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HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

上橋菜穂子「守り人」シリーズ

上橋菜穂子「守り人」シリーズ

三十歳の戦うヒロイン――『精霊の守り人』
魂の旅と冒険――『夢の守り人』
南海の異界の匂い――「守り人」外伝『虚空の旅人』
神の力をもし授かってしまったら?――『神の守り人』
がんばれ、チャグム皇子――『天と地の守り人』第一部・第二部
さよなら、チャグム皇子――『天と地の守り人』第三部
重いが味わい深い短編集――『流れ行く者』


精霊の守り人
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三十歳の戦うヒロイン――『精霊の守り人』 (2006.2)

 前に、無垢なる少女戦士の話の時、おばさんのヒロインはいませんねえと 書きましたら、上橋菜穂子のファンタジー「守り人」シリーズを教えてもらいました(タカムラさんありがとう)。

 この物語は、東洋(日本)風な舞台設定や、精霊界と人界とのからみあい、歴史と伝説の関係など、注目すべきところがいっぱいありますが、今回はヒロインのみにしぼって感想を少し。

 ヒロインは、三十歳(独身)の女用心棒、短槍使いのバルサ。『精霊の守り人』での彼女は、精霊の卵を宿したために追われる王子を守って、ハラハラドキドキの逃避行をし、追っ手と戦い、卵をねらう精霊と戦います。
 その戦いぶりの小気味よいこと! 男性の武術の達人が活躍する時代劇などと同じように、鮮やかでむだがなく、性格もさっぱりと気持ちよい。悩みも多き夢みる乙女や、ともすると不安定に揺れ動く少女とは違う安定感があり、とことん頼もしい女性です。

 バルサを見ていると、ひとむかし前の、女性総合職(キャリアウーマン。もはや死語?)を思い出します。男性社会に混じってバリバリと働き、服装も仕事内容も一分のスキもなくビシリときめた、才女たち。すごいんだけど、もうちょっと肩の力を抜いたら? と言いたくなるような…
 私の想像ですが、純粋無敵な少女戦士がそのパワーを維持したまま、年齢を重ねると、バルサのようになるのではないでしょうか。バルサは子供の頃から自分自身が追われる身で、多感な娘時代を戦い続けなければならなかったために、三十歳の現在もずっとずっと戦い続けています。そして現在、失敗すれば死、という用心棒稼業をやっているということは、彼女は真に無敵のヒロインそのもなのです。

 ただ、そんな強い女性であるバルサも、三十歳という年齢は何らかの変化の時期のようです。
 少女期からのトラウマとなっている、養父ジグロ(彼女のために故国を捨て、追われる身となり、友を殺した)への負い目ということに、バルサはそろそろ正面から向かい合わなければならない。それは、少年王子チャグムと逃避生活をするうちに、かつての自分を思い出し、保護者の立場から見直すことで、次第にはっきりしてきます。
 長い間、追われ、戦いながら前へ前へと生き抜いてきた彼女も、そろそろ立ち止まってふり返る時期が来ているのでしょう。
 それは、もっと現実に、体力的な問題としても生じています。
 いちばんの理解者であり彼女に思いを寄せている呪術師タンダ(男性)は、彼女の傷を手当てしながら、もう若くないから無茶をするな、というようなことを言うのです。
 このタンダは、戦い続けるキャリアウーマンにとっての、一種の理想の伴侶ですね。伝統的な男女の役割がここでは逆転していて、タンダの方が年下で、傷ついたバルサの世話をし、料理を作り、戦い一辺倒な彼女に適切な助言をします。バルサと結婚したいと思いながら、無理強いせず、彼女を自由に行かせる。こんな広い心の男性がほんとに居るものかしら、と思うほどです。
 そんなタンダに、バルサは心を許して甘えています。甘えというのは、タンダの好意を受けとめつつ、結婚はしないということで、その主たる理由は、

  「…わたしはね、骨の髄から、戦うことがすきなんだよ。だから、戦うことをやめられないんだ。」 ――『精霊の守り人』

 仕事が好きだから結婚にしばられたくない。キャリアウーマンの本音がそこにあります。
 にしても、バルサは転機を迎えているようで、自分を見つめ直すため、最後にひとり故国へ戻る旅に出ます。笑って見送ってくれるタンダが、ほんとうにすばらしい! 「おれよりいい男はいるかもしれないが、ただで傷を縫ってくれる男はいないだろうからな。」…こんな優しい男性、なかなかいませんよね。
 
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夢の守り人
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魂の旅と冒険――『夢の守り人』 (2006.3)

 『精霊の守り人』『闇の守り人』に続いて、上橋菜穂子の和風(純和風ではないけど)ファンタジーにもだいぶ慣れきた私です。
 『精霊の守り人』のヒロイン・バルサの、親友タンダとその師トロガイが、『夢の守り人』では中心人物となっています。二人とも呪術師で、体から抜け出た魂を呼び戻すという危険な呪術を試みます。

 呪術というといかにもファンタジーですが、精神医学とか心理療法などを思い浮かべると、現代にも通じる感じがします。
 現実とは違う人生を夢みて、その夢からさめなくなり眠ったままの人々。彼らの魂(精神)は体を抜け出したまま、夢の〈花〉がつくる亜空間に集まっています。そこはいかにも日本的な美しさ…雅やかで幽玄な世界です。

  暗い湖の水面に、まるで鏡にうつっているかのように、はっきりと〈山の離宮〉がうつっている。
  …天空にかかっている月は、きれいな半月だ。それなのに、湖水にうつっているのは、ふくらみをおびた満月にちかい月だった。みまもっているあいだにも、月はみるみるふくらみを増し、満月にちかづいていく。
  …水鏡にうつっているさかさの宮には、渡り廊下にかこまれた奥のほうに、ゆらゆらと、明りがみえはじめていた。ほの明るく、やわらかい灯(ともしび)の色……。 ――『夢の守り人』

 このような夢の花の咲く美しい宮にとらわれた魂を、つらく味気ない現実に呼び戻すのは、容易ではありません。

 面白いのは、性質も特技も人生もまったく異なるいろんな人々が、同じ花の夢の世界にかかわっているところです。
 平凡な人生を憂えて夢からさめない百姓の娘。
 心優しき呪術師タンダは、彼女の魂を呼び戻そうとして自分が夢にとらわれてしまいます。
 彼の師である老呪術師トロガイは、かつて花の夢に暮らし花の番人と恋をして魂の子どもを生んだことがあります。
 皇帝の一の妃は、皇太子を亡くした悲しさから夢に入りこみ、恨みによって花を操ります。
 現皇太子チャグムは、その身分に縛られる現実から逃れたくて夢にひかれます。
 トロガイの魂の子ユグノは長年、花の夢に親しみ、精霊に愛されるほどの歌を歌うので、人々は魂を揺さぶられ、夢にとらわれてしまいます。しかし、最後に彼の歌の力がとらわれていた魂たちを解放します。花を散らせる風となった彼の生命力は、花の種子を受け継ぐことになります。

 〈花〉の世界とそれにかかわる人々に、善と悪・光と闇みたいな二元対立はありません。人々は自分の人生や夢を自分なりに何とかしようともがいています。
 今回は部外者という感じのバルサも含めて、人々は現実の世界では協力しあってとらわれた魂の救出に努力しますが、魂の世界では、それぞれが〈花〉とかかわりあっても、同じ夢を共有したりはしないのです。
 二人の呪術師はプロですから、とらわれた魂に呼びかけはしますが、自分たちにも同じように〈花〉に惹かれる魂があり夢があるので、やっぱり最後は一人一人の葛藤ということになります。そして、夢からさめぬまま死んでしまう人もいることが示されています。

 勧善懲悪とか、光と闇の合一、がテーマの欧米型ファンタジーに比べて、なんともあいまいで個人的で、結局ぐるりとめぐって元に戻る(〈花〉の種子が受け継がれる)ような結末。
 ふと河合隼雄の本(『昔話と日本人の心』)を思い出しました。西洋の昔話は、主人公が敵をやっつけ宝を得たりお姫様と結婚して終わるのに、日本の昔話はいろいろあっても結局元に戻って終わる、というのです(無論そうでないものもあるんでしょうけど)。
 〈花〉にかかわった人々も、現実に戻ってくれば元通りの人生が待っています。ただ、彼らの魂は確かに旅をし、いろんな冒険や葛藤を経たのです。元通りの人生でも、違った心で見ることができることでしょう。
 これは、ファンタジーを読むことそのものに、あてはまるのではないでしょうか。ファンタジーは、読み終えれば一抹の夢、元通りの現実(生活)が待っているのですが、それでも心の目がいくらか洗われて、クリアな気持ちで現実と向かい合える――そんなリフレッシュ効果こそ、ファンタジーのすばらしさだと思います。
 
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南海の異界の匂い――「守り人」外伝『虚空の旅人』 (2006.12)

 『精霊の守り人』が2007年、アニメ放映(詳細はこちら)されると知って、このシリーズを再読しています。
 今回は、『精霊』でまだ子供だったチャグム皇子が、一人前の若者に育ったお話、『虚空の旅人』をご紹介。

 古代日本的な世界と、ゆらゆらと微妙であいまいで幽玄の異界(水界)とのかかわりを主に描いた『精霊』『夢』。少し中央アジア遊牧民的?な世界と、山の根のトンネルという常闇の世界とが印象的だった『闇の守り人』。それらとはかなり趣を異にしたこの第4作めは、開放的で明るい南海が舞台。
 そこは、新ヨゴ皇国の南西にある、島々をかかえた海洋国家サンガル王国です。海賊上がりの商人たちを祖先に持つ王家は、現実的でたくましく、チャグムが奥まった場所で神聖不可侵な皇太子となっている新ヨゴ皇国とは、対照的です。
 特に、チャグムと同年の第2王子タルサンは、漁民と一緒に島で育った健康的な熱血漢で、チャグムもこのようにありたかったのかも?と思わせるほど。
 王位継承の儀式を前に、このタルサン王子が呪術をかけられて兄王子を殺そうとしますが、裏には、勢力を争う島々や海の向こうの南の大国の影がちらつき、たいへん現実的な権謀術数がはりめぐらされていて、居合わせたチャグムたちを巻きこんでの陰謀合戦の面白さは圧巻です。

 しかし、ここにも、南国風に装いを変えた“異界(水界)”が存在しています。人間たちの欲得の渦巻く現実界の物語を要所要所でつらぬくように、不思議な実感(それはチャグムが時折り強烈に感じる「水の匂い」のように、読者の感覚をも不意にとらえるようです)を持って押しよせてくる、海の底の異界・・・

 その不思議さにとまどうサンガル人たち、その不思議さにとりつかれてしまった島の少女、その不思議さに共鳴しつつ取りこまれずにしなやかに生きる海上の民ラッシャロー。
 上橋菜穂子のすばらしさは、それぞれ違う価値観を持つ人々のそれぞれの立場と考え方が、えこひいきなくきっちり書かれているところで、さすが文化人類学者さん!と感心します。
 この物語でも、悪役呪術師でさえ、きちんと彼なりのスジが通っているのです。
 そして、現実の陰謀・外交問題にも、異界の匂いにも、うまく向き合ってゆくチャグムのなんと優秀なこと。ちょっとできすぎかも?と思うけれど、そこはやっぱり俗人ならぬ皇子さま。カッコよすぎ!です。

 で、2007年春からのTV放映ですが、NHK-BS2なんですって。ああなんと。うちのTVはBSが入らない~ どうしよう~
 
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神の力をもし授かってしまったら?――『神の守り人』 (2007.1)

 「守り人」シリーズに共通するテーマは、
 “純粋な子供が異世界に触れてその精髄や力を宿してしまい、それがきっかけとなって人間界にさまざまな事件・変動が起こる”
ということではないかと思います。
 異世界の描写や、現世のほうのいろんな民族・国家のようす、波瀾万丈のストーリー、そして主人公たちの内面描写、どれもすばらしいのですが、私にとって読んでいてつらいのは、異世界と現世のはざまに立たされるのが、無力で無邪気な少年・少女だということです。

 『神の守り人』では、森に隠れ住む少女アスラが、破壊的な神を異世界から招く力を授かってしまい、そのせいでたいへんな目にあいつづけるのです。普通の暮らしの幸せを願う少女が、もっとも身近で最もいとしい存在である母に、

  あなたは、この世を変える、神にえらばれし子。
  ・・・この世を治める者…
  もう、わたしたちには、なにも、おそれるものはない…! ――『神の守り人 帰還編』

なんて言われたら、どうでしょう。彼女に背負わされたものはあまりにすさまじく、重く、あっという間に彼女の周りから人間的なぬくもりを奪い去っていきます。

 無垢な子供が、大人へと変わり始める思春期(アスラは12歳)の不安定な時期に、そんなめにあってしまうことの痛々しさ、恐ろしさ。作者はそれを繰り返し語っては、そんな純粋な魂を何とか救おうとするのです。

 この物語で、アスラはどたんばで迷いをたちきり、気力をふりしぼって神の力を拒みます。しかし、彼女の魂はその犠牲となって眠ってしまいます。目ざめる可能性には言及されていますが、最後まで何てかわいそうな少女なのでしょう。

 ここでふと思い出した物語(コミックス)があります。佐藤史生の『ワン・ゼロ』。これも、16歳の少女マユラが神の力を宿し、世界の救世主にしたてあげられてしまうお話でした。こちらでは、少女は神を拒めません。不安がっていた彼女はやがて、人間離れした存在に変わっていってしまいます。マユラの兄やその友人たちが彼女の力の暴走をようやく止めたとき、やはり彼女の魂は元通りにはなりませんでした。

 純粋無垢な子供におとずれる“魂の危機”の、恐ろしくも切ない物語。「守り人」シリーズはそんなふうに読むこともできるのではないでしょうか。
 
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がんばれ、チャグム皇子――『天と地の守り人』第一部・第二部 (2007.2,4)

 図書館で予約していた上橋菜穂子の『天と地の守り人』第一部、ようやく順番が回ってきました。表紙には「次の方がお待ちです お早めにお願いします」というシールが貼ってありました。予約殺到なのかしら。アニメ化の影響もあるでしょうが、それ以前からの根強いファンがたくさんいるということでしょうね。

 物語の中身の方は、予想通りというか、新ヨゴ国を始め北の国々へ、海を越えて、いよいよ南の大国タルシュ帝国が侵略を始めようという緊迫した世界情勢。・・・余談ですが、拙作『海鳴りの石』で、舞台となる小国が海を越えた南方の大国に侵略されそうになる展開と、ちょっと似ているんです。野に下っている主人公の世継ぎが祖国を救おうとするところも似ていて、うーん、こうなるともう他人事とは思えません。ガンバレ、チャグム皇子。

 第一部では、チャグムと女用心棒バルサがやっと再会し、祖国を救うため苦難の旅を始める・・・ところで終わっています。
 すでに第二部、第三部(完結編)も出ているので、早く続きを読みたいですね。ところが第二部は図書館検索をするとただいま予約14人待ち! やっぱりこれは買うしかないかしら・・・?

 それにしても、ヒロインのバルサは三十代もなかばの年齢となっていますが、まだまだがんばっています。大の男たちを素手でやっつけたり、身のこなしも相変わらず鮮やか。世に女戦士は数あれど、「女性であること」をただの一度も利用せず、つねに真っ向から敵に立ち向かうバルサは、他の追随をゆるさぬすごさを持っていると思います。
 戦いの前に後に、体力的にムリが来てちょっと痛々しい場面もありますが、それでも弱音をはかない彼女には、脱帽です。
 人間やっぱり、若いときにきたえた基礎体力が勝負ですね・・・などと、近頃ひしひしと体力の衰えを感じる私は思うのでした。

 * * * * * * * * * *

『天と地の守り人』第二部を読み終えて今日、図書館に返してきました。
 第一部は、行方不明のチャグム皇子を、ヒロインのバルサが見つけ出すまで。第二部は、二人がカンバル国へ旅して、王に、南から来る侵略軍から故国や隣国を守るための同盟を説きます。

 ニッポンの天皇と同様、神の末裔ともいうべき、新ヨゴ国の皇太子でありながら、チャグムの人生は子どもの時から何と波瀾万丈なのでしょう。
 今回も、刺客に襲われたり、祖国の将来を憂えたり、活性化する異世界にひきずられたり、ほんとうに盛りだくさんな苦難の道を歩んでいきます。彼が真の王になるためには、こんなにも試練が必要なのです・・・そして、それにまっすぐに向かってゆく彼は、傷を負い、よれよれになり、しまいにはカンバル王に膝を屈する(ポーズですけど)のですが、それでもなお純粋無垢なヒーローでありつづけるところが、いいですね。
 バルサは今回、彼を守り導く役に徹しているせいか、さすがにちょっと老けました。中年女性と養い子、という異色のコンビは、今後さらにいい味を出していってほしいです。

 物語はまだ終わらなくて、チャグムは侵略軍と戦いに、バルサは新ヨゴ国へ天変地異を告げに行く、というところで第三部に続きます。まだまだ前途多難な感じですが、とにかくガンバレ!と声援を送りたくなるような、精いっぱいの二人でした。
 ・・・第三部、図書館に予約を入れたら8冊に対して30人待ちでした・・・。
 
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さよなら、チャグム皇子――『天と地の守り人』第三部 (2007.6)

 守り人シリーズ完結編、ようやく図書館で借りられました。
 ついに戦争が始まろうというとき、援軍を率いて故国へ向かうチャグム皇太子、“草兵”として前線に送られたタンダ、など気がかりがいっぱいなまま終わった第2部でしたが、この第三部では、すべての国や登場人物たちのあれこれに決着がついていきます。

 物語を書いたことのある身で申しますと、最終巻というのはまとめるのがタイヘン。守り人シリーズのように、いろいろな国のいろいろな立場のいろいろな登場人物が、それぞれ自分の立場を主張しながら動く物語では、特にタイヘンだと思います。
 中心となるのは新ヨゴ皇国&チャグム皇太子ですが、他にもロタ国の南方領主はどうなった~、サンガル国の動きは~、敵であるタルシュ帝国の後継者争いは~・・・そんな大きな動きから、『精霊の守り人』で出てきた何でも屋のトーヤ夫妻は~、『神の守り人』に出てきたチキサ・アスラの兄妹は~など小さな動き、はたまた、各国の密偵たちにいたるまで、作者は思い入れと気配りを忘れません。

 そんな「総まとめ」の中、バルサはタンダを探し当て、傷ついた彼の腕を切り落とし、介抱します。これまでは外を出歩いて傷を負うのがバルサで、治療するのがタンダだったのに、今回その関係が逆転しているのが興味深いところ。バルサの刃物が、人の命をおびやかすのではなく、命を救うためにふるわれたのも、印象的です。

 そしてチャグム皇子は、父帝のいる都へ帰り着きます。彼が他国で死んだと思われたのに生きのび、あちこちをさすらい、さまざまな事件に出会い・・・というあたりから、私はふたたび自作『海鳴りの石』の主人公フェナフ・レッドの運命と彼の運命とがだぶってきて、とても他人事とは思えなくなりました。
 フェナフ・レッドもチャグムも、危機一髪、故国の危難を救うのですが、そのために払われた犠牲、流された血は、とてつもなくヘヴィーです。チャグムは、再会した父に向かって、思いきり開き直って自分自身をたたきつけます;
  「赤戸ノ砦では屍を踏んで歩き、ヤズノ砦ではこの手に剣をもって、タルシュ兵を斬り殺しました。・・・兵士たちも、たくさん死なせてしまいました。
  「わたしは穢れた人殺しです。――清らかな皇子をよそおうつもりなど、もうとうにありません。」
                             ――『天と地の守り人』第三部

 しかも、純粋無垢で身も心も真っ白な少年だった彼が、このように血と汗と泥にまみれて苦しんだだけでは十分でなかったようです。純粋無垢を貫き通した父帝の命の犠牲があってこそ、チャグムの苦しみが実を結んだと私には思えます。言い換えれば、父帝の純粋さとは、少年時代のチャグム自身が持っていた純粋さであり、父を失うことでチャグムは二重に、無垢なる少年時代に別れを告げたのでしょう。

 ともあれ、少年チャグム皇子はもういませんが、生きのびて新しい時代を築く大人のチャグムが(歴代の帝のように顔を布で覆ったりせず)しっかりと前を見据えて出発しましたから、めでたしめでたしというべきでしょう。  そして、タンダの小屋に再び茂った雑草のように、人々は穏やかにたくましく生きていく・・・大団円ですねえ。
 
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重いが味わい深い短編集――『流れ行く者』 (2010.1)

 上橋菜穂子の「守人シリーズ」の番外編。守人シリーズのヒロイン、女用心棒バルサが少女時代、養父とともに追っ手をのがれて苛酷な旅暮らしをしていた頃のお話です。しかし彼女自身の話というよりも、そのうち3つの短編で中心的に語られるのは、旅で出会った印象的な人物です。

 一人目は、バルサの友で農民生まれのタンダの、親戚の男。彼は継ぐべき家や田畑を捨てて放浪の芸人になり、ついには「野垂れ死に」しましたが、やさしいタンダは彼に同情します。
 二人目は、賭博師の老女。古典的RPG(ロールプレイングゲーム)に似た陣取り戦争ゲームを仕切る職業の彼女は、ふだんはゲームの盤上で王者になるより賭け金を多く取るのが仕事だが、それとは別に、賭け金なしの純粋なゲームを真剣に楽しむ50年来の相手がいた、という話。
 三人目は、バルサや養父と同じ、用心棒稼業の老人。長年、護衛をつとめてきた隊商を最後に裏切って盗賊に売り、偶然その場面を見たバルサの口封じをしようとして、逆に彼女に殺されます。本のタイトルの「流れ行く者」は、この話のタイトルでもあります。

 こうしてみると、3人とも、一つところに落ち着いてまっとうな暮らしをする人々とは違う、“流れ行く者”で、しかも老人であることがわかります。流れ者であるがゆえに、彼らに対する世間の評価はきびしく、年を取るといっそう彼らの生き方には悲哀がにじみ出ています。
 笛や舞がうまい陽気な芸人だった老人(1話め)も、人情味にあふれ、バルサにもやさしかった老用心棒(3話め)も、結局は非業の死を遂げました。その報われない終わり方には、やりきれない切なさがあり、父を殺され自分も罪なくして追われる身、というバルサ自身の境遇と相まって、物語全体のトーンをかなりヘヴィーにしています。

 ただ、どちらの話も、事件のあとに、その重さ切なさを癒すかのように、タンダのやさしさが描かれます。最もヘヴィーな第3話の後には、直接関係はないけれど短い第4話があって、バルサを毎日待ち続けるタンダの姿があたたかく描かれています。それは守人本編で、殺伐とした生き方のバルサを常に彼が包みこんで癒すのと同様、現実の重苦しさをやわらげているのです。偉大な行いをするわけではない、日常の小さなやさしさこそ、本当の癒しなんだなあ、としみじみ感じさせられます。

 ところで私がいちばん強い印象を受けたのは、第2話の賭博師の老女アズノでした。ふだん彼女は賭場の持ち主のためにゲームで掛け金をより多く稼がねばなりません。しかし、族長の重臣ターカヌとのゲームでだけは、彼女自身も一国の王のごとく、将軍のごとく、盤上で戦い、50年間その歴史をつくりあげてきました。

  この<ロトイ・ススット>の中では、アズノはめずらしく領土を争っていた。放浪者の駒ではなく、領主や戦士の駒、奥方の駒などを使って、・・・まっすぐで、真剣な勝負をくりひろげている。・・・それは、あたかも、異なる結末がいくつもある物語のようだった。  ――上橋菜穂子『流れ行く者』

 つまり、そのゲームこそは、作者自身が行っているだろうこと、つまり、まるごと一つの世界の歴史をつくりあげる物語(ハイ・ファンタジー)を創作することだと思えるのです。
 アズノは、長年続けてきたゲームの記録を、時には独りで広げて独りでゲームを進めて(=物語をつくって)いきます。ライフワークともいうべきそのゲームこそ、彼女の生き甲斐だったのに、ただ一人の相手ターカヌは病気のためゲームからおりてしまいます。
 50年にわたるゲームを、最後に、アズノは賭博師として掛け金を取る方法で終わらせます。ターカヌに代わってアズノの相手となった彼の孫息子に対し、アズノは真剣な勝負をせず、なりわいでやっている他のゲームのようにわざと負けて、金だけを手に入れるのです。
 そこに、しがない稼業ではあっても、賭博師は賭博師としての、彼女のプライドがあります。また、生涯ただ一人の好敵手ターカヌとのゲームだけを他の金稼ぎのゲームとは最後まで峻別した彼女の、強い気持ちもあるのでしょう。物語の作り手の端くれである私としては、あっぱれ!と言いたくなります。
 
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