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カテゴリ:映画・芸能・文芸
藤本義一さんが亡くなったとテレビで言っているとの女房の声に、朝早くベッドの上で、ああ、やっぱりと思った。最近あまりテレビにも新聞にも出ないので、何かあったに違いないと思っていた矢先である。藤本義一君は私にとって、ぎっちゃんというほど親しくはないが、単なる有名人とは少し違った存在だった。 79才と聞いて、80では無かったのか、私と同じ早生まれだったのかとさらに親しく感じた。彼は浜寺の生まれで、我孫子にある浪速中学・浪速高校出身であった。和歌山大学を受けたが、経済学部には点が足らず、教育学部ならば合格といわれ、その時合格していた大阪府立浪速大学の教育学部に入った。2年留年した時に、教育学部が廃部になり、その時新設の経済学部に横滑りした。大学の名も変わり大阪府立大学経済学部出身で1期生のはずである。 浪高ではボクシングをやり、後輩の赤井英和が頭部を強打され、危篤状態になった時に、新聞から弔文を書いてほしいと依頼があり、まだ生きているのに何を言うかと一喝したことがあるらしい。府大では拳法部の創設に力を注ぎ、そして演劇部にも所属した。 そして、当時大阪府立女子大で演劇をやっていた統紀子夫人と知り合って結婚した。藤本が必ずしも売れなかった時に統紀子さんが相当支えていたようだ。彼が闘病のあと亡くなった時に新聞に載った彼女の写真に、ばさばさの白髪交じりの横顔が映っていた。少しひどいと思ったが、私は最後まで彼を支えてきたのだなと感激した。
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最終更新日
2013.04.26 11:38:01
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