発達障害の疑いのある編集者のことを
前回の投稿https://plaza.rakuten.co.jp/yasushinori/diary/202002080002/ 前回、発達障害の疑いのある編集者のことをここで書いた。 社員を管理、育成することなく、野放しにしていると、あのようにしかならないのだと思う。 この女子高は、テキストを生徒にあてがい、教師が漠然と教えるようなことはしていない。 これでは、通常、「教育」とは言わない。 女子高では、個々の生徒の実情や実態に応じて、きめ細かな指導をして、確かな学力を身に着けさせている。 これでこそ、教育者と呼べるのだろう。 教えることと、何かをあてがうことは、その意味合いがまるで違う。 前述の発達障害の疑いのある編集者が勤務する職場の人材育成は、仕事をあてがうだけで、それより踏み込んで指導をしない。 発達障害の説明は、こちら。 読んでおくべき。善良な人は、このタイプに苦しめられているはず。ちょうど今、発達障害の人の就労支援をする職員のインタビューを原稿にまとめている最中だ。 職員によると、発達障害の人は自分の過ちを認めることはまずしないようだ。 いかなる時も、常に正しいと信じ込み、それを正当化するために嘘をつき続けるという。 それを「特性」と呼ぶようだ。 本人は嘘をついている自覚はなく、相手にこそ、非があると真剣に思い込んでいるらしい。 口が達者で、様々な理由をつけて、自分の考えを押し通すことも頻繁にする。 この人たちは、仕事ができると自分で思い込んでいるようだが、実はひとりで仕事をして(協働ができない)、ひとりでそれを判断し、正当化するから、結果として「常に正しい自分」になるのは当たり前なのだという。 実際、仕事力のレベルは概して低いようだ。 発達障害の疑いのある編集者も、3年間にわたり、ミスを繰り返していた。 20代後半の同世代の編集者と比べると、少なくとも5ランクは低い。 このブログや、ネット上の私の記事にも盛んに目を通しているようだったが、これも発達障害によく見られる傾向らしい。 人が自分をどう見ているか、が気になって仕方がないようだ。 とにかく、自分を常に正当化するという特性があり、謝ることはまずできず、むしろ、責任をなすりつけるのを繰り返すようでもある。 まさしく、「見えない(障害者とは認知されにくい)障害者」なのだという。 今月はじめから、精神障害、知的障害の人の雇用をテーマに取材している。記事の掲載は、3月の予定。 精神障害の中の1つである発達障害について話を聞くと、かつて3年間、仕事をしてきた業界紙の編集者の言動にあまりにも重なるものがあり、考え込むことが多い。 会社の総務や人事担当者、その家族、あるいは障害者施設の職員によると、この障害の社員は仕事の仕方ややり方について極端なこだわりを持つのだという。発達障害の説明は、こちら。 読んでおくべき。善良な人は、このタイプに苦しめられているはず。 たとえば、時間がかかり、コスト増になるにも関わらず、「この進め方が絶対に正しい」と主張して、それを変えようとしないらしい。 3年間、仕事をしてきた編集者もこのタイプだった。 たとえば、頭の中であるべき記事の姿があり、目の前の原稿をそれに強引にはめこうとする。 それは一歩間違うと、原稿創作であり、嘘になる可能性がある。マトモな編集者はこう思う。 まして、この編集者は20代後半であり、経験がわずか数年。 これで、キワドイ原稿整理はまずできないはず。30年間でそのような技能を持つ編集者を見たことがない。 そのうえ、この業界紙の入社の難易度は相当に低い。このレベルの人の力で、紙一重の原稿整理力はできないはず。 想像どおり、この編集者が創作した原稿は取材相手である会社の役員と担当者からクレームがついた。 それもそのはずで、創作した原稿は事実関係を変えてしまい、事実上、嘘になっていたからだ。 気の毒なことに、編集者の上司は実際のところ、いない。 つまり、マル投げになっている疑いが十分すぎるほどあった。 上司は仕事をあてがうことはしているようだが、そこから先に踏み込んで、PDCAサイクルを回すように誘いをしていなかった可能性が高い。 したがって、編集者は自分の原稿創作を「正しい原稿整理」と信じ込んでいるようだった。 発達障害の人を雇う会社によると、障害の社員は自分の考えを「常に正しい」と思い込み、絶対に変えないのだという。 編集者もまた、その後も原稿創作を繰り返していた。 本来、そのことを上司が何らかの指導をしないといけないはず。しかし、十分にはできていないようだった。 ここ15年で接点をもった編集者90∼110人で原稿創作を繰り返すのは、わずかに2人。 実は、もう1人は10数年前に大手の報道機関に勤務し、退職し、ある出版社(P社)に移った。入社の難易度でいえば、上位5社の下に位置する20社ほどの1つ。一流とは言い難いので、セカンド・グループといったところだろう。 結論からいえば、周囲の社員と摩擦が絶えないようだった。私生活でも破たんがあった、と聞く。つまりは、離婚。 それもそのはずで、あることに対し、「必ずこうあるべき」とこだわりを持ち、強引に変えてしまうのだという。 それを指摘すると、興奮するらしい。 周囲の社員たち数人によると、会話ができずに、ただひとりで自らの考えを主張するのみで、仕事を組んでペアですることはできないようだ。 この編集者も、周囲によると発達障害の疑いがあるという。 事実は定かではないが、少なくとも、前述の業界紙の編集者と言動はほぼ同じだ。 2人に共通しているのは、常人離れしたこだわりがあり、それが仕事のマイナスになっているにも関わらず、変えようとしないこと。 自分を否定するものには過剰に反応し、排除しようとする。 「~するべき」という規範意識が現実離れした形で心の中にあるようだ。 たとえば、業界紙の編集者も、自分の原稿創作を指摘されると興奮し、その後も繰り返す。 そして、自分のことを指摘されたり、悪く見られることに極端に敏感になるようだった。 たとえば、こちらが他社で書いた記事にも、意見を言うようになっていた。 おそらく、自分が何か言われないか、悪く思われないか、と気になって仕方がなかったのだろうと思う。 発達障害の人は被害者意識が強烈に強いらしい。 ちなみにここまでひどい症状になるのは、15年で接点をもった編集者90∼110人で、たったひとり。 現在、発達障害をテーマに取材をしているので、ここでまた書きたいと思う。https://plaza.rakuten.co.jp/yasushinori/diary/201912090000/ 今日、都内西部で精神障害や知的障害者の支援を都庁の職員として30年ほど続けてきた男性を取材した。 記事は、3月に掲載予定。 今回も、発達障害の話を聞く。 つくづく、前述の出版社や業界紙の2人の編集者の言動を思い起こすと、似ているような気がして仕方がない。 たとえば、前回、業界紙の編集者は「原稿はこうあるべき」と思い込み、事実関係を変えてしまう整理をする「原稿創作」を繰り返していることを書いた。 原稿創作は、通常、大多数の編集者はまずしない。それが結果として嘘になることや、時にねつ造などになりかねないことを心得ているから。 それでも、この編集者は盛んに繰り返す。 上司がきちんと教えていないことに、致命的な問題があるのだが、なによりも、編集者がかたくなにあらためないのだと思う。 あるときは、「使役の表現をするように」と求めてきた。 その言い分が、この記事を読む側が、従業員を雇う側であり、命令、指示をするから。たとえば「~させた」といった使役が好ましいのだという。 過去の記事を読むと、その意味の使役などはほとんど使用されていない。 そもそも、文章の前後の流れからして、使役をここで使うのは、明らかにあやまり。 新卒時の入社の難易度が業界で相当に低いことや、中堅の私立大学出身であり、理解力が業界上位の出版社の編集者と比べると、相当に低いこと、さらに上司が事実上不在であることなどを考慮し、何も言わないようにしておいた。 30数年で、こういうことを指摘したのは、たったひとり。 その場合の使役が、取材を受けた側(会社の人事部など)をいかに刺激するか、といったことを考えない。 実際、原稿の確認の際に、人事部などは決まって修正を求めてくる。 ところが、それでも繰り返す。 ここまで飲み込みが悪いのも、たったひとり。 これも、発達障害によくみられる症状のようだ。 現実離れしたこだわりがあり、なんとか、それにはめ込もうとする。 原稿創作もさることながら、この場合の使役もまた明らかに不慣れであり、素人に近いのだが、本人はわずか数年の経験で編集局長のような、不遜な物言いをする。 役員や上司にも食ってかかることがある、と聞いた。 これも、発達障害によくみられる症状のようだ。 前述の都庁の職員によると、発達障害の人は、仕事の仕方を一切変えようとしないのだという。 何が何でも、そのやり方をしようとする。 周囲が注意をしても、その後も変えない。 精神の障害だから止むを得ないのかもしれないが、会社がこのタイプを積極的に雇わないのは、このような背景があるからだと聞いた。 また、続編をここで書こう。 先週末、精神障害者の就労支援をする公的機関の職員の取材をした。 この道で35年以上のベテランだけに語る内容は説得力があった。 記事は、3月の掲載予定。 結論からいえば、発達障害は治らないのだという。 この人たちには「認知の歪み」なるものがあり、健常者のようには見られない場合が多いようだ。 本人は自分の考えを真剣に正しい、と信じ込んでいるらしい。 ここでまた思い起こしたのが、業界紙の20代後半の編集者。 自分では「企業の取材を5万社してきた」と話していたが、これはキョウゲンである可能性が極めて高い。 だが、前述の職員によると、「嘘をついているという自覚はないのではないか」と話す。 「むしろ、自分がこれほどに正しいことを話しているのに、相手はなぜ、理解できないのだろう、ぐらいに感じ取っているはず」 こんなことまで聞いてしまうと、この編集者の言動とあまりにも重なるものがあり、じっと聞き入ってしまった。 わずか数年の経験で5万社を取材する人はこの業界にいない。おそらく、過去100年で1人もいないはず。これからも、永遠に現れないだろう。 1年で1,5万社を取材するなんてできるわけがない。 ところが、恥じらいもなく、それを真剣に語る。中堅の私立大学出身で、入社の難易度が相当に低い業界紙に新卒で入る人材だから、止むを得ないのかもしれないが、いかんせん、許容範囲を超えている。 編集者はあるコーナーに中小企業の経営者や役員、総務担当者などが読むものである以上、この層にとって有益な情報を載せたい、と言う。 ここまでは異論はない。 致命的な問題は、ここからだ。 この業界紙では、過去の記事をネットを使い、調べ出すと、中小企業の新卒採用(主に大卒)をテーマにした記事がゼロに近いことが発覚した。 ここから先は、次回。 前の続きで言えば、発達障害の社員の周辺は得てして野放しになっているケースが目立つ。 これがある意味で本人、そして周囲にとって不幸なのだと思う。 精神に障害があることを心得えたうえで接して、教える人がいないのだから…。 たとえば、前述の業界紙で言えば、20代後半の編集者にほぼ全権を与えてあった。 その場合の全権とは、主に次のようなものだった。これらを上司に相談することなく、ひとりで決めていた。 ●取材相手の選定●外部ライターの選定●取材を終えた後のスケジュール●掲載時期●掲載のオーダー(掲載の順番) ここまで大胆に権限を委譲する会社は、この30年ほどで、たった1つ。 当初、面食らうというか、にわかに信じがたいものがあった。 通常、たった数年の経験しかない社員にこれほどの権限を委譲するのは噂でも聞かない。 無責任というか、人材育成の放棄というべきか…。まず、このレベルの会社に優秀な人材が入ることは可能性としてはありえないのだから、何かの問題や欠陥を抱え込んでいるはず。 日本の場合は、優秀な学生はその多くが大企業やメガベンチャーに就職する。わざわざ、こういう業界紙に新卒で入る人はいつの世代もゼロに近い。 通常、いつの世代も、大企業、中堅企業、メガベンチャー企業に不採用になった後、中小企業やベンチャー企業(99%は、中小企業)の試験を受ける。 これは、明治時代のころから大きくは変わらない。 つまり、人材の質として、何かの欠陥や問題を抱え込んでいる疑いがある。 だからこそ、採用試験の精度が高い大企業などは不採用にしたはず。 この現実を心得ているならば、さすがに20代で、わずか数年の経験しかない編集者に全権を与えないだろう。 やはり、育成の放棄にしか見えなかった。 仮に「育成」をしているならば、事態は深刻だと思う。 育て上げて、あのレベルの仕事力だとすると、会社員をするのは不適格だと思う。 何かを指摘されると、言動は発達障害によく見られるという、興奮した物言いになり、時に暴力団口調になる。 もっともレベルの低い層にいながら、もっとも自信家で、不遜で、横柄で、攻撃的になる。もっとも身の程知らずで、思慮が浅く、軽率で、軽薄。もっとも同世代で仕事力が低い。ミスを繰り返す。就労支援をしている職員から聞くとこの不遜で、挑戦的な物言いは、発達障害の人に広範囲に見られる症状なのだという 障害がある、といえばそれまでだが、率直なところ、30年間でこんな人材はたったひとりだけに、よく採用したな、と感心するほどだった。 育成のために権限を委譲するのも必要かもしれないが、そこには教育や管理がないと、会社員とは言わないだろう。 ここまで権限が委譲されているのは、30年間で、たった1社。 1年目から、この編集者のミスが繰り返された。ミスが多いという点では、30年間でももっとも多い。 それは無理もない。 教える上司がいないのだから…。 特に目立ったのは、判断ミス。 たとえば、取材相手の会社のことを一切考えることなく、記事の掲載スケジュールを決めてしまう。 会社の広報から疑問や不満の声が出ていることを伝えるのだが、発達障害特有の症状なのか、状況に応じて臨機応変に対応することがまったくできない。 わずか数年の経験で、副編集長、編集長、編集部長、局長、担当役員の権限を握り、独断専行で決める。 相手と共有することが一切できない。 通常、ありえないこと。 ただ単に、自分の論理をごり押しするならばわざわざ、協働をする必要がない。ひとりで仕事をしていたほうがいい。 このあたりから、まるでできていなかった。 これも、就労支援をしている職員から聞くと、発達障害の人に広範囲に見られる症状なのだという。続きは、次回以降。 先日も発達障害の就労支援に関わる施設の職員から聞かされたが、精神疾患の場合は「異様なこだわり」があることが大きな特徴なのだという。 意にそぐわない場合、必ず、自分の考えている通りにしようとする。たとえ、それで相手や周囲に迷惑をかけ、損害を与えようとも、執着するようだ。 自分の考えを受け入れない人を極度に否定的にとらえ、排除するらしい。嘘の報告をしたり、ごまかしたりして、様々な理由をつけて、自分のイメージ通りにするようだ。 そのことでどのような問題が生じるのか、と想像する力がない。 それどころか、自分を陥れようとしているとして、その相手を攻撃したり、からんだり、批判を繰り返すようだ。 そこに、善悪の見境はなく、損得の発想もないという。 前述の業界紙の20代後半の編集者の症状にそっくりで、聞かされるほどに、言葉を失うほどに驚く。 この編集者の場合、わたしが他社で書くコラムにも目を通して、何がしらを指摘してくる。 このようなことをするのは、社会人になり、30数年でたったひとり。 発達障害の就労支援をする職員によると、発達障害は、自分が何を言われているか、が気になって仕方がないのだそうだ。 自らの思うままに動かさないと気がすまないらしい。 この編集者は、3年間にわたり、原稿整理を創作するというくせが治らなかった。 全国紙や通信社ならば、まず許されないのだが、社員数が100人以下の業界紙では、とがめられることもないらしい。 キャップもデスクもいない。整理部もなく、記事審査委員会もない。 この編集者がひとりで、20代後半でデスクをして、編集長をする。揚げ句に整理部長、編集局長までもしてしまう。 誰も、この編集者に指摘する者がいないから、ミスを3年間、繰り返していた。 30数年で、ここまで過ちを続けたのはたったひとり。 社員教育は、一切していないから、気がついていないようだった。 ちなみに、就労支援をする職員によると、これも発達障害の特性なのだという。だが、本来は、雇う側が責任を持って育成をするべき、なのだと思う。仕事をあてがうだけならば、それはもう、育成とは言わない。人材育成の放棄にしか、見えない。精神に障害があることが、なぜ、わからないのだろう。マトモではないのだから…。記事を掲載。 「知的・精神障害者」の知られざる働き方の実態~3つの事例から見る労働問題の「一断面」とは~ https://toyokeizai.net/articles/-/321755?page=2 発達障害とおぼしき会社員の言動… | 「吉田典史」の編集部 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)発達障害とおぼしき編集者 | 「吉田典史」の編集部 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)