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ファンタジーというよりも…――『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 (2006.1)
遅ればせながら私の読むハリー・ポッターも3巻目になり、今度はまあまあ読み応えあり!と思うことができました。全体におふざけが減って大人っぽくなったことと、登場人物の描写も深くなって、人間味が増している(ダーズリー家の人々を除く!)ためだと思います。
手に負えない魔獣を育てるハグリッドや、マルフォイのいやがらせなど、1・2巻の繰り返しもあります。でも、1巻の賢者の石、2巻のバジリスクに比べて、今回のテーマ、脱獄囚シリウス・ブラックは、最初からハリーを狙っているとされており、終始ハリー自身に深く関わってくるため、読者もひとごととは思えずハラハラします。
繰り返しといえば、今回もまた、学寮対抗の点取り競争が出てくると、私はうんざりしました。けれど、最近のファンタジーはゲームの影響を受けている、という井辻朱美の指摘(『ファンタジー万華鏡』)を読んで気づいたのですが、この点取り競争は、昔はやった偏差値教育やいい子ぶりっこを連想するよりは、ゲームをイメージした方がよいのかもしれません。
ハリポタも、ホグワーツでの1年をゲームの1ステージとして、各場面の面白さや中味とは別に、ここで何点ゲットしたか、あそこ何点失ったか、総合得点は何点か、そのデータをはじき出しているのです。裏技を使おうが何だろうが、他寮より高得点をマークすればこのステージ(巻)はクリアした、というふうに。
だとすると、私のように点数計算のきらいな読者は、このデータを無視して物語を楽しめばそれでよいのかもしれません。
さてクライマックスでは、シリウス・ブラックやルーピン先生、ハリーの父親などの過去がだんだん明らかにされますが、この過程で謎がからまり、どんでん返しもあって、ハリーも読者も誰が善玉なのか裏切り者なのか、わけがわからなくなります。このあたりは、ファンタジーというよりミステリーですね。
それとは別に、学校を護るために来ているはずの吸魂鬼(これはファンタジー的!)が、まったく恐ろしくて、味方だか敵だかわかりゃしない。
そのあと“一発逆転”するのに、時間を巻き戻して自分の行動をやり直すという荒技が出ます。砂時計という小道具はファンタジー風ですが、これはSFの扱う領域のような気がします。ファンタジーでは違う時を見たり、そこへ行ったりはしても、やり直すという行為をするでしょうか?
などと首をかしげつつ、いよいよファンタジーでなくなっちゃったのかと思うと、最後に牡鹿の守護霊が出てきて、ファンタジーぽいとどめの刺し方に、ちょっと安心しました。
1巻では母の愛だったのが、この巻では父に焦点があたっています。ハリーはお父さんそっくりだ、父の子だ、というくだりが何度も出てくるし、彼の守護霊は牡鹿(=父の象徴)でした。
13歳のハリーもまた、思春期で、自分自身のルーツを探求するイニシエーションのただ中にいるのでしょう。父を取り巻く友情と裏切りを解き明かしたハリーの心の中で、最後に守護霊として呼びだせた父の象徴(牡鹿)は、しっかりと中心の座を占め、ゆるぐことなくハリーの支えとなっていくだろう、と感じられ、読者は安堵します。
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