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天の王朝

カストロが愛した女スパイ11

▼委員会終了
 マクドナルドが言った。「ロレンツさん。あなたの弁護士があなたに質問していたとき、確かフィデル・カストロがジョン・F・ケネディ暗殺に関与したと思うかと聞かれましたね。そのとき何と答えたか覚えていますか?」
 「はい」

 「何と答えましたか?」
 「彼が関与しているとは思わないと言いました。フィデルはそれとは全く関係ないと思います」
 カストロがケネディ暗殺に絡んでいたと今でも信じている人がいることを、ロレンツは信じることができなかった。カストロ陰謀説は、スタージスが言ったように、反カストログループのプロパガンダにすぎないのだ。

 マクドナルドが聞いた。「それからあなたの弁護士は、どうしてそう思うのかとたずねましたね?」
 「私は、フィデルのことをよく知っているからだと答えました。私はフィデルのことを知っていると思っています」

 「私はあなたの答えから、あなたがフィデルと話したことがあると思ったのです」
 「暗殺の後、彼と話したかということですか?」

 「いいえ、暗殺の前にです」
 マクドナルドの質問には、ロレンツがカストロの命令でケネディ暗殺に関与したかどうかをチェックする狙いがあった。
 ロレンツが答えた。「暗殺の前? フィデルの命を狙ったすべての企みについて、彼は個人的にだれかを脅すことはありませんでした。だけど、私が殺された場合には、その責任を負うものに対し仕返しをすると言っていたそうです」

 ロレンツの答えが意図した内容と違ったので、マクドナルドが再び聞いた。「あなたの弁護士が、何故フィデルがケネディ暗殺に関与していなかったと思うかと聞いた質問に対し、あなたは、私が覚えているところでは、あなたがフィデルと個人的に話をしていたからだと答えたと理解しているんですが」
 「いいえ、そんなことはありません」

 やりとりを聞いていたクリーガーが、マクドナルドの質問にクレームをつけた。「もう一度速記者に読み上げてもらったらいいではありませんか。そうすれば彼女の答えが何だったか判明しますよ」

 マクドナルドが議長に聞いた。「見つけるのに時間がかかりますか?」
 議長が言った。「速記録を遡って、それを読む上げるより、質問が適切に理解できたか聞けばいいでしょう」とロレンツにちゃんと答えるよう促した。

 ロレンツが口を開いた。「ケネディ暗殺の後のことですか?」
 マクドナルドが時間の無駄だと思い発言した。「議長。これ以上質問しても効果があがると思えないので、質問はこれで打ち切ります。私は議長の決定に従います」

 これを受けて議長が総括に入った。
「証人に対する質問はもうないと思います。
 私から言いたいことがあります。証人は何度も、証言を補強するテープや、証人が少なくとも一時期所有していた写真について言及しました。さらに、フランク・スタージスがポルトガルなどヨーロッパから電話を掛けてきた事実や、証人がFBIの仕事をしていたという事実についても言及しました。もし、証人がこうした事実を補強する書類を見つけたら、当委員会にとって非常に役立つでしょう。電話の記録やFBIから受け取った証明書の類、さらには、あなたの証言を補強する写真やテープなど、もしこれらがあれば、委員会としてはいつでも受け入れる用意があります。
 あなたの証言は非常にドラマティックなものでした。それだけに信頼性の問題も非常に重要なのです。委員会はその真相を究明したいと思っています。だからあなたが証言したことを補強するいかなるテープや写真、証拠書類が見つかったら、委員会としては是非ともそれらをもらい受けたい。
 我々の規則では、証言の最後に五分間、証人なり、証人の弁護士なりが意見を述べることができるようになっています。残りの時間はこの五分間ルールを適用しようと思います。証人並びに証人の弁護士はこの際、何か意見を述べられたいのであれば、それを認めます」

 クリーガーがロレンツと一言相談した後に答えた。「議長。証人も私も満足しております。これ以上意見を述べるつもりはありません」

 とにかくロレンツとクリーガーにとっては、証言することに重要な意味があったのだ。真実をロレンツが語ればそれでよかった。後は議会なり、司法当局なりが判断すればいいことだった。ロレンツは義務を果たしたのだ。その安堵感がロレンツと弁護士にあった。

 議長が言った。「ありがとう、クリーガーさん。証人はこの後も召喚状が出されたままの状態にあります。今日、証人が証言されたことをさらに明確にするのに役立つであろう証拠書類、写真、それにテープの類について、我々はいつでも受領する用意があることをもう一度強調しておきます。
 今日、あなたが証言に来てくれたことを感謝します。委員会はこれで休会する」

 クリーガーがこれに答えた。「ありがとう、議長」
 同委員会は午後四時五十分をもって終了した。

▼闇と光
 約七時間半もの長時間にわたるロレンツの証言が終わった。外はもう、日が暮れかかっていた。夕日がエジプトのオベリスクをかたどったワシントン記念塔の向こう、ポトマックリバーの川辺に建つリンカーン記念堂のはるか先の方へと姿を消そうとしていた。

 これでよかったのだろうかー。ロレンツは今日の証言を振り返った。この証言を受けて下院特別委員会は真相究明に向かって突き進んでくれるのか。それともうやむやに終わってしまうのか。ただひとつだけ言えることは、真実を語るというアメリカ国民としての義務をロレンツが果たしたということだ。

やれるだけのことはやったのだ。証言できることはすべて委員の前で話した。ロレンツは自分に言い聞かせた。未来永劫隠しおおせる真実などないのだ。少なくともロレンツの証言は、国家的な陰謀という巨大な暗闇の中で真実を探り出すための第一歩を踏み出したことにほかならない。

 太陽が西の彼方に完全に隠れると、闇がワシントンDCを包み込むように降りてきた。夜露を含んだ風が心なし肌に冷たく当たった。闇の中には沈黙がたたずみ、長く停滞する気配があった。しかし、長い目でみれば、それもつかの間のことだ。ロレンツはそう思ったにちがいない。やがて朝が来れば、沈黙の闇の向こう、東の空から、キャピタル・ヒルの頭上に再び光が差し込んで来ることを疑う余地はなかった。

▼エピローグ1
筆者は一九九九年4月、下院暗殺調査特別委員会初代委員長のトマス・ダウニングを訪ねた。ワシントンDCから車で3時間走らせたところにあるヴァージニア州の法律事務所でダウニングは、遠く離れた東洋からはるばるケネディ暗殺事件について調べに来た私の取材に快く応じてくれた。ダウニングは今でも、ケネディ暗殺はオズワルドの単独犯行ではなく、CIAに支援されていた亡命キューバ人のグループによる陰謀であったと確信していた。

「下院特別委員会設置当初は、委員のほとんどがケネディ暗殺は陰謀であったと信じていた。委員会はきっとその陰謀を解明することができると思っていた」と、ダウニングは当時を振り返る。

しかし、委員会にも限界があった。委員長であったダウニングも、議員としての任期が途中で終わってしまい、委員長職を他の議員に譲らなければならなくなった。委員の入れ替えも何度かあった。

委員会の長期にわたる調査活動に比べて、議員の任期が短すぎたのかもしれない。その中で、CIAの息のかかった議員が委員会に忍び込む透き間が生じたのかもしれないし、あるいはウォーレン委員会のときと同様に巧妙な誘導がなされ、意図的な報告書が作成されたのかもしれない。ロレンツ証言から約8ヶ月経った79年1月に出された下院特別調査委員会の報告書は、致命傷を与えたのはオズワルドだが、オズワルド以外に狙撃手がいた疑いもあるという、陰謀の可能性をにおわせる程度の内容で終わってしまった。

「(報告書は)今ひとつ踏み込みが足らず、失望した。はぐらかされた感じだった」と、顔をゆっくりと横に何度も振りながらダウニングは言った。そこには、及ばなかった自分の力を悔やむ姿がかすんで見えた。

委員会で発言したロレンツはその後、どのような人生を歩んだのであろうか。
自伝を読むと、その後もしばらくは波乱の人生が続いたようだ。CIAからたびたび嫌がらせを受けた。命を狙われたこともあったという。

1979年10月にカストロが国連で演説するためにアメリカを訪問したとき、その危機が訪れた。シークレット・サービスの男たちが、ロレンツにアメリカから出て行くよう告げた。カストロが訪米する数日前には、当時住んでいたコネティカット州のロレンツの家に銃弾が撃ちこまれ、馬や豚やヤギなど飼っていた動物が殺された。

ロレンツは子供とカナダのモントリオールまで車で逃れ、当地のキューバ大使館に保護を求めた。保護を受けていた二日間、キューバ大使館の外では、武装した情報部員がロレンツを監視していた。

ロレンツは隙を見つけて大使館を出て、今度はかつて住んでいたニューヨークのアパートに向けて車を走らせた。情報部員たちはすぐにロレンツを追った。道中は、ハリウッド映画さながらのカーチェイスであった。彼らは、幅寄せしてロレンツの車を道路から突き落とそうとしたり、ロレンツの車に向かって発砲してきたりした。ロレンツも負けじと、撃ち返した。

▼エピローグ2
命からがらニューヨークに逃げてきたロレンツを待っていたのは、すっかり荒れ果てたアパートであった。かつての住み家は物色され、火炎瓶による襲撃を受けていた。電気も止められていた。ロレンツたちはその後6週間、その暗くて寒い、廃墟のようなアパートの一室で身を潜めるようにして暮らした。

すでに“逃走資金”は底を突いていたので、所持品を路上で売って、何とか食いつないだ。やがてその住み家からも立ち退きを言い渡され、寝場所を転々と渡り歩いた。キューバへの亡命も考えた。しかし、子供たちを連れてキューバ大使館へ向かうたびに、CIAの情報部員から殺すと脅された。

1980年3月、ロレンツは彼らのマンハッタンにある事務所に呼び出され、「最後通牒」を突きつけられた。

CIAにとって、知りすぎた女であるロレンツが邪魔物であることに変わりはなかった。しかし、すでにマスコミに名前が知れ渡っているロレンツをあからさまに消すことも難しい状況であった。そこで彼らは、ロレンツに選択を迫った。CIAの下でキューバから逃れてきた難民の世話をするか、自殺するかであった。

情報部員はロレンツに銃を渡して言った。「今から隣の部屋に行って頭をぶち抜くのもよし、あるいは、お前の忌々しいボーイフレンドがアメリカの沿岸に投げ捨てるマリエリト(キューバのボートピープル)の面倒をみるもよし。どちらかを選べ」

もちろんロレンツには、自殺するつもりなど毛頭なかった。白紙のCIAの書類にサインして、ペンシルヴァニア州にある、キューバ人難民キャンプに向かった。

▼エピローグ3
キューバからの難民たちは、広大な予備軍基地の倉庫や兵舎に収容されていた。ロレンツの仕事は、アメリカに着いたばかりのキューバ人たちのために通訳をしたり、身元を調査したりするものだった。それは軍情報部の任務でもあった。

軍情報部は、そこにいるすべてのキューバ人が純粋な難民であるとは考えていなかった。スパイや過激派分子も混ざっていると疑っていたのだ。ロレンツは、パスポートを持っているキューバ人を探し出し、パスポートを回収したりもした。パスポートがなければ、キューバに簡単に戻ることもできなくなるからだ。

誰がドイツ語やロシア語、フランス語など外国語を話すかを調べるのも、ロレンツの仕事であった。それによって、東ドイツなど共産圏に行ったことがあるキューバ人や、アンゴラに派兵された疑いのあるキューバ人の目星をつけるのだった。軍情報部は、誰がスパイで、誰がテロリストになりそうかを注意深く、かつ入念に調べていた。そして、アメリカのためにスパイになってくれそうな人材も探していた。

こうした難民が発生した背景には、カストロが秩序の乱れを嫌い、法律や規則の適用を厳しくしたことがあった。キューバでは、反政府活動や公序良俗を乱す行為は厳しく取り締まられた。ちょっとした反政府的な落書きをした少年や、ゲイの人たちが、風紀を乱したということで刑務所送りとなった。

このためキューバの刑務所はどこも満杯となり、これ以上収容できない状態になった。そこで政治犯的な受刑者をキューバから追放したのだ。経済制裁による食糧難で、刑務所で大勢の受刑者を収容しておくわけにはいかないという事情もあった。

そうした難民は次から次へとアメリカに漂着し、マイアミからバスに乗せられて、ロレンツが働くキャンプに送られてきた。兵舎はすぐに満杯状態となり、収容者の間で軋轢を生み、緊張が高まっていった。

難民キャンプにおいても秩序を保つ努力が必要だった。難民たちは、早くアメリカ社会に出たいと思っていた。しかし軍当局は、彼らを自由に国内に放つことはできなかった。まず危険人物でないかどうか見極め、精査しなければならなかった。調査が終わっても、彼らに保証人が現われないかぎり、実質的に難民キャンプの塀の外へ出て行くことはできなかった。

難民たちの苦悩と悲劇は、保証人が見つかった後も続いた。すべての保証人が善意の人ではなかったからだ。保証人に引き取られていったキューバ人の中には、男も女も性の奴隷にされたり、不当に安い賃金で働かせられたり、都合よくメイドにさせられたりするなど、変態性欲と搾取のおもちゃにされた者も多くいた。まさに奴隷市場の様相を呈していた。

難民キャンプのスタッフは保証人をふるいにかける作業に追われたが、保証人について外に出て行くキューバ人たちのその後を、チェックする仕組みなど存在しなかった。

▼エピローグ4
ロレンツが働く難民キャンプでは、キューバ難民の人口が12万5000人に達し、もはや収容能力を大幅に超えてしまった。そこでロレンツが働くようになって8ヵ月後、難民を全員、アーカンソー州のフォート・チェイフィ基地に移すことになった。

フォート・チェイフィ基地は、前のキャンプ地よりも気候は穏やかで、敷地も広大だった。軍関係者や国際救助委員会、赤十字などが応援に駆けつけ、難民の整理や苦情・要望の相談に当たった。

難民の受け入れ態勢は前のキャンプ地よりも整っていた。だが難民にとっては、リクリエーション施設や教育施設もない、鉄条網で囲まれて混みあった収容所であることに変わりなかった。いつ外に出られるかもわからない、精神を追い詰める牢獄のようでもあった。

やがて、退屈と不安と絶望に耐え切れなくなる難民も出てきた。ロレンツのようにスペイン語を話せる衛兵も少なかったことから、難民と衛兵の間で小競り合いがしばしば発生した。キューバの出身地別にグループを作って抗争を繰り広げたり、宗教的儀式に没頭するようになったり、キャンプ地から脱走したりする者も跡を絶たなくなった。

しかし収容施設から脱出できたとしても、キャンプの周囲の町やコミュニティが歓迎してくれるわけでもなかった。最初は好意的だった周囲の人たちも、保証人に引きとられて外に出てきたキューバ難民が殺人や強盗を犯したことがマスコミに大々的に取り上げられるようになると、態度を一変させた。キューバ人は厄介者だという先入観が生まれ、犯罪に走るキューバ人が実はごく少数であったにもかかわらず、キューバ人はすべてコミュニティの敵であるとみなす風潮が出てきた。

アーカンソーが、白人至上主義者の集まりである、悪名高いクー・クラックス・クラン(KKK)のお膝元であることが事態を悪化させた。KKKはキューバ人を憎み、すきあらばキューバ人を退治しようと考えていた。基地から脱走したキューバ人は、その対象となった。

彼らは“射撃大会”を開き、脱走キューバ人を闇に葬り去ることもあった。一般のキューバ人5点、性病にかかっているキューバ人10点、重罪犯のキューバ人15点、スパイのキューバ人25点などと得点を設定して、文字通りキューバ人狩りを楽しんだ。

KKKの共鳴者は、キャンプの警備員や衛兵の中にもおり、殺されたキューバ人に関する書類が“紛失”することもあった。被害者の記録がなければ、犯罪として捜査することもできなかった。

キャンプ地内の悲惨な生活は続いていた。被害者は多くの場合、子供や女性といった弱者であった。彼らはしばしば、性欲と暴力の対象とされた。騒ぎ立てる者はみな、棍棒で叩かれたり、強力な鎮静剤であるソラジンを注射されたりした。

自殺や虐待や病気で、いったい何人の子供たちが犠牲となったのだろうか。ロレンツの目の前で、何人ものキューバの子供たちが息を引き取っていった。ロレンツはそのたびに、行き場のない怒りでいっぱいになった。

キャンプ場で1年半ほど働いた後、ロレンツはニューヨークへ戻った。しかしキャンプ地でみた惨状は、目に焼きついていた。義憤に似た感情がフツフツと湧きあがり、居ても立ってもいられなくなった。

折しも、民主党のカーター政権誕生でキューバへの渡航制限が緩和された時期でもあった。ロレンツは1981年9月、カストロに会うためにキューバへと向かった。

▼エピローグ5
案の定、キューバのホセ・マルティ空港で、ロレンツは足止めを食った。お尋ね者の女スパイが、性懲りもなく21年ぶりにキューバの地に戻ってきたのだ。

士官6人とカストロの顧問団が、代わる代わるロレンツを尋問した。尋問されながら、ロレンツは心の中で叫んでいた。「殺したければ殺しなさい。どうせアメリカに帰ったらCIAに殺されるんだから」

ロレンツにとっては決死の覚悟であった。なんとしても、キューバの子供たちの窮状をカストロに直接訴えたかった。カストロの厳しい法執行が、アメリカでの悲劇を生んでいる。ロレンツは尋問者に対して何度も繰り返して言った。「フィデルと二人だけで話をさせて」「伝言して欲しくてキューバまで来たわけではないわ」「いいえ、私は誰かに言われて来たのではありません」

尋問者たちは、ロレンツの処遇を決めかねていた。ロレンツはベンチで6時間も待たされた。水が欲しいと言うと、衛兵はマシンガンを床に置いて、グラス一杯の水をもってきてくれた。その衛兵の雰囲気から、ことがうまく運びそうな気がしてきた。

さらに30分が過ぎた。突然ドアが開き、軍服を着た保安・検閲担当の士官2人が入ってきて告げた。「ロレンツさんですね? われわれと一緒に来てください」

ロレンツたちは車に乗って、ハバナの街を抜けた。街中には「チェ、万歳!」「カミロ、万歳!」などと書かれたポスターが貼られていた。22年前に初めて嗅いだ、異国のジャスミンの香りも漂っていた。懐かしい街並み。やがて車は、見事に手入れされた並木道を通って、屋根に衛星受信アンテナが立っている一軒の家の前で停まった。

二人の衛兵がロレンツのスーツケースを持って、その家の中へ入っていった。ロレンツも二人に続いて中に入った。扇風機がブンブンと、うなりをあげて回っていた。見知らぬ老人が近づいてきて、ロレンツの手を取って、その手にキスをした。それから彼は、ロレンツの両手を深く握り締めて言った。「セニョーラ、ようこそキューバへ。お帰りなさい」

衛兵はロレンツを、階上にある「移民の館」という綺麗な部屋へと案内した。衛兵がロレンツのスーツケースを下へ置いた。ダブルベッド、ナイトテーブル、バスルームのある部屋だった。兵士の一人が、カストロがこちらに向かっているところだとロレンツに告げた。

灰皿には半分ほど吸い掛けた葉巻が置いてあった。誰が吸っていた葉巻だろうか。カストロはアメリカのメディアのインタビューで、健康に悪いから禁煙したと話していた。

ロレンツは、兵士に向かって訊いた。「彼はまだ吸っているの?」
兵士は答えた。「ええ、でも小さな葉巻を吸っています。大きな葉巻の数は減らしています」

やがて遠くから足音が聞こえてきた。緊張が走り、部屋にいた兵士たちはたちまち気をつけの姿勢をとった。

▼エピローグ6
ロレンツはドアの正面にあるベッドの端に、背筋を伸ばして座っていた。足音がドアの前で止まった。カストロがドアを開ける前から、懐かしい葉巻の匂いが部屋に漂ってきた。

部下を引き連れたカストロが部屋に入ってきた瞬間、ロレンツは思わずベッドから立ち上がった。カストロは立ち止まり、ロレンツを見つめ、ロレンツも凍りついたように動かずにカストロを見つめた。カストロが衛兵たちに向かって命令した。「もういいぞ」

ロレンツは再び、ベッドの端に腰をおろした。これまでのいろいろな思いが交錯して、何と言ったらいいかわからなかった。とにかくロレンツは、カストロをかつて殺そうとした危険極まりない女スパイなのだ。正直、カストロがまさか自分に会ってくれるなどとは思っていなかった。

衛兵たちが部屋の外へ出て行くと、カストロは自分でドアを閉め、ロレンツを再び見つめた。緩やかな沈黙。時間が静かに回りだす。カストロとロレンツの間には、21年間の空白が横たわっていた。カストロの髪は少し白くなり、お腹の周りには贅肉がついていた。しかしそれ以外は、あのときのままであった。

ロレンツが沈黙を破った。
「久しぶりね。何年も会えなくて寂しかったわ」

カストロは部屋を少し歩き回った後、ロレンツに手を差し伸べ、ロレンツの手を握り締めた。
「お帰り、私のかわいい暗殺者君」

ロレンツは微笑み、カストロは口を開けて笑った。徐々にではあるが、59年当時の二人の記憶や感触がよみがえってきた。二人とも何も言わず、ただ声を上げて笑った。そして無言でただ抱き合った。懐かしい、あのときの抱擁そのままであった。心の中で、涙があふれそうになった。

「時間がたちすぎたわね、フィデル」
「君はまだ生きているじゃないか」
「あなたもね。私に感謝しなさいよ」
「ああ、わかっているよ」

ロレンツは難民キャンプでの悲惨な子供たちの話を切り出そうとした。しかし、カストロに再会したことによって湧きあがる圧倒的な感情のほうが勝ってしまう。

「フィデル、あなたは私に借りがあるわ」
「え、何て言ったんだい?」と、カストロは聞き返しながら、ロレンツを抱きしめた。

「もう昔の話よ、フィデル」
「ああ、お互い、とても若かったな」

▼エピローグ7
「あなたのせいで、私の評判は台無しになったわ」と、ロレンツは話を続けた。赤ん坊を奪われたロレンツは、「独裁者の哀れな愛人」として反カストロのプロパガンダに利用され、暗殺失敗の落伍者としてキューバ侵攻作戦の駒にされかかった。

カストロはすぐには答えずに、ロレンツの肩に手を回した。そして、おもむろに言い返した。
「お前はどうなんだ? お前は? お前はペレス・ヒメネスのもとに走り、やつと関係を持った。あいつは、ハゲでデブの醜男だ。なのにお前は、あいつの子供まで産んだ」

ロレンツは不意を突かれた。、ヒメネスの話を持ち出されるとは思わなかったのだ。
「ペレス・ヒメネスのことは言わないで」と、自分の狼狽を取り繕うように言った。

カストロは顔をそむけ、ロレンツに背を向けた。カストロが憎み蔑んでいたベネズエラの独裁者の愛人になったことに対する無言の抗議であった。
ロレンツは半ば開き直って言った。
「そうよ! 確かに私は彼の子供を産んだわ! でも、私はあなたの子供も産んだはずよ。あの子はどこにいるの? 私がここに来たのは、お互いのロマンスの話をするためではないわ」

カストロは窓辺に歩み寄り、やがて厳かに言った。
「ペレス・ヒメネスと関係をもったこと以外は、不問に付そう」

これに対しロレンツは畳み掛けるように言った。
「フィデル、愛していたのよ。多分今でも、私はあなたを愛しているわ。でも、私がどんなに苦しんだか想像できる? さんざんなぶられた挙句、アメリカ政府の捨て駒になって。そのような中で、二人の子供を育て上げたのよ。それが簡単な人生だったと思う?」
「二人の子供だって!」

「そうよ、二人よ。一人はヒメネスの子、もう一人は、あなたが知る必要もない人の子で、男の子よ。ここに来たのは、お互いの私生活について話すためではないわ。別の理由で来たのよ。第一に、あなたはとても元気そうで、私は離婚している。ここに戻ってきて暮らしてもいいと思っているわ」
「ここでずっと暮らすつもりか?」
カストロには、ロレンツがキューバに戻ってきた理由がわからなかった。永住する目的で来たのか、あるいは誰かに頼まれて来たのか。

「フィデル、私にはアメリカに二人子供がいるわ。私は誰かの代理でここに来たわけでもなければ、どの情報機関に頼まれてきたわけでもない。私は私よ」
「そう願いたいものだな」

「私は帰ったら、多分殺されるわ。CIAは私がここに来たことを知っているもの」
「帰る必要はないさ。ここにいればいい!」

▼エピローグ8
「カーター大統領が渡航制限を緩和しなければ、私はここに来ることができなかった・・・」
「彼はいい男で、好感がもてる。私はケネディのことも好きだった。カーターも好きだな」
そういい終わるとカストロは、部屋の中を歩きはじめた。

ロレンツはずっと、カストロに言わなければならない言葉を探していた。だが、なかなかきっかけがなく言い出せない。そこでとりあえず、葉巻の話をすることにした。
「まだ大きな葉巻を吸っているのね。ニューヨークの新聞には、禁煙をしていると書いてあったわ」
「アメリカの報道などそんなものだろう」

こうしたたわいないやりとりが続いた後、カストロがロレンツに言った。
「お前は相変わらず、とてもきれいだ」
「そう、あなたが愛する殺し屋が戻ってきたのよ。殺したければ殺してもいいわ」

「やめてくれ! そんなことはしない。なぜ戻ってきたんだ?」
「あなたを殺すためかもしれないわよ。300万ドルであなたを殺しにね。あんたの部下たちは私のバッグの中身を調べもしなかったわよ」

「お前にはできないよ。するつもりもないだろう」
「変わってないわね、フィデル。今も自信満々ね! あなたがキューバのために成し遂げたことは素晴らしいと思っているわ」
そう言うとロレンツは、ベッドに腰をおろして気を落ち着け、いよいよ意を決し、本題に入った。
「どうしてここに来たかわかる、フィデル? この二年間というもの、あなたのことをずっと考えていたわ。私はその間、軍の施設でキューバ難民の世話をしていたのよ。そこで死んだ人たちのことを思うと、涙が止まらないわ」

「何があったんだ?」とカストロは聞いた。
「どうしてあんなに多くの難民をアメリカに送り込むの?」
「食料が不足しているし、刑務所も定員オーバーだ。みなの面倒をみることはできない」

「フィデル、600人の子供が・・・」
「反乱分子の子供、必要とされていない子供、私が養うことができない子供だ」

「いいわ。そうだとしても、彼らがアメリカでどんな目に遭ったかわかる?」
自分が見放した子供たちが、アメリカでもっと悲惨な境遇にいる――そう聞いて、カストロは一瞬、言葉を失った。ロレンツの隣に腰掛け、目を大きく見開いて「どうなったんだ?」と聞いた。

▼エピローグ9
感情があふれ出し、ロレンツは一気にまくし立てた。
「自殺した難民のいったい何人が、最期にあなたの名前を呼んで死んでいったかわかる? 肌の色が違うという理由で殺された難民がいるのを知っている? 私はあなたを糾弾するために来たのよ。私はあなたに、私が感じたように苦しんで欲しいの。あなたの名前を呼びながら私の腕の中で息を引き取った子供の苦しみを感じて欲しいの。“フィデルに愛しているって伝えて”と、自殺した16歳の男の子が血で書いたシーツをあなたに渡したいの。あなた宛よ。あなたが見捨てた子供の一人からよ。あなたを殴ってやりたかったわ。この二年間、私が流した涙をあなたの目からも流させたいわ。悪いキューバ人もいれば、いいキューバ人もいたわ。でもみんな、キューバの血が流れていたのよ。600人の孤児、それに独身男性や家族たち。彼らはあなたのキューバ人だったのよ。フィデル! あんなに多くの人々を追放するなんて、キューバはいったいどうなってしまったの?」

隣に座ってじっと聞いていたカストロは、ロレンツの話が終わると立ち上がって、言った。
「彼らは国を出たがったので、行かせてやったのだ」
「あなたが間違ったことをやったのかどうかはわからない。私はただ、私が覚えている多くの、多くの子供たちの言葉を伝えたいの。撃ち殺された小さな男の子たちのことを伝えたいのよ。彼らに対する虐待のこともね。私が言わなければ、あなたは一生気づかないままだわ」

「私の閣僚評議会と話をするかい?」
「やめてよ。あなたがキューバでしょ!」

カストロもようやく、事態の深刻さを理解したようであった。少なくとも、ロレンツの言葉に突き動かされたことは確かだ。カストロは無言のままロレンツの顔を見つめ、手をつかんだ。

「お前の子供たちをキューバに連れておいで。家はある。すべてを揃えておこう」
「今となっては、子供たちも付いて来ないでしょうね。もう大きくなったし、観光でなら来るかもしれないけど。それよりフィデル、私にはもう一人、私の手で育てられなかった男の子がいるはずよ。あなたのもとにね。その子のことについて教えてちょうだい。知りたいのよ、フィデル。私の心にはポッカリと大きな穴が開いているわ。あなたが私の母との手紙のやりとりで、私とあなたに似た男の子の写真を送ってきたのを知っているわ。その子は今どうしているの?」

カストロは部屋の中を歩き回りはじめた。明らかに動揺しているようであった。ロレンツはたたみかけた。「教えて。私たちの男の子のことを。あなたと私の血が流れている子供のことを」
「キューバで生まれた子はみな、父親のものだ」
「答えになっていないわ。それはあなたが作った革命法の話でしょ。どの子供にも母親がいるわ」

カストロはこぶしを握り締めた。ロレンツが子供のことを持ち出したことで機嫌が悪くなったようであった。ロレンツはこれ以上怒らせてはまずいと思い、言葉を補った。
「子供に会いたいの。生きているの? お願いよ、フィデル!?」
「あの子はお前のものではない。キューバの子だ」

▼エピローグ10
「ちょっとだけでも会うことはできない? それとも国際的な事件がお望み? 私は明日銃殺にされても構わないわ。ただ、彼が元気で生きているか知りたいのよ」とロレンツは言った。
「もちろん! 彼は元気で生きているよ」

「わかったわ。私の望みは彼に会いたいだけ。彼に会いたいわ、フィデル。それは母親の権利よ」
「お前にはほかに二人の子供がいるだろう。この子は必要ないはずだ」

カストロは腹立たしげにドアの方に歩いていった。ロレンツは出て行こうとするカストロの腰にすがりついた。
「フィデル、お願い。教えてくれるだけでいいの」
ロレンツは泣き出していた。

「マリタ、あの子を国外に連れ出させるわけにはいかないんだ」
「フィデル、アメリカに連れて帰るつもりはさらさらないわ。会うだけでいいの。せめて一目その子に会わせて。そうしたら帰るわ」

カストロは答えずに、バルコニーに出て葉巻をふかした。ロレンツもカストロの後からバルコニーに出た。「私は女よ。母親でもあるわ。あなたの命を救ったこともある。取引をしたいだけ。息子に会わせて。そうしたら二度と迷惑はかけないわ。私たちのことがアメリカのマスコミに書かれてしまったことは謝るわ。アメリカのマスコミはいつもこうなのよ」

カストロはずっと黙ったまま、考え込んでいるようだった。カストロとロレンツはしばらく、CIAのことや、ロレンツの娘のことについて言葉を交わした。やがてカストロはロレンツの腰に腕を回し、ロレンツはカストロの肩に頭をあずけた。だんだん心が打ち解けて来るようであった。

カストロが口を開いた。「マリタ、階下にいた老人が息子のことを話してくれるよ」
「私たちの息子よ」

「彼は元気だよ。だが私の息子だ」
「わかったわ。一目会いたいだけなの。それ以上は求めないし、今後連絡を取ることもしないわ。だから彼に会わせて」

カストロはロレンツの肩に手をかけ、ロレンツを抱きしめて言った。
「一度だけ、彼に会わせよう。彼はいい子だ。彼は医者だ。お前も誇りに思うだろう」
「医者ですって?」と、ロレンツは思わぬ言葉を聞いて、涙があふれてきた。「何の医者なの?」

「小児科の医者さ」
「私がなりたいといつも思っていた職業よ」

「彼はいい子だ。階下にいた老人が育ての親だ。ちょっと待ってくれ」
カストロはそう言うと、ドアを開け放したまま部屋から出て行き、隣の部屋に向かって「アンドレ!」と叫んだ。
「アンドレですって?」
ああ、それが息子の名前なのだ、とロレンツは思った。

▼エピローグ11
アンドレはおそらく休んでいたのだろう。慌てふためいた様子で部屋に入ってきた。ロレンツにとって赤ん坊の泣き声の記憶しかない息子は、成人した長身の若者になっていた。白い肌に黒のカーリーヘア。カストロそっくりの鼻に、ロレンツに似た目と口。一目で自分の子だとわかるアンドレが、ズボンのジッパーを上げながら、そしてベルトをズボンに通しながら母親の目の前に現われたのだ。ちょっと滑稽な出会いであった。

「紹介したい人がいるんだ」と、カストロが息子に言った。
ロレンツは再びアンドレをまじまじと見つめた。カストロの面影。22年前の記憶。涙が止まらなくなった。

カストロはドアを閉めると、再びアンドレに向かって「この人だよ」とでも言うようにジェスチャーでロレンツを示した。

アンドレは姿勢を正し、礼儀正しくロレンツの手を取り挨拶した。
「はじめまして」
ロレンツは相変わらず、さめざめと泣いていた。すかさずアンドレが言った。
「ああ、セニョーラ、どうか泣かないで下さい」

ロレンツはアンドレをただ抱きしめた。アンドレは戸惑っていた。「この女性は頭がおかしいのか? なぜこんなにも泣きながら、私を抱きしめるのだろう」といぶかしがっているようだった。

カストロは一度、二人から遠ざかり、再び戻ってきてアンドレに告げた。
「お前の本当のお母さんだよ」

アンドレは明らかに驚いた様子だった。実の母親との初めての出会い。父親から話では聞いていた母親が急に目の前に現われたのだ。一瞬アンドレは凍りついたようになった。

やがて、アンドレは口を開いた。
「お母さんと呼んでもいいですか?」

ロレンツにとって、それは願ってもない申し出であった。
「もちろんよ。あなたに会いたかった。あなたのお父さんが会わせてくれたのよ。あなたの人生を邪魔するつもりはないわ。ただ一目会いたかったの」

「パパが以前、話してくれました。会えてうれしいです」
「私はあなたに会ったことがないのよ。オムツを替えたこともなければ、おっぱいをあげたこともない。私は薬を注射されて、連れ去られたの。私はあなたが死んだものだと思ったわ。私にはほかに二人子供がいるの。男の子と、とてもきれいな女の子よ」
「えっ! 本当ですか?」

ロレンツはアンドレの顔を両手で包み込み、見つめた。
「こんなに立派に育ってくれて、うれしいわ。それ以上、言葉が見つからないわ」
アンドレが答えた。
「大丈夫です! 何も言わなくても。あなたに会えて本当にうれしいんですから。パパから聞いています。でも僕には別の両親もいるんです。階下にいる老人は大学教授です。私は軍人ではなく、医者になりました。命を救いたいんです。僕もパパも、その仕事を誇りにしています」

ロレンツはベッドに座って、アンドレに言った。
「あなたにあげたいものがあるの。母親らしいことは何もして上げられなかったから、その埋め合わせをしたいの。何かあげなくっちゃね」
「そんなことはいいです。何でも持っていますから」

ロレンツは息子に会えるかもしれないと思って、テープレコーダー、ポラロイドカメラ、ジーンズ、スニーカーをスーツケースに入れて、持ってきていた。目ざとくポラロイドカメラを見つけたカストロが、ロレンツとアンドレに割り込んできて言った。
「いいだろう。アンドレにはテープレコーダー、そして私にはカメラだ」
奇跡のような笑顔が3人を包み込んでいた。

▼エピローグのエピローグ
数奇な半生を送ったロレンツの物語も、幕を閉じるときが来たようだ。ロレンツの自伝は、この3人の団欒の場面で終わっている。そのため、その後ロレンツたちの間でどのような会話が交わされ、また別れがあったかなどの詳細はわからない。おそらくは、息子とカストロに最後の別れを告げて、そのまま後ろ髪をひかれるようにして、二人の子供が待つアメリカへ戻ったのだろう。

その後のロレンツの足取りについては、点と点をつなげるような断続的な情報しかない。しかし、その中でも特筆すべきは、スタージスの上司である元CIA情報部員ハワード・ハントの民事裁判で果たしたロレンツ証言の役割であろう。

きっかけは、右翼雑誌『スポットライト』が報じたケネディ暗殺事件に関する記事であった。ハントがケネディ暗殺事件にかかわっていたと報じたのだ。これが闇の勢力によるトカゲの尻尾きり作戦の一貫であったのか、あるいは独自取材による本当のスクープであったのかはわからない。

怒ったのは、ケネディ暗殺犯呼ばわりされたハントであった。ハントは早速、発行責任者である右翼団体「リバティ・ロビー」を相手取り、名誉毀損の民事裁判を起こした。ハントがケネディ暗殺事件に関与していたかどうかを審議する前代未聞の裁判である。

メディアが注目する中、1985年2月6日に判決が下された。その判決は、意外であると同時に衝撃的であった。陪審員は被告のリバティ・ロビーの勝訴とし、ハントの訴えを退けたのだ。その際、陪審長のレスリー・アームストロングは被告側が提示した証拠により、CIAがケネディを殺し、ハントがその中心的役割を果たしたと確信したとの意見を述べている。そして、その決定的な証拠の一つが、ハントが反カストロ暗殺団とともにケネディ暗殺直前にダラスにいたとするロレンツ証言であったのだ。

その8年後の1993年、ロレンツはカストロからケネディに至るスパイ活動と愛の遍歴を描いた自叙伝『マリタ』を出版、話題となった。日本でも1997年に訳本『諜報員マリータ』が出版された。

しかし、ロレンツのその後のことはよくわからない。筆者も手を尽くして、ロレンツとコンタクトを取ろうとしたが、今どこで何をしているのか皆目わからない。1997年ごろまで、メリーランド州ボルチモアで、姉のヴァレリー・ロレンツが経営するギャンブル依存症患者の矯正施設で働いていたことが知られている。

その後ロレンツは、森の中の庭付きのコテージで暮すことを夢見て、ニューヨーク州北部か、ヴァーモント州に移り住んだとも聞く。

1939年8月18日生まれのロレンツは、現在も生きているとしたら66歳になる。

ロレンツが若いころからあこがれていた「平凡な暮らし」を、ようやく手に入れることができたのであろうか。
(了)

▼ロレンツ証言に関する筆者の考察
ロレンツは歴史の生き証人だ。カストロのキューバ革命、ピッグズ湾事件、ケネディ大統領暗殺、弟のロバート・ケネディ暗殺、ウォーターゲート事件、下院のケネディ暗殺調査特別委員会、キューバ難民問題――。波乱の60年代、70年代に次々と起きた歴史上の事件、出来事に少なからぬ関係があった。ロレンツの生涯は、あの歴史とともにあったのだ。

 しかし、ロレンツの証言についての評価は、意見が分かれている。事実、下院暗殺調査特別委員会でのロレンツ、最後には委員らにより執拗に揚げ足を取られたことは紹介したとおりだ。この後、実際にロレンツの証言を補強する決定的な物証、特に写真が提出されたという記録はなく、最終的に委員会はロレンツの主張を裏付ける証拠は見つからなかったという結論に達っしたようだ。

 確かに、オズワルドを目撃したという日時以外でも、ロレンツの発言には矛盾やはっきりしていない点が目立つ。ロレンツは、ノートに記した陳述書ではダラスでハワード・ハントがモーテルに来たと明言しているが、委員会の証言ではハントのことをはっきり見ていないと言葉を濁す。だが、その後のハントの民事訴訟での証言、それに九三年に出版された自伝を見ると、ダラスのモーテルでケネディが暗殺される前日の二十一日にハントを四十五分から一時間も見かけたと断言しているのだ。さらに、ダラスに向けマイアミを出たのは、陳述書では真夜中過ぎであると主張しているのに、証言では昼間出発したとしている。暗殺前、ロレンツがダラスに何日までいたかについても、証言では十九日前後、その後のハントの裁判や自伝では暗殺前日の二十一日までいたことになっている。

 それでは、ロレンツの証言は、委員会の結論のように、信じるに足るものではなかったということなのか。彼女はウソをついたのか。筆者はそうは思わない。ロレンツ自身が言っているようにウソをついて得することは彼女には何もない。偽証をしてまで証言する必要など全くないはずだ。多くの矛盾点はあるものの、大筋では話の内容は一貫しており、むしろ、その大筋こそ、研究家は注目すべきではないだろうか。

 委員会で一番問題となったロレンツのオズワルドをめぐる発言に関しては、いくつかの仮説が成り立つ。一つ目は、ロレンツがオズワルドと似た別の人物をかってに彼だと思い込んでしまった、という仮説。しかし、これだと、名前まで一致するはずがない。

 二番目の仮説は、オズワルドの影武者、つまり何らかの極秘作戦を遂行するためCIAが"オズワルド"の替え玉を複数用意していた、というものだ。

 オズワルド複数説を採る研究家は多い。というのも、六〇年一月三日付けのFBIの捜査記録には、オズワルドの出生証明を使った詐欺事件の可能性があるとの記述が出てくる。次にオズワルドがソ連にいたとされる六一年一月二十日には、オズワルドと名乗る男ががっちりした体格のラテン系の男と車の販売店に現れ、「民主キューバの友」という団体のためのトラックを探していた。六三年十一月一日、ウォーレン委員会がオズワルドはダラスで働いていた証拠があるとした日には、オズワルドとみられる男が、フォートワースの銃器店に来て武器を購入している。極めつけは、ケネディ暗殺の約二カ月前、オズワルドと名乗る男がメキシコのキューバ領事館とソ連大使館を訪れたことだ。ところがCIAがメキシコに現れたオズワルドだとした写真は、オズワルドとは似ても似つかない体格の男だった。

 こうしたオズワルド替え玉説主張者の中に、元CIA工作員、ロバート・マローもいる。マローによると、オズワルドの替え玉には少なくとも、外見の替え玉であるセイモアと、声の替え玉であるエチェヴェイラの二人がいた。メキシコでオズワルドを名乗った男は、エチェヴェイラであったため、出回った写真がオズワルドと似ていなかったのだ。

 オズワルド複数説をロレンツの証言に当てはめると、一九六〇年と六一年に見たのはマローの主張するセイモアであった可能性が出てくる。場合によっては、ダラスに同行したオズワルドもセイモアであったかもしれない。ロレンツが出会ったオズワルドが無口であったことも説明がつく。おそらくセイモアは声が本物のオズワルドに似ていなかったのだろう。

 しかし、ロレンツは写真を見た上で自分の会ったオズワルドと同一人物だと断言しているわけで、双子でもない限り(オズワルドにはロバートという兄か弟がいるが、双子ではない)、ロレンツがセイモアとオズワルドを間違える可能性は低いように思える。

 第3番目の仮説は、ロレンツの勘違いだ。ロレンツ自身が後に、オズワルドに会ったことを証明する写真が撮られたのが六〇年ではなく、六三年八月か九月であると訂正したように、オズワルドに会ったのはピッグズ湾事件の前ではなく、六三年であったという可能性もある。証言の後十年以上経った九三年に出版された彼女の自伝『マリタ』にも、六三年にオズワルドに会った記述しか出てこない。記憶があいまいになって、混乱したとも解釈できる。

 第4番目の仮説は、すでに紹介したが、ソ連にいたはずのオズワルドが実はフロリダで訓練を受けていたというもの。オズワルドが何度かソ連から帰国していたにもかかわらず、偽のパスポートを使うことなどによりCIAがオズワルドの渡航記録を都合のいいようにでっち上げていたかもしれない。オズワルドと名乗る替え玉をソ連に送り込むことによって、あたかもオズワルドがソ連に滞在したかのように工作することも十分に可能だ。

4つの仮説の中で私は、2番目の仮説と4番目の仮説が真実に近いのではないかと思っている。オズワルドの替え玉がいたことは、マローの証言からもほぼ間違いないだろう。CIAは綿密に、極秘作戦に必要なオズワルドという人物をつくり上げていった。オズワルドと名乗る人物をソ連に送り込んだのも、CIAの作戦の一貫であろう。共産主義に染まった狂信者をつくり上げ、何かの工作事件の際には犯人にでっち上げる。

ケネディ暗殺事件ではまさに、オズワルドが犯人にでっち上げられた。オズワルド本人はまさか自分がケネディ暗殺犯に仕立て上げられるとは思っていなかっただろう。オズワルドが逮捕後に漏らしたように「おとり」、もしくは「かも」にされたのだ。

 いずれにしても、ロレンツが持っていたとするオズワルドの写真が見つかれば、ロレンツ証言の信ぴょう性が飛躍的に増す。しかし、ロレンツからFBI捜査官に渡されたとされる写真が見つかったという報告はなく、ピノに渡したもう一枚もピノとともに消滅した。推測するに、ロレンツはほかのだれよりも、その写真の危険性を認識していたのだ。

 ケネディ暗殺事件に関してCIA関与説を採る研究家は多いが、同じCIA関与説でも、マリタ・ロレンツとロバート・マローの証言は、自分の体験に基づいているだけに別格である。ここではマローの証言について深くは説明しないが、二人ともCIAのスパイ、そして工作員として間接的ではあるが、ケネディ暗殺に関与した計画・実行犯グループの一員といえるからだ。

 二人はおそらく面識はないとみられるが、二人の証言は驚くほど一致するばかりか、実に完璧に補完し合っている。一致する部分では、二人ともCIAが暗殺の背後にいることを認識した上で、亡命キューバ人とマフィアが関与していたと断言。CIA情報部員、ハワード・ハントが暗殺にかかわったとするロレンツに対して、マローもハントの関与を臭わせている。

 補完し合う部分では、マローはケネディ暗殺に使われたイタリア製ライフル四丁を調達。ロレンツは、ライフル三、四丁をマイアミからダラスに運び、おそらくは暗殺を実行したであろうグループと行動を共にしていた。

ロレンツは、ハント直属の部下であるフランク・スタージスと親しく、オペレーション40の仲間であるが故に、実行犯グループと極めて近いところにいた。

一方マローは、ハントが実行犯グループと関係あることを薄々感じながらも、だれが実際にケネディを撃ったのかは知らない。しかし、ハントの上司であるトレイシー・バーンズやチャールズ・キャベルといったCIA上層部が暗殺計画に関与していた可能性に気付いている。つまり、実行犯と接点を持つハントの風上をマローが、風下をロレンツが見事に証言で描いて見せてくれるのだ。

 もちろん、二人の証言の中にも矛盾がないわけではない。しかし、部分的にそうした矛盾はあるものの、二人の証言は全体的にみれば実に具体的で説得力がある。また、矛盾点もロレンツの記憶違いやCIAによる手の込んだ工作などで説明することができることはすでに述べた。それから考えると、彼らの証言は真実であり、唯一最大の矛盾点があるとすれば、それは彼らが殺されずに、よくここまで真実を伝えることができたということだろう。
(了)


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