日本政府が、ヨルダン政府に交渉し、テロリストの釈放を求めることは
週刊ポストに、今度、日本テレビにアナウンサーとして入る、あの女の過去が書かれた記事があった。事実であるのか、わからぬが、仮に事実ならば、こういう学生を雇うのは、通常はありえないと思った。ヨルダンへの、日本国を挙げてのパワハラにしかみえない。これじゃ、国際化ができないはずだ…しまいに、ヨルダンから、日本政府及び日本国民は、パワハラをしたという理由で、労働基準監督署に訴えられる。相手の国のことを考えることが、伝統的にできないのだろうね。報道やインターネットでの反応をみていても、大多数の日本人が、ヨルダン政府や国民、テロの犠牲になった遺族らに配慮をしない。狂信的ともいえるほどに、自己中心的な国。これで、「国際社会の一員」と国を挙げて騒ぐのだから、手に負えない。悪質というか、国粋的というか、排他的というべきか、もはや、マトモな感覚の国にはみえない。報道が事実ならば、今後は、日本政府や国民は「テロとの戦い」などと、勇ましいことは口にすべきではない。国を挙げて、ヨルダン政府や国民に謝罪すべき。あまりにも身勝手で、国際感覚に乏しい。ヨルダン政府や国民が気の毒だ。どのような結果になろうとも、日本政府や日本国民は、ヨルダンに対し、つぐないが必要。今のままでは、あまりにも節操がない。先ほどの共同通信社の報道によると、菅官房長官は記者会見で、邦人人質事件解決に向け、「ありとあらゆることを全力で取り組んでいる」と発言。とのこと。「ありとあらゆること」の中に、身代金を支払うことも含んでいるのならば、安倍首相は退陣すべきだ。テロリストに税金を支払うなど、ありえない。1970年代の愚行から、何を学んできたのか。日本だけの問題ではなく、世界の国々への脅迫であり、テロであるのだから、そのあたりは、冷徹な判断をすべきだろう。共産党は、まっとうなことを主張するときもあるが、議員の心の奥深くに、国民や海外の国を侮蔑した、差別意識があるように思えてならない。不当な行為には屈しない姿勢はいいのだが、いかんせん、妙に閉鎖的で、やはり、怖い。一党独裁には、ついていけない。日本政府は、なりふり構わず、ヨルダン政府に交渉をしているようだが、先方の国民感情を逆なでする行為は慎むべきだろう。つねに自国中心の発想しかないから、見境がないのだろうが、くれぐれも、ヨルダンの政府や国民の心を傷つけることがないようにしてもらいたい。つくづく、自己中心的な国だ。ゆきづまるだけのことはある。今回の画像が本物だったとしても、日本政府が、ヨルダン政府に交渉し、テロリストの釈放を求めることは避けるべきだ。重大な内政干渉であり、ヨルダンの政府や国民、さらに事件の遺族の心を逆なでする行為でしかない。ひごろ、日本政府や日本人は、「人の命は大切」と散々に唱えているのだから、テロの被害にあったヨルダンには、きちんと配慮するべき。こんなことよりも、日本国内では、犯罪や不当な行為を受けて苦しむ人がかぞえきれないほどにいるのだから、政府には大所高所にたった、冷静で、冷徹な判断をしてもらいたい。こういうホンネを、誰もいわないのもまた、日本の社会に深く巣くう、「笑顔のファシズム」によるもの、と思えてならない。こちらのほうが、はるかに怖いこと。以下は、さきほどのNHKニュースから、一部を抜粋したもの。「イスラム国」が後藤さんと引き換えに解放を要求しているリシャウィ死刑囚を巡ってヨルダンでは、去年、「イスラム国」に拘束されたヨルダン軍のパイロットと交換で釈放する案が地元のメディアや識者の間で浮上していました。ヨルダン軍パイロットのムアーズ・カサースベ氏は去年12月、F16戦闘機の飛行中に「イスラム国」が支配するシリア北部のラッカ近郊に墜落しイスラム国に拘束されました。この直後からヨルダンでは、ソーシャルメディアなどでヨルダンの王妃など大勢の人が参加して「私たちは皆、ムアーズだ」と呼びかける運動が始まるなど、ムアーズ氏の解放を強く求める世論が高まりました。その後、アメリカ軍とヨルダン軍の特殊部隊は救出作戦を試みましたが、作戦は失敗に終わり、ヨルダン国内ではムアーズ氏を取り戻す次の手段としてリシャウィ死刑囚と交換する案が地元のメディアや識者の間で浮上していました。このため日本人の後藤さんの解放のためだけにリシャウィ死刑囚を釈放することには、ヨルダンの世論の反発も予想され、ヨルダン政府に協力を要請している日本政府としても難しい対応を迫られています。