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TBSの自称・記者による性犯罪疑惑をめぐる 裁判の報道を見聞きして思い起こす。
そもそも、TBSに全国紙や通信社のような 純然たる記者がいるのかどうか…。
本当に、 新卒時に記者職ということで採用試験を行って いるのか。試験問題を全国紙や通信社のように なぜ、長年にわたり、公にしないのか。
10億万歩譲って、純然たる記者がいるとして、 なぜ、ノンフィクションの本を 1冊すら書いたこともないような記者が多数いるのか。 (組織ぐるみの経歴詐称もしくは、ねつ造じゃないの?)
なぜ、記者から突然、ディレクターになったり、編成に異動になるのか、 このあたりを組織として隠しているところに、 危うい体質を感じる。
記者と言い切るのならば、 その採用や育成の仕組みを公にするべき。
それと、国会議員のご子息やご令嬢が、 ほかのキー局に比べて目立つのはなぜか…。 (これは、今回の自称・記者に関するものでないかな)
自称・記者のうさん臭さについては、 歴代の経営陣が企業内労組と一緒にかん口令をしいているのか、 はるか前からなかなか、外に向けて説明されない。
外からみると、大きく見えても、 報道局は正規の局員は100人前後だから、 純然たる記者を育成するのはまず不可能のはず。
働き手のことを軽く扱う、 危険な体質の報道機関だとあらためて思う。
今回の自称・記者が性犯罪に関わったのかは 正確にはわからないが、 この犯罪の問題は、 被害者の肉体的なダメージはさることながら、 精神面に大きな傷を与えていることだと思う。
殺人に近いようなものだろう。
1990年代後半に、 取材の一環として聞き取りをしたが、 実感としては「殺人類似行為」に見えた。
今回の裁判のエンディングはどうなるか、わからぬが、 最終的には、 自称・記者は弁護士を通じてお詫びらしきことをして、 お金を払い、「解決した」と言い張るのかもしれない。
それはそれで法治国家の1つの解決の仕方なのだろうが、 被害者の側は、そんなはしたお金では何も解決はしないだろう。
もともと、 日本は、性犯罪に寛大すぎるように思う。
僕はかねてから、 性犯罪は、問答無用に加害者は死刑でいいと考えている。
2005年冬、広島で小学1年の女の子が下校中に 外国人の男に殺された。
父親(たしか、自衛官)は、「2度、殺された」と 記者会見で答えていた。
その場合の「2度」とは、1度は性犯罪で、2度目が 殺人を意味しているのだと思う。
父親やその支援者は死刑判決を求めていたようだが、 無期刑になった。
残念…。
死刑しか、選択肢はないはずなのだが。
このとき、 死刑廃止論者や死刑廃止を熱狂的に唱えるアサヒは、 父親や遺族、支援者の感情を逆なでする 精神的虐待に近い報道を繰り返した。
侮辱に次ぐ侮辱的な報道を意図的に続けた。
ところが、 今回のTBSの自称・記者の背景、 立場であることがわかると、 一転して言論を通じて攻撃を加える。
アサヒやそのシンパの 「公正中立」って何だろう、とつくづく思う。
性犯罪は、加害者が誰であろうとも、 否定されるべきものだろう。
不倫でも、 自民党代議士のそれは批判して、 立憲民主党の議員が盛んに繰り返しても、 おとがめなし。
共に否定されるべきものであるのに…。
これでは、信用を失い、 売れなくなるのは当たり前で、 「世の中が右傾化しているから、 自分たちが受けいられなくなった」と唱えるのは、 不遜というか、逃げというか、妄想なのか、 それとも狂信なのか…。 今は、 多数のメディアが乱立する高度な民主国家の時代。
こういうときに、 明治時代のような感覚で、 「自分たちの言論は常に正しい」と 危険極まりない姿勢で、 路頭に迷わせた報道機関だけのことはある。
その危ういDNAは、
テレビ朝日 「報道ステーション」 スタッフ一斉追放の深層
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Last updated
2020年06月09日 20時53分25秒
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