ラッパーが語る最後の英雄! ノーラン監督の「オデュッセイア」
話題のノーラン監督の「オデュッセイア」を観ました! 神話好きの私、ブラピの「トロイ」以来のギリシャ神話ものです。以下ネタバレふくみます; 岩波文庫のホメロスの原作(原典というべき?)の愛読者なので、どうしても、どう映像化されるか、どう改変されるかと思いながら見始めます。で、冒頭、詩人の語り始めから衝撃でした。 原作は(『イーリアス』もそうですが)詩の女神への呼びかけ(祈願)から始まります。もとは詩人がうたい広めた話ですから当然。この映画でも、ちゃんと詩人がまず出てきたわけですが、その詩人の語りの迫力がすごい。宴会のざわめきをものともせず、杖で床をドンドン打ち鳴らし、「顔! 船! 城市!」と、わずかな名詞の連呼で長大な叙事詩世界へ導入していきます。 ただならぬオーラだと思って調べたら、演じているのは有名なラッパーのトラヴィス・スコットでした!(名前しか知らなかったけど。しかもスニーカーとかのデザイナーだと思ってた) 原作に出てくる吟遊詩人(ペーミオス)は、この場面で竪琴を弾いて歌っています。また(映画では省かれた)パイエーケス人の詩人もそう。けれど、訳者呉茂一の注釈を見ますと、 ・・・(前略)ホメーロスその人の時代では、楽器はなく、杖を持って吟誦したと言われ、ラプソードスと呼ばれた。 ――ホメーロス『オデュッセイアー』呉茂一訳 おお、トラヴィス・スコットの詩人は、これですね! 時代はともかく、場面的には、主人のいない城の広間で好き勝手に飲み食いし続ける求婚者たちに聞かせるのですから、繊細なリラ(竪琴)の音に耳を傾けさせるよりは、杖で床を打つ方がパワフルで効果的です。 などと、感動するうちにストーリーはどんどん進みます。オデュッセウスの留守中の妻ペネロペと息子テレマコスのハラハラする苦境に、オデュッセウス自身のドキドキする帰還の旅の回想がはさまっていて、視聴者を飽きさせません。城で待ち続けるペネロペの”静”と父の消息を尋ねに行くテレマコスの”動”。カリュプソの島でのオデュッセウスの”静”・彼の旅の回想の”動”、という対比も見事。 これはノーランさんの構成力のすごさというより、原作がそういうハラドキ構成になっているのを、ちゃんと映画に反映させているのです。感涙必至の忠犬アルゴスのエピソードもそう。そういう意味では原作に忠実なつくりで、好感が持てました。 もちろん、改変もあります。トロイ落城の詳しい場面が付け加えられたのは、当然でしょう。この話自体がトロイ戦争の後日譚なのですから、前段の説明が必要です。ところで、映画「トロイ」に比べて、木馬が気味悪いほどものすごく精巧だったのはびっくりで、とても良かったです! また、理想的な社会を築き理想的な王女ナウシカー(風の谷のナウシカの名前のモデル)の居るパイエーケス族の挿話は(私の好きな場面ですが)、すっかり省かれました。たぶん話を進めるには必要な省略だったのでしょう。 これらの改変は、監督の主張を表すにも効果的なようです。 (表向きとはいえ)名誉をかけたいくさを、謀略(だまし討ち)で決着させ、虐殺と略奪の悲劇を招いたこと。「敵を欺くにはまず味方から」というわけで、木馬の側に配した味方のシノンをもだましていたこと。それらを主人公につきつけています。個人や集団の道義的問題もありますが、もっと大きくとらえて、今までの社会秩序の崩壊と転換点とみているのです。 映画で「海から攻めてくる者」と予言される(これは原作にない)、古代ギリシャの青銅器時代の終わり(鉄器時代の始まり)の「暗黒時代」に襲来する「海の民」。 客人をもてなすというゼウスの掟が、求婚者たちに悪用されていること。 これまでのような英雄的で一騎打ち的ないくさや、旅人をもてなし平和に海上交易で栄える文明(この理想型がパイエーケス族ですが映画には出てこない)が、終焉に向かうこと。 それらが、映画全体を貫いて、”神々の黄昏”感を醸し出しているようです。実際、英雄たちはほとんどがトロイ戦争で、またその後で死んで冥府へ行きます。ギリシャ神話の系譜を色々見ても、彼らの子孫はすっかり影をひそめ、活躍もあまり多く語られていません。 トロイから最後に帰還して平和に故国を治めた(原作の)オデュッセウスは、(ローマの祖となったアイネイアースとともに)神話時代の最後の英雄なのです。 原作でも、『イーリアス』の男性的な英雄のいくさの賛美&個人的争いをする神々から、『オデュッセイア』では故郷と家族を求める平和主義的な主人公&勧善懲悪の神々へと、大きな変化があるそうです――というのは、藤縄謙三『ホメロスの世界』(新潮選書)の受け売りですが、私は大学時代に藤縄先生の”初めてのホメロス”みたいな講義を聞いていました。 改変といえば、神々がそれほど出てこないのも、驚きでした。ゼウスの雷はよく鳴っていましたが、女神アテナが普通の人でオーラがないのに、かなりびっくり。ゼンデイヤが演じているので、さぞや存在感があるパワフルな神様かと想像していたのですが。アレ誰?というくらい地味でしたね。これならテレマコス役のトム・ホランドと夫婦でも、あ、そう、ですね。 ヘレネが黒人の俳優さんだったのですが、この話では端役ですし別にいいんじゃないでしょうか。それより、アン・ハサウェイのペネロペは圧倒的な美貌と貫禄で、いちばん光り輝いていました。原作のペネロペより断然オーラがあります。悪役の求婚者の皆さんもそれぞれいい味出していました。 そして大きな改変といえば、最後に、やっと帰ってきたオデュッセイアが愛妻ペネロペと二人して船に乗りこんで入り日の彼方をめざして船出するくだりでしょう。鎮魂の旅とのことですが、ラブラブな二人の熟年ハネムーンみたいで、ちょっと無理があるような感じ・・・ ちなみにギリシャ人は(もとは黒海沿岸から来たそうだし)はじめ東地中海へ勢力を広げ、それでトロイと戦争したりしますが、この後、西地中海へも進出していきます。オデュッセウスが漂流していた海も西地中海がモデルのようです。西とは未知の方角であり、さらにローマ(現在のヨーロッパ)やアメリカへの方角、そして”Go West”とは死出の旅という意味もありましたっけ。 などと様々に考えがサーフィンする映画でして、もう一度観たい気がします。が、海上の嵐の場面などは恐ろしく、こちらまで船酔いしそうだったので、また観るには気力体力が要るかなとも思います。