長はそれだけの報酬を払っているということです。インドでは、学校の理事長や校長の月給は普通2万ルピー(5万円)です。仮に良く見積もったって、4万ルピー(10万円)でしょう。どう考えたって、その職にあった人が彼の裁判費用を捻出できるはずがないのです。
 頭を働かせて考えれば、マネシンデ弁護士を雇ったというだけで、それだけのお金を準備できたということは、彼は間違いなく“有罪”なのです。でも、必ず“無罪”になります。それがインドです。それがインドのお金の循環の仕方なのです。

 しかし、そのインドでも、最後の正義はあります。それが最高裁判所です。最高裁判所だけは賄賂が効かないそうです。正義に基づいてのみ判決が下されます。この理事長の件は、今最高裁判所で審議中ですので、どんな判断が下されるのか非常に楽しみです。






Last updated  Aug 2, 2005 10:36:55 PM
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Aug 1, 2005
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 インドで定期的に発行され誰でも購入できる雑誌には、インドの現状を憂いた有識者のコラムがよく掲載されています。本当にその意見は感動的です。どうして言葉として表現されるのに、それらをまったく受け入れようとしないのでしょうか、この国は。どうしようもなく、悲惨です。それもまた感動的ですが、反対の意味で・・・。しかし、コラムは本当に素晴らしいです。

 独立した警察当局

 数ヶ月前、私は、ファリード・ザカリア氏の論理「自由の将来」について寄稿を寄せた。彼の論理によれば、民主主義が成功したと保証するのは、選挙が実施されているとか多数決の原理が遂行されているとかいうことではなくて、選挙で選ばれた政治家たちに対して検査と評価を忠実に実施している独立した機構があるかどうかということである。
 
 例えば、グジャラート州で昨年発生したグジャラート暴動は、多数決の原理で言えば、大多数が賛同して起きた出来事として定義することもできる。最高裁判所は、選挙で国民により選ばれた組織ではないが、公正な裁判を求めて、このヒンドュー教徒によるイスラム教徒殺害の事件の審理をグジャラート州から他の州へと移すように命令をした。
 明らかに、グジャラート州の現政権であるモディ政権は、このヒンドュー教徒の殺人者たちに対して、公正な裁判を実施しようという意向はない。
現在、インドは再び世界に対して正面からインドが真の民主主義国家であるということを証明できる機会が訪れている。それは、インドが民意を反映した真の選挙制度を有しているということをもって証明するのではない。インドが、選挙で選ばれたリーダーたちがもし悪い行いをした場合に真に懲罰を与えることの出来る独立した機関を持っているということをもって証明するのである。

 今回のビハール州とアッサム州の対立では、虐殺とその報復の中で約60人の人たちが殺された。この端緒は、まず、アッサム州内で鉄道の職を求めて就職試験を受けに来ていたビハール州の人たちを、アッサム州の地元の暴徒たちが襲ったことに始まる。
 その事件を受けて、今度はその報復として、ビハール州の州民が、アッサム州からやって来た電車に乗っていたアッサム州の州民に対して暴行を加えた。駅のプラットホームで、2人の少女が服を剥ぎ取られ、他に少女1人が集団で輪姦された。今度は、この事件に対する報復が再びアッサム州内で発生し、ビハール人に対する新たな殺戮が行われた。
 
 いろいろな政党や政治家たちが義務的にこの出来事を非難した。しかし、正直に言えば、もし住民投票が実施されれば、アッサム州民は、ビハール人に市民権なんかやる必要はないとしてすべてのビハール人を排斥することに一票を投じることだろう。ナガランド地域やマニプール地域で住民投票が行われたとしても、同じような結果が生み出されることだろう。
 同じように、もしビハール州で住民投票を行えば、ビハールの鉄道駅で起きた輪姦事件を明白に自己非難する結果が出ると考えにくい。これが実情であり、それぞれの州で選ばれた政治家たちが、そのような州に広がった怒りを納めることを期待できるほどほどインドはまだ成熟していない。

 ウッタルプラデシュ州では、事態はよりひどい。マガワティ女史が州首相となってからというもの、政敵ヤダフ氏に対する何十もの訴訟を起こした。ヤダフ氏も、それに対抗してマガワティ女史に対する訴訟をいくつか起こした。政治抗争が、犯罪の暴き合いと罰則の適用という法廷闘争へと置き換えられた。
 犯罪を捜査して起訴するというシステムが、正義の達成というよりも政争の道具として使用されるようになってしまった。

 今までは、選挙民が、犯罪に関わっているかもしれないと疑いのある政治家に投票をしていたという時期があったが、もうこれからはそんなことはしてはいけない。だから、政治家たちは、いかにお金を着服しようと、また殺人さえしていようと、刑務所に入ることなく悠々と過ごしているのである。
 現在、選挙民たちは立候補者に犯罪歴があるかどうかということには関心がなく、カーストとか宗教とかということを基準にして投票している。もう今は既に、すべての政党が多くの犯罪者を抱えてしまっているために、民主的な選挙システムが、政治の犯罪化傾向を矯正してくれることには無理がある。
 ザハリア氏がその論理で述べているように、この状況を打破するためには、政治家たちの行為を正当に審査することのできる独立した機構を設けるべきである。現在インドで最も称賛されている組織は、その選挙という手続きを経ることなくメンバーが組織された最高裁判所と選挙委員会である。

 差し迫ってしなくてはいけないことは、犯罪捜査への政治の介入を阻止することである。警察は、2つの機能を有している。一つは治安の維持で、もう一つは犯罪捜査である。
 治安の維持は、政治家の仕事でもあると言うことが出来る。しかし、犯罪捜査と裁判は絶対に違う。司法手続きは意志を持たないものであるということができる。決して、首相や内務大臣のいいなりの産物にしてはいけない。日本は独立した国家公安委員会を持っている。どうしてインドに出来ないのだ。

 警察を2つの部門に分割する必要がある。治安の維持を担当する部門は、内務大臣と連絡を密にする義務を負う。しかし、犯罪の捜査と起訴を担当する部門は、選挙委員会のように真に他の組織から独立した公安委員会と連絡を取ることとする。今でさえも、もし政治的圧力から解放されれば、この腐敗した状況を止めることの出来るすばらしい警察官を私たちはたくさん共有している。

 もちろん、政治家がこのような法律を制定することで自分の首を絞めることになるわけではない。ただ、このような制度を作るには、他の歳入との調整をする必要がある。
 この当然の正義を達成するために、犯罪捜査と起訴をこの公安委員会に委ねるべきだという指針を求めて公益訴訟が最高裁判所に対して提起されるべきである。最高裁は、すでに、CBIは内務大臣に対してではなくて、保安委員会に対して報告を行いなさいという裁定を出している。

 この論理はもっと採用される必要がある。CBIだけではなく、すべての犯罪捜査機関と検察機関に行政・政治からの独立という仕組みを広げるべきである。私たちが望むのは、ただグジャラート州やアッサム州にも誰でもが居住できるという市民権が戻ることと、殺人を犯した暴徒たちは絞首刑に遭い、犯罪者は罰せられて刑務所に入り、犯罪者が政府の中にのさばらないという当たり前のことが戻ることだけである。






Last updated  Aug 2, 2005 10:37:28 PM
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Jul 31, 2005
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 いつもインドの悪いところばかり書いているような気がしたので、「よし、新年そうそうの悠久のムンバイではインドの良いところを書くぞ」と決めて書き始めてみたものの、やっぱりそれは無理な注文でした。情けないけど、考えれば考えるほど、自然にどうしようもない絶望の気持ちになってきます。

 以前に悠久のムンバイで、交通状況は国民性をよく反映していると書いたことがあります。インドの交通は、割り込み、クラクション、ジグザグ運転、他の車への体当たりとなんでもありありの関西麻雀だということを書いたのですが、今回のバンコク出張でそのことが再確認できました。というのは、バンコクで車に乗車していて感じた交通マナーはとても異なるものだったからです。クラクションはない、割り込みもない、他の車に迷惑を掛けない、車線はきちんと守って走るという穏やかな運転、それは日本では当たり前のことなのに、インドとバンコクという同じ南アジア圏の環境の中で比較してしまうと、すごく新鮮な感じを受けたのです。

 人々が表す仕草もそうでした。タイの人たちの仕草はとても優しさに溢れています。特に女性は、すぐに手を合わせて感謝の意や敬意を表現します。インドの人たちも同じように手を合わせるのですが、気持ちの込め方が違います。それはよくインドの人がする“足に触れる”という仕草にもあるように、何か上位の権威に対して“媚びへつらう”という雰囲気が感じられるのです。タイの仕草にある柔らかい温かさが感じられないのです。
 特にインドの人たちは、“ありがとう”という言葉を口にしない慣習で表されているように日常は感謝の気持ちを表に現さないので、バンコクでの対応は本当にうっとりとした気持ちにさせられました。女性は男性に敬意を払う一方で、男性も女性を大切にしているのだろうなと感じられる暖かくて柔らかい社会性。タイはいいなあ。

 バンコクは、どんどんと先進国の仲間入りを果たそうとしています。一方で、ムンバイはと言うと、どんどんと“未開の巨大都市”へと変貌を続けています。どこが異なるかというと、まず、バンコクはインフラの整備が進んでいます。電気、上下水道、電話などの生活基盤から、道路、市民の市内移動の交通機関などまで、きちんと達成されつつあります。南アジア特有の雑然とした街の端臭さは残っているのですが、街はとても綺麗です。
 ムンバイはというと、電気はかろうじて供給されているものの、上下水道なんて、上水道の供給がやっとこさで、下水は垂れ流しの状態です。街中の道路脇にはスラム住居が竹の子のように広がっていて、歩道上で髪や体を洗ったり、用を足したり、口をゆすいだりするので、その垂れ流し状態もあって街全体が汚くすさんでいます。
 街の道路も、一応走ることは出来ますが、走れればいいと思っているのでしょう。とにかく凸凹で、子供の粘土細工のような道路です。市内の移動手段と言えば、継ぎはぎの汚い2階建てバスと貨物列車のような鉄道だけです。かつて、大英帝国時代の100年前でさえムンバイ市内には路面電車が走っていて、市民の足となっていたのに、現在は市内を快適に移動できるような便利な乗り物はないのです。一方、バンコクは高架の最新式の電車が市民の快適な移動手段となって活躍しています。

 そもそも、はっきり述べてしまえば、そこで生活をしている人間自身の標準が違います。バンコクは、少なくとも、市民のほとんどが市民としての最低レベルの教育は施された顔の表情と服装をしています。ところが、ムンバイの市民の半数以上は、あきらかに教育を十分に受けていない、結局のところは選挙権を持っていてもその一票を投じるだけの判断力を有しないと感じられる人たちで溢れかえっています。こんなにたくさんの一定基準の教育を施されていない人たちを抱えていれば、その選ばれた政治家の40%以上が前科持ちのルンペン政治家だという事実も当然のことです。

 ですから、しごく残念なのですけど、これからの将来、このバンコクとムンバイの差が広がっていく一方であることは誰の目から見ても明らかです。ただ、希望の光がインド国内に全くないかと言えば、無いことはないのです。バンガロールやハイデラバードなどは、計画的に州政府が都市計画を立てて近代化を推し進めていますので、数十年後はムンバイを抜いてインドの代表都市となっているかもしれないのです。在留邦人の数にしても、バンガロールはすでにムンバイを抜き去ってしまっています。1900年代の初頭に綿花貿易で在留邦人数3千人を誇ったムンバイも、現在はほんの200人程度、さらに減少の一途を進むことでしょう。

 ところで、今回バンコクに行っていて興味深いことを耳にしました。タイは過去に植民地になったことがないらしいのです。アジア地域で植民地になったことがないのは日本だけと勘違いしていたので非常に驚きました。それも、日本のように極東の資源も何もない島国なら戦略的な価値は比較的少ないので、ヨーロッパからの植民地化から国民の努力で逃れたのも納得できると思っていたのですが、このタイの地理的条件を抱えていながら欧米の植民地化から逃れたというのは驚異の政治力です。

 調べてみると、歴史的な状況は次のようなものです。19世紀の半ばに、ヨーロッパ諸国が資源を求めて東南アジアで植民地抗争を繰り広げました。特に、阿片戦争に象徴される英国の世界への覇権が東南アジアに強く及んでいましたので、タイも、1855年に英国との間で、不平等条約である友好通商航海条約を結んだのを皮切りにして、次々に欧米各国と同じような条約を結ばざるを得なかったようです。でも、タイは、欧州諸国同士を競わせてバランスを取りながら1国のみの優越を許さずに、政治面での内政干渉には強く抵抗するなど上手に外交を進めたようなのです。そして、結局植民地にならずに通してしまったのですから、非常に巧みな民族です。

 それを考えると、インドは悲惨です。イスラム教のムガール帝国に支配された後、200年以上も今度は英国に占領されていたのですから。よく、インドでは、英語がしゃべれないと教養程度が低いと考えられて馬鹿にされたような態度を取られます。というのは、インドでは、大学以上の教育機関の授業はすべて英語で行われているからです。ここでは高等教育は英国の産物なのです。英語ができないと高等教育が受けられないのです。だから、逆に英語ができないと“教育を受けていない者”と見なされてしまうのです。小学生などの時にヒンディー語などの地元の言葉で義務教育を受けた者が高等教育に進むのにはすごいハンディがつきまといます。他の国のように、当然自国の言葉で受けられるはずの高等教育が受けられないのです。
 その点、タイや日本のように、一般国民の誰でもが、能力さえあれば高等教育を受けることができてその力を発揮できる仕組みがあり、英語が話せなくてもどんどんと発展していく国と、いくら能力があっても、自国の言葉だけでは無教養者としてしか扱ってもらえない国インドとの違い。悲劇です。自国のアイデンティティを喪失してしまった国の悲劇があります。まあ、日本の不可解な戦後教育による国民腑抜け化現象の末の日本喪失も同じような悲劇であることには違いないとは思うのですが。

 さて、突然ですが、インドで見る紅白歌合戦は見ていて非常に楽しめました。ムンバイでNHK国際プレミアムが見られるようになり二回目の紅白ですが、インドで紅白を見ると、やっぱり日本は一致団結の和の国だと感じさせられます。インドでは、紅白なんてテレビ番組は存在できないような気がします。
 というのは、日本が「和」を大切にする一方で、インドは本当に個人主義の国です。よく言われることですが、日本のサッカーにはストライカーが育ちません。“俺がゴールを決めてやる”というよりも、チームワークで相手のディフェンスを崩してゴールを決めようとします。「そこだ、シュートを打て」という決定的なところまで、またパスを渡してしまったりします。
 しかし、インドは違います。どんなスポーツでも、基本はひたすら個人プレーの精神です。インド人が街でやっているバレーボールを見るとよく分かります。誰もが、自分のコートに返ってきたボールを一回で直接相手コートに打ち返したがるのです。まずはボールを拾って、トスを上げて、相手に打ち返すというチームプレーがありません。

 考えてみると、インドで流行っているスポーツはクリケットだけです。クリケットは、基本的に、個人プレーの産物です。ボーラーがボールを投げて、バットマンが打つ。守っている人は、自分のところに来たボールに対して反応する。チームでしているスポーツですが、基本的には個人プレーを組み合わせたスポーツです。
 英国の占領地であるインドで、サッカーよりも流行ったのがクリケットで、その理由は、激しい動きのサッカーに比べて動きの少ない怠け者のスポーツだからと思っていたのですが、それだけではなくて、クリケットは個人プレーの産物であるというところにも理由があるのかもしれません。

 インドでは、この個人主義が、他の人のことなど関知しないで自分のしたいようにするという、道路でのあの異常な前へ前への突進と渋滞を生み出すのでしょうか。
 そして、この個人主義が、インドの病理である「嫉妬」を生み出しているのでしょうか。個人主義が徹底していて、他人に負けたくないという意識が強いために、他の人が自分より勝っているとすぐに嫉妬心を持ってしまうのかもしれません。
 事務所のインド職員を見ていてもそのような感じが強いようです。日本の事務所のように、みんなで飲みに出かけたりとか、仲良くしようという感じは少なくて、お互いに強い牽制心を抱いています。他の人が何か有利な立場になろうとすると、それを何らかの方法で牽制して阻止しようと・・・、いやいや、そうではなくて、インドの悪いことばかりを書くのではなくて、褒めたいのです。新年ですから、良いことを・・・。

 2004年の新年が来ましたが、インドはそんな小さなことにこだわってはいません。インドは3000年の悠久の歴史を生きているのです。この数十年で、幾ら東南アジア諸国が発展しようと、そんなことは目じゃないのです。百年単位で国の設計図を描いているのですから。十億人の人口を抱えて自給自足ができる大国です。半端じゃありません。石油ショックやイラク戦争程度で左右されたりはしません。

 おびただしい数の言語、民族、文化、宗教、制度、習慣を抱えながら、それをこの広大なヒンドスタン大陸の中にまとめて生活している偉大な国インド。男性の性格は非常に温和で、暴力には決して訴えない(でも女性はとても怖い)。この雑多な国家でありながらも、一般治安は非常に良い(でも、時々テロと暴動が発生してしまう)。そして、ミスワールドを次々と送り出す華麗な女性たちがいるインド。結局、最後までこの地球上に残るのはインドなのでしょう。






Last updated  Aug 1, 2005 11:29:42 PM
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Jul 12, 2005
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 ムンバイの小売店。道沿いに所狭しと小さな店が連なっていますが、見かけはショボくても決して馬鹿にしたものではありません。彼らは、その小さな店内からは信じられないほどの商品を持っています。

 ためしに、靴屋に入ったら聞いてみましょう、「ナイキのジョギングシューズありますか」、と。たとえ、いかにもナイキとは不釣合いな小売店で店内にはナイキを展示してなくても、しばらくしたらきっと店の天井からナイキのジョギングシューズが落ちてくるでしょう。

 また、時計屋に入ったら聞いてみてください、「シチズンやセイコーありますか」、と。たとえ店内に飾ってなくても、しばらく店内で待ってたら、きっと店の入り口からシチズンを手にしたインド人が入ってくるでしょう。

 インドの小売店。ナポレオンの辞書に「不可能」という文字がないように、彼らの商品にも「不可能」という商品はありません。すごいんです、インドの小売店。きっと、目的のものに出会うことができるでしょう。
 でも、それが本物かどうかはまた別問題です。偽物の多いインドでは、自分の目だけが頼りです。テレビの番組「鑑定団」を見ながら、自分の「目」をしっかり養いましょう。悲しいことですが・・・。






Last updated  Jul 12, 2005 11:15:01 PM
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Jul 11, 2005
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 ムンバイ市内を歩いてみると感じますが、街には本当に不思議なくらい遊ぶところがありません。日本にあって、ムンバイにないものを探してみると、まずパチンコなどのギャンブル施設。かつて英国の占領地だったこともあり、競馬場は立派な施設があるのですが、それ以外のギャンブル施設は街中にはありません。まあ、ヒンドゥーとイスラムの文化の影響といえばそうなのかもしれませんが。

 次に、風俗。風俗といっても、ソープランドのような完全な性風俗ではなく、いわゆるちょっと飲みにいくという程度のスナック、クラブなどからキャバクラ、ヘルスなどのバラエティにとんだ日本の健全な風俗?などというものも全くありません。一つあげるとすれば、女性がサリー姿で踊るというダンスバーがありますが、何か最近聞いたところでは、ダンスバーが法律で禁止されて街から無くなるとか。
 最近、ムンバイにいる友人から、「栗原さん、ムンバイに来ても大好きなダンスバーはもうありませんよ」と言われて、落雷が頭の上に直撃したようなショックを受けてまだ立ち直れていません。ついに、ムンバイも、イスラム原理主義の戒律都市か、はたまた自給自足の原始都市のようになってしまうのかと考えると、寂しくて。

 それに加えて、バッティングセンターもゴルフの打ちっぱなしもありませんし、本屋もろくにありません、本当に、あるのは場末の映画館だけです。

 では、一体ムンバイ市民は普段何をして楽しんでいるのでしょうか。

 市民の大きな娯楽は、夕涼みです。インドの人たちの夕食はとても遅いのです。だいたい、一般家庭で夕食を食べるのは夜の10時ころです。それまでは、みんなが外に出て老若男女がなにやら遊んでいるのです。近所の友達らしき小学生くらいの女の子が、夜の10時ころに街角の明かりの下で一緒にバトミントンに興じているなんてことは、日常のよくある光景です。男の人たちは、街角の一角に固まって座っては、酒も飲まないでナンやら遅くまで延々と雑談をしています。

 夕涼みに散歩をしている人もたくさんいます。一方、家族で買い物に出かける人もいます。小売店がたくさん集まっている通りなどは、あたかも日本の夏祭りのような人ごみが毎日続いて活気に溢れています。

 市民の中には、健康のためにウォーキングをしている男性やご婦人たちもいますが、本当に日本人には決してありえないような大きな体をした女性が、パンジャビ姿にナイキのスニーカーで歩いている様子は、見ていると非常に滑稽です。決して好んで見たくはありませんが。

 また、夕方に映画を見に出かける家族も多く映画館も暗くなってからも結構繁盛しています。

 このように、夕涼みは市民の大切な憩いなのですが、その背景には、一般治安の良さがあります。子供たちが、夜、外で遊んでいても安全で、若い女性だけが歩いていても安全な社会、本当に、体感治安がとても良い社会がムンバイにはあります。それがインドのなぜか不思議なところです。警察は機能していないのに治安が良い。やはり、それもこれも、インドの父、ガンジーさんの非暴力主義のおかげでしょうか。そう考えると、やはり偉大すぎます。

 さて、一般市民が、夕涼みや映画などでささやかに楽しんでいる一方で、お金持ちたちはどのように楽しんでいるかといえば、彼らは「倶楽部」で楽しんでいるのです。倶楽部文化はもともと英国の貴族文化の名残なのでしょうが、ムンバイの街の中にクリケット倶楽部、競馬場倶楽部、ゴルフ場倶楽部など倶楽部があちこちに点在します。
 その倶楽部の中には、ゴルフ、プール、レストラン、バー、ビリヤード室、カード室など、生活を楽しむための施設が満載されています。お金持ちの人たちは、家族で倶楽部に通って毎日優雅に過ごしているのです。もちろん、倶楽部には、莫大な入会金を支払った倶楽部の会員だけしか入れません。

 倶楽部には、お金持ちの老若男女が集まってきます。若者だけではなく、日本なら老人ホームにいそうな年配の人たちが結構たくさん集まり、カードをしたり、お茶を飲んだり、歩いたりして静かに時間を楽しんでいます。もちろん、男性だけではなく、女性の姿も多く、半数以上います。年配の女性たちが数人集まって、お酒を嗜みながらカードルームでカードに興じている景色もごく普通の光景です。

 一度、ある人と一緒にある倶楽部に行った時のこと、カードゲームする人たちを少し眺めていたことがあるのですが、その勝ち負けの清算をするときの金額を見て驚愕したことがありました、そのあまりの多さに。なんと、札束でやり取りするのです。
 100ルピー札が100枚束ねられた一万ルピーの束(日本円にして二万五千円相当)で、一束、二束と相手に渡して清算するのです。そして、端数が、何と500ルピー札です。500ルピーの札束を取り出して、ピシピシピシと何枚か取り出して半端の金額を処理したのです。それが、ムンバイの倶楽部の「日常」なのです。

 プールで泳ぎ、ギャンブルに興じ、バーでお酒を飲みながらビリヤードを楽しみ、街に繰り出してはダンスバーに行く。そこには、自分の馴染みの(まあ簡単に言えば「愛人」の)女の子が踊っている。

 インドの金持ちにとって、街の中に楽しみなどなくてもいいのです。街は、一般庶民の単なる生活の場でしかないのですから。彼らの生活の場は違うのです。
 ギャンブルをする場所が街になければ、自分たちでどこかにプライベートなギャンブル場を作ればいいのです。風俗が街になければ、自分たちの趣向の秘密倶楽部をプライベートに自分たちだけで作って楽しめばいいのです。それが、彼らインド人のお金持ちの楽しみ方なのです。

 まあ、日本もある面、お金持ちの人たちはそれと同じような楽しみ方をしているのでしょうから同じといえば同じなのかもしれませんが、庶民とお金持ちの生活の差がインドは大きすぎるのです。

 長くなりましたので、日付も変わったことですし、とりあえずこの辺りで今日の日記は終わりますが、まあ上の生活を見ればキリがないし、私たち庶民は無理をせず、庶民の、庶民による、庶民のための生活を楽しむ方が幸せなのでしょう、きっと。






Last updated  Jul 12, 2005 12:41:33 AM
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Jul 7, 2005
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 日本に帰国するまで残り三週間となり、悠久のムンバイも前回を持って最終号にしようと考えていたのですが、インドというのは興味深いことが多すぎて飽きさせてくれないというか不思議というか、余りにも馬鹿馬鹿しいことが多いので、取りまとめて最終号として最近の話題をふたつ取り上げてみました。

○ インドのミスコン

 まずは、インドが世界に誇る美人女性たちの話題を取り上げてみたいと思います。去る三月二十七日、ムンバイ市内で今年の“ミス・インディア”を決める大会が開催されました。インドが誇る世界的ボリウッド女優であるアイシュワイヤ・ライが、この大会でミス・インディア・ワールドを勝ち得て、インドの代表として、世界大会へと進みミス・ワールドの栄冠を勝ち取っていますので、この大会に対するインドの人たちの関心は高いものがあります。

 ただ、この大会は“ミス・インディア”というインド一番の女性を決めるというだけではなくて、正確には、このインド大会では三人のミス・インディアが選ばれます。

 どうしてかというと、現在、世界には三つのミスコンテストの世界大会があるからです。ミス・ユニバース(Miss Universe)、ミス・ワールド(Miss World)、そしてミス・アース(Miss Earth)です。これらの、それぞれの代表者を決めるという性格も、この大会にはあるのです。その中で、一応順位を付ける意味からも、ミス・インディアの一位はミス・インディア・ユニバースと呼ばれ、ミス・ユニバースのインド代表として世界大会に参加します。二位がミス・ワールドへ、そして三位がミス・アースへと参加することとなります。

 過去のミス・インディアの大会の中では、一九九四年の大会が最も有名な大会です。この大会で一位になりミス・インディア・ユニバースに選ばれたのがシュシミタ・センで、二位に甘んじてしまったのがアイシュワイヤ・ライでした。その当時、既にテレビの宣伝などに出ていたこともあり、二人とも知名度も高かったので熾烈な争いとなりました。その後、二人は、それぞれの世界大会に出たのですが、何と、どちらの大会でも二人は世界一になってしまったのです。それぞれ、ミス・ユニバースとミス・ワールドの栄冠を勝ち取ってしまいました。それができてしまうところが、インドのすごいところです。

 二人は、その後、そろってボリウッド映画界へと身を投じたのですが、今度は逆に、シュシミタ・センは今ひとつぱっとしない一方で、アイシュワイヤ・ライはトップ女優へと上り詰めていきました。

 さらに時代が少し移り、二〇〇二年の大会でも熾烈な争いが繰り広げられました。その年も、際だった二人が一位と二位を争いました。ラーラ・ダッタとプリヤンカ・チョプラです。見事ミス・インディア・ユニバースの栄冠を得たのがラーラ・ダッタで、プリヤンカ・チョプラがミス・インディア・ワールドの座を獲得しました。そして、この時も、そのまま二人が、またしてもそれぞれ世界一の栄冠に輝いてしまったのです。二度も、そんなことがインド女性にはできてしまうくらいインド女性のスタイルと知性は素晴らしいのです。

 彼女たちは、やはり、昨年映画界に揃ってデビューしました。この二月に行われたインドのアカデミーショーでも、二人揃って新人賞を受賞しました。今後の活躍がどうなるのか、果たしてどちらがポスト、アイシュワイヤ・ライの座を獲得することができるのか、非常に楽しみなところです。

 このように、インドでは女優やモデルとして活躍しようと思えば、このミス・インディアの大会で栄冠を得ることは非常に価値のあることなのです。
 今年のミス・インディアの大会の様子はテレビでも放映されましたので、私も妻と一緒にテレビで見ていました。大会当日に参加者として二九人がノミネートされたのですが、私たちがテレビを付けた時には、最終的に残った五人が審査員からいろいろな質問を受けて答えているところでした。その五人の中で、私が「いいな」と選んだ女性は最終的には残念ながら全く選ばれずに、妻が選んだ女性は二位のミス・インディア・ワールドに選ばれました。アイシュワイヤ・ライが、その権威を高めている栄冠です。背が少し高めで、顔もスタイルも細身の女性でした。ちなみに、一位のミス・インディア・ユニバースには、私たちの予想に反して、少し色の黒い女性が選ばれました。

 さて、そこまでだとインドの文化の一つとしてのミス・インディアの決定というだけの話題なのですが、インドはそんなことでは許してくれません。何と、その四日後に、ミス・インディア・ワールドに選ばれたその女性が、苦労して取った栄冠を返還するという事態に陥ってしまったのです。びっくりすることに、その女性が、実は結婚をしていて「ミス」ではないという記事が新聞に掲載されたのです。もし本当に結婚していれば、資格外です。

 この紛議の出所は、一枚のアパートの契約書でした。もともと彼女はカルナタカ州の出身で、二年くらい前にモデルになるためにムンバイに出てきたらしいのですが、その時、自分が住むアパートを借りるために交わした契約書に、結婚しているということで「夫と自分の名前」を記載したらしいのです。

 そもそも、インドでは女性が一人暮しをしていることは、まずありません。この大都会のムンバイでさえ耳にしたことがありません。もし、女性が一人暮しをしていれば、多分、売春婦とみなされてしまうでしょう。大家もトラブルを嫌って、女性一人だとまず貸してくれません。モデルになるためにムンバイに出てきた彼女にとって、住む所を探すためには、親戚のツテをたどってアパートを探すか、このように既婚者を装って借りるかという方法しかないのです。

 新聞の記事にも、いろいろなことが書かれているようですが、まず、この状況から考えて、私は、彼女は結婚していなかった可能性の方が強いと感じます。私の知人のインド人も、結婚はしていないだろうと言っています。記事の中では、夫と言われる男性の両親の姿が彼女のアパートで、時々見かけられたということですが、そうであれば、本当に家族ぐるみで昔から付き合っている家族同士だったのでしょう。

 インドで結婚をした場合、それを証明する統一された方法がありません。日本の場合は戸籍があるので確実です。間違えようがありません。しかし、戸籍のないインドでは、結婚は、本人とその家族の問題というだけですから、宗教に順じて結婚式をすれば、それはそれでいいのです。ヒンズーのお寺に証人となる人と一緒に行って、お坊さんに拝んでもらえば終わりです。自分の住む地域社会の仲間が結婚を知っているのですから、それで全然困らないのです。取りたてて、「私たちは夫婦だよ」と言わなくても、社会が受け入れてくれて、一緒に生活していれば夫婦なのです。

 ただ、それでも現代社会では、結婚を証明する必要性が増えてきました。就職や外国渡航に必要な査証関係で、夫婦であることを証明することが求められるのです。結婚を証明する必要があれば、インドでは、お寺のお坊さんから証明書をもらうか、裁判所に二人で出向いて証明をしてもらうしかありません。しかし、このどちらにしても、日本の戸籍制度と比べれば、いかにも曖昧です。どちらも、そこへ出向いて、少しの手数料を払えば簡単に手に入れることができるからです。逆に考えれば、いわゆるインドで横行する賄賂を払えば、結婚してなくても、この手の証明書を手に入れるのは訳ないことでしょう。

 インドには、こんな曖昧な制度しかないので、ミス・インディア・ワールドの女性も人生をもてあそばれるのです。この女性は、結婚のためにお寺へも裁判所へも出向いていなかったそうですから、やはりアパートを借りるために結婚を装っただけというのが真実だと思います。

 しかし、彼女はその栄冠をあっさりと二日後に辞退して返納しました。ほとんど抵抗しませんでした。どうしてなのでしょうか。やっぱり本当は結婚していたのか、探られたくない他の事実が何かあったのか、マスコミに根掘り葉掘り探られてイメージを落すくらいなら、名前も売れたし、このままの方が良いと思ったのか、その理由はよく分かりません。

 数日後のインタビュー記事で、その女性は述べています。「このニュースを耳にした時、私には何のことを言っているのか分かりませんでした。そんなことは、すっかり忘れていて、ずっとモデルになることに専念していましたから。アパートを借りるのが難しかった時に、私の家族が、お互いによく知っているある男性の名前を借りて契約書にサインすればと言ってくれたので、そうしてしまっただけなのです」、と。まあ、いいんじゃないでしょうか。インド人なんだから、インドの掟と運命にまかせるしかありません。仮に、今こんな事態になってしまったとしても、それを糧として努力すれば、かえってアイシュワイヤ・ライのように、今後の人生が輝かしいものになるかも知れませんから。

○ インド社会の腐敗

 さて、ヒンディー映画に代表されるインド女性に加えて、インドと言って思いつく、もう一つのテーマと言えば、やはり「賄賂」や裏社会に代表される「腐敗」だと思うのですが、最近、巷で盛り上がっていることに来るべき選挙に絡んだ警察による徹底したダンスバーの捜索という話題があります。これなども、本当にそうなのかと耳を疑いたくなるようなひどさです。まあ、でも、日本もその昔、選挙になれば一軒一軒にお金が配られていて、お金が配られなければ「今回は来ないわね」と言っていたというのを聞いたことがありますから、一面では似たようなものなのかも知れませんが、そのレベルが違います。

 インド社会の汚職は何度か取り上げてきましたので、ここでは詳しくは説明しませんが、汚職が社会全体に絡み合って非常にひどい状態にあります。政治家、行政、警察、裁判所、税務署、旅券事務所から学校関係者まで、すべてが腐敗していると言っても過言ではありません。

 警察を例に挙げれば、警察署の警察官は管轄内にあるホテル、バー、レストランなどからショバ代として賄賂を吸い上げる一方で、酒、麻薬、銃などを不法に商う者たちからもミカジメ料として賄賂を吸い上げていきます。お金を支払えば、少々法律に違反していても目をつむって経営を認めるのですが、お金を払うのを渋れば悲惨です。いかに法律や規則に沿って経営をしていても、些細な点を突いていちゃもんを付けては捜索を掛けるのです。場合によっては、警察自身でその店の違反を作り上げておいて、捜索を掛けるという自作自演のことまでやります。何せ警察は、国家権力を持った暴力団ですから無敵です。






Last updated  Jul 8, 2005 12:00:43 AM
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 警察官は、その吸い上げた賄賂を使って、警察のポストの任命権を持つ有力な政治家に賄賂を渡して、さらに良い地位を獲得します。以前の悠久のムンバイでも述べましたが、警察署長の地位を得るには、政治家に対して五ラック(約一三〇万円)の賄賂が必要だと言われています。インドの賄賂市場は決して安くないのです。私も、いろいろなインド人から、「賄賂は公然の事実なので、潔癖な性格のためにお金を渡さない警察官は、閑職へ左遷される」と聞いてきましたが、まさに、それが公然と絵に描いたように起きるとは思いませんでした。

 少し前の悠久のムンバイで取り上げた話題なのですが、印紙偽造事件で賄賂を受け取り、捜査に手心を加えたという容疑で、昨年十一月、ムンバイ警察のトップであるシャルマ警視総監が逮捕された事件がありました。この事件は、総額何百億円相当の印紙偽造事件と言われていますので、もし本当に渡っていたとすれば相当な額の賄賂が支払われていたはずです。

 その同じ時期に、このシャルマ氏を警視総監に任命した内務省の大臣ブジュバル氏も賄賂の授受があったのではないかと疑われて、大臣を辞任しました。この時期、警察官の任命権を一手に支配していた内務省の政治家たちも余り派手に行動する時期ではないと悟ったのか、一時的に内務省の警察官の任命に対する力が弱まり、新しい警視総監には、清廉潔癖と言われるシーク教徒のパリスカ氏が選出されました。

 新パリスカ警視総監は任命された直後から、内務省の警察へ対する影響力を削減して、警察官が能力に応じて活躍できる場を得ることができるようにと、大きな規模での警察官の配置換えを実行したのです。それまでは、かなり階級の低い警察官の配置にまで口を挟んでいた内務省の意向には全く耳を貸さないで、警察組織独自の判断で人事異動を断行したのです。そもそも、そんなことは日本から見れば当たり前のことなのですが。

 これには内務省もびっくりしましたが、彼ら以上にびっくりしたのが汚職警察官です。せっかく汚職で勝ち得た地位を奪い取られてしまったからです。彼らは、政治家に泣きつきました。何とかしてくれと。パリスカ警視総監は警察組織のためにと行動をしているのに、警察組織自身の中からも反撃が始まったのです。このように汚職の根が組織内に深く絡まってしまっているために、清廉な警察官が警察組織のためにと幾ら頑張っても、その警察組織の内側からも崩されていくのです。

 政治家たちは政治家たちで大いに困りました。この四月には選挙が控えていたからです。インドの選挙はお金がかかります。運動員や選挙民に現ナマを配らなくてはいけないからです。その資金集めのためには、警察官の協力が不可欠です。政治家や警察官の収入源として大きな位置を占めるのがダンスバーです。インド女性がサリー姿で躍っている、何度か悠久のムンバイでも取り上げた、あのバーのことです。ここからのミカジメ料は政治家にとっても大切な収入なのですが、選挙では大きな資金が必要なので、より重要な位置を占めます。

 一方、ダンスバーの側も、政治家や警察にお金を取られてばかりではたまらないので、できる限り抵抗をします。一年くらい前には、警察からの度重なる値上げ要求に怒り心頭となり、ハンガーストライキに打って出た経営者もありました。こういう彼らにとっては、パリスカ警視総監の登場は願ってもないチャンスでした。これまでミカジメ料を渡していた輩たちを切る、またとないチャンスだからです。賄賂の要求をしてくる政治家や警察がいたら「パリスカ警視総監に告げるぞ」と脅し返せばいいのです。どんな警察官や政治家も、ムンバイ市警察のトップであり公明正大に警察官の任命権を持つパリスカ警視総監にはかなわないのですから。幸運にも、彼らに対するミカジメ料の減額を断行できる好機が来たのです。さらに、うまくいけばバッサリとそれを切ってしまうこともできるかも知れません。

 州の政権を持つ与党の政治家たちとしては、パリスカ警視総監の任命は大きな誤算でした。ここまで政治家に逆らってくるとは思わずに、もっと自分たちの意のままになると考えていたに違いありません。しかし、そんなことも言っておられません。選挙は、もう目の前にやって来ているのですから。コングレス党の政治家たちも、与党として再び州の政治を握って、その利権による大きな賄賂収入を得続けるためには、絶対にシブセナに与党の座を譲るわけにはいかないのです。お金をふんだんに使ってでも、選挙には絶対に勝たなくてはいけません。

 ふんだんに使えるだけのお金を得るためには、やはりダンスバーに厳しい目を光らせて、搾り取るしかないのです。政治家だけでは、それはできません。警察の協力が不可欠です。警察が厳しい姿勢で取締りをするからこそ、ダンスバーはお金を「献金」してくれるのです。献金を拒むダンスバーには、捜索を掛けて経営者を逮捕することが必要なのです。そして、そうすることで、他の店に対する見せしめにもなるのです。もし献金をしなければ、「こうしてやるぞ」という脅しになるのです。

 ですから、与党の政治家たちにとっては、パリスカ警視総監のように、政治家の言うことに耳を傾けてくれないような警視総監は、どうしても排除する必要があったのです。

 さて、そこで、与党の政治家たちも背に腹は代えられず、余りにもあからさまな行動に出ました。就任して、まだ、たった三か月しか経っていないパリスカ警視総監を、州警察官舎管理局局長という警視総監よりは上級ポストでありながらも完全な閑職というポストに異動させてしまったのです。昇進には間違いないのですが、余りにもすることが露骨です。でも、彼らも選挙に勝って与党を維持して、甘い汁を吸い続けるために必死なのです。

 そして、その後に任命されたロイ警視総監は、就任後から、バンバンとダンスバーの捜索を徹底的にやり続けました。そこまでやるか、というぐらいのすごい勢いで突っ走っています。何十軒のダンスバーが捜索に遭い、何百人という経営者やダンサーたちが逮捕されています。この話は、本当に現実の出来事なのだろうかと疑ってしまう程です。もし本当に、選挙資金集めのためにダンスバーの捜索が行われているとすれば、ここまで露骨に実行できるインドの社会は信じ難い程に腐れ切っています。反面、感動的です。でも、大学院を卒業したような優秀なインド人が、この背景を説明してくれるのですから、それはそうなのでしょう。そのストーリーを市民に読まれているにもかかわらず、平然とダンスバーを取り締まることのできる、その姿勢が感動的です。

 今までの悠久のムンバイで取り上げてきましたように、インドでは、表に現れる経済活動のお金ではなくて、税収入に結びつかない裏のお金が、たくさんうごめいています。よく統計に出てくる数字ですが、インド人全体の中で税を支払っているのはたったの一%だけで、後の九九%の人たちは税金を納めていません。もし、インド人が、裏で動くお金をなくして、健全に近い社会にして、商売や給与で得たお金から税をきちんと支払えば、現在でも日本の四分の一くらいある政府予算が一体幾らになるのか分かりません。この薄汚い道路や鉄道などのインフラが整備されて、停電の多い電気や、すぐに水の止まる水道も整えられて、どんなに素晴らしい国になることでしょう。しかし、まあ、そうは言っても、予算が増えたところで良からぬ政治家やその取り巻きの取り分が増えるだけで、インフラに幾ら回るのか分からないので無駄なあがきかも知れませんが。

○ インドの文化とは

 最後に、私が感じたインドを一言で表現して一番適切な言葉は「ウォークイン文化(walk-in culture)」だと感じました。これは、私が作った言葉ですが、ウォークインというのは、予約なしでその場で入り、空き部屋があれば泊まれるウォークインホテルから取っています。インドには、このウォークインホテルがたくさんあるのですが、まさにインド人の本性を的確に捉えたホテルです。インドで生活をする以上、このウォークイン文化と付き合う覚悟が必要です。

 例えば、家の中にある何かが壊れて修理の人を呼んだ時、彼らと約束の時間を決めることは無駄です。仮に二時に来ると言ったって、彼らは、「もし、自分の都合が空いていて、気分が乗れば行ってやってもいいかな」ぐらいにしか思ってません。ウォークインホテルの「空き」と同じです。まず、夕方にでも来れば良い方で、大体は、その日にもう一回電話をしなければ来ません。そして、「二時の約束だのに、何故来ないのだ」と催促の電話をすれば、相手からこう言われることでしょう、「そうか、行ってないか…。それで何が壊れたのだ」「・・・」。呆れて絶句するしかありません。全く通じてないのです。また、一から説明しなくてはいけません。

 この約束は、通常の約束でも同様です。もし、だれかと食事か何かの約束をしたとします。それが、二日以上後のことだとすれば、それは約束とは呼べません。必ず、その約束の一日前に、もう一度確認しなくてはいけません。彼らは、「まあ、当日までに自分に取って、他に何も大切な用事が入らなくて、もし空いていたら会おうね」ぐらいにしか感じていません。だから、一週間の計画を立てても、ずたずたになっていきます。

 ウォークインホテルの特徴は、自分の空き部屋があれば貸してあげるけど、なくなったら終わりだよという、非常に自分の都合を優先したホテルです。相手のことを考えて、予約をすれば部屋を空けておいて、その人が来るのを待ってあげるという、相手のことを優先したホテルではありません。要するに、簡単に言えば自分のことしか考えてないのです。

 だから、インド人が「ノープロブレム」と言ったからといって、日本風に「大丈夫だから、安心してね」と相手のことも考えて言っていると勘違いしてはいけません。「ノープロブレム」と言っているインド人本人がノープロブレムだと感じているだけで、決して物事が本質的に解決した訳でも何でもないのです。

 日本人がインドの中で生活をしていてイライラ感を感じるのは、大体このウォークイン文化から波及した事柄が関与してますが、どうして、こんなだらしない文化がインドではあるのでしょうか。これは、やはり、十億人の人がいても自給自足できるという豊な自然があることから来ると思います。暖かいので家がなくても死なないし、食糧はあるし。

 ある時、ヒンズー語のことを話題にしていて、死ぬほど驚いたことがありました。「明日」と「昨日」という単語が同じ一つの単語だと言うのです。
 明日と昨日というのは、未来と過去で、決定的に違います。幾ら文章の中で使用すれば区別がつくと言っても、そんなものじゃありません。もし日本で、明日と昨日を間違えたら一〇〇%死ぬことでしょう。絶対に、同じ単語にするなんてことはありえません。ということは、インドでは明日と昨日を間違えたって死にはしないということなのです。

 要するに、幾らインドが遅れていても、幾らインドの汚職がひどくて腐敗していても、インドで生活をしている十億人の人たちは、「自給自足で幸せな生活を送っている」と感じているかも知れませんから、別に他の国の人が出しゃばって「おまえたちのしていることは間違っている。もっと健全な社会にするべきだ」と進言するのは、彼らには有難迷惑なのかも知れません。言い換えれば、インドに来て生活をしている日本人が、“郷にいれば郷に従え”で、インドに合わせて生活をすればいいだけの話で、彼らには彼らの価値観があるのです。
 悠久の大地、インドの生活は四千年も続いています。インド人は輪廻転生、死んでも、また次の命があります。インドには美しい女性がいます。人生楽しく、きっとインドは永遠に悠久の大地なのでしょう。






Last updated  Jul 7, 2005 11:56:36 PM
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○ 帰国して思うこと

 明治後期の一九〇〇年前後、ムンバイ(ボンベイ)には三千人以上の日本人が暮らしていました。現在、ムンバイで暮らしている日本人在留者数が約二百人ですので、その時の方が比べるまでもなく多くの日本人がいたことになります。当時のムンバイは英国の支配下にありましたので、ムンバイの町はロンドンに負けないくらいの近代的な町でした。

 今でも、その当時の写真がたくさん残っています。西洋風のモダンな建物群の街並みの中で、正装に身を固めた紳士や淑女が通りを歩いています。広くて、きれいに整備された通りを路面電車が走っています。その当時、まだ明治時代の日本と比べれば、インドのムンバイは遙かに先進都市だったのです。私の母親に言わせれば、子供のころに「インド」と聞けば「モダンな国」というイメージがしたと言うのですから、確かにボンベイの街は進んでいたのでしょう。

 そのモダンなボンベイが、一世紀後にこの悲惨なムンバイになるとは、だれが想像したことでしょう。もし、当時暮らしていた日本人が現代に現れて、このムンバイの惨状を見たとすれば、驚嘆することでしょう。良くなるどころか、巨大なスラム都市へと化してしまったのですから。今のムンバイを表現すれば、空港の周辺にスラムがあり、都市の人口の半分がスラムに住んでいるというよりは、都市全体がスラムであるといった方が遙かに当てはまります。高級住宅地と呼ばれる地区でさえも、路上脇にはスラムのような住居が建ち、何の臭いか分からない不思議な悪臭が留まるところを知らずに漂っています。

 インドに行った経験のある日本人たちの間でよく言われることですが、インドを訪れた日本人は、インドが好きになるか嫌いになるかのどちらか両極端で、中間という人はいないと言われます。それは本当ですが、好きになる人は、ほんの一握りだけです。あのインドの生活環境とインド人の独特な性格から考えれば、当然のことです。日本人とインド人の基礎的な性格から考えて、絶対に相入れるはずがありません。相手のことを配慮せず自分のことしか考えないあのインド人独特の性格が、日本人と合うはずがないのです。本当に、インドに長くいればいるほどインド人のことが嫌いになれるという、素晴らしい国です。

 日本の企業が中国には大々的に進出するのに、インドに進出しないという要因は、その辺りに大きな原因があります。中国が“地理的”に近くてインドが遠いというのではありません。遠いのは、“国民の性格”と“生活環境”の距離なのです。決して、地理的な距離ではありません。

 日本人と距離のある一つ目の“国民の性格”というのは、具体的にどういうことかと言えば、インド人が心底怠け者で、自分にとって、とても興味のあること以外は決して自分からは努力をしないという人間性と、時間も約束も守ろうとしない、悪いことはすべて世の中と他の人のせいにしてしまうという、極めて自分に都合良くできた責任感のことです。企業としては、従業員として、こんな国民の労働力を雇っても品質管理何てことはとてもできませんし、一方、共同経営のパートナーとしては全く信頼ができないので、安心して資本を投資することができないです。

 確かに労働力は安いのですが、幾ら安くても、製品ができあがるまでの時間、不良製品の発生する比率、できあがった製品の品質などを考えれば、いわゆる「安かろう、悪かろう」であり、他の企業の商品と比べて「売れる商品」を作ろうとすれば、労働管理から組合対策、経営の運営から商品管理まで、本当に途方もない努力をインドでは要するのです。

 そして、もう一つ、日本が中国に進出する大きな理由が“生活の環境”です。その中でも一番大きな要素が「食事」です。その国の街の中に、おいしく食べられる食事があるということは、大きな理由になります。企業としては、その国に進出するためには、多くの従業員とその家族を送り込まなければいけません。従業員や家族の人たちに喜んで行ってもらうためには、街中でおいしい食事が安心して食べられるということは、本当に大きな要素なのです。しかし、こればかりは、日本の企業がどうすることもできません。その国の文化ですから。

 喉が焼けるほど辛くて、油がベトベトのインドのカレー、お尻を拭いた手で食事を作る、不衛生なことこの上ない環境、埃まみれの街に漂う訳の分からない臭い、まあ普通の日本人なら中国で中華料理を食べている方がいいに決まってます。要するに、“国民性と食事”が企業の立地には大切なのです。その証拠に、地理的にも遠くて、それほど大きな商売上の魅力があるとは思えないタイには、五万人以上もの日本人が在留しています(バンコクには、企業が進出しても、喜んで男性社員が行ってくれる、もう一つの大きな要因がありますが、まあ、それは、それとして)。

 結局、総合的に考えれば、日本で生活することが一番です。仮に病気や大けがをして病院にかかったとしても、仮に犯罪に遭って警察を頼ることになったとしても、一方で子供の来るべき未来を考えても、やっぱり日本が安心です。
 「もう一度、何年間かインドに行くか」と聞かれれば、まず間違いなく行きません。私は、他の人と比べてもインドが好きな方だと思いますが、もうインドに行って、生活したいとは思いません。本当に、インドは地上“最後”の楽園ですから。

 日本に帰ってきて一か月が経ちました。四年間もインドにいたというのと比べると、まだ一か月しか経っていないのに、もうインドでの出来事は、遙か遠い過去のようです。何か、インドでの生活は前世の出来事であって、インド人が信じている輪廻転生の世界を現実に体験して、第二の人生を生きているとでもいうような不思議な感覚に陥ってます。しかし、またいつか、こんなインドでも、「行ってみたいなあ」と本当に感じる時が来ることでしょうか。

 インドでの四年間、いろいろなことがありましたが、大きな病気にかかることもなく、夫婦喧嘩をしながらも、家族が多くの時間を一緒に共有して、仲良く幸せに過ごせたことをインドの神様ガネーシャに感謝したいと思います。ダニヤワード。






Last updated  Jul 8, 2005 12:03:02 AM
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