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テーマ:旅のあれこれ(9938)
カテゴリ:歴史散歩
基礎コースは主に、履修学生が100人を超えることが多いので講堂や大教室でのレクチャーが週一回あり、その後同じ週に10~20人くらいの小人数のグループに分かれてセミナー形式の授業が一回あります。
そのセミナーを担当するのは、必ずしもこのコースの担当教員ではなく、同じ学部の教授(Professors)や助教授(Readers)、講師(Lecturers)がそれぞれのグループを分担して受け持ち、指導します。 どうやってグループ分けをしたのか覚えていませんが、「現代小説の研究」では「Senior Lecturer(専任講師)」の肩書を持つストーン博士かミルズ博士が、「フランス文学の研究・入門編」ではギブソン教授がセミナー担当教官だったように思います。 セミナーは、10人くらいの場合はカレッジにある担当教官の部屋で、20人くらいの場合は各カレッジにあるセミナー室で行われます。 ガイドブックに掲載されていたセミナー風景の写真がありますので、それを紹介しましょう。 こんな和気あいあいとした感じで、セミナーがあります。 少人数でのセミナーは良いですよね。ただし大教室で隠れていることはできず、予習をしていないと痛い目に遭います。 話は脱線しますが、教授や講師の部屋でセミナーをやるのは、ICUでも同じでした。 外部からの講師の方には部屋がないので、普通の教室でやりましたが、ICUの専任講師や教授には当然、自分の部屋があります。 たまたまそのコースの履修登録をした人が五人以下だと、コースは教授や講師の部屋で開かれるセミナーへと変わります。 私が在籍していたころのICUではフランス文学専攻生は少なく、専門科目の近代フランス文学(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)の登録者が二人だけのこともありました。 しかも、もう一人は休学してしまい、私だけがそのコースを取ることになるという前代未聞の事態に。 外部からの講師の方が担当だったのですが、毎週3時間(3単位分)、私とその講師のマンツーマンの、まるで家庭教師のような授業が2学期間(22週間)続いたことがありました。 ボードレールやアポリネール、ランボー、ヴェルレーヌなど近代フランス文学をけん引した詩人たちを中心に学べて面白かったです。 当然、宿題や予習は全部こなしました。そうじゃないと、授業は成立しませんからね。 今でもそのとき暗記した詩の一節が次々と出てきます。最高に贅沢な時間でした。 近代フランス文学には別のコース(Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ)もあり、そちらは大学院をでたばかりの新進気鋭のICU専任講師が担当していました。フランス人の女性の方で、こちらは授業をフランス語で行います。 当然、フランス語を勉強していないと取れない専門科目でしたから、履修者はだいたい五人以下です。 授業は、その専任講師の部屋でいつも行われました。 こちらは取り上げる教材も難しく、ジュール・シュペルヴィエルの幻想詩「彼方の海に住む少女」やステファン・マラルメの難解詩「賽の一擲」、それにアンドレ・マルローの哲学的な小説『人間の条件』などが次々と出てきます。 それをフランス語でディスカッションしなければならなかったので、フランス語を学び始めてまだ二年目の私にとってはかなりきつかったです。どちらかと言うと、落ちこぼれの学生でした。 A(秀)B(優)C(良)D(可)F(不可)という成績で、私は滅多にCなど取らないのですが、その先生の授業はいつもCでした。 ちなみに私のICUでの四年間の成績は、科目数だけでいえば、Aが16個、Bが24個、Cが6個でした。6個のCのうち3個が、自分の専攻したフランス文学だったわけですね。 さて、再び話を戻して、ケント大学ではどのような授業やセミナーが行われていたかをお話ししましょう。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.24 16:24:52
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