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「ピッピ」シリーズのラスト・シーン――幼年時代の永遠化 (2005.6)
「ピッピ」シリーズ最終巻『ピッピ南の島へ』の最終章のラスト・シーンについて、心理学者の河合隼雄が、ろうそくを吹き消したピッピが消えてしまうと思った、と書いています(『子どもの本を読む』、先日、図書館で拾い読みしました)。
私は子どものころピッピが大好きで、何度もくり返して読みましたが、ピッピが消えてしまって明日からはいなくなるだろうとは、一度も思いませんでした。
なぜって、その日ピッピたちは“大人にならない、生命の丸薬”を飲んだのです。そして作者は、彼らがいつまでも子どものまま、毎日楽しく遊び暮らすでしょう、と書いているのです。だから、ピッピは消えっこないはずです。
ところが、ピッピは永遠に今のままだ、とくどいほどくり返されているにもかかわらず、一抹の不安、寂しさ、何かが確実に終わったような喪失感が、このラスト・シーンには確かに漂っています。
それは、幼かった私にも感じられ、なぜわざわざこんなさびしい終わり方をするんだろう、大人ってわからないな、と思ったものでした。
つまり、その夜、トミーとアンニカが子ども部屋の窓から見ると、ピッピの家の台所で、彼女がろうそくの火をながめながらすわっているのが見え、
「ピッピは、なんだかさびしそうにみえるわね。」 ――リンドグレーン『ピッピ南の島へ』大塚勇三訳
そして、
「もしピッピがこっちをむいたら、ぼくたち、手をふろうよ。」…でも、ピッピは、夢みるような目つきで、じっとまえをみつめているばかりでした。
それから、ピッピは、ふっと、火をけしました。 ――『ピッピ南の島へ』
河合隼雄の本を読んで、やっと大人の私にはわけがわかったように思います。
どんなにしがみつこうとしても、楽しい幼年時代には確実に終わりが来るということ。それが本能的にわかっているからこそ、ピッピと仲間たちは“生命の丸薬”を飲むのですが、できることはただ、幼年時代の黄金の思い出を心の中で永遠化していつまでも持ち続けること、それだけなのです。
トミーとアンニカの幼年時代は終わろうとしているのでしょう。けれどピッピと遊んだすばらしい思い出は、“生命の丸薬”として結晶され、彼らの心の中では永遠に生き続けるのでしょう。
同じような永遠化が、A・A・ミルン「プー横丁にたった家」の最終章でも語られています。クリストファー・ロビンは幼年時代の終わりに、仲良しのプーを連れて“魔法の丘”に出かけます。
「ふたりは、いまもそこにおります」
あの森の魔法の場所には、ひとりの少年とその子のクマが、いつもあそんでいることでしょう。 ――A・A・ミルン『くまのプーさん・プー横丁にたった家』石井桃子訳
このラスト・シーンも、子どものころ私には理解不能でした。今では、わかるような気がします。私の幼年時代も、同じように永遠化されて、私の心の中にしまわれているからです。
幼年時代の永遠化。大人になってから初めて味わえる、幼年童話の醍醐味なのです。
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