2010/09/07(火)00:17
夏に氷が攻めてくる――『氷の覇者』P・ライトソン
残暑厳しき折から・・・
灼熱の砂漠を内にかかえ、外側を青い海にあらわれる旧き大地、オーストラリアのファンタジーを再読しました。私は若い頃シドニーなど東海岸を旅行したことがあります。お正月休みを利用した旅でしたが、むろんオーストラリアは真夏で、ブリスベーンでは40度近い猛暑でした。動物園のカンガルーやエミューはみんな木陰で寝ていましたっけ。
旅の記念に、先住民族アボリジニのアートを模したという、魚の絵のついた大きなイヤリングを買ったのですが、それというのも、私はこの本を読んでから、ほんとうは海岸部ではなくエアーズロックやカカドゥに行ってアボリジニの壁画などを見てみたかったのです。
それはさておき。
年老いた南の大地は、海のかなたに、指をひろげ、手のひらを少しすぼめた手のような形で横たわっている。上空では風が鳴り、まわりをとりまく海辺には、波が打ち寄せる。・・・(中略)・・・風と水にもまれるなかで、大地は、巨大な手を休めるかのように、ひっそりと横たわる。そのすべての力を秘めたままで。 ――パトリシア・ライトソン『氷の覇者』渡辺南都子訳
オーストラリア大陸をこんなふうに描いて語り起こすこの物語は、アボリジニの若者(ふだんは都会に住んでいる)ウィランを主人公にした三部作の第1作です。この最初の数行を読んだだけで、広大な大地と海、そこを吹きすさぶ風、といった、圧倒的な大自然のゆるぎないエネルギーがつたわってきます。
次に作者は、その赤い旧い大地の上で暮らす者たちを3種類(+1)に分けて教えてくれます。
「幸福人(ハッピー・フォーク)」は海岸の都市部に住む現代的白人たち。幸福を追求して商売に精を出す。
「内陸人(インランダーズ)」は長年にわたって内陸部を開拓してきた白人たち。
「大地人(ピープル)」は昔からこの大陸に住んできたアボリジニたち。原語では何の説明もつかないただ「人々(ピープル)」と呼ばれているのが興味深いです。この人たちこそオーストラリアの本来の住人なのですね。
さらに、オーストラリア本来の住人として、作者は大地そのものから生まれた精霊たちを挙げています。私たちが昔話やファンタジーでよくお目にかかるヨーロッパや東洋の精霊とはちがう、ずっと野性的で根源的な趣のある多くの精霊たち。
そんな精霊の一種族、洞窟の奥底にいる氷作りのニンヤ族が、おそらくは氷河期の再来を願って、活動を開始するのが物語の発端です。夏を目前にして霜がおり、エアーズロック付近でキャンプしていた主人公ウィランは氷による蜃気楼を見ます。
ニンヤ族は、かつて(氷期の終わりに)彼らを地下に封じ込めた溶岩の精霊ナルガンをかたきとし、ナルガンを求めて大陸を移動します。
それを阻止すべく、大地人の英雄として選ばれたウィランは、岩の精霊ミミ(カカドゥの洞窟壁画にあるような、細長い手足の女の精霊)と一緒に、魔法の石をたずさえ、ニンヤ族を追う・・・精霊の始祖ナルガンを目覚めさせ、氷を再び封じこめるために。
と、あらすじを書いてみるととても派手なお話のように聞こえます。確かに、舞台となるオーストラリア大陸の広大さ、自然の豊かさ、苛酷さがたっぷりと描かれ、また太古から生き続ける精霊たちを生き生きと登場させている点では、空間的にも時間的にも壮大なスケールです。
そう、壮大すぎて、悠久すぎて、もう人間の活動なんて、小さい、小さい。
主人公ウィランは真面目で寡黙な青年で、つまりちっともヒーローらしくありません。はっきりいって、地味です。しまいには「氷の覇者」という称号を得るのですが、いわゆる冒険・探索ファンタジーにありがちなすばらしい大活躍を、しません。それどころか、自分なんかがなぜ選ばれたのかと悩み、卑下し、それでもこつこつがんばります。
何とも、現実的なヒーローです。
氷の精霊vs溶岩の精霊、という壮大な対立の構図も、物語の最後には、あれっ、そうなの・・・という感じで終息します。ネタバレさせますと、溶岩の精霊の最長老、始祖ナルガンというのが、海と戦う長い長い年月を経て、今となっては小さな石になってしまっているのです。それを知った時のウィランの落胆は、そのまま読者の落胆でもあります。
確かに、精霊ミミの言うとおり、
「人間っていうのは! いったい、大きさというのがどういうものかわかっているの? あんたより大きければ偉大で、小さいと小物だって、それしかわからないのね。」
しかし、実際には始祖ナルガンは氷の精霊と戦うことはできませんでした。だから物語のクライマックスにスペクタクルな精霊大戦争なんかは、ありません。実際にニンヤ族を鎮めたのは大地人の呪歌、つまり人間の力でした。大地人の古老こそが、ニンヤを再び封じ込めたのです。それは、精霊大戦争よりも、ずっとリアリティのある結末ではありました。
こんなわけで、遠大な時空を背景にした精霊たちの出てくるファンタジーとはいえ、この物語はかなり異色です。しかし、夢幻の軽々しさのかわりに、今もどっしりと息づいている大陸の底力のようなものをリアルに感じさせます。
日本とはまるで違った風土、オーストラリアへの憧れを生む一冊です。
画像は今は絶版のハヤカワ文庫FTの表紙でめるへんめーかーさんの絵。洋書(ペーパーバック)の表紙(リアルなアボリジニが描かれている)とはだいぶ趣が違いますが、私はなかなか好きです。