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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史箱
最初に東国からのアラハバキ軍に負けて、西に移動。さらに吉備国との戦いに敗れて九州に遷都を余儀なくされた孝昭、孝安、孝元天皇の時代ですが、その日向国には遷都した痕跡があると、竹内氏は言います。 その痕跡こそ、九州にある大和の地名だというんですね。
九州・熊本県の山門(やまと)郡と近畿・奈良県の大和の地名が見事に一致すると竹内氏は言います。 北にはどちらも三笠山があり、さらに遠くには志賀島と滋賀がある。九州の耳納(みのう)山は美濃と相対し、日田は飛騨、球磨(くま)川は熊野と響き合います。日向の伊鈴川は三重の五十鈴川、志摩という地名まで同じです。
明らかに大和と日向の間で遷都があったことがわかります。 ただし、どちらからどちらへ遷都したかは、これだけではわかりませんね。
ただ状況からして、100年以上住み慣れた大和の地名を、避難先の日向でも使った可能性は十分あると思います。
日向国で国力を蓄えた邪馬台国は、反乱軍を制圧するために反撃を開始します。 それが孝元天皇の時代ですね。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.06.10 23:30:30
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