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天の王朝

ハーバード経済日誌

猫

☆ハーバード経済日誌
●「冬」
暗い感謝祭

 ハーバードの学生生活は素晴らしい。おそらく経験しただれもが「もう一度来たい」と思うのではないか、ただしもう一つ付け加えるとしたら「あの冬だけはごめんだけどね」となるかもしれない。確かにボストンの冬は厳しい。その冬の厳しさと、勉強の厳しさが重なって精神的に参ることもある。ルービン米財務長官(当時)が九六年冬、ハーバードに講演に来たときも「ここに来ると学生時代の冬の重苦しさ、特に11月末のサンクスギビング(感謝祭)の時のペーパーの締め切りに追われた、ずっしりとした暗い気持ちを思い出すよ」と言って、学生たちを笑わせた。それほどハーバードの冬は学生にとって寒さと勉強の忙しさが身にこたえる。
そういう暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるのが、友人のジョークだ。感謝祭の休暇が終わり、私が宿題や期末試験の準備に忙殺されカフェテラスで落ち込んで(少なくとも周りからはそう見えたらしい)いると、国連から一年間ハーバード大学に勉強に来ているシンガポールのクラスメートがやって来て、「元気を出せよ」とばかりにとっておきのジョークを披露してくれた。以下、そのジョークを紹介する。

(ジョーク1)
 ハーバードでも非常に有名なX教授がいて、学生たちは皆、その名物教授の授業を受けたがる。ところがそのX教授は気難しいのが難点で、ちょっとでも宿題を忘れていたり、予習を十分にやっていない学生がいると、授業を打ちきりにするという評判だ。学生たちはX教授にその素晴らしい授業をちゃんとやってもらえるか気が気でない。X教授の授業の初日、もちろん学生たちは大量の宿題や予習を授業の前までに必死に終わらせていた。
 張りつめた雰囲気の中、X教授が教室に入ってきた。X教授はいきなり学生に聞いた。
 「皆、今日の授業のための予習をちゃんとやってきたかな?」
 「もちろんやってきました。教授」と学生たちは即座に答えた。
 「すると今日授業でやることはクラスの全員が理解したと考えてよろしいかな?」とX教授。
 「そうです。ちゃんと予習をやっていますのでクラスの全員が理解しています」と学生たちは声をそろえて答えた。
 それを聞いたX教授は「では私が教える必要はない」と言ってさっさと教室から出て行ってしまった。
二日後、再びX教授の授業の日がやってきた。気難しいX教授が教室に入って来るや、学生たちに緊張が走った。案の定、X教授は「皆ちゃんと予習をやって理解したかな?」と聞いてきた。
 前回、皆が理解したと答えてしまったため授業を受けられなかった学生たちは今度は「いいえ教授、予習はしましたが、よく理解できませんでした」と答えた。
それを聞いたX教授は急に不機嫌になり「予習をしても分からないようなら、君たちには私の授業を受ける資格がない」と言って、怒って教室を出て行ってしまった。
 三回目の授業の日がやってきた。X教授は同じ質問をした。何とかX教授に授業をしてもらいたい学生たちは策略を巡らし、クラスの半分が理解したが、残りの半分は理解できなかったと答えた。
 するとX教授は次のように言い残して教室を出て行った。
 「ではクラスの半分が残りの半分に教えるように」

(ジョーク2)
試験前の最後の授業。学生たちは何とか試験の傾向をつかまえようと目が血走り、Y教授の言うことを一言一句漏らすまいと意気込んでいた。そこへ意地の悪いY教授がニコニコしながらやって来て、みんなにこう告げた。
 「よい話と悪い話がある。よい話とは今日で授業も終わりで、もう君たちはつらい予習や宿題をしなくても済むということだ」
 Y教授はここで一呼吸置いて続けた。
 「悪い話とは、みなさんには悪いが今まで教えたことの半分は間違いだったことだ」
 驚き、ざわめき立つ学生を後目にY教授はさらに続けた。
 「もっと悪いことに、どの半分が間違っているか分からないのだ。試験での健闘を祈る」

●「秋」
エール大学 vs ハーバード大学

 審判が試合終了の合図をすると、大歓声とともに観客がスタンドからグランドになだれ込む。もみくちゃになる深紅色のジャージーを着た選手たち。グランドのあちこちで「勝ったぞ」の声ー。まるでサッカーのワールドカップで優勝したような騒ぎだが、これは毎年11月恒例のハーバード大学とエール大学との間で行われるアメリカンフットボールの試合終了場面だ。日本でいえば野球の早慶戦みたいなものだろうか、学生だけでなく普段はスポーツなどとは縁遠いような教授もスタジアムに駆けつけて熱狂する。ハーバード側からみれば「あの宿敵エールをやっつけろ」というわけだ。それほど両校は強いライバル意識を持っている。
 このライバル意識はもちろんスポーツに限ったことではない。ハーバードで生活しているとむしろ日常会話の端々にも現れるから面白い。NBCやCBSの元記者でハーバード大学教授のマービン・キャルブが授業中、ある人物の話になったときに「あいつはあの下の方(Down there)の出身だからな」と床の方をさして軽蔑したように言い放ったことがあった。我々がきょとんとしていると、間髪置かず「エール出身だよ。あの下の方のな」と再び床を指さした。確かにマサチューセッツ州にあるハーバードからみればコネチカット州のエール大学は下(南)の方ということになるのだが、わざわざ「下」を強調するところが、ライバル意識をよく表している。
 エールではハーバードのことを何と言っているのか。まさか上の方(Up there)と言わないことだけは確かだが、その一端を知る機会が間もなく訪れた。ハーバードを卒
業後、ワシントンDCのあるパーティーで自己紹介をしたところ、一人の米国人が私に歩み寄って来るなり「お前はハーバードを出たのか。あんなひどい大学でよく勉強できたな。信じられない」とハーバード批判を始めた。私が呆気にとられていると、その米国人は「実は俺はエールの出身なんだ」と打ち明けた。
 もちろん誤解されることの無いように念を押すが、両校がお互い悪口を言うのは、ライ
バルと認めていることの裏返しのようなもので悪意や本当の軽蔑があるわけではない。お互い高いレベルで競い合い、切磋琢磨していこうとの意識がある。ところで、冒頭の私が見た試合、ハーバードが追撃するエールを振り切り26対21で辛勝した。この結果、ハーバードはアイビーリーグ8校中7位の2勝5敗、エールは最下位の1勝6敗となった。
 何のことはない。ことスポーツに関しては、かなり低レベルの競り合いといえそうだ。

●「新学期」
ハーバードの教授法(その1)

 ハーバード、エールなど米国東部の伝統ある名門私立大学八校を、ツタのからんだ古い伝統ある校舎の意から「アイビーカッレジ」、そのスポーツ連盟を「アイビーリーグ」という。ただ一口にアイビーカレッジといっても、その校風や教授法は全く異なるというのがもっぱらの評判だ。私はハーバードの校風しか分からないが、次のようなたとえ話がある。プリンストンでは、教授たちは君たち学生にどこにスイミングプールがあり、どうやって泳ぐかを教えてくれる。エールでは、君たちをプールに突き落とし、君たちが泳ぐのを監視するだろう。ではハーバードではどうか。教授たちは君たちが泳ごうが沈もうが全く気にしないのさ。
 ちょっと極端な話のような気がするが、それでも少なくともハーバードの校風はよくたとえられている。当然のことだが、勉強するしないはすべて自分の責任である。クラスの討論に参加するしないも個々人の自発性に委ねられる。ただコースによっては、討論に参加するクラスパーティシペーションがそのまま成績になるような授業もあるから、うかうかしていられない。しかも討論に参加するには大量なリーディングの宿題をこなさなくてはならない。
 もっとも最近は自由放任の校風も少し変わってきたのかもしれない。又聞きなので確証のある話ではないが、一昔前、ハーバードビジネススクールであまりにも厳しい勉強と学生間の競争で自殺者が出たため、果たして学生を死に追い詰めるようなシステムを教育といえるのかという議論が起き、もっと学生の面倒を見るようにした、という話だ。つまり、沈みそうな人は助けよう、ということだろう。
 私の在籍したケネディー行政大学院も心のケアーを含めた学生のためのサービスは充実していた。たとえば、単位を落として落第しそうな学生がいると分かると、カウンセラーが担当の教授にその学生が何をすれば単位を落とさずにすむか、ある程度、掛け合ってくれるそうだ。年に何人かはそのお世話になるらしい。幸いにも私はカウンセラーのお世話にならずにすんだが、リーディングの宿題やペーパーの作成に埋もれ、おぼれかかったことが一度ならずあったことは事実だ。

●ハーバードの教授法(その2)

 ハーバードの授業でよく驚かされるのは、米国人学生の討論のうまさだ。もちろん全員が全員うまいわけではないが、とにかくだれもかれもよくしゃべる。「自己主張をしない人は見向きもされない」というアメリカ文化を反映しているのか、中には、人の議論などお構いなしに自分の持論だけを延々としゃべり続ける学生もいる。それぞれがかってに目立とうと自己主張するから大変だ。ハーバードで教え方に定評のある教授がよくコンサートの名指揮者にたとえられるのも、自己主張の強い「トランペット奏者」や「バイオリニスト」をうまくコントロールし、討論にある種の調和をもたらす能力があるからだ。ケネディー行政大学院(ケネディ・スクール)でいえば、国際開発のコースを教えているメリリィー・グリンデルなどが名指揮者といえよう。
 こうした「討論に基づく学習」は、ハーバード教育の特徴のひとつに挙げられる。それはひとえに同教育が討論から多種多様な考えを学ぶことがいかに大切かを主眼においているからだ。アメリカは人種のるつぼである。その多様性を認めることなしに、国は成り立たない。
ハーバードはまた、世界中から学生が集まってくる。その文化や慣習から、ものの考え方・見方、論理の展開、暮らし方まで千差万別であるところが面白い。


●ハーバード大教授の給料は?
ハーバード大学の教授となれば高給取りに違いないと学生なら誰もが思うに違いない。それというのも、授業料が飛び抜けて高いからだ。年間の授業料は私が在席した一九九六年度の時点で既に二万ドルを超えていた。ケネディ・スクールだけでも四、五百人の学生がいるのだから、単純計算で八百万ドルから千万ドル(約十億円)の授業料収入がある。教授の数は約四〇~五0人。それから類推して「年収二十万ドルはもらっているはずだ」「いやもっともらっている」など私の友達の間でも話題になったが、誰も確証を持っているわけではない。
 誰が猫に鈴を付けるか。あまり好まれる質問ではないことは承知しなからも、あるパーティーの席上、某教授に給料のことを聞いてみた。その教授は「そうだな。クリントンより少なくて、ヒラリーよりも多いかな」とのたまった。つまり、当時大統領として数十万ドルの年収があるクリントンほどもらっていないが、大統領夫人として無給のヒラリーよりはもらっているよ、というアメリカ人がよく使うジョークがその教授の返答だった。
しかし、ハーバードで教えている教授、準教授、助教授でも実は、テニュアーを持っているかどうかで給料にも大きな差が出てしまう。一説によると、テニュアーを持たない助
教授クラスで、持っているクラス数で違うが、五万ドルー八万ドルの年収だという。ところがテニュアーを取った教授になると、その額が二十万ー三十万ドルに跳ね上がる。だから各助教授、準教授ともにテニュアーを取ろうと必至になる。
 ではどうやったらテニュアーを取れるのか?まず、学生に人気があることが挙げられる。その上で、授業を持ちながらも、自分の研究を進め、優秀な論文を書き続けることだ。
 学生の間で人気があるかどうかの判断材料だが、最近では日本の大学でも導入しているところが出てきたが、ハーバードには学生が教授を評価するシステムが定着している。学生は学期末になると、自分たちの取ったコースを振り返って評価を下す。コースのテーマははっきりしていたかとか、教授の教え方は適切だったか、分かりやすかったかとか、宿題の量が多すぎたかどうかなどを五段階で細かく評価する。その結果は公表され、一冊の「学生のコース評価」という冊子になる。いわば教授に対する通信簿だ。
 たとえば、私が取ったジム・ハインズ 教授の「応用経済分析一〇一」というコースは非常に人気が高く、コースの総合評価は五が最高の五段階評価で四・六七。そのコースを取った学生七十二人のうち実に四十九人が最高の五の評価を付けている。そのほかレクチャーの有効性やクラス討論の質といった項目もそれぞれ四・六九、四・三三とまずまずの評価。ハインズ 教授自身に対する評価も全体的に四・八七と高く、事前準備の程度四・八六、学生の思考を刺激する程度四・六九などと優れた評価になっている。もちろん一回きりの評価で教授が首になったり、コースを降ろされることはまずない。"通信簿"をもらった教授は、その評価をもとに自分で授業を改善することが要求されるのだ。しかし、いつまで経っても改善されない場合は大学の方からその教授に三下り半を突きつけることもあるという。
学生の間で人気があるだけでは、実はテニュアーを取るのに十分ではない。自分の研究発表をさぼっている教授はまずテニュアーをとるのは無理だろう。学生に人気があってもハーバードを去らなければならない教授はたくさんいる。それでもハーバードで教えた経験があれば、別の大学でテニュアーを取ることも容易に予想される。それにハーバード大学で教えている教授レベルになると、おそらく給料を気にする必要はない。一冊本を書けば、印税が続々と入ってくる。特に自分の授業で自分の本を使えば効果てきめんだ。意地悪い見方をすれば、きっと学生の数がお金に見えてくることもあるに違いないなどと思ってしまう。


●2004年11月04日 ハーバード経済日誌(番外)

 誰が見ても「邪悪」なはずのブッシュ・チェイニー一味が再び選挙に勝った。今回はどのような汚い手を使ったのかは知らない。「頭蓋骨と骨」という同じ秘密結社の出身であるケリーが大統領になったとしても、たいした違いはなかったのかもしれない。ただ、ブッシュよりははるかにましなようにみえた。
 アメリカの国民がブッシュを選んだということは、アメリカがあらためて地球を破壊する方向に突き進むということである。環境にせよ、貧しい人々にせよ、中東の人々の命にせよ、アジアの人々の命にせよ、アメリカという帝国を潤すために、地球の貴重な資源は次々と破壊、搾取されていくだろう。これに加担した日本の小泉一味も同じ穴の狢である。
 ハーバード大学ケネディ行政大学院に在籍しハーバード経済日誌を書いていた1996~97年の間、私は親米派であった。ハーバード大学はリベラルな雰囲気に満ちていたし、私もアメリカの可能性を信じていた。自由で平等の民主的な国家であると信じていた。しかし、911テロ後のアメリカ国民の言動やメディアの報道をつぶさに見て私はあきれはて、嫌米・反米派へと転じた。アメリカ人の戦争を支持するあの熱狂は、オウムよりひどい狂信的なカルトにほかならなかった。実際、ブッシュの支持母体ともいえるキリスト教原理主義の実態を見ると、オウムよりも偏狭で、その洗脳の仕方は巧妙で規模が大きく、しかも極めて地球にとって危険・有害であることがよくわかった。ワシントンポスト、ニューズウィークはもとよりニューヨークタイムズといったメディアまでも戦争宣伝機関と化し、恐怖をあおり、戦争への道を突っ走った。かつてリンドン・ジョンソンの嘘を暴き、リチャード・ニクソンをウォーターゲート事件で失脚させ、ペンタゴンペーパーをすっぱ抜いたあのメディアは幻にすぎなかった。
 その予兆はケネディ行政大学院時代にもあった。大学院にも下劣な学生はいた。黒人や中南米系、アジア系学生、同性愛者を排除しようとする誰かが「ザ・シチズン(市民)」という構内新聞に「ヘイトメール(嫌がらせの手紙)」を出したため、授業を一週間近くつぶしてクラスや全校集会で議論するという大問題が起きた。同級生には当時フロリダ州の下院議員であったキャサリン・ハリスがいた。2000年の大統領選でフロリダ州務長官として、可能な限りの不正を働き、民主党支持が多い黒人票を大量に葬り去った張本人である。ハーバードビジネススクールはブッシュがいたところでもある。私の寮はそのビジネススクールに隣接していたが、ビジネススクールの若い学生が羽目をはずして騒ぐ騒音にはずいぶん悩まされた。傍若無人のこうした若者が、アメリカビジネス界を担うリーダーとなっていくのだ。私はその後、ワシントンDCの保守的な大学院である高等国際問題研究大学院にも在籍したが、そこにはキリスト教原理主義に通じるような危険な思想の教授がいた。当時の学長は、今ではネオコンとして悪名高いあのポール・ウォルフォウィッツ(現国防副長官)だった。
 アメリカの狂信カルトの連中は、これからも彼らが言う「善意の戦争」や「正義の戦争」を世界中に撒き散らしていくのだろう。さすが、正統な居住者であるインディアンを虐殺し、バッファローを絶滅寸前までただ殺しまくり、働きたくないという理由でアフリカ大陸から黒人を奴隷として連れてきた連中の子孫なだけはある。アメリカは最初から呪われていたのだ。これからは宇宙に進出して、同じ事を永遠に繰り返すつもりでいるのだろう。そのようなことはなんとしても阻止しなくてはならない。そのようなアメリカは消滅させるしかない。しかしその前に、邪悪な帝国に住む頭の悪い国民が一日も早く、狂信カルトの洗脳に気づくことを祈るばかりだ。

●「授業」
アダム・スミスの見えざる手(その一)
 アメリカ人と日本人を観察すると、一般的にアメリカ人は日本人ほど信号を守らない。アメリカ人は信号が赤でも、安全だと確認すればすたすたと歩いて歩道を渡ってしまう。
車の運転でも、仮に信号が赤でも安全を確認して右折(日本の場合で言えば左折)することが許される場合が多い。これに対し日本人は、すべて杓子定規に信号に従う人が多いようだ。しかも驚いたことに、信号が青になると、安全も確認せずに横断歩道を渡ろうとする人がいる。
ボストンでは冬、大雪になると雪の重みで木が倒れるなどして送電線が断たれ停電になることがある。停電で交差点の信号機が故障することもしばしばだ。日本でもしそんなことが起これば、おそらく利己心と利己心がぶつかり合って衝突や渋滞が起きるだろう。ところがボストンの人は交互に譲り合いながら信号機が点灯していない交差点でもスイスイ
と運転してしまう。つまり、さすが自由主義経済の国アメリカ、政府の規制(信号機)がなくとも、"見えざる手"の力が働いてうまくいってしまうのだ。
 アメリカに来て戸惑うことの一つに、料金が一定でなく、時間が経つに連れどんどん変化することが挙げられる。
 一番端的な例が航空運賃。需要が多いほど値上がりする。逆に需要が少ないと安売りだ。日本でも早めに予約すれば料金が安くなる制度があるが、アメリカの場合、それが徹底してる。たとえば、ワシントンDCとボストンを結ぶ航空運賃は早めに予約した場合、二百ドル程度で済むが、出発日の直前に買うと七百ドル近くすることがある。実に三・五倍の料金格差だ。しかも面白いことに、平日のフライトほど高くなる。日本では週末の方が需要が多いので料金が高くなると思いこみがちだが、アメリカでは週末を利用した便の方が安くなるのだ。これは平日の利用客がビジネス客が多いことに起因している。というのも、ビジネス客であれば、会社が航空運賃を払うため、料金を高くしても比較的利用客の抵抗が少ないからだ。また、旅行客と違って、商売上どうしても、いついつまでにどこどこへ
行かなければならないため、運賃が高くついてもチケットを買わざるを得ない場合が多いのだ。高い料金を払ってでも利用しようという需要があるのだから、航空会社は運賃を高
く設定する。
 全米プロバスケット(NBA)の試合チケットも同様だ。シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンが出る試合は三十ドルのチケットも二百ドルに上昇するのが常だった。しかも高値で売ってもそれは違法ではない。そういうチケット市場がちゃんとできている。
 日本では法律違反となるダフ屋が米国では半ば公認となっているのも、実はこうした需要と供給のバランスを米国が重視しているからにほかならない。つまりそれだけの金を払う人がいるのだから、その値段で売ればいいという自由市場の発想だ。そしてこの自由市場の発想こそ、かの有名な経済学者アダム・スミスが主張した"神の見えざる手"から来ている。
 この見えざる手とは何なのか。自由競争市場において、生産者(供給者)は見えざる手の力によって消費者(需要者)の望む量を消費者が評価する価格で売ることにより需要と供給を調和させる。その根底にある思想は、政府は産業への保護や干渉を極力少なくし小さい政府を目指す一方で個々人が利己的利益の増大を追求すれば、社会全体が繁栄すると
いうものだ。
そんなに自由放任にしたら大混乱になるのではないかと心配になるが、天文学を学んだこともあるアダム・スミスは、惑星の一つ一つが勝手な軌道を描いても太陽系全体では調和がとれているのと同様に、市場の調和も保つことが可能であると主張した。
 ハーバード・ケネディスクールで学ぶ経済学もやはり、この見えざる手による需要と供給のバランスを理解することから始まる。競争市場では、価格は与えられたものとして、消費者は予算制約のもとで効用が最大になるような行動をとり、生産者は技術的な制約のもとで利潤を最大にするよう行動する。こうした利己的な行動により実現した均衡は、他の誰の効用をも下げずに誰かの効用を高めるような余地のない状態(パレート効率)を作り出すのだ。
 おそらく日本とアメリカ経済の違いはここにある。政府の規制をなるべく排し市場の見えざる手に委ねようとするアダム・スミスの自由市場精神がアメリカに生きているのに対して、日本では政府が市場に介入したがるケースが多いようだ。もちろん自由市場の精神とは自己責任の世界でもある。たとえ日本では信号のせいにするケースであっても、信号
がなくても事故を起こさないようにするのは運転者の責任だ。もちろん、信号はあった方
がいいのは確かだが、信号機を盲信すると痛い目にあうということも覚えておくといいだ
ろう。
 もっとも自由市場精神ゆえに痛い目に遭うこともある。痛い目に遭うと言うより足下を見られると言った方が適切かもしれない。せっぱ詰まっていたのでボストンーワシントンDC間の航空チケット代として七百ドル払ったのも、また、マイケル・ジョーダンがワシントンDCでプレーをするおそらく最後の試合だからという理由で三十ドルのチケットを二百ドルで買ったのも、すべて私の実際の体験に基づいている。

●デービッド・リカードの法則
ハーバードといわず、どの大学でも貿易論を勉強すると必ず出てくるのは、デービッド・リカードの比較優位の法則だ。
リカードは英国ロンドンに生まれ。ユダヤ人移民の証券業者の息子で、早くから独学で株や債券で儲けて一財産を築き上げた。二十七歳でアダム・スミスの「諸国民の富」を読んでからは、ロンドンの学界と政界に飛び込み、英国経済についての鋭い洞察とその理論を論文などとして発表するようになった。その理論の一つが比較優位の法則だ。
 アダム・スミスが、ある種類の製品が自国より優れている場合はその国と貿易すべきで、あらゆる製品で自国より劣っている国とは貿易する必要がない、とした絶対優位の法則を打ち立てたのに対し、リカードはあらゆる製品で自国より劣っていても、その国と貿易をするべきだということを証明した。「生産費などの点で、ある国が他の国に比較して優位であることで、これにより国際分業が成立する」ということなのだが、もっと簡単に言うと、「何でもできる人(国)が何でもやってしまうのは有効ではない」ということだ。
 分かりやすい例を挙げよう。ある隣接する二つの国、阿国と伊国があり、阿国の人は魚を一匹釣るのに一時間かかり、ラジオを一台つくるのにも二時間あれば事足りる。ところが、伊国の人は魚を一匹釣るのに一時間半かかる上、ラジオ一台つくるのも四時間半かかってしまう。魚もラジオも多いほど両国の生活は豊かになる。アダム・スミスの理論から言えば、阿国の方が伊国よりも絶対優位の立場にいるため、阿国の人は両方をやり、伊国と仕事を分け合う必要がないことになる。ところがリカードはそうは考えなかった。両国が仕事を分担した方がずっと経済効率がよく、生活は豊かになると主張したのだ。
仮に両国が、魚釣りとラジオの製造に時間を均等に使ったとする。阿国の人は一日の労働時間十時間のうち五時間を魚釣りに、五時間をラジオの製造に使うと、一日で五匹の魚を釣り、二・五台のラジオをつくることができる。十日間ではそれを十倍して魚五十匹が釣れ、ラジオ二十五台ができる計算だ。伊国は一日の労働時間十八時間(伊国の人は仕事が好きで労働時間が長いことで知られている)のうち九時間を釣りに、九時間をラジオ製
造に使うとすると、一日で六匹、十日で六十匹の魚を釣り、ラジオも一日で二台、十日で二十台製造することができる。合計すると、両国は十日間で百十匹の魚を釣り、四十五台のラジオをつくることができることになる。
 それではリカードがいうように阿国、伊国それぞれがどちらかに特化した場合、どうなるだろうか。阿国が一日十時間をすべてラジオをつくることに専念し、伊国が一日十八時間をすべて魚釣りに専念したとしよう。十日間では阿国は五十台のラジオを製造することができ、伊国は百二十匹の魚を釣ることができる。つまり両国の人は全く同じ時間作業しても、特化した場合の方が魚で十匹、ラジオで五台も、多く釣ったり製造したりすることができるのだ。当然、両国が交易すれば人々の生活は豊かになる。
では、阿国が魚釣りに、伊国がラジオ製造に特化した場合、どうなるのか。結果は、魚が百匹、ラジオが四十台と両国全体の漁獲・生産高が低下する。これは、阿国は漁業、ラジオ製造とも伊国に比べて優れているが、伊国が一匹の魚を釣るのに一台のラジオをつくる三分の一の時間でやってしまうのに対し、阿国は二分の一も時間を費やしてしまうからだ。逆に阿国は一台のラジオをつくるのに一匹の魚を捕る時間の二倍でやってしまうのに対して、伊国は三倍もかけてしまう。別の言い方をすると、阿国はラジオ一台をつくるのに魚二匹をあきらめればいいのに対して、伊国はラジオ一台つくるのに魚三匹も犠牲にしなければならない。ならば伊国は魚を捕った方が阿国に比べて犠牲が少ないということになる。つまり、阿国は伊国に対してラジオをつくることに関して、伊国は魚を釣ることに関して、それぞれ比較優位の立場にいる。その国が比較優位にある産品に特化すれば、生産高が向上するというのが比較優位の法則なのだ。
 リカードはこの法則を用いて十九世紀初頭のイギリスとポルトガルの貿易の必要性を主
唱した。ポルトガルは毛織物(ラシャ)とワイン両方においてイギリスよりも生産性が高いが、ポルトガルは毛織物よりもワインをイギリスより効率的に生産できる。このことからポルトガルはワインに、イギリスは毛織物に特化した方が経済効率がよくなることを説明した。リカードの国際分業論は、アダム・スミスの自由放任主義の主張を受け継ぎながらスミスの理論を修正・補強することによって自由貿易主義を推進、十九世紀後半のイギ
リスにおける貿易理論の主流となった。
 ハーバード・ケネディスクールの学生生活でも、この法則が非常に活きてくる。授業ではグループで作業することが多いからだ。クラスでの発表でも、何かの宿題でも、四,五人のグループで担当を分担して行う。一人がコンピュータをつかったグラフづくりが得意ならその人がそれを担当、もう一人が文章を書くのが得意ならその人が文章を仕上げる。データ分析の得意の人はデータ集積から解析まで責任を持つといったようにだ。すると、とても一人ではできない分量の課題や宿題もあれよあれよといううちに出来上がってしまう。
 もっとも問題点も大いにある。まず最初にグループとしてのテーマ・課題や方針を決めるのに"膨大な時間"がかかる上、いざ決まってからも、皆が皆、勤勉な学生ばかりではないからだ。自分の分担をやらない不届き者も必ず現れる。その場合、アダム・スミスの絶対優位の法則が懐かしくなってくる。

●トマス・マルサスの悲観論とインターネット
ハーバード大学で授業を取る祭、聴講する学生がどれだけいるかということは、授業を取る決め手になりうる。もちろん多いか少ないかで授業を取るか取らないかの判断は人によって違う。他の学生の間に隠れて、宿題をあてられたり、発言を求められたりするのを避けようとする人は受講学生が多いクラスを取ろうとするだろう。逆に教授と討論をするのが好きで、宿題が大変だが密度の濃い授業を好む学生は少人数のクラスを取ろうとするだろう。
 おそらく前者は、フランス革命の時代に「人口の増加は社会全体の幸福を増大させる」と主張したイギリスの思想家ウィリアム・ゴドウィンやフランスの政治学者マルキ・ド・コンドルセの思想の流れを汲み、後者は「人口の増加は世界的な貧困を招く」としたトマス・マルサスの思想の流れを汲むのかもしれない。
 アダム・スミスの経済理論の流れを引き継いだ経済学者の中で、一番最初に人口問題を取り上げたのがトマス・マルサスだ。
 学生の数が多いとどうなるか?教授の注意が学生全般に行き渡らず、授業の質が低下する。また、あまりに多くの学生がいることから学生同士のおしゃべりに夢中で授業に身が入らないこともあるだろう。つまり物理的に限られた教室には、それに見合った学生数があるわけだ。それを超えて過剰になると、効率面で学生数と授業のアンバランスが生じると考えてもおかしくない。
 マルサスはそれと同様なことを人口と食料について考えた。しかも人口問題はもっと深刻だった。何故なら人口は、大学各学部の意図で制限できる学生数と違い、二倍、四倍、八倍、十六倍などとネズミ算式に増えていくのに対し、食料はせいぜい一,二,三,四,などと算術的に増えるだけだからだ。
 マルサスはアメリカの人口に関するデータを使い、人口は二十五年ごとに二倍になると信じた。それによると、仮に現在一億人の人口が今から二十五年経つと二億人になり、二百年後には二百五十六億人に増える計算だ。これに対し食料は、そう簡単には増えない。仮に現在コメ百万トンの収穫があるとしよう。コメの収穫は二十五年ごとに百万トンしか増えないと考える。すると二百年後のコメの収穫は九百万トンとなる。人口一人当たりで計算すると、最初一人十キロの割り当てがあったのが、二百年後には一人〇・三五キロと約三〇分の一に激減してしまう。マルサスが悲観的になるのも無理はなかった。
 しかし、心配ご無用。マルサスの推論には弱点がいくつもあった。一つは移民の多いアメリカの統計を使ったことだ。マルサスはうかつにも、移民の増加もアメリカで生まれた赤ん坊と同様に扱ってしまった。だから二十五年間で倍になったというのも、すべて出産により増えたのではなく、ヨーロッパからの移民によるところが多かった。二つ目にマルサスは産業革命や農業革命といった技術革新により生産が飛躍的に伸びることも見逃した。さらに、豊かな社会になるほど子供の数が少なくなることにも気付かなかった。統計上、工業化が始まり社会が発展段階にある間は、衛生状態の改善などで段々死亡率が低下し、見かけ上出生率が上がる。やがて都市化が進み、教育も充実してくると、自分の生活をエンジョイしようという気持ちが高まると同時に避妊が行き渡るようになり出生率が低下する。マルサスはこうした人口の変動を見通すことができなかった。
さて現代は技術革新が進んだインターネットの時代だ。もはや一教室に何人学生が適当であるといった議論は必要ないかもしれない。教授が学生一人一人と家庭のコンピュータを使って授業を進めるインターネット型クラスも既に始まっているという。インターネット授業で学生の"人口問題"も克服できるようになったのだ。

●ケインズ経済学
経済史の中でスミス、リカード、マルサスなどの学者を古典派としているが、ジョン・メイナード・ケインズは別の学説を主唱、ケインズ経済学を確立した。見えざる手の力によって小さな政府を目指すのではなく、むしろ国家介入を支持、政府による積極的な景気刺激策を推奨した。
ハーバード大学で経済学を教えていたトッド・G・バックホルツ教授はケインズ経済学を自動車の運転になぞらえた。すなわち、国の経済が弱まれば財政支出の増大や減税というアクセルを踏む。逆に過熱した場合は支出の削減、増税というブレーキを踏む。このように政府が主体となって経済運営をやっていくべきだとケインズは主張した。
 ケインズの経済理論は一九二九年十月のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界大恐慌を脱出する過程で脚光を浴びた。古典派経済学では需要と供給が一致しないと、直ちに市場価格が変化して需要量と供給量が調整されるとした。これに対してケインズは、需要量が供給量を決定(有効需要の原理)するとした。供給が需要を上回っても労働者の賃金が下方に硬直的であるため賃金や価格が下がらない。そのために失業が生じる。その失業を減らすためには、生産物などに対する需要を高め、供給量(雇用)を増やす必要がある。ケインズは一九三三年、当時の米大統領フランクリン・D・ルーズベルトに手紙を書き、自由放任主義の経済を脱却し、巨額の公共支出計画を実施することが必要だと訴えた。それというのも、ルーズベルトが三三年に大統領になる以前の大統領は、「何もしない政府こそ最良の政府」(クーリッジ大統領=在任期間一九二三ー二九年)「神の恩寵により、アメリカ経済が再び回復しますように」(フーバー大統領=在任期間一九二九ー三三年)などと神の見えざる手の完全な信奉者だったからだ。アメリカの国民総生産(GNP)は二九年から三三年までの五年間で千三十一億ドルから約半分の五百五十六億ドルに下落、失業者は三三年には、三人に一人の割合に相当する約千四百万人に達した。
ケインズの"提案"は功を奏した。ルーズベルト大統領はニュー・ディール政策を打ち上げた。米政府は失業対策としてテネシー渓谷開発法(TVA)、農業調整法(AAA)、全国産業復興法(NIRA)などを立法化、連邦政府の権限を拡大し積極的な財政支出策を実行した。それまでの市場の自立性を重視する自由放任主義から転換し、国家の積極的な経済管理を通じて市場を補完、有効需要を創出するという、この政策は成功し、ケインズ理論は広まっていった。
ケインズの理論はルーズベルトの後も脈々とアメリカ政治の中に生き続けた。一九六〇年代のジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン両大統領の時代には、サミュエルソンらケインズ経済学派の学者がブレーンとして経済政策に影響を与え、積極的な財政出動によって失業率が低下、経済成長率も高い伸びを示した。
かつてケネディ大統領は何故減税するのかと記者に聞かれて、「君は一〇一を取ったことはないのか?」と逆に聞き返したことがあったという。この一〇一とは、ハーバード大学で習う経済の基礎コースのことで、現在でもケネディ・スクール経済授業のコース番号になっている。
 ケネディ暗殺後、六〇年代後半に入ると、ベトナム戦争による戦費拡大や社会福祉費の増大で財政支出が拡大し、ケインズ経済学は七〇年代には、インフレを招くとして勢いを失った。しかし、その理論は特に景気停滞期に力を発揮することから、今でもケインズ経済学はキラ星のごとく輝いている。

●消費は美徳か?
現代のアメリカ(もちろんアメリカだけでなく日本も)では、政府は干渉せず、すべて市場に任せるべきだとするアダム・スミス型自由放任主義と、政府は積極的に経済に介入すべきだとするケインズ型経済管理主義が混在している。
スミス型が、資本の蓄積が生産を向上させる原動力になるとして消費よりも節約を重んじたのに対し、ケインズ型は、消費(需要)こそが経済を引っ張っていく原動力になると主張した。もちろん、いずれもある条件下では正しい主張なので、別に優劣をつけるつもりは全くない。消費が美徳であると同時に、節約もまた美徳であるのだ。節約が美徳であるときがあると同様、消費が美徳のときがあるといった方がいいかもしれないが。
アメリカは概して消費は美徳の世界だ。心の優しい私の友達は、太ったアメリカ人を見るたび(見つけるのはそう難しいことではない)に、アメリカの過消費社会の犠牲者であると気の毒がる。とにかくアメリカ人は消費する。雑誌などのメディアを使った大量な広告や刺激的なテレビのコマーシャル、それにどこからともなく大量に送られてくるダイレクトメールの山が消費者を誘惑する。食料品店やショッピングモールへ行けば、バーゲンセールのオンパレードだ。つい買い物袋が一杯になるほど買い漁ってしまう。買い物に疲れると今度は食欲が消費を刺激する。顎の骨がはずれそうなほど大きなハンバーガーをいくつもほおばり、百科事典のように分厚いステーキをペロリと平らげる。そして気が付けば、まるでベルトコンベアーで大量生産されたように、いつの間にか巨大なお腹を膨らませたアメリカ人が次から次へと誕生する。
私の友人はさらに、日本をはじめアメリカに商品を輸出している国はそうした太ったアメリカ人に感謝すべきだと指摘する。なぜならこのアメリカの大量消費社会がなければ政界貿易は成り立たなかったからだ。
 現在の大量消費の歴史は第二次世界大戦直後にまで遡る。大戦でヨーロッパ経済は疲弊し、唯一アメリカだけが国力に勢いがあった。アメリカは他国の経済を助けるため、必要な投資をするとともに、内需主導で他国から製品を買ってやらなければならなかった。アメリカは一九四四年のブレトンウッズ会議で主導権を握ると、マーシャルプランでヨーロッパに対する救済に乗り出す。それ以降、ほぼ間断なく経済援助や軍事援助を惜しまず世界経済を引っ張ってきた。そしてその牽引力となったのが、アメリカの大量消費社会だったのだ。そして、その社会は今でも健在で、アメリカ国内経済はもとより他国の経済をも押し上げている。
 では、日本は何型の社会だろうか?戦後の復興期から高度成長期にかけては、節約を美徳とするスミス型社会が幅を利かせていた。資本社会の発展段階では、生産が需要に追いつかないため、常に生産力の増強を求められる。その生産力増強を図るには、節約による貯蓄、つまり資本の蓄積が不可欠だった。資本の蓄積は投資を生み、その結果、生産力が高まるからだ。しかし、高度成長が続き、資本主義社会が高度に発展した段階になると、生産が需要を追い越し、内需を拡大する必要が出てくると、消費は美徳だとする考えが台頭した。やがてその風潮はバブルを生み、アメリカ並みか、あるいはそれ以上の無秩序な消費時代に突入した。節約は美徳から消費は美徳へと一八〇度転換したわけだ。そしてひずみが生じ、バブルは崩壊した。
 バブル崩壊で消費は美徳という風潮は消え去った。一方で、九〇年代の日本経済は停滞し、ケインズ型の大型財政支出をしなければならない状態が続いた。その最中、橋本首相は財政再建を優先し、九七年に消費税率を引き上げた。つまりスミス型の政策をとった。節約は美徳の政策だ。根拠は九六年の国内総生産がプラス成長だったからだが、これが大誤算だった。九六年がプラス成長でも、これはケインズ型経済対策で公共投資を中心に財政支出を大幅に増やした一時的な成長だったからだ。日本経済を真に支える消費マインドが回復しているわけではなかった。結果、消費税の増税はさらに消費を冷え込ませ、日本経済を本格的な不況に転落させてしまった。もちろん、財政再建は必要不可欠ではあるが、時期が悪かった。このため、不況から脱出するために再び、大規模な財政支出を迫られ、余計に財政を悪化させてしまった。
経済を回復させるため、ケインズは財政均衡を崩してでも財政支出をすべきだとした。しかし、将来の財政状態を考えた場合、財政均衡を保つ必要がある。今日の日本経済にある矛盾は、景気テコ入れのため消費は美徳につながる内需拡大を求める一方で、人々が既に消費は美徳だとは考えなくなった点にある。太ったアメリカ人を見るたびに憐れむべきなのか、感謝していいのか、複雑な気持ちになるのは、このためだ。



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