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テーマ:歴史なんでも(777)
カテゴリ:歴史散歩
アマテラスとスサノオの政略結婚(誓約)によって生まれたとされる宗像三女神の末子タギツヒメはスセリビメのことではないかと考える私の説を裏付けるようなことが、実は『勘注系図』に記されています。
その部分を書き出しましょう。 オオナムジは多岐津姫(タギツヒメ)、亦の名、神屋多底姫(カムヤタテヒメ)を娶り、屋乎止女命(やおとめのみこと)、亦の名、高光日女命(たかてるひめのみこと)を生む。 タギツヒメがカムヤタテヒメであったと明確に記されています。 カムヤタテヒメは『古事記』では「神屋楯比賣」と書かれています。 カムヤタテヒメとは、国譲りの際に海に隠れた出雲の事代主の母親ですね。 つまり出雲族の正式な王位継承者のスセリビメのことであることは間違いありません。 前日のブログでタギツヒメはアマテラスの娘ではないのではないかと書きました。 スセリビメの母親はクシナダヒメではないかと思っていたからですが、確かにスサノオの末子とされるスセリビメの母親のことはどこにも書かれていません。 もちろんアマテラスの系図にスセリビメを組み込んだ可能性もありますが、カムヤタテヒメがタギツヒメであるというのなら、むしろ本当にアマテラスとスサノオの子がスセリビメであるのかもしれませんね。 また高光日女とは、高照光姫のことでまず間違いありません。タカテルヒメもタギツヒメの娘ですから。 このような系図のからくりを読み解いていくと、すべての系図は宗像三女神につながっていることがわかってきます。 長女タギリヒメはオオナムジと結婚して、後に「神(族)」を捨ててタケツノミとなるアジスキタカヒコネを生みます。後にスエツミミと「耳」に成るタケツノミは八咫烏のことで、イスズヒメの父親である可能性がありますから、完全に神武の大和政権誕生の最大功労者です。 賀茂族の祖神(迦毛大御神)とされるわけですね。 次女のイチキシマヒメ(アメチカルミズヒメ)はオオドシことニギハヤヒと結婚して、松尾の猛霊・丹塗り矢のオオヤマクイを生みます。 オオヤマクイは形式上のイスズヒメの父親で、賀茂別雷神こと鴨王(天日方奇日方命)の実父でもあります。 その鴨王は神武政権下においてはウマシマジとともに神武を補佐する側近(元祖大臣職)になったと『先代旧事本紀』に書かれています。 鴨王と神武は兄弟のように親しかったのではないかと推測されます。 上賀茂神社では同格で祀られるわけですね。 そして三女のタギツヒメことスセリビメ。末子相続の出雲族の王位継承者であるタギツヒメはオオナムジと結婚して、事代主とタカテルヒメとタケミナカタを生みます。 出雲の国譲りで事代主は海に隠れ、タケミナカタは諏訪の地に封印されますが、タカテルヒメはニギハヤヒと結婚して「大神」となり、大香山こと天香山を生みます。 天香山はもしかしたら神武の父親ですから、まさに天香山いなければ神倭磐余彦火火出見尊(神武天皇の正式名称)の誕生はなかったわけです。 おそらく元祖彦火火出見(ひこほほでみ)である山彦は天火明(ニギハヤヒノミコト)のことです。 その子ウガヤフキアエズが天香山。 彼もまた彦火火出見。 その名称がその子神武にも引き継がれたということですね。 まさかまったく関係ないはずだと思われる読者も多いでしょう。 しかし、『先代旧事本紀』によると、ウガヤフキアエズには弟・武位起命(たけくらいおきのみこと)がいることをご存知でしょうか。 この「位起」を「イタテ」と読み替えることができますよね。 そうアメノイタテこと天村雲が天孫族の系図に組み込まれた「武位起命」である可能性が高いのです。 そして天村雲から息子ウズヒコが生まれたように、武位起命からは息子シイネツヒコが生まれたと考えられています。 ウズヒコとシイネツヒコは同一人物であることは、多くの研究家が認めていますね。 つまり、ニギハヤヒ(天火明)の系図を天孫族の系図にすり替えたことをカモフラージュするために、あるいは善意で考えれば後世の人が気づくことができるように、天香山―イタテという縦の系図を横の系図に作り変え、それとなくそのヒントを隠しているのです。 同様なことが誓約で生まれた五皇子の系図にも言えるわけです。 縦の系図を横に並べ変え、横の系図を縦に置き換える--複雑怪奇な煙に巻きながらも、それを読み解くヒントを残していきます。 竹内氏が口伝継承したという『帝皇日嗣』の系図がそのヒントを解くカギを握っていたというわけです。 竹内氏の『帝皇日嗣』は非常に面白いと私が思う理由はそこにあります。 これでこのシリーズは終わります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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