HANNAのファンタジー気分

2008/04/24(木)01:06

池澤夏樹の静かなSF『やがてヒトに与えられた時が満ちて…』

ファンタジックなSF(18)

 先日、本屋さんに入ったら、CRALAさんお薦めの『やがてヒトに与えられた時が満ちて…』があったので、思わず買ってしまいました。  春まっさかりの日々に、SFを読む気分ではなかったのですが、初めのエッセイ「一九七七年に旅立った二人への手紙」を読んであまりの懐かしさに、じーんと来てしまいました。  1977年、ボイジャー1号と2号が打ち上げられ、続く数年の間、地球に送られてくる木星や土星の美しい映像に、星空大好き少女だった私はうっとりしたものです。理数系の頭脳がトホホだったにもかかわらず、カール・セーガンの『COSMOS』(この後書きに、ボイジャーに積まれた宇宙人への手紙の詳細が載っていました)を読み、雑誌「NEWTON」の付録についていたボイジャー撮影の、青く光る土星のポスターを部屋に貼っておりました。  その後、小松左京の映画「さよならジュピター」の主題歌「ヴォイジャー」(松任谷由実)とか、つくば科学博とか、ガンダム・ブームとか、私はかなりどっぷりSFに浸かっていたように思います。  私も若かったし、SFや科学技術にまだバラ色の未来像がいっぱいだった頃。  この本の前半におさめられた「星空とメランコリア」と題された4つの短編は、そんななつかしい時代をよみがえらせてくれます。  はるか時空を超えたところにいるであろう未知の相手に向かって、  こんばんは。  ――「そっちにいるあなたとぼくは話したい」 と、語りかける、その素朴でひたむきで根元的な欲求が、文明の、人間の、いやすべての生き物のサガというか、原点なのだなあ、と感じるのは、地球が孤独で、人類が孤独で、人間ひとりひとりが孤独だからなのでしょう。認知しうる限り知的生命体が住む唯一の星である地球、その地上の生物の中で唯一の高度知性体である人類。そして、それぞれ別の体と意識を持ち、テレパシーなんかもあんまりない、ひとりひとりの人間。  生態学者コンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』に出てくるのですが、ローレンツが卵から育てたガンのひなどりは、いつもヴィヴィヴィ?と問いかけるように鳴いて母鳥(この場合ローレンツ)を求めるのだそうです。それを彼は『ニルスの不思議な旅』に出てきたように、  わたしはここよ。あなたはどこ? と解釈しました。  ボイジャーに積まれた手紙も、それからもっと前の1960年に行われた“オズマ計画”も、卵から外界に出てきて心細く鳴いているひなどりと同じように、未知の宇宙人に向かって、  わたしはここよ。あなたはどこ? と呼びかけているのだと私は思いました。 (話がそれますが、オズマ計画という名の由来は、「オズの魔法使い」の続編に出てくるオズの国の王女オズマ姫の名前。地球から近いくじら座の星から宇宙人の特殊な電波が来ないかと探ったのだそうです)  さらに思い出したのはカート・ヴォネガット・ジュニアのシニカルな作品『タイタンの妖女』で、ロボットが50万年もかかって届けた宇宙人からの大事なメッセージはただ一言、  よろしく でした。  生き物という孤独な個体たちは、近くの仲間、遠くの仲間に「よろしく」のメッセージを投げかけ、また受けとりたいがために、一生懸命いろんな努力と情熱を燃やしてきたのでしょう・・・  けれど。  本の後半を占めるSF中編では、その努力や情熱をなくしてしまう時が来て、生命というものがカラに閉じこもり、静かに燃え尽きていくさまを、たんたんと語っています。  作者が後書きで公言しているように、お話としては『2001年宇宙の旅』を意識していて、特に結末の方はちょっとそのまんまなんじゃない?という気もしました。でも、2001年をすでに過ぎてしまった今、作者の姿勢というか、ものの見方が、ひどくさめた終末ぽい感じで、星の彼方へ飛び立った主人公は、まるではてしなく拡散して無に向かっていく宇宙そのものみたいです。  文明が進めば進むほど、人間の「意」が薄まり、さらに進化したコンピューターによって管理されるおとなしい「家畜」のようになってしまう傾向については、佐藤史生『ワン・ゼロ』をはじめ、じつはいろんなSFに出てくるテーマです。  でも、だいたいは(私が読み得た数少ないSFの中で、ですが)そんな希薄な終わり方に対する抵抗、みたいなものが描かれて、希望が残されていると思うのです。しかし、『やがてヒトに与えられた時が満ちて…』には、そういう熱い情熱が最後まで欠如しているように思えます。  主人公は星々の彼方へ行く最後の場面で「涅槃」とか新たな「覚醒」と言っているのですが、そこに生への熱い情熱は、感じられないのです。   街にも 人間にも生命がある   滅びの運命にさからえはしない  ――森川久美『ヴェネチア風琴』 という言葉を、また思い出してしまいました。  ヒトという種の「滅びの運命」、抵抗するでもなく絶望するでもなく、さめた眼でそれを語る作者。彼こそ、時をとびこえて現在にふらりとやってきた未来人類なのかもしれません!

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