2018/12/13(木)16:55
賀茂氏と秦氏(エピローグ1)
この度の丹後の旅では、古代丹波国の重要性を再認識するとともに、7年前の山陰地方の旅を思い出すことになりました。
特に重要だったのは、七年前に購入にした『古代海部氏の系図<新版>』(学生社刊)を読み返したことです。
「海部氏(あまべし)の系図」は、1960年代からその存在が知られるようになり、1976年に国宝に指定された、天橋立で知られる京都府宮津市に籠(この)神社という古い神社の宮司家に伝わる日本最古の系図です。
9世紀の記された系図であるとみられています。
具体的には『籠名神社祝部氏系圖』(こみょうじんしゃはふりべうじけいず)と『丹波國造海部直等氏本記』(たんばのくにのみやつこあまべあたえとううじほんき)の二つの系図があります。
前者を略称『本系図』、後者を『勘注系図』と呼びます。
ちなみに先日紹介したモミジの写真は籠神社から奥宮に移動する途中で撮影したものです。
『本系図』は、かなり省略された系図です。始祖を天火明命(あめのほあかりのみこと)として、子と孫を飛ばして次に登場するのは三世孫倭宿禰(やまとのすくね)。
そして三世孫以降は更に飛んで、次に登場するのは十八世孫建振熊命(たけふるくまのみこと)になっています。
かなり大雑把ですね。
朝廷の提出命令に従って作成された「表向きの系図」とされています。
これに対して『勘注系図』は、「表向きの系図」で省略・削除された部分を補う情報が記されています。
海部一族の歴史を系図として記録した物で、当主の他、兄弟等の名や、系譜上の人物に関わる伝承など、膨大な書き込みがあります。
その成立には、代々にわたって系譜の追加や考証が行われ、『勘注系図』として今日に伝わる系図になったのは、『本系図』(859~877年)より後の仁和年中(885~889年)とされています。
これを江戸時代の初め、海部勝千代という人が書写。現存する『勘注系図』はこの書写された物であるとのことです。
『勘注系図』の末尾には「今ここに相傳(あいつたえ)以て最奥之秘記と為す。永世相承(あいうけたまわって)不可許他見(たけんゆるすべからず)」「海神の胎内に安鎭(やすめしずめ)もって極秘」と書かれています。
「最奥之秘記」として門外不出の極秘系図として伝えられてきたわけですね。
この『勘注系図』の中に、注目すべき記述があります。
それが次の記述です。
・火明はオオナムチの娘・天道日女を娶り、天香語山が生まれる。
・火明は佐手依姫を娶り、穂屋姫が生まれる。
・佐手依姫の別名は市杵嶋姫(いちきしまひめ)、亦の名を息津嶋姫(おきつしまひめ)、亦の名を日子郎女(ひこいらつめ)という。
・天香語山は異母妹の穂屋姫をめとり天村雲が生まれる。
次のブログではこの系図を解説しましょう。
写真は籠神社です。
(続く)