テーマ:お葬式あれこれ(41)
カテゴリ:お葬式
今日は前置きなし。大切に聞いて欲しいから。
居住まいを正して語ります。 その前に―――合掌――――――お直りくださいませ。 故人は46歳女性。8年位前に、脊髄小脳変性症という難病に罹り いうことの効かない体を悔やみながら、一男二女のお子さんを残し離婚。 年老いた母親に介助を受けながら、最後まで望みを捨てることなく 自らの運命をしかと受け止め生き抜いた方でした。 ロビーには、T子様の思い出のお写真が数枚飾れておりました。 優しい笑みを浮かべた写真は、どれも闘病中のものばかり。 車椅子にもたれながらも、どこか気品さえ感じられるお写真でした。 それ以前の写真がないのは、別れた子供達の元においてきたからだろうか…? その中に一枚だけ、赤ちゃんを抱いた満面の笑みのT子様の姿がありました。 T子様が肌身離さずお持ちになっていた、たった一枚のお写真。 まだお若い頃、お元気で未来への希望に溢れていた頃。 お子様をどれほど慈しまれていらしたか…この写真が全てを語っておりました。 そしてこの写真がご遺影として、祭壇中央に飾られ… 1------------------------------------------------------- 参列者の中には最初から最後まで泣き通しのお身内もいた。 それとは対象的に無表情な3人の実子(21.18.16歳) 年老いた母親も、介護疲れだろうか、心の動きが停止しまっているかのごとく淡々としていた。 それでも少しづつ、いい思い出だけを振り返りながら話してくれた。 とてもいい話だった。 だが担当には、ちょっと複雑な環境だからナレーションはしなくていいよとの指示を受けた。 担当の指示は葬儀業界では絶対なのだ。逆らえない。 それに、吾ごときが簡単に触れてはいけない位に重い人生だ。 どんな言葉も及ばないし、必要ないのだろう。 粛々と閉式まで滞りなく進行するしかないだろうと思った。 だが内心では、伺ったとても温かいエピソードをどうしてもナレーションして差し上げたかった。 迷い、悩んだ。 そして、ちっぽけな吾に何がしてやれようぞと思い 決まりきった開式・閉式コメントのみにしようと決心した矢先、まさに開式直前――― なんと前日までは無表情だった3人のご子息らが それぞれに折鶴を両手いっぱいに抱えて、お棺の中にそっと納めだしたのだ。 これが彼らの本心なのだ。 無表情なのは、どう表現していいかわからず 悲しみが深すぎて放心状態に近いのだろうと察知した。 このままで、大事な最後のお別れの時を終わりにしてはいけないと瞬時に思った。 ともすると自分が涙で詰まりそうになるのを懸命にこらえ 亡き人にかわり、しかと故人の思いを、この子達に伝えてあげたくて あげなければともう激しく思い込み… 伺えた、ごく僅かなエピソードから、ナレーションを行ないました。 2------------------------------------------------------- 時刻9時半 この続きは後ほどに… ここで、コーヒーブレイクです。 3------------------------------------------------------- 時刻16時 それでは続けさせていただきます。 ここまでの皆様のコメントを拝見しながら、ここに出すことは T子様にとって供養になるのかどうかが、わからなくなりました。 けれど、少なくとも既にコメント寄せて下さった方々には T子様のご生涯に触れて頂いてしまいましたし… T子様のご冥福を勝手ながら心に誓い、ここに語ったものとして責任を持って 以下当日行なったナレーション原稿をアップ致します。 4------------------------------------------------------- ♪涙そうそう(二胡バージョン)をBGMに使用。 《T子様 あなたの惜しむべき46年という凝縮された時の中 巡り合った縁に結ばれし皆様がお出ででございます。 晩秋を憂う生花に飾られた祭壇中央で、穏やかな笑みを浮かべたT子様。 高校は家政科で学ばれ、洋裁が得意でいらしたT子様。 3人のお子様を授かると、その技能を活かし、せっせとミシンを踏み 一針一針に我が子の健やかな成長を願いながら、手製の洋服をこしらえていらしたT子様。 おやつも常にハンドメイドでしたね。 毎日子供達の帰宅を、美味しそうな甘い香りと一緒に、優しい笑顔で迎えて下さったT子様 常に一歩ひいて、その場を和やかにと気遣いをされてこられたT子様。 その博愛の精神は小動物にも向けられ、時に一人ぼっちの寂しい猫などにもエサをさしだすT子様。 菩薩のようなあなたが、何故こんなにも早く滅っせられてしまうのか…… ただ、あなたと笑えるだけでいい。泣けるだけでいい。 ただそれだけで、あなたが居てくださるだけでよかったと 今はただ、あなたにお伝えできたらと・・・ T子様にとりましては今生での最後の一時 読経の調べに身を委ね、心と心の対話を交わして頂けますように・・・ お別れの時を迎えました。》 この後、開式。 閉式後は、フルートで、スマップの曲【夜空の向こう】を献奏 この曲は、お嬢様がスマップファンでいらっしゃり、T子様もその影響で、スマップの曲 特にこの【夜空の向こう】を口ずさんでいらっしゃったとリクエスト。 献奏曲に耳を傾けながら、無表情だった3人のご子息らがしっかりと泣いていらした姿 しっかりと泣けたということで、T子様が子供達の心の中で 生きかえった様な気がしました。 そしてその姿は、吾にとっても救いとなりました。 5------------------------------------------------------- だけど未だに、吾がしたことは間違ってなかったのかわかりません。 こうして、ここに掲載したことは、更なる間違いだったのかもしれません。 ただ、遺影のT子様と向き合って問いかけていると この人にとって子供と離れなければならなかった事が、いかに切なく苦しい選択だったかが 胸にせまってくる思いでした。 そして、そのことをご子息らにきちんと手渡して差し上げなければ この子達の行末も淋しすぎると 勝手に心が反応してしまった行為でした。 吾のやったことはどうだったのだろう… 今でも時折T子様に問いかけています。 今はただ、両の手を合わせてご冥福を祈るのみです。――合掌―― お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>それぞれに折鶴を両手いっぱいに抱えて、お棺の中にそっと納めだしたのだ。
いやいや、サラッと読むつもりが見入ってしまいました。続きが待ちきれへんです。。 はじめまして・・・ 今日はお邪魔してジックリ読ませてもらい、「お話しの仕事」のプロ根性や醍醐味が、ほんの少しやけど分かった気がします。 ほな、また伺います。。 (2005.02.13 01:33:52)
お子様がた、母上様の死に対する心の準備は出来ていたのでしょうか。準備があるとないとでは、大きく違う気がいたします。血の通うエピソードを聞いたら、、、うむむむ(←口チャック)
(2005.02.13 02:16:01)
私も葬儀を司式する時、事前に故人のいろいろな事情について聞く事があるのですが、いろいろと考えさせられる家庭の事情に触れることがあります。もちろん心にそっとしまっておく事も多く、死の中にその人の人生が凝縮されている事を身を持って知ることになります。よく知っている人であれば、元気な時の顔を思い出すものです。その時は悲しみが一段と深くなるものです。悲しくても司式を続けなければならない辛さもあるものです。
(2005.02.13 12:58:03)
>吾のやったことはどうだったのだろう…
弥々さまが、思い浮かんでそれを否定せずに行う行為は、全て正解ですよ。 それは、いつも体験してらっしゃる。 誰かが、そうしてあげてと、欲している願いを、いつもいつも弥々さまが叶えています。いつも…。 そうですよ。何でも…。 思いのある人こそ、そう行為せずにはいられなくなります。 それにしても[慣れ]ではない。と、思うのです。 涙が出てきて司会も出来なくなるのでは? そうならない弥々さまは、全てを呑み込んでいらっしゃるのでしょうね。 私は、縁の薄い人でさえ人のハートの悲しみには非常に弱いから、 葬式会場では別の事を考え続けて、宴会で笑う事しか術を知りません。 立場仕事とは言え、司会を一貫、貫かれる弥々さまの姿勢にこそ、感涙します。 (2005.02.13 19:12:23)
今日は重すぎたのう。でも、吾自身も悩みぬいた。
自分の中にしまいこんでいるのが辛くて、吐露してしまった。まだまだやのう、自分。 ほいでも、今日もこうして温かい励ましのコメントを寄せて頂き、吾は益々どうして言いかわからず、穴があったら入ってしまいたいようだ。素直に皆様に感謝いたす。だからこそ、あえて叱咤のお言葉もいただきとうございまする。吾はこれでよかったのだろうか… でも、T子様は確かに子供さんらの中に生きかえったと、信じています。泣きたいときは泣かなければ、前には進めませぬ。まだ未来ある子供達。お母様の分までしっかり生きて欲しい。前よりもお母様を身近に感じていけるはずだから…彼らの涙はほんとに美しかった。 (2005.02.13 22:46:36)
私も両親を送ったときのことを思い出しました。お子様方は泣きながらも解放されたことでしょう。そのエピソードひとつひとつを噛みしめて母への想いを新たにして生きていかれることでしょう。そしてそれがT子さんの願いでもありましょう。弥々さんの気持ち、伝わっていると思います。
(2005.02.14 06:28:44)
tarantini78さん
>私も両親を送ったときのことを思い出しました。 大切な人を失った悲しみを知っている方からのお言葉は、胸に響きまする。 今日もご一読頂き、ありがとうさん。 (2005.02.14 11:16:45)
cricoさん
>今日はお邪魔してジックリ読ませてもらい、「お話しの仕事」のプロ根性や醍醐味が、ほんの少しやけど分かった気がします。 @そいつぁ、嬉しいのう!そいで、その後四十路パパさんは黄昏てまっかぁ! (2005.04.16 17:34:45)
tarantini78さん
>お子様がた、母上様の死に対する心の準備は出来ていたのでしょうか。準備があるとないとでは、大きく違う気がいたします。血の通うエピソードを聞いたら、、、うむむむ(←口チャック) @このコメントの真意がわからず、ずーっと考えてたんや。そうやのう・・・お子さんらは分っていた筈や。離婚する時にな。希望のある未来を望んでみても、哀しい結末になっってしまった。この母の死を通し、改めて現実を見つめ、強く生き抜いていく再生のきっかけにしてほしかった。出すぎたことやが、母の思いを伝えたかった。 (2005.04.16 17:38:06)
あすか325さん
>生まれてこれたことを、そして生きることの大切さ >感じてしまいした ----- @そうやね、生かされていることは、どんな人間でも意味があるのやから・・・ (2005.04.16 17:39:02)
慈悲の心さん
>私も葬儀を司式する時、事前に故人のいろいろな事情について聞く事があるのですが、いろいろと考えさせられる家庭の事情に触れることがあります。もちろん心にそっとしまっておく事も多く、死の中にその人の人生が凝縮されている事を身を持って知ることになります。 @司式者や、坊さんはその考えですよね。故人への供養・成仏への導きは導師にまかせ、司会は、宗教的観念から離れた、生に執着のある悟りを開けないコンショウの遺族に癒しを与える立場でいたいと・・・そんな思いで、お話を伺い、心の中に浸透するように語りかけておりまする。 (2005.04.16 17:42:01)
真魚555さん
> 立場仕事とは言え、司会を一貫、貫かれる弥々さまの姿勢にこそ、感涙します。 ----- @姉さんには随分と褒め励まして頂きましたのう・・・その後どうでっか? (2005.04.16 17:43:51)
しみじみ色々な人生があるのだと・・・
私も少しは苦労をしましたなんて とても言えない・・・ 人それぞれの器があるのでしょう ちっぽけですけど頑張ります 弥々と知り合えて視野が広がった気がします (2005.05.26 12:36:08)
そらしどママさん
>しみじみ色々な人生があるのだと・・・ >私も少しは苦労をしましたなんて >とても言えない・・・ >人それぞれの器があるのでしょう >ちっぽけですけど頑張ります >弥々と知り合えて視野が広がった気がします ----- @ママさんだって、ええ人生送っておりまする。コメントの心配りから、吾にはママさんのこれまでの歩みがわかる。 自分の思うがままに生きられないことってせつないね。それでも、懸命に生き抜く人生。どんな言葉をもってしても充分に伝えられはしない。また、する必要もないのでしょう・・・けれど・・・これが吾の仕事なのです。そこのところでいっつも苦しみ悩みまする。 この時は、一人の母として、故人の気持ちを勝手に想像し、どうしてもお子様に母としての思いを伝えたかったのです。後日・・・いいお式をありがとうと感謝の言葉があったと、担当から知らせを受けました。どれほど救われたことか・・・今、またあの時のお子様の表情、涙が眼に浮かびました。思い出させてくださり、ママさんにも感謝いたす。 (2005.05.26 18:11:17)
はじめまして
涙しながら読ませていただきました。 私も葬儀ナレーションを作るので、子供達に何かを伝えてあげたい。 そう思う気持ちが分かります。 そして、泣けない、泣かないのどちらかであっても、心をほぐしてあげたい気持ちがあります。 葬儀で「泣く」ということは、きっと供養にもなると思いますが、残された方々の前に進むキッカケや区切りにもなると思っています。 私の勝手な思いですが、共感致しました。 (2018.06.14 23:25:29)
mamikoさんへ
>はじめまして @はい、閲覧頂いてから4か月も経ってしまいました。 この返信が、mamikoさんに届くことを願いながら、今頃の返信を堪忍ね ――――― >私も葬儀ナレーションを作るので、子供達に何かを伝えてあげたい。 そう思う気持ちが分かります。 @同業者の共感は、励みになります。 クロスケ(葬儀司会)ごときに、どこまで立ち入れるものだろうか… キャリア16年重ねて尚、毎回、試行錯誤の日々… ――――― >そして、泣けない、泣かないのどちらかであっても、心をほぐしてあげたい気持ちがあります。 @そう!それです。さすが、良くわかってらっしゃる^^ 宗教家は、故人の御霊を導くけれど、葬儀とは… 故人の為だけではなく、見送る方々の【心をほぐす】場でもあると 思うのです。 ――――― >葬儀で「泣く」ということは、きっと供養にもなると思いますが、残された方々の前に進むキッカケや区切りにもなると思っています。 私の勝手な思いですが、共感致しました。 @ありがとうございます。まさにmamikoさんのおっしゃる通りを 私も思っております。 どこのエリアの方かしら?お近くなら、お茶でもしたいと思いまするん 立ち止まって、お言葉残して頂き、感謝! どうか…このメッセが、mamikoさんに届きますように… (2018.10.24 11:35:08) |
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