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天の王朝

驚異のガラパゴス(3)

ボラボラ 写真はボラボラです。

特別企画「ガラパゴスの魅力を紹介」(下)
◎ゾウガメの甲羅から進化論へ
  乱獲で危機に瀕した動物たち

 「アシカも、ゾウガメも、イグアナも人間から逃げようとしないから、素手で簡単に捕まえることができる。この島の動物は何て間抜けなんだ」ー。1535年、ガラパゴス諸島に、偶然流れ着いたスペインの司教、フレイ・トマスは、島の動物の印象をこのように記している。人間を恐がらない性格のために、動物たちはその後何世紀もの間、いとも簡単に乱獲され、ある種の動物は絶滅、他の多くも絶滅の危機に瀕する。ガラパゴス入植の歴史は、動物たちの悲劇の歴史でもあるのだ。最終回となる今回は、そうした人間による乱獲や、チャールズ・ダーウィンが進化論を思いつくきっかけの一つになったゾウガメの話などを紹介する。

「3日目午後:サンタ・クルース」
 この日の午後の目的地は、サンタ・クルース島だ。フロレアーナから約50キロ北にある、人口約1万人の大きな島で、この島のプエルト・アヨーラというガラパゴスで最も大きな町には、目指すチャールズ・ダーウィン研究所と、ガラパゴス国立公園の本部がある。
 我々一行は、ダーウィン研究所に近い桟橋にゴムボートを乗りつけ、上陸した。岸辺にはブラック(黒)・マングローブが生い茂っている。ガラパゴスでは、マングローブはそこらじゅうに茂っており、3日目までには、赤、黒、白、それにボタンの4種類すべてのマングローブを見ているはずだ(メモ1参照)。

▽「米国帰り」に刺激され大繁殖
 ダーウィン研究所は、1961年に設立、公式には64年にオープンした。同研究所はガラパゴス諸島で行われる科学的研究を統括すると同時に、生存の危機にさらされている動植物のデータを集め、データに基づき保護計画を作成・実行する機関だ。
 特にゾウガメを人口的にふ化させる計画は有名。ガラパゴス中の島から危機的な状況にあるゾウガメの卵を集め、ふ化させる。その後、通常、7,8年飼育する。これは、人間により大陸から持ち込まれた犬、ブタ、猫、ヤギといった、ゾウガメの天敵にもある程度対抗できるまで育て上げる必要があるからだ。同時にそれぞれの島では、天敵の数を減らすよう努める。そして、順調に育ったゾウガメは再びそれぞれの島に戻される。
 その一番成功した例が、エスパニョーラのゾウガメだ。1960年代後半にはたった2匹の雄と10匹の雌しか、島にいなくなってしまった。このままでは絶滅してしまうと判断した同研究所は、この12匹をすべて研究所に連れて来て、育てることにした。ところがなかなか、交尾をしない。そこで米国・サン・ディエゴ動物園にいた同種の雄を連れてきたところ、この“米国文化に長く浸っていた”雄が、すぐに交尾を開始。これにつられて他の2匹の雄も米国帰りに負けじと交尾を始めたため、大繁殖。これまでに300匹を超す若いエスパニョーラ・ゾウガメが島に戻され、今では独自に繁殖を始めているのだという。同研究所はほかに、陸イグアナや他の島のゾウガメも同様に絶滅の危機から救っている。

▽悲しいゾウガメの歴史
 しかし、計画がすべてうまくいっているわけではない。手遅れのケースも多いのだ。ガラパゴスにはおそらく14種類のゾウガメがそれぞれの島に生息していたが、少なくとも3種類は、乱獲や人間がもたらした天敵により絶滅してしまった(メモ2参照)。現存している11種の中でも、ガラパゴス諸島の北にあるピンタ島のゾウガメは、乱獲がたたって、現在は一匹しか生存していない。
 その一匹は、研究所で飼われている「ロンサム・ジョージ(ひとりぼっちのジョージ)」だ。サボテンと石垣に囲まれた敷地の中で、ポツンとエサとなる植物を食べている。研究所が総力を挙げて、1万ドルの報奨金まで付け、ピンタ島のゾウガメが世界のどこかで飼われていないか探し回ったが、結局、見つからずじまい。別の島のゾウガメの雌をあてがい繁殖を試みたが、これも成功していない。このまま現在推定60-70歳のジョージが死ねば、また一つ、種族が絶滅することになる。
 この研究所ではまた、ゾウガメを間近で観察することができる。研究所の敷地の中でほぼ放し飼い状態になっているからだ。ちょうど研究所を訪れた時が、午後の一番暑い時間帯だったので、ほとんどのゾウガメは木陰で休息していた。ゾウガメは、体長1・5メートル、体重250キロにもなる。その巨体が休んでいる様は豪快だ。だけど非常に無防備でもある。これでは人間や天敵にやられてしまうわけだ。人間を含む天敵にさえ殺されなければ、200年は生きるとの説もあるが、学術的に確認されたわけではない。
 池で休んでいるゾウガメの甲羅には、直径、深さとも2,3センチの穴が4カ所にあいていた。これは、かつて人間がこのゾウガメを飼っていたときに、甲羅がどれだけ硬いか、試しに拳銃で撃ってみた穴だという。ずいぶんひどいことをするな、と思ったが、それでも拳銃の弾は甲羅を貫通することはなかった。それほど甲羅は硬いのだ。

▽進化したゾウガメの甲羅
 これまで説明しなかったが、ゾウガメは、生息する島や島の地域によって甲羅の形がすべて違う。たとえば、エスパニョーラやピンタ島のゾウガメの甲羅は比較的小さく、馬の鞍のようになっている。これに対して、サンタ・クルースやイザベラ島・アルセド火山に住むゾウガメの甲羅は大きく、ドーム型だ。これはダーウィンが進化論(メモ3参照)を思いつく大きなきっかけになった。甲羅は、ゾウガメが環境に合わせて進化した証拠だというのだ。
 それによると、鞍型の甲羅は、首が伸ばしやすいように前の部分が上にそり上がっている。これは、この型のゾウガメが、低地の乾燥地帯に住んでいるため、エサの植物が少なく、生きていくには、首を伸ばしてより高いところの葉を食べなければならないからだ。また、ドーム型が住む高地は、湿っているため植物もよく育つため、首を伸ばしてエサをとる必要はない。さらに、密生した茂みをかき分けて移動するには、首を保護するドーム型が適している、というわけだ。
 ダーウィンは、ガラパゴス滞在中にこうしたゾウガメの調査をしたわけではなかったが、当時の副知事から甲羅をみればどの島出身か言い当てることができると聞き、その後、思いをめぐらせ、進化論にたどりついた。

▽ペリカンがエサの争奪戦
 研究所でゾウガメを観察した後は、プエルト・アヨーラの町中の見学だ。ガラパゴス1の繁華街だけあって、土産物屋や本屋、レストラン、ホテル、喫茶店、それにディスコまで大抵の店がそろっている。しかし、そういう店よりも目を引いたのは、漁師が捕ってきた魚の水揚げ場だ。船から箱に詰められて陸揚げされた魚が、水辺に設置された即席の台の上で次から次へと包丁でさばかれていく。
 作業が始まるやいなや、近くに係留されているボートの舳先などで様子をうかがっていたペリカンやカモメが集まってきた。漁師は、さばいた魚のはらわたを海に放り投げるので、それを狙っているのだ。ペリカンが一番積極的で、5,6羽が、作業をしている漁師から1メートルの至近距離で待機。漁師がはらわたを投げるたびに、大きな口を開き、エサの争奪戦を繰り広げていた。

「4日目:サン・クリストバル」
 ガラパゴス最終日の朝は、普段より15分早い6時45分に起こされた。空がようやく白んでくる頃だ。船は寝ている間にサンタ・クルースを出港、最後の上陸地であるサン・クリストバルのすぐ近くまで来ていた。早く起こされたのは、サン・クリストバル西の海上にそびえる、高さ約150メートルの火山でできた岩の島、キッカー・ロックを観察するためだ。

▽何百というグンカンドリ
 眠い目をこすりながら甲板に出ると、既に何人かが外に出ていた。つい先ほどまで、イルカが船の回りを泳いでいたのだという。やがて遠くにキッカー・ロックが見えてきた。船が近くまで来て速度を落とすと、ようやく日の光がサン・クリストバルの向こう側から差し込んできた。キッカー・ロックにも朝日が当たると、全体がくっきりと浮かび上がった。元々は、大きな一つの火山錐(すい)だったが、浸食により2つに割れている。できた隙間は小さなヨットなら通れるほどだ。形が靴に似ているので、キッカーという名前をもらったらしい。また、眠っているシーライオンにも見えるので、スペイン語では「レオン・ドルミード」と呼ばれている。
 この岩島には、上陸することはできないが、グンカンドリ、ブルーフッテドやマスクト・ブービーのコロニーになっている。近付くと、岩の斜面の至る所にグンカンドリやブービーが羽を休めているのが見える。その数はグンカンドリだけで数百羽、全体では何千羽という感じだ。北のジェノベサ島に上陸すれば確実に観察できるが、グンカンドリの雄は求愛するときに、喉についている真っ赤な袋を膨らませ、雌の気を引こうとする。袋はサッカーボールを半分にしたくらいまで膨らませることができる。求愛に成功すると、雄と雌は一緒に頭を何回も振り、時々、雄は羽で雌を包み込むような仕草をするのだという。もしかしたら、ここでも赤い袋を膨らませた雄がいるかもしれないと思い、目をこらしたが、残念ながら確認できなかった。
 グンカンドリはまた、飛行技術が優れている。その技術を駆使して他の鳥が捕まえた魚を横取りすることでも知られているが、実際は自分で魚を捕ることの方が多いのだそうだ。

▽アシカはボートで昼寝
 帰りの飛行機が出発するまでの間、サン・クリストバルを探索した。プエルト・バケリーソ・モレーノの港からバスで5分ほどの、港が見渡せる丘の中腹には、98年に完成したばかりのガラパゴス・インタープリテーション・センター(ガラパゴス資料館)がある。ここでは、ガラパゴスの入植の歴史が事細かに展示されている。あのフロレアーナのミステリーで、中心的な役割を果たした男爵夫人や唯一の生き残りであるマーガレット・ウィットマー、それに腐った鶏肉を食べて死んだ菜食主義者の医者の写真も飾ってあった。
 プエルト・バケリーソ・モレーノの町は、プエルト・アヨーラほど大きくないが、それでもレストランや民芸品店が並んでいる。アカシアの並木がきれいだ。民営の博物館もある。展示物はそうたいしたことはないが、この博物館の裏庭には、ゾウガメが飼われていて、人気者になっている。その名もロンサム・ぺぺ。ロンサム・ジョージと違い、絶滅の危機に瀕している種族ではないが、ひとりぼっちなのでこう呼ばれている。エサがほしいのか、向こうから人間の方に近付いて、しきりに口を開く。すぐそばにあった葉っぱを差し出したが、興味を示さなかった。
 再び船着き場まで戻って、初日に我々を出迎えてくれたシーライオンを観察した。シーライオンは、港に係留されている小さなボートにはい上がって寝転がっている。かれらにとって、ボートに乗るのは手慣れたものだ。最初、水の中からやや飛び上がるようにしてボートの中をのぞき込む。スペースがあるなと思ったら、一、二度水の中で反動をつけてから、前ヒレをテコにして、一気にボートに乗り込むのだ。その際、ボートは大きく傾き、既に陣取って寝ていた他のシーライオンを起こしてしまう。起こされた方は、少し不機嫌になり、頭を起こして抗議するが、新規参入者の方は一向に気にせずに、自分で居心地の良さそうな場所を見つけると、すぐにゴロンと寝転んでしまう。小さなボートに、5匹もひしめき合って寝ているケースもあった。

▽ブービーが編隊で急降下
 ブルーフッテド・ブービーのダイビングも見物だ。3,4羽で編隊を組み、水面を偵察。エサの小魚を見つけると、一度高く舞い上がり、一気に急降下。次々と海に垂直に飛び込み、魚を捕る。そして、先に飛び込んだものから、順番にプカリと水面に浮上する。再びやや助走をつけて飛び立ち、エサを探す。ブービーは、これを何度も繰り返す。10回以上飛び込んだだろうか。お腹が一杯になったとみられるブービーの編隊は、南の、おそらく自分たちの巣のある方向に向かって飛び去っていった。
 これで4日間のツアーは終了した。はっきり言うと、4日間では短すぎる。最低1週間いないと、ガラパゴスの本当の素晴らしさは分からないかもしれない。1週間あれば、今回見られなかったガラパゴス・ペンギンやレッドフッテド・ブービーの住む北の島々にも行くことができる。さらに2週間のツアーを選べば、ガラパゴスで最も大きいイサベラ島の西側を見学することも十分に可能だ。いずれにせよ旅行者は自然や生物に直接、または間接的に触れることで、多くのことを学ぶだろう(メモ4参照)。ひょっとしたら、ダーウィンの進化論に匹敵するような壮大なアイデアが、閃くこともあるかもしれない。(了)


(メモ1=マングローブの能力と役割)
 ガラパゴス諸島の岸辺でもっとも頻繁に見られる植物は、マングローブだ。海水に常にさらされ、酸素が極端に少ない泥の土壌に根を下ろさなければならないという過酷な条件にもかかわらず、育つことができるのは、塩分を寄せ付けずに真水を保持する能力や大気中から直接酸素を摂取する能力を持っているからだ。特に海水に強いのが、ブラック・マングローブ。葉には塩だけを外に排泄する特別な腺がある。また、他の種類でも泥の表層に沿って長く伸ばした根が塩に対するフィルターの役目を果たし、葉には真水だけが上がっていくような機能を持っている。
 マングローブはまた、動物の格好の避難所・休憩所でもある。エビ、カニ、小魚などはマングローブに隠れ家を見出す。ペリカン、へロン、グンカンドリには、雛を育てる場所となる。シーライオンやウミイグアナにとっては、ちょっとした日陰の休憩所だ。また、ビーチや海岸線を浸食から守ることにも役立っている。

(メモ2=ゾウガメの乱獲)
 ゾウガメの乱獲は19世紀にひどくなる。当時盛んだった捕鯨やファー・シール狩りの漁師は、特にゾウガメを食料として重宝したからだ。当時の捕鯨船の日誌には、1811年から1844年までの間に1万5000匹のゾウガメを食料として捕獲したと記されている、という。実際にこれまでに捕獲、殺されたゾウガメの数は10万匹を優に超えるのではないかとみられている。
 皮肉なことに、人間の食用肉となったのは、ゾウガメの優れた能力から来ている。ゾウガメは水分を貯蔵する特別な能力があるため、一年間、水や食料を与えなくとも船上で生きることができるからだ。人間にとってはこれほど都合のいい食料はない。サン・クリストバルの資料館に行けば、船の壁に無造作に立て掛けられたゾウガメの模型が置いてある。このように貯蔵され、適宜殺され、食肉となったのだ。

(メモ3=ダーウィンの進化論)
 1835年9月15日、英国の調査船、HMSビーグル号に乗ってガラパゴス諸島を訪れた26歳の若きナチュラリスト、チャールズ・ダーウィンがそこで見つけたものは、その後の科学史を大きく書き換えた。
 彼は、10月20日までの約5週間にサン・クリストバル、フロレアーナ、イサベラ、サンティアーゴの4つの島を訪問、延べ19日間島に滞在し、ガラパゴスの世にも希な動植物を観察、収集した。その時の観察から、ダーウィンは後に「種の起源」を書き上げる。1859年のことだ。この本の出版はたちどころに一大センセーションを引き起こした。それによると、自然界は、厳しい生存競争に勝ち抜いたものだけが、生き残り、子孫を残す。生き残ったのは、変化する自然に適応したものたちで、この適応能力は次の世代に引き継がれる。それぞれの世代で、わずかずつだが、確実に、自然に適した能力を高めていくことにより、生物は進化する、というのだ。

▽神学的見解を覆す
 ダーウィンは、ガラパゴス諸島が大陸からほぼ隔絶された環境にあることに着目。加えて、島ごとにゾウガメの甲羅の形が違うことや同種の鳥の食習慣が異なることに気づき、一度大陸などから渡ってきた生物は、大陸からの影響を受けることなく、それぞれの島の環境に合わせて独自の進化の道を歩んだ、と考えた。代表的な例がガラパゴス・フィンチ。13種類のガラパゴス・フィンチは、島の環境に合わせて食べ物が異なるだけでなく、くちばしの構造も異なる。これは一度大陸から渡ってきたフィンチが長い年月をかけ、それぞれの島の環境に合うように適応、くちばしも進化した、というのだ。
 彼の自然淘汰による進化論は、特に宗教関係者を憤慨させた。神が人間をつくったとする信仰や“ノアの箱船”に乗った生物だけが生き残ったとする解釈を否定しただけでなく、人間を他の動物と実質的に同列に扱った点で、当時、広く是認されていた神学的見解を根底から覆したからだ。もっとも、ダーウィンの進化論にも問題はあった。彼は、どういうメカニズムで、新たに身に付いた適応力が次の世代に引き継がれていくのか、明らかにできなかったし、突然変異があり得ることも明確に示せなかった。実際これらの証明は、メンデルの遺伝の法則が再発見された1900年以降まで待たなければならなかった。

(メモ4=旅行者が守るべきこと)
 シーライオン、ゾウガメ、海イグアナといったガラパゴスに住む動物は皆、人間を恐がらない。これは、こうした動物を補食する生物が陸地に少ないからだ。もちろん過去を遡れば、ゾウガメやシーライオンは人間の格好の餌食になった時期もあった。しかし、今や、動物だけでなく、植物などあらゆる生物がガラパゴスでは保護されている。そうした生物・環境保護の観点から旅行者が守らなければならないのは、まず、動物に対して威嚇したり、触ったりしないことだ。危害を加えない(あるいは危害を受けない)限り、動物の鼻先まで近寄ることはできるが、撮影するときはフラッシュをたかないように注意すべきだ。さらに、島にゴミなどを持ち込まないのは当然のこととして、島を去るときは、何も持ち出さない、足跡以外は残さない、というのが原則だ。以前、サンタ・クルース島ダーウィン研究所で観光客がゾウガメのエサ場に土足で踏み込んだため、ゾウガメが一匹病死したことがあった、という。人間が直接生物に接触することは、生態学的に悪影響を与えることがあるということを覚えておくことだろう。

「参考文献」
Boyce, Barry. A Traveler's Guide to the Galapagos Island, Galapagos Travel, 1990
Jackson, Michael H. Galapagos: A Natural History, University of Calgary Press, 1993
Rachowiecki, Rob. Ecuador & the Galapagos Islands, Lonely Planet Publications, 1997
Stephenson, Marylee. The Galapagos Island, the Mountaineers, 1989


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