どうやら、世間では、ご用納めのようだ
どうやら、世間では、ご用納めのようだ。ここは、1年365日、24時間フル稼働だから、関係ない。会社を離れ、10年が経った。こういう生活に不満をいっさい感じないから、向いているのだろう。会社員のころは、くるくるパーの上司の下で仕えることに耐えられなかった。あの屈辱感は、いまはない。ここ2週間、遠藤周作の「沈黙」「海と毒薬」「白い人、黄色い人」「侍」と読んできた。その前が、山崎豊子や水上勉。その前が、山田智彦など。いまは、宮本輝。「泥の河・蛍川」「幻の光」をあらためて読む。いずれも1980年代の作品であり、今回で5回くらい読んだことになる。宮本の初期のころの作品だが、この時期にすでに天才だったのだとしみじみと思う。この作家の、背景を描写していく力はすさまじい。読む側の自分も、その場にいるような気がする。特に海の描写がすばらしい。そこに、人がからむと、一段と冴える。こういうものを描くことができるのは、宮本もまた、淋しい時代を送ったことがあるからなのかもしれない。日本の財産、ともいえる作家。まさに、人間国宝。若かりしころの宮本 輝人がからむシーンでは、その底流にある、世の中の現実がきちんと描かれている。そんなものまでも見据える目が座っていて、味わい深い。これはもう、才能でしかないだろう。山崎や水上、遠藤とも違う。宮本のこの目が強力な武器なのだ、と思う。「幻の光」を読んでいる最中、胸の奥から、えぐられるような感動がした。本を書かない、いや、書けない「ビジネス書作家」とは別世界の人。比較することに意味がないか…。こういう人たちが自らを「作家」と名乗るのは、詐欺にひとしい。恥、という意識がないのだろうね。劣等感とか、虚栄心にとりつかれると、人間はここまで狂う。国の文化政策として、宮本のような作家には、毎月50~100万円の税金を支払うようにするべき。一定の条件を満たした作家20~30人には、国としてその生活を支援する。国のために、作品を書いてもらう必要はなく、そんなことはいっさいするべきではない。政府に批判的な内容を書いても、何ら問題はない。作家を取り巻く生活環境は厳しくなっている。あくまで「超一流」の20~30人のみ、国が守るべき。これも、大切な成長戦略。なぜか、議論されない。2年前の暮れ、岩波ホールの支配人を取材したさい、フランス政府の文化政策は、国策としてじつにしっかりとしている、と話されていた。わたしは、それをおぼろげながらしか知らなかったが、日本のいまの状況よりは、やはり、マトモなのだろう。日本の文化政策といえば、プロレスラーが国会議員となり、スポーツ振興をうったえる。それも大事なのだろうが、優先順位でいえば、超一流の作家などを守ることが上になるのではないか。この国が衰退していくのが、わかる。映画「泥の河」[映画「蛍川」年内に終えるべき原稿がいくつもある。いくつか重なることを考慮し、取材交渉は11月中旬から、ハイピッチで進めてきた。年明けからしばらくは、進行には苦しまないはず。関係者のかた、ありがとうございます。春が近くなると、進行で少々、壁にぶつかるかもしれない。それを念頭に置きつつ、1月末までに、取材交渉をして前に進めよう。なお、歩き納めは31日を予定。さっそく、1日から歩くけど…。歩かないと、気が変になる。歩くことができるのは、すばらしいこと。歩きをテーマに、いつか、本を書いてみたい。フリーライターと接すると、つくづく、不愉快になる。社会生活ができない人たちなのだろうね。2008年前後から、あの人たちをできるだけ遠ざけることをしてきた。それが、正しかったのだろう。それが功を奏して、いま、2015年を終えようとしている。ありがたいこと。