970412 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

HANNAのファンタジー気分

全216件 (216件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 22 >

カテゴリ未分類

September 1, 2020
XML
テーマ:洋書を読む(63)
カテゴリ:カテゴリ未分類
第1回第3回から、だいぶ間があいてしまいましたが・・・
 さらに引き続き『ネズミの時計屋さんハーマックス・タンタモクの恋と冒険』未訳第4巻の私的あらすじ紹介第4回;

『バラの香りでほっと一息』

 第20章 波止場はどんな様子? (原文 What's Up, Dock? のDockはDoc(先生)のもじりで、もとはコメディ映画のタイトル)
 ソーニー・エンド湾の波止場で、キリアムはタッカが送りつけたシェイプアップ用の家庭用体育館(まるで棺桶のよう!)を受け取ります。すると彼の頭に新しい計画が浮かびます。

 第21章 階段の上の暗がり (60年代の米ドラマのタイトル)
 ハーマックスはソーニー・エンドのシンボル、古い時計塔を訪ねますが、塔は荒れ果てています。

  「残念だな」と彼は思いました。「かつてはとてもきれいだったにちがいないのに。選ばれてこれを修理するのは、時計技師にとって名誉だろうな」

 塔の入り口のドアは少しあいていてハーマックスは入ってみます。階段を上っていくと、暗がりの中にかすかな灯りが見え、てっぺんの部屋には誰かが住んでいるようです。
 突然、毛を逆立てたリスが飛びだしてきてハーマックスを突き倒し、逃げ去ります。

 第22章 パーティーぶっつぶし策の電話 (原文 Party Line には党の政策方針という意味だが Line には電話回線という意味も掛けているようです)
 リーゾーのパーティーをつぶす策略を思いつけないキリアムのもとへ、タッカから電話が来ます。

  「リーゾーのビッグなパーティーに他の大勢のお客や記者やカメラマンがいるところへ私も到着してね、そのときすんばらしいバラ園のバラが最後の1本まで死に絶えてるのに気づいたリーゾーの顔を見てやれば、私ほんとにハッピーな気分になると思うわ」

と、タッカは恐ろしい想像をし、キリアムの持ち込んだ肉厚唇製造マシンをその場で売りこむ計画を告げます。

 第23章 制服の振る舞い
 ハーマックスは町の南外れにある旅館を訪れ、夕食を取ります。隣の席に座った2匹の制服のリス(の手下)の会話を聞き、ウェイトレスのリスからキリアム・ウォラー博士について情報を仕入れます。

 第24章 拾うべき骨 (原文A Bone to Pickは「不和、不平のもと」という意味もあります)
 ハーマックスは剥製屋(検死官でもある)のもとを再訪します。ハチの話を訊こうとすると、剥製屋スリクセンはまず流れ着いた溺死体の検死をする、と、ハーマックスを死体安置室へ連れて行きます。ところが! 死体は消えうせ、かわりに巨大なハチの死骸がありました。おまけに剥製店からは、毒グモの剥製も盗まれていました。

 第25章 解剖学講義 (フィリップ・ロスの小説のタイトル。また、レンブラントの絵のタイトルにもあります)
 死骸のハチは、ハーマックスの鼻を刺したのと同種でした。スリクセンはこのハチはジェッケル島のハチの巨大変異種だ、そしてくだんの溺死体の死因はハチにたくさん刺されたことだと言います。ハチの腹には、TM®というマークがついていました! これはタッカ・マーツリンの登録商標です!

 第26章 わかったかね? (慣用句。逐語訳では「それは掘れるか?」)
 キリアムはジェッケル島のあやしげな研究所の建物の裏手に埋葬穴を掘ります。(そうです、彼が死体を盗んでトラックで島に運びこんだのです!)

 第27章 夜間飛行 (戦前のアメリカ映画のタイトルにありましたね)
 ハーマックスは空港でリンカに再会し、2人で帰路につきますが、疲れていてその日の出来事を語ることができません。それどころか、結婚式の下見のはずだったのに、旅館の部屋や空き具合を訊くのを忘れていました。リンカはあきれてしまいます。

 第28章 汚れ仕事
 キリアムは寝過ごしてしまい、死体はまだトラックに積んだまま。それなのに突然タッカ・マーツリンから、ソーニー・エンドに着いたから迎えに来いと電話があります。

***
 いや、まだまだ続きます。






Last updated  September 2, 2020 12:34:45 AM
コメント(0) | コメントを書く


August 8, 2020
カテゴリ:カテゴリ未分類
 新型コロナのおかげでなぜか多忙なステイホームとなり、長いこと日記に空白が・・・

 数行だけ書きかけた下書き保存がいくつもあるので、そのうちきっと・・・

 で、葉書絵は何十年か前に描いた絵を引っぱりだしてきて加工してみました。「くじらのヒューリーは旅に出た」というタイトルです・・・

 誕生日にはいつも変わらぬ友人Kさんから本が届き、野性味あふれる猫が愛らしい『猫の客』(平出隆)や、有名な絵本作家の資料的読み物『赤羽末吉 絵本への一本道』を楽しみました。

 『猫の客』は、ついファンタジー気分な発想をして、猫の主人に人間のお客かと思ったら(『どんぐりとやまねこ』みたいに)、お客に来た猫の話でしたが、稲妻というキイワードが貫いているエッセイです。

 赤羽末吉の方は、ほら『ひょうたんめん』とか『鬼のうで』『だいくとおにろく』『ほしになったりゅうのきば』などこのブログでも以前よく登場させました。小学生に読み聞かせた絵本たちを、なつかしく思いだします。
 『スーホの白い馬』(馬が死ぬのがあまりに可哀想なので、私は小学校の教科書に載ったころからこの話はきらいです)の人ですから、中国に造詣の深いのは知っていましたが、赤羽さんの若い頃のスケッチに、なんと「ニーベルンゲンの歌」の、ドラゴンと戦うジークフリートがあるのです! 何かトールキンのスケッチみたいな、ペン画でしたv

 ほかに、ずっと読みたかった『物語 ウェールズ抗戦史』(桜井俊彰)や、BS時代劇の再放送を見て思わず棚奥からひっぱりだした吉川英治『鳴門秘帖』なんかもぽつりぽつりと読んでいます。
 感想などは、またいつか・・・






Last updated  August 8, 2020 10:38:10 PM
コメント(0) | コメントを書く
May 23, 2020
カテゴリ:カテゴリ未分類
 難解だから理系、と決めつけてはいけないんですが、一度はちゃんと読まなきゃと長年思っていたボルヘス『伝奇集』、1度ではわけがわからず、続けて2度読んでみました(個人的に、同じ本を続けて2度読み返すことはとても稀)。

 ボルヘスが選んだ「バベルの図書館」という幻想文学選集がありまして(日本では国書刊行会から出版)、その1冊ロード・ダンセイニの短編集『ヤン川の舟唄』を持っているので、以前から選集の名の由来であるボルヘスの有名な短編「バベルの図書館」を読みたかったのです。

 この話では、蜂の巣状に無限に広がる図書館に、すべての事象についてのすべての本が無限に?あり、そこで暮らす主人公が、この無限図書館=世界・宇宙のさまざまな解説や解釈について紹介しています。つまり、じつは図書館自体の話ではなく、我々ニンゲンが図書館=世界・宇宙をどう解釈するか、についての話。

 哲学的というより、何だか人(読者)を食った感じがするのは、蜂の巣1つ(1部屋)の壁に書棚5つ、書棚1つに本33冊、本1冊に410ページ、ページ1つに40行、行1つに活字80…という、数字の苦手な私には無意味にしか見えない記述です。世界は無意味なモノの無限の集合体で、ニンゲンは意味を見いだそうとむなしく右往左往しているだけ、と、突き放された感じ。

 作者が、自分で語る物語を自分で冷酷に突き放す感じは、他の短編でもそう。
 架空世界の百科事典についての「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」でも、架空世界の設定資料集みたいな部分をファンタジー気分で読んでいると、“ほらね、この百科事典を作り、現実の世に出し、それについて調べる者が現れることで、現実が少しずつ変容していくでしょ。もうトレーンを知らなかった世界とは違う世界になったでしょ!”という、うすら怖い(でもよく考えると無意味にも思える)オチがついてきます。

 物語を包みこむ、世界の枠組みに込められた、もう一つのより大きな物語が、そこにはあるのです。

 この構造が『伝奇集』すべての短編にあるようですが、あるものは仕掛けがちゃち、というか俗物的でそれほど怖くない(し、面白くない)ように思えます。ミステリ仕立ての「死とコンパス」「刀の傷」「八岐の園」は、よくある話っぽい。ただし、これは以後の作家がボルヘスの影響をすごく受けているせいかもしれません(それこそ、ボルヘスを知らなかった世界とは違う世界になったわけだ!)。

 異国情緒の楽しめる「アル・ムターシムを求めて」や、「円環の廃墟」(ミヒャエル・エンデっぽい。というか、エンデもボルヘスの影響を受けているのかしら? またはボルヘスと同じことに着目しているのかしら? ーーなどと思わせるところが、ボルヘスの真の狙いかも)は、結構わかったし、楽しめました。

 宗教問答的な「ユダについての三つの解釈」「フェニックス宗」は、宗教心の薄い典型的日本人の私には、ヘリクツみたいに思えました。「『ドン・キホーテ』著者、ピエール・メナール」も、宗教じゃないけど、同類?

 あとは、数学が苦手だと頭がごちゃごちゃしてしまう「バビロニアのくじ」、これも結局、人生そのものの人を食ったたとえ話のようです。なんか元も子もないなあ、と思わせられちゃう。

 とにかくさらりと読んだ表面とは別の、もっと大きな仕掛けが背後にあって、実はこういうことだったんだよと、言わせたいけど、その「実は」が何だか感動を呼ぶというより、むなしさを呼ぶ感じ。読者はボルヘスというお釈迦様の手のひらで踊らされていたっていうか。

 唯一、南米的叙情があふれる「南部」が、素直に気に入りましたが(ガウチョ・パンツのもとになった南米のカウボーイ「ガウチョ」がいい味出しています)、なんとこの話も、古き良き南部だましいが描かれる後半は、都会にいる主人公が死ぬ間際の夢だった、という解説がありまして、エーッそういう解釈もありかもしれないけど、何かだまされた気分だなあ、と思ってしまって、再読しても伏線とか特に気づかなかったです。

 どうも、理系脳でない私が鈍感すぎる方面に展開されている話らしい、ということが、分かったような、分からないような。






Last updated  June 7, 2020 12:22:31 AM
コメント(0) | コメントを書く
February 3, 2020
カテゴリ:カテゴリ未分類
 サイバーがパンクだった頃の前作「ブレードランナー」の30年後という設定の続編「ブレードランナー2049」。すごく長くて暗そうなので劇場には足を運びませんでしたが、先日TV録画で観ました。

 確かに、全画面暗いです。というのも、前作で猥雑・アジアンな未来都市だったLAは、すっかり荒れ果てて雨や吹雪とスモッグで昼夜も分からないほどかすんでいるのです(旧市街はほとんど水没してる設定だそうです)。人影も人声もほとんどないのに巨大広告はまだあるので、それらばかりがむなしく目立ちます。いや、クリアに目立つのではなく、不透明な闇におぼろに浮かんでいて、悪夢的。
 郊外は砂漠化して草木も見えず、どの場面も荒廃と空虚ばかりで、地球とか自然とかはすっかり死に体。すぐ30年後の設定ですが、絵空事とは思えない気がしてとても怖いです。

 前作では、人間臭あふれる都市の中で異質で無機的・暴力的なイメージだった人造人間(レプリンカント)が、今回は無機的・暴力的な環境の中で、異質なほど生き生きとしています。
 こうしてみると、今作は前作を裏返したように作られていることが分かります。

 前作のヒロインのレプリカント・レイチェルが出産したという衝撃の発見があり、彼女を知る旧型レプリカントたちは「奇蹟を見た」としてレプリカントの生きる権利を主張します。死んだレイチェルを丁寧に葬ったり、免疫不全で産まれた子どもを当局から隠し無菌環境を整えて育てたり、彼らの一生懸命さは、人間味あふれています。
 また、主人公のレプリカント「K」の表情がとても人間的。レプリカントならでは(もしくは捜査官という職業柄)ポーカーフェイスなのに、なぜか優しく痛みを知るように見えると思ったら、演じていたのはあの「ラ・ラ・ランド」のセブ、ライアン・ゴズリングでした! (私的にはイマイチだった「ラ・ラ・ランド」ですがゴズリングは◎。何というか、たたずまいに味があります)
 それから、「K」の恋人が、レプリカントですらないホログラム(幻影)の女性なんですが、素直で繊細で思いやりがあって、すごく人間的なんです。あまりに人間なので、「K」がスイッチを切るとぱっと消えてしまうのがショッキングで切ない。

 前作では、レイチェルが自分は人間だと思っていたらレプリカントだったとわかるそのつらさが描かれましたが、今回はレプリカントの「K」がもしかしたら自分は産まれた子どもかも?という希望を持ったりそれがやっぱり違ったり、というつらさが描かれます。このあたり、妖怪人間とか吸血鬼モノなど異形の民によくある、人間性への切ないあこがれがあふれていますね。

 でも、この映画に本当の人間てどれだけ居るんでしょう。誰も自分が人間なのかレプリカントなのか、はっきりと証明することができない世界のようにも思えます。前作の主人公老デッカードも、今回の悪役、ウォレスの社長も、あるいは特別なレプリカントなのかもしれないし。
 人間らしいという点では、宇宙の支配者たらんとするウォレスの言動には情けも倫理観も謙虚さもありません。しかしもしかして、欲得尽くで極悪非道になりうるのこそが人間性なのでしょうか? 

 ともあれ、レプリカントが産んだ娘アナ・ステリンは、もはや人間/レプリカントの区別を超えた存在です。無菌室の中でレプリカントたちのために記憶を紡ぐ彼女は、この世界の未来の希望の象徴のよう。
 そして最後になってやっと、場面は白く明るい雪に覆われていきます。






Last updated  February 5, 2020 12:31:10 AM
コメント(0) | コメントを書く
January 1, 2020
カテゴリ:カテゴリ未分類
 今年の年賀状絵は娘の短時間やっつけ作品を(左)。

 私のは時間はかかったけどなかなかうまく描けず。このブログで何度か紹介したマイケル・ホーイ『ネズミの時計屋さん』シリーズのヒロインである飛行士リンカを描こうとしたのですが、うーん、飛行機とか、難しい。

 今年もぽつりぽつりになりそうですが、できるだけ続けます! よろしくお願いします。






Last updated  January 1, 2020 11:32:52 PM
コメント(0) | コメントを書く
December 31, 2019
カテゴリ:カテゴリ未分類
 大晦日恒例の映画鑑賞、今年はスター・ウォーズ9「スカイウォーカーの夜明け」でした。
 評判もいろいろでしたが、一言でいうなら、まとまり感!

 以下、ネタバレをふくみつつ手短な感想:
 なつかしのあの人このシーンそのセリフ、一生懸命つめこんでファンサービス。おまけに「バランス」重視でまとめたそうで、制作陣の努力がすごく伝わってきました。でもそのせいで(中心となるレイの戦い以外の)一つ一つが短い。当たり前だけど。

 「ロード・オブ・ザ・リング」みたいに、エクステンデッド・エディションが欲しいですね!
 特にクライマックスで、「人民(people)」が大挙してはせ参じるところは、銀河全体で彼らが立ちあがる過程を少しでも見せて欲しかった。

 レイ、カイロ・レン、皇帝の戦いは、ファンタジー的にど真ん中をついていて、良かったです。
 フォースを憎しみの心で使うと暗黒面(シス)にいっちゃうという設定は、中山星香『アルフヘイムの騎士』の運命の宝石サフィールをめぐる闇の長子vsローゼリイの戦いを思いだしました。
 運命の一対であるレイとカイロ・レンがお互いを補い合い最後にカイロ・レンが失われるところは、『ワン・ゼロ』のアストロ・ツイン都祈雄とマユラを思いだしました。

 レイが戦いの後、立ちあがる時の rise という言葉がタイトルに使われているのは素敵でした。日本語では「夜明け」ですが、うーん、訳しにくいですね。

 ともあれ、スター・ウォーズとガンダムは40年進化しつつ継続してきたわけで、それだけでも(その間にティーンズから更年期になった自分の歩みと引き比べても)、すごいですね。






Last updated  December 31, 2019 10:56:57 PM
コメント(0) | コメントを書く
December 28, 2019
カテゴリ:カテゴリ未分類
 前々回北欧の伝承『エッダとサガ』をちらっとご紹介しましたが、じつは私は「エッダ」つまり神話のほうが好きなのです。高校生のころトールキンの影響で、すっかりはまりました。新潮社の革装丁の『エッダ』(やはり谷口幸男訳)には、カタカナでも発音しにくい神々と英雄の名がいっぱいですが、その中にガンダルフをはじめ『ホビット』に出てくるドワーフたちの名があるのです!
 ほかにも、アラン・ガーナーのブリジンガメンの魔法の宝石のタイトルのお宝「ブリジンガメン」は、女神フレイヤの首飾りの名だったり。
 コミックスでは、『クリスタル・ドラゴン』(あしべゆうほ)に出てくる楯の乙女のや妖精の名が「エッダ」に見つかります。たとえば、エルルーンという妖精が酔っ払う場面があるのですが、「エッダ」の「ヴェルンドの歌」によるとこの名の由来はエール「麦酒」+ルーン「呪文・魔法」。
 中山星香の(とくに初期の)作品に出てくる固有名詞は、レーヴィル・ユング・リンガル、リーヴ・ローニ・レートフェティ、ラタトスク(世界樹に住むリス)などなど、たくさん見つかります。

 「エッダ」はもともと口伝詩なので、伝えるべき神々の名など固有名詞をずらずらと並べ上げていますが、こうして知った名が出てくると、読んでいても退屈しません。

 また、世界の成り立ちや有名なラグナロク(世界滅亡)のことを、物知り巨人を質問ぜめにしたり知識比べをしたりして教えてもらう、という枠物語ふうの構成になっている詩もあり、記憶し語り聞かせる工夫が感じられておもしろいです。

 これも若いころ愛読したなかに、ワーグナーのオペラの豪華イラスト入り書き下し(新書館『ニーベルンゲンの指環』、寺山修司が1冊目だけ書いて死去、残りは高橋康也夫妻が書いています)がありましたが、ドイツの伝説を下敷きにしたこのオペラにも、知識比べの問答があり、ああ「エッダ」のエコーだなあと思うのでした;

  小人のミーメ「そうだ、手のこんだ質問を三つしてやろう。
         もし答えられなかったら、その首をくれるんだな。
        (中略)この地の底深くに、どんな種族が住んでいるか?」

 これに対し、さすらい人(実は大神ヴォータン)が地底にはニーベルング族が住むと答えると、ミーメは今度は地上、天界それぞれの住人を尋ねます。「手のこんだ」質問というより、オペラですから、観客に物語世界の成り立ちをわかりやすく説明する工夫のように思えます。

 ところで、「エッダ」には神々のライバル的な立ち位置で巨人族(あるいは小人族。体のサイズは可変のようでもあります)が登場します。じっさい、神々よりもルーツが古いので、先住民族なのかもしれません。岩の洞穴に住んでいて故事の知識がありますが、話によっては神々の計略にはまってしまいます。
 物知りだとおだてられ質問攻めにされて話がのびるうち、夜が明けて日が射すと、岩になってしまうのです(「アルヴィースの歌」)。

 この筋書きは『ホビット』に出てくるトロルですね。頭が悪いという属性が出てきたのはこのようなエピソードのせいでしょうか。やっぱり、昔の知識は豊富だが文明発展には乗り遅れて劣勢になっていった先住民族、みたいな感じです。

 ディズニーの『アナと雪の女王』にもトロルが出てきましたっけ(体は小さいけど)。人里離れた谷に住み、岩そっくり。素朴だけれど古い知恵と技を持っているところなど、エッダの時代の巨人/小人族の末裔なのかなと思いました。
 西欧の妖精(エルフ)が、もとは体も普通サイズの先住民族だったのが、歴史の波に押されてほろんだ後、小人サイズとなり性質も(今の文明人の側からみると)悪くなってしまったのと、同様なのかもしれません。

 こうして、『エッダ』では、いろんな作品の原点をさぐることができるのでした。






Last updated  December 31, 2019 10:54:36 PM
コメント(0) | コメントを書く
November 30, 2019
カテゴリ:カテゴリ未分類
 このところ久しぶりにヴァイキングの本に凝っています。

 きっかけは古書店で入手した『バイキング王物語』(山室静)。これはノルウェーのオラヴ・トリグヴァソン王(960年代~1000)の波乱の生涯を紹介した本で、わかりやすく楽しく読めます(拷問とか残虐シーンもありますが、史実らしいのでしかたないですね)。
 ノルウェーで初めてキリスト教を受け入れた王なのですが、古来の神々を信じる人々に「改宗しなければ皆殺し」的な広め方をするところが、何というかいかにもヴァイキングです。

 彼が大海戦の末まるで平知盛のように海に身を投げて死んだのがちょうど西暦1000年で、覚えやすい年ですね。そしてそのすぐ後の時代から始まるのが、今年アニメ化された『ヴィンランド・サガ』(幸村誠)(アニメ観てないけど)。

 コミックスの方は何年も前に少し読んで、冒頭からがっつり歴史物で面白かった(船をひきずって山越えする戦法は、コンスタンチノープル陥落のオスマントルコ軍を思わせましたけど)。
 (今23巻まで出てヴォルスンガ・サガも取りこんでるみたい・・・どれだけ続くか分からないから買い揃える勇気がありません)。
 アシェラッドの最期でアーサー王伝説がからんできて、ケルト・フリーク魂を揺さぶられましたし、本筋のストーリーも非常に興味をそそられました。

 何しろ、タイトルの「ヴィンランド」(葡萄樹の国)とは中世アイスランド文学の「赤毛のエリクのサガ」などに出てくる北米大陸東岸のことなのです。コロンブスより先にヴァイキングが北米を発見・上陸したというのは、世界史では結構有名な話のようです。

 主人公トルフィンのモデルは、実在の北米入植者ソルフィンThorfinn・カルルセフニだそうですが、最初気づきませんでした。『ホビット』のトーリンThorinもそうですが、Thの音はカタカナにするとき「ト」になったり「ソ」になったり訳者によるからです。
 しかし、彼にヴィンランドへ行った体験を語り聞かせる陽気なおやじレイフは、すぐ気づきました、「赤毛のエリクのサガ」の主人公であるレイヴ・エリクソン!

 興味深いのは、私の手元にある『エッダとサガー北欧古典への招待』(谷口幸男)に出てくる「赤毛のエイリークのサガ」によると、北米に入植したソルフィン・カルルセフニはネイティブ・アメリカンと思われる土着の人々に襲われたりして結局は定住をあきらめてしまうのです。しかし、『ヴィンランド・サガ』のレイフはネイティブの人々と友になったと語り、彼らにもらった羽の頭飾りをかぶっていたりします(ただ、つっこみますと、北米北東岸のネイティブは、平原の諸部族とは違って羽の頭飾りをかぶる文化じゃなかったようなのですが)。
 とするとトルフィンはこれから北米にたどりついてネイティブの人々とどんな接触をするのか・・・、夢に見た理想郷ヴィンランドで(史実とはちがって)定住してハッピーエンドになるのか、気になるところです。

 あと、『ヴィンランド・サガ』の世界には宗教的な側面があまり出ません。オーディンやトールに祈ったり、キリスト教の神父が出てきたりはしますが、意図して深くつっこんでいないみたい。
 たとえばトルフィンの父トールズが戦に倦んでヨムズ・ヴァイキング団を抜けた理由。私が読んだ最初の数巻限りだと、はっきりしません。当時のヴァイキングの信じるところ(戦場で雄々しく死んで天上のワルハラへ迎えられるのが理想)と正反対で、家族友人への危険も伴う。若くして不殺の誓いーーこの決断をするのに、精神的な大転換(たとえばキリスト教に改宗する、とか!)があってよいはずと思うのですが。

 眼前で父を殺され復讐に執着する少年トルフィンは、父親への尊敬や愛をさっぴいても、神話(『エッダ』)や数々の伝説(サガ)で知れる北欧人の愛憎激しく執念深い気質がうかがえて、良いですね。悲劇的な荒々しさ、衆になじまない孤独感にとりつかれていて、「グレティルのサガ」なんかのどこまでも暗く激しい感じを思いだしました。
 北ヨーロッパ特有のこの鬱屈した精神が、激しいヴァイキング気質となって噴出するのでしょうけど、その根底には、暗く長い冬という自然環境があって、みんな南をめざすんでしょうね。トルフィンも、太陽が照り実り豊かであれば平和で平等に暮らせるだろうと考え、理想郷ヴィンランドをめざすーーま、宗教心がなくて理屈っぽい(=近代ぽい)けど、ちょうど古代の多神教とキリスト教との転換期だし、進歩的な考え方のヴァイキングがいても、いいか(と書くとやはり『小さなバイキングビッケ』を思いだします!)。

 進歩的といえば、現実主義な反面、最後の審判やラグナロクを憂えるアシェラッドも、ひどく現代的・無神論的な考え方で人類史を俯瞰し、諸行無常・盛者必衰的な発言をします。そこがカッコいいんですけど、ちょっと違和感を覚えるのも確かです。
 まあ、宗教精神が入りこむと現代の大多数のニッポン人には、わかりづらくうっとうしい。諸行無常に持って行く方が我々の感性には響くのかもしれません。
 でも中世ヨーロッパですから、本当はキリスト教やそれ以前の土着の宗教の影響が、現代とは比べものにならぬほど、あらゆる人々の精神のすみずみに及んでいたと思われます。わたし的には、アシェラッドのアイデンティティーを支えたアーサー王伝説、その深みにある、不屈のウェールズ、魔法に満ちたケルト魂にぜひもっと触れてほしかったですね!(アシェラッドに夢見すぎ?)

 そんなこんなで、機会があればもっと読みたい『ヴィンランド・サガ』でした。






Last updated  December 2, 2019 12:42:26 AM
コメント(0) | コメントを書く
October 11, 2019
カテゴリ:カテゴリ未分類
 最近、『小箱』という小川洋子さんの新作を見かけたのですが(ちゃんと読んだわけではありません、あしからず)、びっくり。このブログで数年前にとりあげたことのある、ロード・ダンセイニの『魔法の国の旅人』と表紙の絵がまったく一緒だったのです!

 調べたら、この絵はJ.J.グランヴィルというフランス人の画家の作品(絵本の1ページ?)で「彗星の大旅行」というタイトル。(1844年の作だそうですが、去年から今春にかけて兵庫県立美術館で展覧されたようです。)
 なるほど、どちらの本とももとは関係の無い絵が、偶然それぞれの表紙に使われているわけですね。とても物語性のある幻想的な絵で、そもそもの絵本はどんなストーリー(ストーリーがあるのかどうか知りませんが)なのか、気になるところ。

 それにしても、私としてはもう何十年も、この絵=ダンセイニの『魔法の国の旅人』として見てきたので、小川洋子の本の表紙を見ると、中身を知らないうちからなんだかすごい違和感を覚えてしまいます。
 あちこちで見かけるようなもっと有名な画像だったら(たとえばモナ・リザとか)、あるいは、絵自体と何かつながりのある本に使われているのだったら(たとえば幻想的なイラストの解説本とか)、こんなことはないんでしょうけど・・・

 本の表紙って、どうやって決まるのでしょうね。ダンセイニの原書(The Travel Tales of Mr. Joseph Jorkens)はこの表紙ではないようです。とすると「彗星の大旅行」を表紙に選定したのは誰なんでしょう。当時の早川書房の編集者さん? あるいはまさか訳者の荒俣宏??
 『小箱』の表紙は作者の選定でしょうか、あるいは出版社の選定なんでしょうか。選んだ人はダンセイニの本を知っていたのでしょうか?

 そして、この手の表紙の一致って、結構よくあることなんでしょうか。表紙の使用権というか、そういうのはダブってもよいのかしら。
 こんなに気になるからには、そのうち『小箱』も読んでみなければ・・・ と思うHANNAでした。

 画像左は私の持っている1980年代のハヤカワ文庫。2003年版(ハヤカワ文庫FT)でも同じ絵が使われています。






Last updated  October 11, 2019 11:36:43 PM
コメント(0) | コメントを書く
October 3, 2019
カテゴリ:カテゴリ未分類
 昨年にひきつづき、雑誌「児童文芸」10・11月号の特集「翻訳児童文学」にエッセイを1ページ書かせていただきましたv

 子どものころから翻訳モノが大好きだった私。昔はファンタジーというジャンルは圧倒的に洋物が多かったのです。書くことが決まったとき、どれについて語ろうか迷ってしまいました。結局、たとえば岩波書店の児童書のような有名どころではなく、隠れた?名作みたいなのを選んでみました。シーラ・ムーン『ふしぎな虫たちの国』です(といっても、すでにこのブログでは紹介していますし、某読書メーターや、復刊ドットコムなどでも語っています!)。
 
  書くにあたって訳者さん(山本俊子)について調べました。検索したらミステリー作品をおもに訳している人のようで、私はそのジャンルはとんと読まないのでこの人の訳文の特徴などは分かりません。
 『ふしぎな虫たちの国』の訳文にはミステリーっぽさはみじんも無く、どうして児童書を訳することになったのか知りませんが、13歳の少女が語るという内容に合った文体で、子どもの私を魅了しました。大人になって読み返してもいつも、うまいな~! と感心します。

 ところで、原書(Knee Deep In Thunder)も少し読んでみました。この物語では旅の仲間に昆虫が何匹もいたりするのですが、小さくて口をきかず、マスコットのような役割のネズミ(名前はローカス)も出てきます。
 主人公が最初、いなくなったペットの犬(♂)のかわりにかわいがるので、私はずっとローカスも♂だと思っていました。ところが原書では she でした。ローカスは♀(女の子)だったんだ!
 訳の文体が主人公の語り口調なので、sheも「彼女は」ではなく「ローカスは」となっていました。うーん、ローカスという名前も女の子っぽくないし、何しろしゃべらないので、長年♂と信じてきたのです。原書を読んで最大の発見でした!

 興味をお持ちの方は、こちらに雑誌の詳細があります。また、アマゾン等にも出ています!






Last updated  October 5, 2019 10:06:39 PM
コメント(0) | コメントを書く

全216件 (216件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 22 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.