「高倉健」という生き方 (谷 充代・新潮社)を読んで…
4日連続の取材を終える。横浜のテレビ局、労働組合など…。少々、疲れた。「高倉健」という生き方 (谷 充代・新潮社)を読んで… 残念すぎる本だった。 俳優・高倉健に、30年ほどにわたり、取材を試みてきたライターが書いたもの。 プロフィールをみるとベテランのようだが、内容は意味がわからない個所が多い。大きな特徴は、1つのセンテンスが長いこと。おのずと、主語と述語のかかり方が不自然になり、意味をスムーズにつかむことができない。 余計な修飾句や、形容詞や副詞も多くなる。 なぜ、ここにこんな修飾句があるだろう、と疑問に思うことがいくつもある。 素材の構成にも疑問を感じる。この会話は、誰のものなのか。そもそも、なぜ、ここに挿入しているのか。どうして、こういうエピソードが入るのか…。 こんな疑問や不満が次々と出てくる。読んでいると、大学受験の英文読解みたいな気分になる。Sはこれで、それを受けるVはこれで…と考えないといけない。意味がわからない個所が多いから、そこで目の動きが止まる。その前後を読み直し、意味を類推する。読む側に負担を強いる、こういう文章とはあまり関わりたくない。 7割ぐらいを読んで、嫌気がさしてきた。長い間にわたり、名俳優に、体当たり取材を続けてきたのに、それがこの文章力で、台無しになっている。 ここまで食い込んでいる取材者はめったにいないのだろうから…その意味で、本当に残念。 ちょうど、作家の山崎豊子や山田智彦の小説を同時並行で読んでいたから、文章力を比較してしまった。 取材力は、この本の著者が上回るのかもしれないが、文章力では、2人の作家のほうがはるかに優れている。 この作家たちは、一読して意味をつかむセンテンスしか書いていない。 それは、見事なまでだ。 小説であろうと、ノンフィクションであろうと、そのあたりは変わらないはず。 直木賞作家や芥川賞に4回もノミネートされた作家と比べることに無理があるのかもしれない。だけど、このライターには、重量級の作家とはりあえるだけの取材力がある。 高倉健と知り合ったころから、取材のために海外にも頻繁に出かけている。おそらく、そのお金は、ライターにとっては多額のものになったはず。 ほかの仕事をする時間も、奪われただろう。 こういう蓄積で、人生の軌道修正も強いられたのかもしれない。 そこまでして、高倉健に肉薄しながら、この文章だから、残念な思いになる。 昨年秋、高倉健が亡くなってから、「自称・健さんの知人」などが、本を次々と書き著した。 あきらかに、ゴースト・ライターを使い、まとめたと思えるものもある。 「知人」の割には、書いてある内容が薄いものが多い。 この本は、30年の重みがある。そのあたりの、次元の低い本とは違う。 高倉健の素顔の一断面を知ることができる。 食い込んでいないと、まず書けないことではあると思う。だが、この文章力では、それが生きてこない。読むことに慣れていない人が、意味をすんなりとつかむのは、なかなかたいへんなことだと思う。 もったいない…。 ゴースト・ライターを使い、書かせたほうがよかった。 「すばらしい」を通り越した、取材力であるのに…。 ゴースト・ライターを使い、この本を書き直せないだろうか。 間違いなく、買う。 いい本だった。