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カテゴリ:社会とのつながり
が盛んですが、そのターゲットは9条の様です。北朝鮮の様な脅威があるのだから自衛権を持つべきだ、とかいや持つべきではないとか。イラクに自衛隊が派遣されるまでは、米国がイラクにした様な先制攻撃はすべきではないけれど、最小限の集団自衛権を持つ為の改憲も考えて良いのではないか、と思っていました。でも、今の憲法をないがしろにする形でのイラク派遣はすべきではないとも思っていました。
でも、9条があっても、国連の反対を押し切って先制攻撃したブッシュ政権の米国の言う事だけを聞いて、イラクに派遣した小泉さん流の都合の良い憲法解釈と今回の邦人人質への「政府の意見に従わなかったから」という理由でのバッシングを見た時、9条を改正したら、戦争への歯止めが全く無くなるかもしれない、という恐怖を感じました。そして、今は9条は残した方が良い、という考えに変わりました。どんな解釈で自衛隊を派遣をしても、ファルージャの市民へ米国が行った様な罪の無い人々への攻撃だけは出来ないでしょうから。 でも、自衛隊員の方々はお気の毒だと思います。海外派遣は無いということで隊員に応募された筈ですのに、イラクへ派遣され、そして「安全だから」と言われていたのに、その地が攻撃を受ける危険地帯になっても、撤退はさせてくれないのですから。ご無事を祈ります。そして私の教え子がそこへ派遣されないことを切に願っています。 さて、掲示板に書き込んで下さった方々へのお返事の続きです。文の構成上、書いて下さった順ではありませんが、ご容赦下さい。 愚痴浪人さんの「民主主義とは多様な価値観の共存が前提条件です。」というご意見には大賛成です。日記も拝見させて頂きましたが、流石、法律を勉強なさっているだけありますね。ただ、日記には、人質事件への言及は見られず、その件に関するご意見は測り兼ねますが、私への「ご自分と異なる意見に”バッシング派”等というネガティブ名をつけている時点で、貴方は民主主義を語る資格はありません。貴方は三人に”反日分子”というネガティブ名を付けた某国会議員と同じだからです。」という理論には、少々異論があります。 まず、「バッシング派」という言葉ですが、「バッシング」は“Bashing”であり、「(言葉や行動によって)強打{きょうだ}、殴打{おうだ}、打ちのめすこと、激しい非難[苛め]」という辞書に載っている言葉を使うより、「バッシング」というマスコミが使っているカタカナの方が、より簡単に書けるから使っただけです。そして「派」は、ご存知の通り、グループという意味で、グループ分けする時に、これもより簡単だから使いました。ですから、決して愚痴浪人さんが仰るような「ネガティブ名」ではありません。また、「バッシング」とは「価値観」なのでしょうか?「バッシング」を「価値観」を表す言葉の一つとする感覚は理解しがたいものがあります。 一方、「反日分子」の「反日」という言葉は、「反日=日本という国全体に反する」という日本人以外の人々の行為を指すものであり、「分子」というのは「団体の中の個人」を人間扱いしない呼び方です。「反日分子」という言葉は、前にも書きましたが、主に、第二次大戦中、中国等の人々による日本の占領や侵略への抵抗運動活動家を攻撃する言葉で、日本国民である人々への呼び名ではありません。柏村議員は、あの5人を日本国民扱いしていない事になります。 また「ご自分と異なる意見に”バッシング派”等というネガティブ名をつけている」というお言葉ですが、私は、自分と違う意見の全てを”バッシング派”とした訳ではありません。 4月30日の日記に書きました様に、楽天の「イラクで3人の人質・・・」というテーマで書かれた日記の内容をや、最初の書き出しの言葉から感じたものを「バッシング派が56%、中立派が16%、擁護派」と3つのグループ(派)に分けましたが、バッシング派とした日記には、Bashingの意味通り、3人への批判ではなく、バカ、反日、自作自演、などといいう非難の言葉や寄付募金を物乞い扱いしたりする言葉があって、『政府の考えに従わない行動をした人への嫌悪』の感情が表現されていました。それは、意見と言うより非難であり、バッシングであると感じてバッシング派としたのです。 中間派とした日記は、3人の行動を「軽率ではなかったか」という私とは異なる批判はあっても、心情は分かる、として、是は是、非は非、とみる姿勢があるものを選びました。 擁護派は、文字通り彼らをバッシングから擁護したり、その行動を理解しようとした日記を選びました。 私の「バッシング派」と柏村議員の「反日分子」という言葉は、使い方や使った状況からみても、次元が異なり、無理に同じに扱おうとすると、理論の飛躍が生じます。それをもって、「貴方は民主主義を語る資格はありません。」と、「語る資格」を取り上げようとするお言葉には、申し訳ありませんが、従う事は出来ません。それは、多様な意見を認めない、「自分と対立する意見を尊重する精神のない」お言葉なのではありませんか? 遅くなりましたので、この他の方へは、又後日お返事いたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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