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天の王朝

不思議な世界2

マティラ

不思議な世界(その18)
アトランティスの記憶5

プラトンの伝えたアトランティス伝説をめぐっては、様々な角度から研究や調査が実施された。それは現在に至るまで続いている。

エジプトとメキシコ・ユカタン半島にあるピラミッドを比較することにより、アトランティス文明の実在を証明しようとする学説や、大西洋の海底にはアトランティスの存在を示すいかなる痕跡も見つからないとする地質学的調査結果などが発表されている。

いずれの場合でも、アトランティスの実在性を根本的に肯定したり、否定したりする十分な確証というものは出てきていない。

そうした議論の一つに、先に述べた“眠れる超能力者”エドガー・ケイシーがリーディング(半睡眠、あるいは催眠下で過去や未来を透視すること)によって明らかにしたアトランティスの歴史がある。

ケイシーは1877年、米国・ケンタッキー州の農場の子として生まれた。彼は子供のころから、亡くなった親戚の「幻影」を見て、彼らと話をしたり、学校の教科書の上に頭を乗せて眠る、つまり教科書を枕にして眠るだけで内容を覚えてしまったりする(うらやましい!)という離れ業をやってのけたとされている。

そんなケイシーが21歳のとき、声がほとんど出なくなるという奇病にかかった。医者たちはあの手この手を使って治療を試みたが治らない。ケイシーは最後の手段として、かつて教科書を記憶したのと同じ潜在能力を用いて、自分自身を治すことができないかと考えた。

友人の催眠術師に協力してもらって催眠状態になったケイシーに対し、催眠術師はケイシーの症状を問いただした。するとケイシーは、病気の原因と医学的に適切な治療法について、うわ言のように喋りだした。そして、その通りにすると、彼の声は再び出るようになったのだ。

これ以降、ケイシーは催眠中に、まるで医者のように患者の病気を診断し、治療法を教える力に目覚めた。この方法を使って、1945年に亡くなるまで、約1万4000件の病気の治療法や予言、それにいろいろな問題の解決法を残した。

その中でケイシーは、転生が事実であること、過去世でアトランティスにいたことがある実体が現代に多く生まれ変わってきていること、今生でその人間が直面している問題と過去世とは大きくかかわっていることなど、人間の知られざる驚異的な事象や歴史、アトランティスの高度な文明について明らかにしていった。

(その19)
アトランティスの記憶6

エドガー・ケイシーのリーディングによると、人間がこの地球に住み始めたのは、約1050万年前。数多くの地殻変動があり、その間に20万年にわたり文明があった。最後は三つの大変動が数千年間隔で起こり、紀元前1万100年ごろ、アトランティスとみられる「最後の文明」が滅んだという。

アトランティスの人々は、今日のアメリカのように豊富な資源と才能に恵まれ、科学を重んじた。ガス気球を用い、テレビやラジオも発明、空や海の中を進む水陸両用の乗物も持っていた。最後には、太陽エネルギーを転換する秘法を解き明かし、「偉大な水晶体」を使って太陽エネルギーを活用した。「偉大な水晶体」は「火の石」もしくは「ツーオイ石」とも呼ばれ、神との交信に使われたり、病気を治療するために用いられたりもした。

このようにアトランティスの人々は非常に進歩していた。信仰面では、神のシンボルとして太陽を用い、一つの神を崇拝した。ところが、やがて人々は神の贈り物である人間の能力を誤用、次第に衰退して行き、最後には自滅したのだとケイシーは言う。

では、具体的にはどのような誤用があったのか。ケイシーは「水晶体」の誤用、乱用があったという。つまり、本来なら人類の幸福のために使われるべき太陽エネルギーを、一部の権力を握った人達が破壊に使ったのだ。

きっかけは偶発的だったともケイシーは言う。水晶体が偶発的に高水準に調節されたことにより、地球の火山活動が誘発され、結果的に地球上に大洪水をもたらしたのだという。

最初の破壊は紀元前1万5000年前ごろ起こり、最後は紀元前1万500年。一連の破壊により、アトランティス大陸は5つの島に分かれ、アトランティスの滅亡がエジプト、ギリシャ、インカの始まりとなった。アトランティスの生き残りの一部はエジプトやインカに逃れたらしい。アトランティスと同時期に存在した古代レムリア大陸も水中に没した。

アトランティスの貴重な記録は、エジプトに逃れた一派によりスフィンクスの右前足とナイル川の間の秘密の部屋に保存された。その記録の中には、アトランティスの科学、文学、歴史、法律だけでなく、地球の過去、現在、未来を解説する文献も含まれている。その記録の一部が、あるいは口伝による歴史の一部が、ソロンからプラトンへと伝達されたのであろうか。

ケイシーによると、アトランティスの記録については、グッドニュース(いい話)とバッドニュース(悪い話)があるようだ。グッドニュースは、それらはやがて発見されるということ。バッドニュースは、「人類が地球的変動を経験するまで秘密の部屋は開かれることはない」ということだ。

(その20)
アトランティスの記憶7

これだけ詳細にアトランティスを描写したケイシーだが、今でもケイシーの能力を疑っている人がいるのは、ケイシーの予言の多くが外れていることが大きい。たとえば、1998年までに日本は大部分が海中に沈むにちがいないとケイシーは予言しているが、幸いなことに2005年現在、日本列島は一応原形をとどめている。同じころまでに、ヨーロッパやアメリカ大陸でも陸地が海中に没するような地殻変動が起こると予言したが、これも実際には起きていない。

しかし、こうした予言が外れたことを理由にケイシーの信憑性を断じるのは間違っている。それはケイシーの予言に関する次の発言からもわかる。

ケイシーは言う。時間や空間は、三次元という私達の限られた条件のもとで使用するための単なる概念にすぎない、時間と空間こそ、人間が作り出した幻覚にすぎないのだ、と。アカシックレコード(「神の記録帳」「魂の記録庫」)から未来を知ることができる、なぜなら、すべての時間は一つであり、過去、現在、未来は一体であるからだともケイシーは言う。

これはデジャビュ現象で私が直感的に知った仮説とも一致する。過去、現在、未来はそれぞれ連動しているとみるべきだ。現在が変われば、未来と過去も変わる。ケイシーの予言は外れたではないかと鬼の首を取ったかのように批判する研究家もいるが、実はこの時間に関する真理を理解していないことから生じる誤認であるといえる。

ケイシーは予言に関してこうも言う。「たとえ予言で日時や場所、人が特定されていても、それには一定の期間や修正の幅がある」「しばしば、期間の変更をもたらすような変化も起こる。スーやラーを崇拝する僧侶たちは、真の神の奥儀をエジプトから追い出してしまったために、変化が生じてしまった」

ケイシーの言うことが正しいとすると、過去や未来は決まっていない。同様に私たちの過去生も未来生も決まったものではない。それは、三次元的表現を使えば、“同時進行”しているからだ。今生を変えれば、それは過去生や未来生にも影響する。

すると、現代の科学技術利用の有様がアトランティスの科学技術の有様と連動していることがわかる。アトランティスの人々がそれを誤用したのだとすると、それは現代の人々が誤用していることの裏返しとなる。

このように時間の概念を正確に理解したときに初めて、ケイシーの予言が理解できるわけだ。そして、アトランティスの教訓を学ぶことも可能になる。

(その21)
アトランティスの記憶8

アトランティスはおそらく実在したのであろう。しかし、アトランティスの神官であったとする正木和三の話が本当であることを証明するには、輪廻転生についても検証しなければならない。

私は1980年9月から81年6月にかけて、イギリスのケント大学に留学していたが、その大学生活が始まる少し前の7月か8月に、ダライラマの輪廻転生についてBBCがドキュメンタリー番組を放映したのを覚えている。

このBBCが制作した番組は輪廻転生に対する偏見をなるべく廃して、チベットの神秘についてまじめに取り上げていた。私はこの番組を見るまで、輪廻転生には懐疑的であった(潜在意識においては肯定していたが、すくなくとも表面的には否定論者であった)。しかし、私がホームステイしていたそのイギリス人家族も私も、この番組を見た後は、ひょっとしたら輪廻転生はあるかもしれないと思うようになった。

私が輪廻転生に懐疑的だった背景には、母の影響もある。幼少のころ(多分幼稚園児のころ)、メーテルリンクの『青い鳥』を母と一緒に読んでいると、未来の国でこれから人間の体に生まれようとする魂たちが並んで話をしている場面が出てきた。

私はその場面にすごく感動し、母に「みんなこういう風にして生まれてくるの」と聞いた。そのときの母の答えがすごかった。「こんなのは作り話よ。魂が転生するなんて聞いたこともない」

「では人は死んだらどうなるの」と私は聞いた。
「死んだら真っ暗闇があるだけよ。生まれる前も真っ暗闇だったでしょ」
「暗闇だけ?」
「そう、何もない暗闇だけ。魂の転生など、そんなこと考えるのはやめなさい」

非常に現実的な母だったな、と思う。しかし母の答えは、幼少の私には衝撃だった。トラウマになったとまでは言わないが、輪廻転生について考えるのは幼心に封印してしまったような気がする。そして、その経験をイギリスにまで引きずっていたのだ。

封印が一度解けてしまえば、こちらのもの。後は輪廻転生が実在するかどうかを科学的に分析すればいいだけだ。

(その22)
アトランティスの記憶9

輪廻転生を科学的に証明できるのか。非常に難しい問題だ。幽体離脱や臨死体験を論じる際にも必ず指摘されることだが、脳が作り出した幻影や錯覚である可能性もあるからだ。

確かに、そういう場合もあるのかもしれない。しかし、それではどうしても説明できない事例も多くあることを忘れてはならない。しかもこの現象は、人類が昔から普遍的に“経験”してきたものでもあるのだ。それは、それぞれの国の古典や記録にも残されている。

たとえば、平田篤胤は『勝五郎再生記聞』で、多摩郡中野村の農家の子が1822年、8歳のときに自分の前世を語りだした事実があったことを詳細に記録している。

いずれ別のシリーズで詳しく取り上げるが、スウェーデンの著名科学者兼神学者エマヌエル・スウェデンボリ(英語名ではスウェデンボルグ、1688~1772年)も、輪廻転生の事例をいくつか挙げ、霊界のような世界が存在することを明らかにしている。

現代では、ヴァージニア大学の精神科医スティーヴンソンが、1961年から生まれ変わり事例の実地調査を始め,1997年に「生まれ変わり」の信憑性が高い225例の調査報告を発表している。

その簡単な例を挙げると、ある村で生まれた子が幼少時に、その村とは縁もゆかりもない、距離的にもかなり離れた村のことを克明に覚えていて、その村で死んだものであると語りだす場合などだ。実際にその村に訪れて初めてそれが確認できる。

あるいは、生まれてきた子供に先天的な母斑(ほくろやそばかすなど)や身体欠損があり,それが「前世」の人物が死んだ際の身体的特徴と酷似していたり、その子供が「前世」の人物の死亡時の様子や家族関係、住んでいた場所などを感情的に語ったりする場合もある。

これらの例は、かなり輪廻転生の可能性が高い。つまり、村ぐるみで捏造したのでもなければ、偶然の一致でもない事例。かといって霊的に人格憑依があったわけでも、死者の状況を遠隔透視したわけでもない事例であったといえる。

さらに最近では、退行催眠で「前世」を思い出すことにより癒される事例が多くあることも確認されている。そうした事例は、ブライアン・ワイス博士の『前世療法』などに詳しい。

このような状況証拠を公正に判断すると、そのメカニズムはともかく、輪廻転生という現象は否定できない事実であるとしかいいようがなくなるわけだ。

(その23)
アトランティスの記憶10

私には前世の記憶がない。メーテルリンクが『青い鳥』の中で示唆しているように、人間として新たに生まれてくるときに記憶を失ってしまうからかもしれない。しかし、時々面白い夢を見る。

夢の中で、私は「今の私」ではない。性別も違うし、年齢も違う。時々、女の子だったりする。出てくる家族も知らない人ばかり。その中でストーリーが展開していくので、何のことかよくわからない。どこかで見た映画の記憶かとも思ったりするが、思い当たる映画はない。これが前世の記憶かなとも思う。

とにかく、今の自分ではない「私」の夢だ。女性である自分の夢などというと、女性になりたい願望がそのような夢を見させるのだ、などと心理学者に解釈されてしまいそうだが、そうかもしれないし、そうでないかもしれないとしかいえない(そもそも向きになって否定しても、逆に怪しまれるだけだ)。

生まれ変わりについては不思議な話は数多くあるが、西丸震哉の話は、いつもの例にもれず、極めて変わっている。西丸震哉の幽霊の話で紹介したように、西丸は銀座の料亭で霊能力者の女性に前世を見てもらった際、かつてアイヌの酋長の息子や、中国・玄宗皇帝に仕えた安禄山(705~757年)であったと言われた。しかも、安禄山の顔は今の西丸とそっくりの顔をしていたという。

西丸は合点がいかない。自分は中国人のような顔をしていないからだ。そこで安禄山について調べてみた。すると、確かに安禄山は漢民族ではなく、西域人の混血であった。そして、醜怪な姿で腹が途方もなく膨れて垂れていたとある。だがおかしなことに、そのように醜い姿をしていたのに、楊貴妃とは愛人関係だったらしい。

「筋が通らない話だな、私が安禄山であったというのは、やはりたわごとだったのか」と、西丸が自宅の書斎で思索にふけっていたときだ。後ろの暗い片隅に人が立っているのに気が付いた。黒い「ドバーッとした服」を着た男で、変な帽子をかぶっている。よくみると顔は西丸に似ている。

「どなた?」と西丸が聞くと、その男はニッと笑って「誰だと思う?」と聞き返す。
「う~ん、安禄山!」
「その通り」

安禄山は、西丸が安禄山について解せぬことがあると考え込んでいるのを知って、過去から駆けつけたのだという。

安禄山は西丸と合体し、玄宗皇帝の時代に連れて行き、西丸が疑問に思っていたことをすべて解き明かす。安禄山との会話は、日本語でも古代中国語でもなく、「お互いの言語でしゃべっている内容が頭の中に押し込まれるみたいに理解される。テレパシーみたいなものか」と西丸は書いている。つまり正木和三が、知らないはずの「アトランティス語」を理解できたのと同じ仕組みだ。

過去の人物でありながら現在に出現した過去世の西丸震哉である安禄山。西丸はもちろん、この話を事実として書いている。西丸と安禄山の二人が出会うということは、過去世の自分と今生の自分は同時に存在することを意味している。

「自分」という意識(存在)は常に時間を超越して存在する。それが宇宙の法則であるような気がする。

(その24)
アトランティスの記憶11(最終回)

過去、現在、未来は同時に存在しているという考え方は、理解するのは難しいかもしれない。なぜ、すでに起こった過去がこれから起こることなのかという疑問が生じたとしても当然だ。しかし、私たちが知っている過去とは何なのだろうか。「本当に起こったこと」などあるのだろうか、と考えてしまう。「本当に起こったこと」とは、実は私たちが「本当に起こった」と信じているだけではないか、とも思える。

考古学の世界でも、「現在」における発見によって、「過去」がドンドン変わる。たとえば炭素年代測定の導入によって、弥生時代が従来考えられていたよりも500年も早い紀元前1000年ごろから始まったのではないか、とも考えられるようになった。未来も過去も刻々と変化している。

例え話をしよう。二次元世界の住人にとって、線上に順にA,B,Cという点があれば、AからCへ行くには必ずBを通らなければならない。Aから見たら、Cは必ずBの向こう側にある。ところが三次元世界の住人にとっては、空間があるため、BをまたいでAからCに行くことができるわけだ。Bを通る必要はない。当然、Bを通らずにCからAに行くこともできる。

同様に三次元世界の住人にとっては、過去から未来へ行くには現在を通らなければ行けない。ところが四次元世界の住人にとって、過去から未来へと現在を経ずに飛ぶことも、未来から過去へと時間を旅することも容易にできる。四次元世界では過去、未来、現在は一体として存在するからだ。安禄山と西丸のケースや、ゲーテのデジャビュ現象を思い出せばいい。

このことを理解するには、エドガー・ケイシーが過去生だけでなく、自分の未来生もリーディングしていることを思い出すべきであろう。ケイシーは1998年と2100年ごろに再び地球に転生し、どのような人生を歩むかを克明に述べている。つまり、ある時点における未来はすでに完了している。過去生を思い出すという表現を使うならば、未来生を“思い出す”ことも可能であるのだ。過去と未来、現在は同時進行で起こっている。

さて、輪廻転生が事実で、かつアトランティス文明があったとすれば、正木和三の体験は真実であった可能性が強くなる。最後に、正木和三のほかにアトランティスの記憶を持つ人達を紹介しよう。

秋山眞人は、かつてアトランティスにいたのは間違いないと言う。手元に取材メモがないので正確ではないかもしれないが、秋山は前世でレムリアの王子の従者であったという。その王子がアトランティスにやって来たので、お供をした。秋山はアトランティスの最後にも立ち会うことになり、山のように巨大な津波が大陸を襲うのを目撃したという。

ミュージシャン喜多郎のところでかつて瞑想を教えていた梅本利恵子にも、アトランティスの記憶があるという。梅本によると、アトランティス時代の同時期に一緒にいた魂たちが、現代の日本にも多数転生してきている。そして、そのことを覚えている人も多く、そういう人達が出会うと「きゃ~、あの時、あの塔にいた何々ちゃんが、今のあなたなの!お久しぶり~」と、まるで同総会で出会ったときのような会話が交わされることがあるのだという。

なぜ、アトランティスの記憶を持つ人が今の時代に多くみられるのだろうか。「(科学技術の悪用によって滅んだという)アトランティスの過ちを二度と繰り返さないために、自分たちの意思で転生してきたのではないか」と秋山は言う。

カルマの法則が働いているのだろうか。そうであるならば、私たちの「今の決断」しだいで、未来の地球だけでなく、過去のアトランティスを救うことができるのかもしれない。
(文中敬称略)

(主要参考文献)
ジェニファー・ウエストウッド『失われたアトランティス』(主婦と生活社)
E・B・アンドレーエヴァ『失われた大陸』(岩波新書)
正木和三『驚異の超科学が実証された』(廣済堂)
マリー・エレン・カーター『エドガー・ケイシーの予言』(たま出版)
渡辺豊和『発光するアトランティス』(人文書院)

(その25)
幽体離脱と金星の話1

1987年5月3日夜、東京近郊に住むある小学四年生の女の子が突然、次のようなことをしゃべりだした。
「地球は(他の星と比べて)レベルが低いから、肉体を捨てているだけなのに死んだと決めるから、いけない。本当の自分が乗るのだから、体は乗物と考える。本当の自分というのは、肉体も何もなく、ただ心だけがあって、自分の正体というのは、魂ひとつである」

驚いた母親が「まあ、一体誰がそんなことを言ったの」と聞くと、その子は「金星人のだれだれさんが教えてくれたの」と答えたというのだ。

この話をにわかに信じるのは難しい。まず、金星に生物、しかも知的生物がいるということ自体、現代の科学と相矛盾するではないか。しかも、たいていの人が否定的な考えを持つ輪廻転生について、さも当然のごとく肯定している。

このことを10歳にも満たない女の子が語ったところが面白い。このことを現代の常識で判断すると、1親の気を引こうと、何かの本で読んだことを引用し、金星人に教わったなどと勝手に脚色した 2第三者の誰かに教わったことを鵜呑みにして、それを親に得意になって語った 3夢を見ただけか、あるいは全く子供の空想物語にすぎない――ということになるのだが、実は母親にとってどうしても、そんな“常識”だけで割り切ることができなかった。というのは、もう一つの可能性として、本当に金星人がいるのではないかと思わずにはいられないような出来事が前にもあったからだ。

それより二年前の正月、親戚の家に家族で遊びに行ったときのこと。子供が夢遊病のような状態になったことがあった。何を聞いても上の空で、寝ているかと思うと、目は開けているし、起きているようでもある。数時間、そんな状態が続いた。まるで意識だけが、どこかへ行ってしまったかのようだった。そして、その子に“意識”が戻ったとき、口を開いて言うには、「私、金星に行ってきたの」――。

その後も、その子は何度も金星に行っているような様子がうかがえた。その度ごとに、両親が問い詰めるが、その子は「金星のだれだれさんが、まだ信じない人がたくさんいるから、あまり他の人に話さないほうがいいって言うの」と言って、多くを語ろうとしない。

それでもその子が断片的に語るところの金星は驚異の事象に満ちていた。空飛ぶ円盤や惑星間を航行できる巨大な母船。モスクを思わせるような教育塔。テレパシーで語りかけてくる金星人たち。その子の語る金星の文明は、科学的にも地球の文明よりはるかに優れていることは明白だった。
(続く)
編注:この「幽体離脱と金星」の話は、私が1988年ごろ、「ボストンクラブ」という書籍に書いた「ETとの交信は可能か(パート2)」をほぼそのまま掲載したものです。長いので七回続きとなります。金星人が出てくるので、びっくりされる方もおられるかもしれませんが、非常に示唆に富んだ話なので辛抱強く読んでいただけると幸いです。

(その26)
幽体離脱と金星の話2

金星に行ったことがあるというのは、何もその子だけの話ではない。東京に住む会社員Aさん(当時30)は1986年秋、友人とドライブ中、助手席でリラックスしていると、体が少しフッと浮く感じがした。気が付くと、自分自身が車の上空に浮いており、車内の助手席に座っている自分の姿が下に見えた。それはまるで、宇宙遊泳のように気持ちのいい状態だった。

しばらく遊泳気分を楽しんでいると、今度は突然、周りが真っ白な雲に包まれたような状態になった。不思議なことに、目の前には自分を導いてくれる案内人のような人がいるのがわかり、Aさんはその人の後について雲の中を飛行した。

かなりの時間飛んだのだろうか。やがて雲のトンネルを抜けたかと思うと、そこはとある町の中であった。町の雰囲気は全体に白っぽい感じで、陶器のように滑らかな素材でできた白い建物が立ち並んでいた。形は非常にシンプルで、ピラミッドを縦に引き伸ばしたような尖ったものが多かった。

通りにはたくさんの人が、愉快にしゃべりながら歩いていた。いろいろな色の髪の人がいて、古代ギリシャ人が着ているような、ゆったりとしたローブを身にまとっていた。傍らには、先ほど道案内してくれた人が付き添っており、今度は街中を案内してくれる。そのときまでには、Aさんはここが金星であること、そしてその人が金星の住人であることを知らされていた。

しばらく歩くと、とても重要と思われる建物の近くの広場まで来た。それ以上先には行けないらしい。Aさんは広場の手前で立ち止まり、案内人の指示でそこに生えている植物らしきものから、額に向けてエネルギーをもらった。やがて、帰る時間が来たことを告げられると、次の瞬間には車の中の自分に戻っていた。

Aさんが金星に行ったのはこの1回だけではない。実はその前後にも、金星の生命体に連れられて数回金星旅行をしたことがあるのだという。

(その27)
幽体離脱と金星の話3

「私も地球に体を残して、金星に何回か行ったことがある」と語るのは、東京に住む主婦K子さん。1982年春のある夜、K子さんが一人、部屋で目を閉じて瞑想に耽っていると、目の前に丸くて白い光が見えてきた。光はまるで呼吸をしているかのように動いていた。そのうち、自分自身がオデコの辺りから体の外へ飛び出し、その光に引き込まれるのを感じた、という。

5,6人の背の高い人達に囲まれている気配がした後、突然、大理石の階段が現われた。一段一段は約60センチの高さがあり、幅も七,八人がすれ違うことができるほど広い。その九十九折になっている階段を上っていくと、ギリシャの哲学者を思わせる銀色の髪とひげをはやしたおじいさんがおり、K子さんの手を取って階段の上に上げてくれた。

階段の上の大きな両開きの扉を通って中に入ると、そこはコロシアムのようにすり鉢状になった広場になっていた。様々な格好をした人達がワイワイガヤガヤ話をしていた。K子さんにはそこがどこで、皆が何をしているのか全くわからなかったが、不意に誰かが「ここは金星です。各星々の代表が合同会議をやっているところです」と、心に語りかけてきたため、初めて金星の会議場に来ていることがわかった。

そのときは、K子さんはしばらくそこに滞在してから、ギュンという感じで、あっという間に地球上の自分の体に戻ってきたが、その後も度々、同じようにして金星を訪れ、宇宙の歴史に関する記録が収蔵されている資料館などを見学した、という。

K子さんは「私はそれまで、宇宙人とかUFOなどといったものは存在しないものと思い、バカにしていましたが、それは誤解でした。現代の科学者は否定するかもしれませんが、太陽系外の惑星はもとより、この太陽系の金星にさえ、実は間違いなく知的生命が住んでいるのです」と主張する。

(その28)
幽体離脱と金星の話4

金星の住人、あるいは金星人がいるのかどうかの議論は後でするとして、K子さんや小学四年生の女の子が体験したような意識の体からの離脱を意識飛行とか幽体離脱(アストラル・トリップ)などという。もちろん、こういった現象は科学的に解明されているわけではないし、幽体とは何であるかの明確な答えもわかっていない。だが、幽体離脱を経験したという人は意外と多い。

東京農工大学で色彩学を教えたり、新建材や透明絵具を開発したりする科学研究で知られる創造性開発研究所長、森東一郎さん(故人)は23歳のとき、過労などから重度の狭心症になり、生死の境をさまよった。そのとき、森さんは初めて意識が体から離脱するという体験をしたのだが、当時を振り返って次のように語る。

「私は自宅の仕事場で、絵の大作を描こうと毎日、かなり無理をしていました。そうしたある日、何かフッと立っていられなくなった。初めは、飛行機がダッチロールをするみたいになって、垂直感覚と水平感覚が駄目になったのです。人間の身体は一つの王国で、自分が中心にいて、それを治めていることがわかり、その統合が利かなくなってきていると感じたのです」

体のコントロールが利かなくなった森さんは、水を飲もうと這い回っているときに水の分子構造のようなものが見えてくるなどの奇妙な体験を経て、ようやくベッドに倒れこんだ。そして、「ああ、とうとう死ぬのだな」と覚悟しようとしたとき、体が軽くなった。

だが、「まだ死にたくない。このまま死ぬのは残念でしょうがない」とためらっていたためか、なかなか死なない。その間にも、呼吸は苦しいは、心臓や他の内臓が暴れるはで、気が狂わんばかり。そこで、いよいよじたばたするのをやめ、心の中で「静まれ」と念じたところ、それまで暴れていたものが全部なくなった。

次の瞬間、スーッと身体が後方に下がり、自分自身が完全に体から離れた。その自分自身はベッドに寝ている自分の身体を見ることができた。母親ら家族が森さんを発見し、「わーわー」騒いでいるのが聞こえた。やがて、部屋の壁などいままで実体として捉えていたものが、段々透明になったかと思うと、全く別の世界が目の前に現われた。

その世界は、地球を透過した向こう側の宇宙のようで、星が無数にあった。不思議なことに、その宇宙には人がたくさんおり、右前のところに、一生懸命修練している印象のひげをたくわえたおじいさんが、左前上方には、無限の愛を育んでいる印象を受ける女性たちが見えた、という。

森さんはさらに、光の柱を見たり、「シュンシュンシュン」と回転振動する「ミクロ世界のエネルギー音」を聞いたりするなどの体験をするのだが、そうこうしているうちに、医者が来て応急処置をしたため、一命をとりとめた。

森さんはその別の世界について、「その世界こそが本当の世界で、それまで現実の世界と見えたのは全くの夢の、ウソの世界だなと思った。我々のいるこの現実界はある意味で錯覚に過ぎず、我々は幻覚の中に生きているような気がしてならない」と話している。

(その29)
幽体離脱と金星の話5

森東一郎さんらとおなじようなことは、実は過去にも歴史上の人物らが体験している。

中でも一番有名なのは、18世紀のスウェーデンの科学者エマニュエル・スウェデンボルグ(1688~1772年)だ。宮廷付き牧師兼貴族院議員の父を持ち、21歳でウプサラ大学を卒業。スウェーデン国鉱山局の特別監査官の仕事をする一方、数学、物理、化学、天文学、解剖学などおよそあらゆる部門の科学を究め、発明家や哲学者としても知られ、当時、欧州第一流の学者であった。

そのスウェデンボルグが1745年、ロンドン滞在中に通常では目に見えない現象が見えてしまうという不思議な体験(霊視体験)をした。それをきっかけに、肉体をこの世に置いたまま、意識体だけが彼の言うところの「霊界」を行き来することができるようになったり、宇宙の他の惑星の住人と交信できるようになったりしたのだ。

彼の意識体が見聞きしたという霊界や宇宙については、彼の著作に詳しく書かれているので、ここでは触れない。それとは別に、彼も幽体離脱を経験しているので紹介しよう。

スウェデンボルグがある日、スウェーデン西部の都市ゴッデンバーグの友人宅で昼食をとっていると、急に意識が薄れだし、意識だけが肉体を離れ、何か乗物に乗せられ空を飛んでいるようになった。

混濁と恐怖で狼狽しながらも、次第に意識がはっきりとしてくると、数百キロ離れた生まれ故郷のストックホルムの町が見えてきた。町は火に包まれ、人々が騒いでいた。彼は「自分の家も燃えてしまうのではないか」と心配になったが、どうすることもできない。何時間、そうして見つめていたかわからないが、火はやがて収まり、彼の家の三軒手前で止まった。

意識が再びゴッデンバーグの友人宅に戻って、彼が今見たことを友人に話しても、彼らは何のことかさっぱりわからない。ところが、それから数日経って、ゴッデンバーグにストックホルムの火事の報告がもたらされるや、スウェデンボルグの見たことが事実であることが判明した。ちょうど彼が火事を見ていたその時間に、ストックホルムは火に包まれていたのだ。しかも、火は正確に、彼の家の三軒手前で収まっていた。

江戸時代の随筆集『譚海』と『耳袋』が伝えるところによると、長崎のオランダ人の通訳をしていた男の人が故郷に残した妻と子(『耳袋』では母親)が恋しくなった。鉢の中の水を見ていると、故郷の自分の家が見えてきて、垣根越しに家の中を見ていると、何とそこにいた妻と目が合った。その後、その通訳が実際に故郷に帰って確認したところ、妻もそのとき、垣根の向こうに夫が見え、声を掛けようとしたら消えてしまったのだという。

(その30)
幽体離脱と金星の話6

古典の話は多分に誇張などもあり、真偽のほどはよく分からないが、現代において、この意識体の旅行(幽体離脱)を実証しようとしたユニークな探検家がいる。その人は、元農林水産省食品総合研究所官能検査室長で、食糧危機を書いたエッセイなど多彩な著作で知られる西丸震哉さんだ。

西丸さんは1961年12月から翌年4月までインドで学術探査した際、あらかじめ友人や家族と打ち合わせしておいて、東京とインドの間で彼の言うところの「魂の帰宅実験」をやることにした。東京の自宅に友人ら7,8人を集め、毎月1回、午後8時から9時の間に西丸さんが「魂」だけ帰宅し、何らかの証拠を示そうというのだ。

時差は3時間半あるので、インドでは午後四時半から五時半になる。ところが、一月と二月の二回は、その時差と仕事に熱中していたため、すっかり忘れてしまった。「これでは、せっかく家に集まってくれた人に申し訳ない」と、三回目の3月7日は時間を厳守。バンガローの一室に一人で入り込み、椅子に座って精神統一を始めた。

やり方は独特で簡単。無念無想などという境地はまず無理だから、目をつぶって、ただ「行ってやろう」の一念で集中するのだそうだ。

初めは、他の隊員が部屋の周りでガタガタ仕事をするし、犬が窓の下で吠え立てるので、意識体が旅に出て、せっかく自宅のドアの前まで行っていながら、インドまでスーッと戻ってきてしまうような無駄を繰り返した。5,6回目になって、どうにか家のドアを手でドンドン叩くことができた。ただ、周りは全く闇のため、自分の勘と気配と記憶に頼るしかない。

鉄のドアを開けずに、そのままスッと家の中に入ることができ、便所の木戸をガタピシ動かし、なるべく音を派手に出すように努めた。廊下を通るときに、そこには何もないはずの障害物に弁慶の泣き所をぶつけ、かなりの痛みを感じたのだが、密室に座っている西丸さんの本体には何の異常もなかった。

どうにか、皆の待っている座敷が見渡せるところに立ったのだが、人の気配が分かるだけで、正確にどこに誰がいるのかを認識するだけの能力がない。人とぶつかったら、どんな結果になるか恐かったので、とうとう座敷に踏み込めずに終わってしまった。その間、5時から約20分だった。

さて、当日集まった人からの報告がニューデリーの大使館気付けで届いた。それによると、日本時間の午後8時40分(インド時間の午後5時10分)にドアが叩かれ、家人が見に行ってもだれもいなかった。次に便所の戸がガタピシ騒がしく揺れ、西丸さんがインドに旅立ってから位置変えをした、便所の前の洗濯機がガタンと大きな音を立てて揺れた。やがて、座敷前の廊下に気配が移ってきたので、皆固唾を飲んで見守ったが、とうとう、座敷に入って来ないまま、消滅してしまったというのだ。

こうして「魂の離脱」が可能であることを証明してみせた西丸さんは「私の場合は、行った先で全盲状態だったり、洗濯機に足をぶつけたりするなど特異かもしれないが、とくに修行を積んだこともない私ができるのだから、やろうと思えば誰でもできるのではないか。UFO、テレパシー、幽体離脱といったものはまだ、今の人間には分からないだけのこと。そういったことを頭から否定するようなやつは科学者ではない」と話す。

(その31)
幽体離脱と金星の話7(最終回)

西丸震哉が主張するように幽体離脱がどうやら実際にできるらしいとなると、あとは金星人の存在が議論の焦点となってくる。

おそらく最初に金星人と出会い、彼らの母船に乗って金星に行ったと公言、世界中から注目されたのは、米国のジョージ・アダムスキー(故人)だ。彼は1952年11月20日、カリフォルニア州の砂漠で、友人ら数人と巨大な葉巻型の宇宙母船を目撃。その母船から出てきたとみられる6,7メートルの小型円盤の乗組員(金星人)と個人的に会見した。

それをきっかけとして、アダムスキーは金星人の母船などに乗せてもらい、何度も宇宙空間を旅し、金星や土星に着陸。宇宙を自由に飛び回ることのできる「スペースブラザース」の宇宙哲学を学んだり、地球の代表として太陽系会議に参加したりした。

彼は終始一貫して、金星には地球人の想像を絶する高度な科学と精神文明を持った知的生命がいると主張。当時、金星を観測し、「金星の表面温度は高温で生命の存在には適さない」などのデータを送ってきたマリナー2号についても、「地球の観測装置がまだ発達していないため、正しい情報が伝わっていない」「仮に正しい情報が送られてきていたとしても、科学者や政府は真相を隠している」などと真っ向から反論した。

アダムスキーの主張は、金星人がいるというだけにとどまらず、月には既に宇宙基地があり、将来、探査機が着陸しても政府はそのことを公表しないであろうこと、太陽系には12の惑星があり、それぞれに生命が存在すること、肉体は譬えれば家屋や衣服にすぎず、元素の支配者である生命(魂)、あるいは実体に死は存在しないこと、宇宙は絶え間なき変化の状態にあり、それゆえに、生命は古い肉体から新しい肉体へと転生しながら、より高いものへと進化していくこと――などに及んだ。

この驚くべきアダムスキーの体験について、UFO研究家の間でも賛否両論が沸き起こった。主な焦点は、金星に宇宙人がいるかどうかということと、アダムスキーの撮った宇宙母船や小型円盤の写真が本物かどうかということだった。

写真に関して言えば、6インチの反射望遠鏡で撮られた、非常に鮮明なアダムスキー型円盤や葉巻型母船の写真が多数残っているが、彼の写真はあまりにも鮮明であるため、「こんなにはっきり撮れるはずがない」などと、逆に多くの研究家によって偽物のレッテルを貼られた。

金星人の存在については、NASAの無人金星探査機パイオニア金星号などによって、表面温度は482度C、大気圧は地球海面上の約100倍であることがわかり、人間のような知的生物はおろか、いかなる生物も生存できないのではないか、ということで科学的に“決着”している。

これに対して、アダムスキー擁護派は、「アダムスキーと同タイプの円盤が世界各地で目撃され、写真にも撮られている」「大国政府は、世の中に大混乱が起きるという理由で、あえて真実を公表していない」などと反論するが、現代科学の“常識”の前で、金星人が存在するという説は、いかにしても肯定することはできず、一般には、アダムスキーは世紀のペテン師ということになってしまった。

それにもかかわらず、AさんやK子さんをはじめ多くのUFOコンタクティーたちは、金星人が存在することに疑う余地はないと口を揃える。彼らは別にアダムスキーの信奉者ではなく、自分の体験からそう断言する。しかも、金星はこの太陽系の窓口的役割を果たしており、太陽系の事柄についてはすべて、金星で開かれる会議を経て決定されるというのだ。それが正しければ、アダムスキーは真実を語っていたことになる。

確かに金星は、人が住めるような環境ではないのだろう。だが、高度な科学技術があれば、巨大なドームの中や地底に都市を築くことも可能であろう。あるいは、スウェデンボルグが『宇宙間の諸地球』で示唆しているように、太陽系の各惑星には次元の異なる世界が存在し、それぞれの世界に住人がいるのかもしれない。

これは夢物語であろうか。それとも私たちが、いつの間にか“常識”の虜になり、真実を受け入れることができないほどに盲目になってしまったのか。その結論は、今はまだ分からないかもしれないが、やがては時が明らかにしてくれると考える。

(その32)
UFOの目撃1

UFO(未確認飛行物体)の目撃例は信じられないほど多いにもかかわらず、依然未確認だとして、まるで御伽噺のように扱われている。しかしその目撃例の中で、非科学的な“常識”に洗脳されていない人ならこれは本物だな、と納得せざるをえないケースが少なくとも二例はある。本物とは、他の惑星から飛来したとみられる飛行物体であるということだ。

その二つの例とは、日航のジャンボ機貨物便機長がアラスカ上空で目撃した巨大UFOと水産庁の調査船が海上で捉えたUFOの機影だ。いずれも1980年代後半に目撃された、きわめて信頼性の高い目撃情報である。

日航機長の目撃は、私の元勤務先である共同通信社がアラスカ発で最初に報じた。1986年11月17日夜、パリ発東京行きの日航ジャンボジェット貨物便を操縦する寺内謙寿機長(当時47)らが、アラスカ上空で巨大なUFOに遭遇した。

目撃時間は、約50分。「最初は赤みたいな白みたいな光が見えた」と寺内機長は言う。その光体は二つで、2~3マイル(約3~5キロ)前方、2000フィート(600メートル)下方にあった。寺内機長は最初、それを飛行機だと思ったが、管制センターに問い合わせても「そのような飛行機は飛んでいない」という。

その7分後、それまで下方にいた二つの光体が突然、瞬間移動したようにやや上方150~300メートルぐらいのところに現われた。それぞれの大きさは「DC8の胴体ほど」で、3~5分ほど一緒に飛んだという。

少しして今度は、同じ方向に別の青白いライトが二つ現われた。再び管制センターに確認するが、レーダーには何も映っていない。そこでジャンボ機のレーダーで調べると、大きな円形の物体が映っていた。二つの光の間隔は常に一定で、「前方から7時半か8時の方向へ移って」行ったのに変わらなかった、という。

やがて、フェアバンクス市に近づいたとき、地上の明かりにより、その飛行物体のシルエットが浮かび上がった。鍋を二つ合わせたような形の巨大な円盤型飛行物体だったのだ。二つの等間隔の光は、中央部の輪の両端が光っているためであることもわかった。大きさは、ジャンボジェット機が何台も積載できるような「航空母艦並みのサイズ」で、「宇宙母艦」と呼べるものであった、と寺内機長は証言する。

右旋回すると、その宇宙母艦は視界から消えた。「もう、大丈夫だろう」と水平飛行に戻ったが、宇宙母艦はまるで見事な編隊飛行をしているように現われた。ちょうどフェアバンクス空港から旅客機が上昇中だったので、管制センターがその旅客機にも確認するよう指示したが、ちょうどその旅客機とすれ違うと同時に宇宙母艦は姿を消したという。

面白いのは、副操縦士を含む他の二人もその飛行物体を目撃したが、見え方に差があったことだ。寺内機長のほうが、はるかにはっきりと物体を目撃していた。これについて寺内機長自身は、自衛隊時代に夜間、有視界訓練をやった経験が生きたのではないか、としている。

この後間もなく、フィリップ・クラスという、一応権威があるらしい航空雑誌の胡散臭い編集長がしゃしゃり出てきて、「あれは星を見誤ったのだ」という突拍子もない説を流し、多くの人はそれにだまされてしまった。UFO研究家の間では、クラスは何でもかんでも、UFO目撃に茶々を入れる“札付き”で知られていた。

クラスの星誤認説をまともに扱った日経新聞のコラムニストは、「機長が見たUFOは星の誤認であることがわかった」という趣旨のコラムを書いてしまった。これを見た東京・五反田に当時あった「UFOライブラリー」の荒井欣一館長(故人)が抗議したところ、そのコラムニストは荒井氏に事実上の謝罪に訪れた、と荒井館長は話していた。

フィリップ・クラスの「言いがかり」のせいで、寺内機長はその後、メディアの取材を一切受けなくなってしまった。一説には会社から口止めされたとも、左遷させられたともいわれている。私にも消息はわからない。

結局、人間はかなり深刻な“常識”の虜になっているので、自分の常識の範囲内である説に傾倒する傾向がある。そのいい例が日経コラムニストの反応だろう。有視界飛行のベテラン日航機長の証言よりも、素性もわからぬ航空評論家の説を信じてしまう。どう考えても、星と見間違えるはずがないのに、「ああ、星だったのだ」と安心したがる心理が働くようになっているのだ。

(その33)
UFOの目撃2

水産庁調査船「開洋丸」の乗組員が目撃した未確認飛行物体も、きわめて信頼のおける例であることは言うまでもない。彼らが寺内機長と同様に目視確認のプロであったというだけでなく、レーダーでも巨大UFOが確認されているからだ。

開洋丸乗組員によるUFOの目撃は、公表されているものだけで二回ある。一度目は、1984年12月18日。南極ウェッデル海とドレーク海峡の調査を終え、南米ウルグアイのモンテビデオ港へと向かう途中であった。現地時間で午前零時10分から同1時35分までの間に8つのUFOが目撃された。

最初に目撃したのは、乗船経歴10年の次席2等航海士の船戸健次であった。他の3人と当直の最中、船首方向(北)上空のオリオン座付近から右方向に動く黄色っぽい光を見つけた。2等星ぐらいの輝きで、最初は人工衛星かと思ったが、動き方がおかしい。フラフラと飛んでいたかと思うと、途中で加速したような感じでスーッと飛んだりする。流れ星や人工衛星の動きと明らかに異なる動きをするのだ。光はフラフラ、スーッを繰り返しながら南東報告に飛んで行き、やがて視界から消え去った。その間の時間は数分であったという。

あれは何であったのか。このとき船戸はあっけにとられていたため、他の乗組員に声をかけることができなかった。しかしその10分後、再び同じオリオン座付近から同様な光が出現したときは、「オイ、あれを見ろ」と声を上げた。他の3人が船戸の指差す方向に振り返ると、そこには奇妙な光があった。光はフラフラ、あるいはジグザグといった形容ができるような飛び方をしたかと思うと、急に明るく輝き、数秒の後、また元の明るさに戻り、一回目同様、水平線の彼方へと飛び去った。

不思議な光は、その後10分おきに次々と現われた。出現の初認場所はいずれもオリオン座付近で、船戸の最初の目撃から数えて全部で8つ。うち2つが船首の先の水平線、つまり北方向に飛び去り、4つが東方向へ、残り2つは開洋丸を超えて南方向へ飛び去った。

8番目の光は、就寝中を起こされた乗組員一人を加え、計5人で目撃した。その光はフラフラといった感じの軌跡でゆっくりと数十秒かけて下降、次に東方向に進路を変更するとともに高スピードの直線飛行となり、水平線にほぼ平行に移動して彼方の大気中に消えた。

皆、視認のプロであった。目撃者同士で何度も検討を重ねた結果、明らかに人工衛星とも流れ星とも違う未確認飛行物体であったとしか言いようがないということになった。

しかし、この目撃よりもさらに衝撃的なUFOとの遭遇がその二年後に起きたのだ。(文中敬称略)


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