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カテゴリ:コミュニケーション・プレゼンテーション
リーダーにとって
「たかが文章」とあなどることは許されない。 文章を書くと言うことは、その人物の日常の過ごし方、 仕事の進め方、心のありようを映す鏡であるからだ。 心のゆがみは、文章のどこかに現れるもの、 つまり文章を書くということは、 その人の生き方と密接に連動しているということなのだ。 ビジョンを示し部下の士気を喚起しなければならない リーダーにとって、文章一つにしても、 こうした気構えがなければ人を説得することはできない。 「文は人なり」「文は心である」と認識すべきである。 飯塚昭男氏がWEDGE2000年10月号に書いている。 文章を書くということは 単に書くことではない。 文章を書く技術をマスターすれば 企画力がアップされ、スピーチの腕も上がるのである。 主題のつかみ方がはやくなり、話の要点も理解されるし キーワードも容易に駆使できるのだ。 たとえば、アブラハム・リンカーン大統領が 1863年11月に行った有名なゲティスバーグの演説は 次のように語りだしている。 87年前、われわれの父たちは、 自由という理念によって打ち立てられた国家、 そして、すべての人は生まれながらに平等である という理念に捧げられた新国家をこの大陸に建設した リンカーンはさらに、この短いスピーチの最後に 歴史に残る名文句を用意した。 神の下にこの国家は、 自由の新たなる誕生をもたらさなければならない。 人民の、人民による、人民のための政治が、 この地上から決して消滅することはない 言うまでもなく、素晴らしいイントロと素晴らしい結びである。 主題がはっきりと示され、しかも人の心を打つキーワードが使われている。 だが、このスピーチは 一朝一夕になったものではないことが肝心なのだ。 リンカーンは日頃から スピーチの下書きは秘書官任せにせず、 自らペンをとって推敲していたのである。 特に書き出しと締めくくりには注意を払い 要所要所のキーワードにも力を注いだそうだ。 こうした積み重ねがあればこそ、 ゲティスバーグのスピーチが誕生したのである。 文章を書くということを会得しなければ、 とても名スピーチは生まれてこないのである。 タイトルが決まり、サブタイトルも用意され、 各章ごとの小タイトルが決まれば、 半分仕事が終わったようなものだ。 したがって書くことばかり全力を挙げるのではなく 実はこうしたコンテ作りに時間の半分をかけるべきだ。 大宅壮一の言葉である。 文章を読んだときに私が魅力を感じるのは 文章の言い回しがうまいというものより 中身がおもしろいものである。 中身 構成というのは 書き手の日常を反映するものだと思う。 おもしろい文章を書いている人と 実際に話してみると魅力的だと感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.30 10:27:20
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