2022/05/09(月)19:12
ザ・イヤー・オブ・1981(その218)
4月7日の火曜日。
オリンピアの宿屋を出て、電車で向かったのは、カラマータ(Kalamáta)という、ペロポネソス半島の南にある港湾都市でした。
オリーブやイチジクの生産でも有名です。
どうしてこの場所に行くことになったかは、覚えていません。
おそらく前泊した宿泊施設で評判を聞いて出かけることにしたのだと思います。
電車の移動距離は約80キロ。2~3時間ほどでカラマータに到着したように思います。
実際に着いてみると、確かに活気のある、良い感じの綺麗な港町でした。
しばらく散策した後、宿泊施設を探しました。
この町にはユースホステルはありません。
にもかかわらず、探すのに苦労した記憶がありませんから、事前に誰かに宿屋を紹介してもらっていたか、適当に探したらすぐに見つかったかのどちらかです。
ここで覚えているのは、多分宿屋で一緒になったのだと思いますが、若い女性の二人組と夕食を一緒に食べたことです。
アメリカからヨーロッパに来て旅行しているという、20代前半とみられるアメリカ人女性たちで、一人は非常に気さくで、すぐに私に話しかけてきました。
そしてほとんど知らないうちに向こうのペースで、レストランで一緒に夕食を食べることになりました。
宿屋から少し歩いた場所のギリシャ食堂みたいなレストランに三人で入ります。
ところが英語のメニューがなく、三人とも何を注文すればいいかわかりません。
そこで、厨房を見せてほしいと頼んで、料理のメニューを選ぶことになりました。
港町ですから、おそらく魚介料理を選んだと思います。
ビールかワインを飲みながら、三人で楽しく食事をしました。
最後はもちろん割り勘です。
話した内容はほとんど覚えていませんが、ギリシャでは「ヤンキー・ゴー・ホーム(アメリカ人は国へ帰れ)」という反米的なスローガンの落書きをたくさん見るという話をしたことだけは覚えています。
ギリシャの60年代から70年代にかけて、ギリシャの軍事政権を支援した米国に対する反感が背景にあったように思われます。
当時のアメリカの外交政策は、反共でさえあれば、軍事独裁政権を積極的に支援することも厭わない、でしたからね。
韓国やチリでも、アメリカのお墨付きを得た軍事政権や独裁政権が民主化運動を激しく弾圧しておりました。
反米感情が高まったわけです。
世界に旅に出たアメリカ人は、このようにして世界がアメリカをどう見ているかを、身をもって知ることができるわけです。
アメリカ人だけでなく、日本人にも同じことが言えますね。
私たちは、可能な限り海外へと旅に出て、自分たちの国を別の視点から眺める作業を心掛けるべきかもしれませんね――当時、そのようなことを思った記憶があります。
(続く)