わたしのブログ by ドレミ・どれみ

2016/06/24(金)00:13

千葉詩人会議ーその3-

詩(100)

 萩原朔太郎との付き合いの中で三好達治が出会ったのが朔太郎の一番下の妹アイでした。アイは相当の美人で達治は一目ぼれ。でも作家業を正当な職業と認めない萩原家によって2度も結婚を断られ、3度目の説得でようやく妻にできたのが達治41歳、アイ37歳の時でした。しかし、福井県の田舎が好きな達治に対し、都会の好きなアイはうまくいかず、たった10ヶ月でアイは東京へ逃げ帰ったといいます。 達治は終生アイの幻影を断ち切れず、それから終生独身を貫いたということです。 1953年に芸術院賞を、1963年に読売文学賞を受賞し、1964年死去、享年63歳。三好達治忌4月5日。 私は図書館から借りたのですが、『測量船』ドナルドキーン編、ポプラ社刊行、のものでした。詩集『測量船』だけでなく『艸千里』『南窗集(なんそうしゅう)()』『()けん花集』の詩も集められていました。 最初の詩集には散文詩が多く載っていますが、これは達治がボードレールの『巴里の憂鬱』を全訳したことと無関係ではないだろうとドナルドキーン氏はいっています。 達治の散文詩は叙述文を羅列したようなものではなく、詩情あふれるもので、真に散文詩に値するものです。 (途中で改行がおかしくなり読みにくくなって申し訳ございません。なおらないのです???)つづく

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る