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テーマ:旅のあれこれ(10739)
カテゴリ:歴史散歩
私が竹内睦泰氏が口伝継承したという『帝紀』の内容で非常に驚いた一つがナガスネヒコが徐福の末裔であると伝わっていることでした。
長い脛を持つのですから確かに異なる部族の王なのだろうなとは思っていましたが、徐福説はその時初めて聞きました。 私が「何か根拠はあるのですか」と聞いたら、竹内氏は「当時彼らは中国製の弩(ど)という強力な武器を使っていたからだ」と言います。竹内氏によると、それは機械仕掛けの弓のような武器で、だれでも簡単に狙いを定めることができて、射程距離も弓よりもはるかに長く速いのだそうです。神武天皇の兄イツセも、この武器によって命を落としたともいいます。 まあ、そのような伝説の地がここにあるわけですね。 徐福の墓から見た風景。 ![]() 徐福一行が上陸したかもしれない熊野灘の海岸。 ![]() ![]() ![]() この日(4月20日)はこの近くのホテルに泊まりました。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.10.08 10:13:37
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