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HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

日本の絵本

日本の絵本

田島征彦『じごくのそうべえ』と落語
国松俊英・川端誠  紙芝居『ぼたもちばあさん』
斎藤隆介『モチモチの木』
3年生でもOK、中川李枝子&大村百合子『ぐりとぐら』
夏の人気絵本 長谷川摂子『めっきらもっきらどおんどん』
運命の相手と出会って――佐野洋子『100万回生きたねこ』
シンプルでビューティフル。『6つの色』


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田島征彦『じごくのそうべえ』と落語 (2005.5)

 子供の通う小学校に絵本作家の田島征彦さんが来演、自作の読み 聞かせ&講演会がありました。
 ・・・楽しみにしていたのに、下の子の体調が悪くて行けませんでした。

 来演にさきだって、全クラスで『じごくのそうべえ』など田島征彦さんの絵 本の読み聞かせを、ボランティアのお母さんたちが行いました。

 『じごくのそうべえ』は、軽業師そうべえが地獄めぐりをする話で、上方落 語「地獄八景」がもとになっています。落語好きの夫が、桂枝雀「地獄八景 亡者戯」のカセットや、桂米朝「地獄八景」の載っている本を貸してくれたの で、これも鑑賞してみました。

 じつは、絵本は、落語とはだいぶちがうのです。そもそも軽業師が主人公 というわけでないし、名前も「そうべえ」ではないし。でも、落語のおもしろさ の本質とゆーか、それはしっかりある感じ。落語には出てこないオリジナル の部分にも、落語っぽい味?があって、どこまでが落語でどこまでが創作か わからないほど、うまくとけあっていると思いました。

 落語では地獄のままでおしまいなのに、絵本のそうべえは閻魔大王に追 い出されて、ちゃんと生き返ってくるあたり、心にくいですね。

 それにしても、絵本がきっかけで、私には未知なる落語の世界をちょこっと だけ、かいま見てしまいました。
 そして、子供がよく見るアニメ「おじゃる丸」に出てくる閻魔大王(奥さんに 命じられて朝のゴミ出しをしていたりする)も、いがいとこのあたりに原点が あるのかもしれないな、などと思ったりしました。
 
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国松俊英・川端誠  紙芝居『ぼたもちばあさん』 (2005.10)

 長男の小学校で、お母さんボランティアによる「お話会スペシャル」がありました。
 絵本が3冊と、最後に紙芝居。この紙芝居を私が担当させてもらったのです。
   関西弁の笑い話『ぼたもちばあさん』

 ばあさんがぼたもちを10個もらいます。よくばりなばあさんは、重箱に入れたぼたもちに向かって、
「もしよめさんがおまえらを食べようとしたらな、カエルになれ」
と言い聞かせ、お寺へ出かけます。
 盗み見していたよめさんは、ばあさんがいなくなるとさっそく重箱をあけ、
「ひとつぐらいええやろ」
とぼたもちを食べますが、案の定、おいしいのでもう一つ、もう一つ、と、ついに全部食べてしまいます。
 困ったよめさんは、たんぼでカエルを10匹つかまえて重箱に入れておきます。やがて帰ってきたばあさんが重箱をあけると、ぴょーんとカエルが飛び出すからびっくり。
「こら、ぼたもちカエル、はようぼたもちにもどれよ。わしはばあさんやで」
などと追いかけ回しますが、カエルは座敷中をとびはねて、たんぼへ逃げていきます。

 面白いのは、ばあさんが、ぼたもちがカエルに化けたと信じているところ。本物のカエルに向かって、
「そんなにとんだらあかん。あんこが落ちるやないか」
などと言うのですから、読者は笑ってしまいます。
 さらに興味深いことに、初めからのぞき見しているよめさんまでが、ぼたもちがカエルになるのをなかば信じているのです。重箱のふたをあける時も、
「カエルに化けとったら、いややなあ」
と心配しながらあけ、
「だいじょぶや。まだカエルになってへん」
と嬉しそうに言って、ぼたもちを食べ始めます。

 「まだ」カエルになっていない、というセリフが面白いんです。カエルになる可能性をかなり信じているわけで。

 昔は、ただのいじわるばあさんでも、執念深い言葉一つでぼたもちをカエルに変えることができたんでしょうか。
 
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モチモチの木
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斎藤隆介『モチモチの木』 (2005.11)

  シモ月二十日のウシミツにゃァ、
  モチモチの木に ひがともる。
  おきてて 見てみろ、
  そりゃァ キレイだ。 ――『モチモチの木』 

 長男の小学校で図書の時間に「読み聞かせスペシャル」がありまして、私は大型絵本『モチモチの木』を読むことになっています。

 斎藤隆介の作品は、今や純和風の絵本の代表みたいで評価が高いようですけど、私は子供のころ、滝平二郎さんの切り絵の人物が、なんとなく怖かったです。その目が、特に。

 おまけに、私の感性でいうと重い(ヘヴィーな)話があるんですね。ニッポン特有の(とあえて言い切りたい)、清く正しい自己犠牲精神をテーマにしたもの。
 たとえば『ひさの星』(これは岩崎ちひろの絵)などは、自分の命を犠牲にした主人公のあまりの尊さが、はねかえって、主人公に自己犠牲を強いたように思われる周りの者たちを、厳しく断罪しているとも感じられます。
 すると、読者もいっしょに断罪されたみたいで、いたたまれないような読後感を残します。

 その点、『モチモチの木』は自己犠牲がなくて、安心して読めます。臆病な豆太が祖父(じさま)の急病に、夜中に一人で医者を呼びに泣き泣き走っていく、その心からの勇気がまっすぐに発揮された晩、モチモチの木にひがともります。クリスマスツリーのように輝く、モチモチの木は、豆太の勇気をほめたたえて、凍てついた夜を美しく彩ります。

 ファンタジーとしては、そこで終わってしまってじゅうぶんだという気がしますが、作者は病の癒えたじさまに語らせています、

  じぶんで じぶんを よわむしだなんて おもうな。
  にんげん、やさしささえあれば、
  やらなきゃならねえことは、
  きっと やるもんだ。 ――『モチモチの木』

 言わずもがなの言葉ですが、作者はキッチリ念を押したかったのでしょう。
 
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ぐりとぐら【すてきな絵本】
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3年生でもOK、中川李枝子&大村百合子『ぐりとぐら』 (2006.2)

 久しぶりに小学校の絵本ボランティア(3年生)に出かけました。
 図書の授業を借り切ってのスペシャル版で、『ぶたぶたくんのおかいもの』(絵本)・『ごんぎつね』(紙芝居)、早口言葉で遊ぶ『ぐりとぐら』(大型絵本)というプログラム。

 私がちょこっと担当したのは早口言葉でしたが、「生麦、生米、生卵」などを子供たちに大きな声でチャレンジしてもらったので、だいぶざわざわしました。
 ところが、最後の『ぐりとぐら』が始まると、けっこうすぐにこの本へ集中するんですね。

 超有名なこの絵本、子供たちもすでによく知っているし、幼児向けで話も単純なので、3年生では物足りないかしら?とちょっと不安でしたが、どうしてどうして、みんな大喜び。
 子供はみんな食べ物の話が好きだということですが、この絵本も、大きな卵でカステラを作るところが良いのでしょうね。そして、残った大きな卵のカラで…
「車を作るんやで!」
と、ページをめくる前に一人が叫びます。めくると、ちょうど小さい子が乗って遊ぶような車となった卵のカラの絵。
「電気もないのにどうやって走るんや?」
「足でこぐの!」
「環境にヤサシイ!」
 …こんな場面で、何やら大ウケ。3年生には3年生のウケ方があるんですね。

 ところで、最後の方でできたカステラを森のみんなが食べる場面。よく見ると、おや。『いやいやえん』(中川李枝子&大村百合子)に出てくるいそがし屋の森のおおかみ(タオルとバケツをさげている)と、森のこぐちゃん(赤いバケツをさげたこぐま)がちゃーんと登場しています。
 「森」でみんなつながっているんだな、とほのぼの嬉しくなります。
 
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夏の人気絵本 長谷川摂子『めっきらもっきらどおんどん』 (2008.7)

 2年生7月の読み聞かせは、夏休み前にぴったりということで『めっきらもっきらどおんどん』です。
 印象的なこのタイトルは、主人公かんたが、思いつくまま口走った歌の最後の言葉で、楽しい妖怪たちを呼び出す“呪文”なのでした。

 夏のまひる、一人神社の方へ走っていくかんたの小さな背中が見えて

  あそぶともだちが だれもいない  ――長谷川摂子『めっきらもっきらどおんどん』ふりやなな絵

という言葉から始まるこの絵本は、とっても典型的な、幼年時代の冒険譚です。

 いつもは母親や近所の友達に囲まれている子供が、ひとりになった時、異世界への扉がひらく。かんたの“呪文の歌”に応える声が聞こえたのは、大きな木の根もとの穴からですが、この木にはしめ縄と紙垂が巻かれていて、ご神木つまり神様のよりしろであることがわかります。

 しめ縄つきの巨木の根本に住んでいる妖怪というと、ほら、トトロですよ。「となりのトトロ」では転げ落ちたメイがトトロを発見しますが、この絵本の主人公かんたも穴に首をつっこんで、転げ落ちて、妖怪たちのいる異世界へ到達します。
 彼らは、もんもんびゃっこ(=白狐)、しっかかもっかか(少女のかたちの小鬼?)、おたからまんちん(布袋さんみたい)の3人で、妖怪だけあってちょっと異様な風体ですが、無邪気にかんたと遊びます。おたからまんちんとの遊びは、お宝交換(かんたはビールの王冠をあげて、海の覗ける水晶玉をもらう)ですが、他の遊びはみんな空をとぶことに関係していて、これも子供の夢の王道なんだろうなと思います。(もちろんトトロも、空を飛んでました。)
 で、もちのなる木からお餅をもいで食べて、遊び疲れた3妖怪は寝てしまう。この行動パターンも幼児っぽいですね。で、眠らなかったかんたはお母さんが恋しくなって、大声で呼んで、・・・現実世界へ帰ってきます。

  「かんちゃーん、ごはんよー」

 子供にとって、お母さんとご飯は帰るべき暖かい家庭を象徴し、分かちがたく結びついているんですね。それにしても、このパターンは覚えがあるぞと思ったら、そうです。センダックの有名な『かいじゅうたちのいるところ』とおんなじです。
 『かいじゅうたち・・・』でも、主人公のマックスが一人になって異世界へ旅して怪獣たちとさんざん遊びますが、やがて怪獣たちが眠ると、空腹と母恋しさに、現実世界へ帰ってきます。怪獣たちがマックスの帰還を阻もうとするところも、『めっきらもっきら・・・』と同じ。

 某絵本サイトにも、このことを指摘した書評が載っていましたが、まあこれは『めっきら』が『かいじゅうたち』を真似したとかいうものではなく、こういうストーリー展開が、幼年冒険物語の普遍的なパターンなのだというべきでしょうね。

 で、かんたは家に戻りますが、そののち自分で作ったはずの呪文の歌を忘れてしまって思い出せず、妖怪たちに二度と会えない、というオチがついているところが何だか日本的だなあ、と思いました。
 
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運命の相手と出会って――佐野洋子『100万回生きたねこ』 (2006.2)

 純愛モノということで、CRALAさんご推薦の『100万回生きたねこ』を読み返してみました。これは実は、『絵本と童話のユング心理学』(山中康裕)という本で紹介されていたのを読んで、私は買ったのです。
 その本の中で、とらねこの奥さんになる白いねこは、とらねこの心の中の永遠の女性像(アニマ)だと解説してありました。

 100万回死んで生き返るという繰り返しの果てに、とらねこが出会った一匹の白いめすねここそ、運命の相手だったわけですが、とらねこは白いねこと愛し合って、子供を育てて、相手を見送って100万回泣いて、自分も死んでゆきます。
 別の見方をすると、運命の相手と結ばれて充実した人生を送るまでには、100万回の生き死にをしなければならないのでしょうか。自分で選んだ積極的な人生でないとはいえ、ある時は王さまのねこ、ある時はどろぼうのねこ、ある時はおばあさんのねこ…などと、色々さまざまな体験を積み重ねた末に、やっとやっと白いねこに会えるのです。
 運命の相手に出会うというのは、それほどたいへんなことなのかもしれませんね。

 でも、相手の白いねこにとっては、まだ1回めの生にして、いきなり運命の相手である100万回生きたとらねこに出会っています。
 とらねこが100万回生きた体験を語っても、彼女は「そう」としか言いません。他のねこのように、とらねこをちやほやしません。
 最初、私はこのつんとした「そう」というセリフは、自分で選んだ生き方でなければ何回生きようが自慢にはならない、という意味をこめて、白ねこが“そんな過去のあなたなんかどうでもいいのよ”と考えてているのかと思いました。
 でも、そうではないような気もします。白ねこは、100万回分のとらねこの今までの人生をそのまましっかり自分の胸に受けとめて、「そう」と言ったのではないでしょうか。
 だとすると、「1回も生きおわっていない」白いねこといえども、運命の相手に出会って一緒に生きていこうとするとき、100万回分の人生をともに背負って?いくことになるのではないでしょうか。

 「そう」の一言で、100万回の人生をかかえたとらねこを受けとめた白いねこ、すばらしい女性ですよね。
 
 
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シンプルでビューティフル。『6つの色』 (2006.5)

 とつぜんですが、思い出話。
 下の子が4か月のとき、気管支炎で夜中に緊急入院しました。母乳オンリーだったので私も24時間つきそうことに。
 数日たって、上の子(当時4歳)がおばあちゃんに連れられて病院へ来ましたが、小児病棟には子どもは入れないので、病院の図書室で私と会うことにしました。
 赤ちゃんの容態やら初めての入院やらで、私も上の子も精神的にかなりふつうじゃない状態だったみたいで、数日ぶりに顔を見てもお互いぼーっとしていました。で、とにかく図書室にいるので、
「何かご本を読んであげようね」
と言いますと、絵本の棚を少しさがして、『6つの色』を持ってきました。

 ページをめくると、最初の方は、へびとキレイな色の丸しか描いてありません。文の方も、

  あおと あかと きいろです。
  あおと きいろを たべました。
  おなかのなかで/あおときいろが ぐるぐるあわさって
  ポトン/みどりいろが、でてきました。   ――とだこうしろう『6つの色』

 こんな感じです。とってもシンプル。そして、疲れた目にしみるような、鮮やかな色。
 読み進んでいくと、主人公のへびくん、「くろ」を食べて病気になり、「しにそうです」と書いてあります。なんとなく、気管支炎でゼイゼイいっている我が子のことを思いました。
 すると、次のページで、

  6つのいろは、かわいそうな/へびをみて かなしみの/あめをふらせました。――『6つの色』

 そして、各色の雨は、それぞれ湖や果物や花になって、いままで余白の多かったページをゆたかにいろどり、その真ん中でへびは回復します。「かなしみ」から、実りが生ずるのです。

 ストーリーもとってもシンプル。それなのに、私の心に何やらすごい感動が、ずしんと来ました。何だか涙が出そうでした。へびと色と雨とが、まるで神話のようでした。

 数日後また上の子が病院の図書室に来たとき、すぐにまた『6つの色』を持ってきました。またくり返して読みました。
 下の子は1週間で退院し、何年か過ぎ、ある日、某通販雑誌でこの絵本を見つけました。上の子に見せると、「あっこれ!」と彼もすぐ思い出した様子。で、買いました。

 下の子が3歳ぐらいになると、自分でこの本をめくって、へびが「ポトン」と緑色のうんちをしているページを見て、おもしろがってゲラゲラ笑いました。うちの子もへびも、元気になってほんとによかったなあ、と私は思いました。
 
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