970421 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

HANNAのファンタジー気分

全79件 (79件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 8 >

近ごろのファンタジー

March 15, 2020
XML
テーマ:洋書を読む(63)
引き続き、『ネズミの時計屋さんハーマックス・タンタモクの恋と冒険』未訳第4巻の私的あらすじ紹介第3回です;

『バラの香りでほっと一息』

 第15章 一口噛んだら大好きに
 (原文 Love At First Bite は映画のタイトルで、邦題は「ドラキュラ都へ行く」)
 ハーマックスはバラ栽培家の娘プリム・ドローゼンクィルのお薦めコーヒーショップでドーナツとコーヒーを注文します。すると、話しかけてくるネズミがいました;

  「そのドーナツ、見た目におとらずおいしいです?」
  (中略)
  「というのもね、ぼくはパーティーをやろうとしていて、ドーナツをたくさん注文するつもりなんでね」


 それは例の香水「バラの香りでほっと一息」を作ったリーザー・ブリーサムでした! ハーマックスは彼と話し、そのあと店の常連の老人たちからも情報を仕入れます。

 第16章 すべてバラ色に (原文 Everything's Coming Up Roses は「ジプシー」というミュージカルの歌。成功するという成句でもあります)
 ハーマックスは常連客の老人が噂していた少年リスを尾行します。そのリスが「すべてバラ色に」というバラの卸売店に売ったバラは、まさしくハーマックスがハチに刺された時のバラと同じ品種でした。
 少年リスには父親がおり、どうも第14章でプリムが偶然見かけたと話していた、失踪中の兄プランク・ドローゼンクィルのようです。2人はホームレスで、ジェッケル島の古いバラ園からつんできたバラを売りにきているのでした。
 そして、ジェッケル家出身のドローゼンクィル夫人亡きあと、ジェッケル島は「前向き思考研究所」が買い取ったことが分かりました。

 第17章 正当なる影の上、熟考す (原文 On Due Reflecrion を掛詞のように使っています)
 第18章 検死を節約 (原文 Cutting Coroners は米国のロードレース系ゲームGTAシリーズに出てくる言葉らしいです。また、cut corners「節約する」のもじり)
 プリムに連絡するため公衆電話ボックスに立ち寄ろうとしたハーマックスを、1台のトラックから出てきたネズミが乱暴に押しのけます。そのトラックには「前向き思考研究所」のロゴが。
 それはタッカの雇った悪者キリアムで、彼は海岸に流れ着いた身元不明死体を引き取ろうとして、ソーニー・エンドの検死官に電話したのですが、市長の許可がいると言われ、不首尾に終わります。

 第19章 専門家としての礼儀
 ハーマックスは通りで剥製屋に立ち寄るはめになり、クモやテントウムシの剥製を勧められてぞっとしますが、ふと思いついて、大きなハチについて尋ねようとします。会話のうちに、分かったのは、剥製屋の店主は検死官も兼務しているということ! さらに詳しい話をあとで聞くことを約束しました。

***
 今回、ハーマックスは本職の探偵に近づいた感じがします。物語も今までの巻よりいちだんとミステリー度が高まっています。まだつづく。






Last updated  April 5, 2020 12:23:53 AM
コメント(0) | コメントを書く


February 19, 2020
テーマ:洋書を読む(63)
前々回に引き続き、『ネズミの時計屋さんハーマックス・タンタモクの恋と冒険』未訳第4巻の私的あらすじ紹介第2回です;

『バラの香りでほっと一息』

 第4章 ジョーカーは万能でワイルド
 (原文The joker is wild はフランク・シナトラ主演の古い映画で邦題は「抱擁」。ワイルドカード=万能の切り札としてのジョーカーを表す)
 第5章 リップ・サービス
 タッカ・マーツリンが雇ったのはキリアム・ウォラーという研究者くずれの悪者。香水「バラの香りでほっと一息」の開発者リーゾーの研究所をクビになり、タッカに拾われて、肉厚唇製造マシンを提案します。試すと、巨大なハチが唇を刺し、タッカは悲鳴を上げますが、何と唇はぷるぷるに分厚くなりました!

 第6章 ぴったり鼻の上 (原文は「鼻の上に」と、慣用句で「ぴったり正確に」の意味)
 ハーマックスは仕事帰りに花屋で仕入れたばかりというすばらしい香りのバラの花束をリンカのために買いますが、かいでいると突然、巨大なハチに鼻の頭を刺されてしまいます!

 第7章 乗り気になって (原文はジャズの名曲 In the Mood)
 タッカはキリアムを雇い、肉厚唇マシンを商品化することにします。その上、彼がリーゾー・ブリーザムに復讐したがっていると知って、ほくそ笑みます。

  「ねえこっちへ寄って。土曜日にリーゾーの大がかりなパーティーがあるの。そして私はそれをぶっつぶしたいわ。何かやって私をあっと言わせてよ!」

 第8章 おうちで静かな夜
 (アメリカの往年のラジオ番組「ミステリー・シアター」のエピソードのタイトル)
 ハーマックスは家に帰り、ペットのテントウムシ・ターフルに語りかけます。ターフルは結婚式招待客リストをうまく切り詰めてくれました。

 第9章 勝者が総取り
 翌朝、ハーマックスはリンカの操縦する飛行機でソーニー・エンドに向かいます。リンカが友人から聞いた話では、ソーニー・エンドではドローゼンクィル家とジェッケル家がバラ栽培のライバルだったが、結婚によってドローゼンクィル家がジェッケル家を吸収し、館も、湾に浮かぶ小島も我が物にしてしまったとのこと。

 第10章 スイートライフ (アメリカの人気TVドラマのタイトル)
 タッカはキリアムをいい男に仕立てようと美容グッズや服を送りつけます。キリアムはホテルのスイートで新聞を読みます;

 ソーニー・エンド海岸の死体 いまだ身元判明せず 死因調査のため今日検死

 第11章 暗い影
 (原文はジョニー・デップ主演のホラー映画のタイトル)
 ハーマックスはドローゼンクィルの屋敷を訪ねます。玄関ホール横の暗い部屋には事故死した跡取り息子の遺影がありました。

 第12章 警戒警報 (原文Code Red はコンピューターウイルスの一種)
 キリアムは、タッカが以前買い取った「前向き思考研究所」なる組織を使って悪事をたくらみます。

 第13章 短く刈り込む
 ハーマックスは温室でバラを剪定する当主アンドローズ・ドローゼンクィルに会います。車椅子の老当主は神経衰弱ぎみで、やたらにバラを切り詰め、枝葉を全部切り落としてしまいます。

 「"ドローゼンクィル&息子"(会社名)は息子が必要なのだよ、タンタモクくん。息子だ! (中略) 私は君に、わが息子を見つけてもらいたい!」

 第14章 おお兄上、いずこにおわす?
 (原文は「オデュッセイア」のパロディとされるコメディ映画のタイトル)
 温室を出たハーマックスは、当主の娘プリムに会って話を聞きます。そして、事故死した息子の他に、もう1人息子がいるが、ずっと以前に父親と反目して勘当されたという事実を知ります。

 「結局、父には、名前も言いたくない失われた息子が1人と、死んでしまったプレイボーイが1人、そしてぺちゃんこになったスポーツカーが1台あるってわけ。"ドローゼンクィル&息子"にとって幸いなことに、責任感のある娘も1人いるわ。ここに残って、他のみんなが置き去りにしたごたごたを片付ける娘がね」

 というわけで、ハーマックスは探偵としてドローゼンクィルの勘当息子を探すことになりました。






Last updated  February 19, 2020 12:15:42 AM
コメント(0) | コメントを書く
January 15, 2020
テーマ:洋書を読む(63)
 ネズミ年にちなんで…といっても、このブログでは動物ファンタジーに出てくるネズミたちをすでにいくつも、紹介してきました。
 そこで今年は、年賀状の絵の題材にした、『ネズミの時計屋さんハーマックスの恋と冒険』シリーズ最終巻のご紹介です。

 おしゃれなネズミの街ピンチェスターの住人、ドーナツ好きの時計師ハーマックスと、飛行機乗りの冒険家リンカの物語は「1〈月の樹〉の魔法」「2〈時の砂〉の秘宝」「3 消えた名女優の秘密」とあって、3巻目でようやくハーマックスとリンカの恋が実ります。
 で、最後の第4巻が未訳なのが残念で、以前、原書を買っちゃいましたので、以下に少しだけストーリーを抜粋してみます。タイトルの「Time to Smell the Roses」は直訳すると「バラの香をかぐ時間」ですが、「一休みする」という慣用句(take time to smell roses)の一部です。「バラの香りでほっと一息」とでも訳しましょうか。Rose に the がついているのは、このタイトルが、物語に出てくるすばらしいバラ香水の名前でもあるからです。

 第1章 バラ戦争 (相変わらず、章のタイトルも凝っていますね!)
「結婚するってこんなにたいへんだなんて、思ってもみなかったよ」 ハーマックス・タンタモクはペンを置いてコーヒーを一口すすった。

 そう、ハーマックスとリンカは結婚式の準備をしています! といってもまず招待客を減らさないと予算が足りないし、顧客や知人の多いハーマックスは招待客リストを前に頭をかかえています。
 そんな彼の悩みをよそごとに、友人のニップが新聞記事を読んできかせます。

 「海岸に不明死体 バラの都のセレモニー混乱の幕切れ おそらく溺死
 6月5日ソーニー・エンド
(茨末町とでも訳せましょうか)」

 ニュースの舞台ソーニー・エンドは海辺の小都市で、目下、町のシンボルである古い時計塔の修復が計画されています。資金を提供するのは、町の名士で最高級品種のバラ「ローザ・フラグランティシマ」を育てる園芸家ドローゼンクィル。そしてこのバラを使った香水は、あのタッカ・マーツリン化粧品の香水を抜いて、番付ナンバーワンに輝いたというのです。さあ、美の女王を自認するタッカはどう反撃するでしょうか? ソーニー・エンドの水死体と何か関係があるのでしょうか?
 原文では rose、drownd、DeRosenquill など似た発音の言葉が多く使われています。

 第2章 厚きときも薄きときも (原文はやはり慣用句で「良いときも悪いときもずっと」の意味)
 化粧品会社社長タッカは自社ビルの私室で、自分の唇が薄くなったと悟ります。さすがの美の女王も盛りを過ぎようとしているのでしょうか? 香水チャートのトップの座も奪われて、(柄にもなく)哀愁を漂わせかけたタッカは、秘書が届けてきたバラ「ローザ・フラグランティシマ」と、それを使った香水「バラの香りでほっと一息」を試します。そしてその香水を作ったリーゾー・ブリーサムのことを考えます。彼はもとはタッカのアシスタントだったのです。

 彼女は考えこみ、考えこみながら花束のバラ全部の花びらを1枚1枚むしっていった。
「好き、キライ、好き、キライ、」と彼女は口ずさんだ。
 むしり終わるまでに、床は花びらだらけになった。そして彼女は決意した。リーゾー・ブリーサムはキライだ。ほんとに、大キライ。彼を廃業させてやる。


 第3章 ベルに運良く救われて (原文はまたまた慣用句で、ボクサーが試合終了のベルでノックアウトされずにすんだ! つまり偶然助かったという意味)
 ハーマックスはまだ招待客リストをしぼりこめずにいます。リンカが忙しそうにやってきて、招待客の人数が決まらないと他のことが決められないと、彼をせき立てます。彼がいいわけに困りそうなところへ、ちょうど電話のベルが鳴りました!
 それは例のバラ園芸家ドローゼンクィルからで、非常にせっかちに、ある仕事を任せたいから明日の朝ソーニー・エンドに来るようにと言います。
 時計塔の修復の仕事だと思ったハーマックスは、これで結婚資金もたっぷり稼げると喜びますが、明朝までにソーニー・エンドに行けるでしょうか? しかし、大丈夫。リンカが彼女の愛機で送ってくれることになりました。彼女自身は郊外のおしゃれな結婚式場を見学するつもりです。

 ・・・と、こんな感じで物語が始まります。タッカは悪党を雇います。ハーマックスがリンカにあげようと買ったバラには巨大なあやしいハチがついていて、そのおなかの毛には「IM」という文字が!

 つづきます。






Last updated  January 16, 2020 01:18:24 AM
コメント(0) | コメントを書く
January 1, 2019
 謹賀新年。
 昨月は更新できぬまま、ブログを始めて二度目のイノシシ年となりました。
 こんな途切れ途切れの更新でも読んで下さる方がいたら、どうぞよろしく。

 最近は、蔵書を少し処分し始めた方がよかろうか などと思い始め、ときどき(おもにblackbird booksさんという古書店へ)何冊か売り払ったりしています。
 ところが、手離す前に、最後にもう一度読んでみると、新たな発見や感動があったりして、離しがたくなる本が結構あるのです。
 好きな本は何度も読み直すたちなので、手離そうかと思う本は、それほど好まず、従って何年も読んでいなかったもの。久しぶりに読めば、新たな発見があるのも道理です。

 で、昨年末からは『エラゴン』(このブログでも以前とりあげたことがありますが)を再読しているのですが、同時に、録画した「スター・ウォーズ フォースの覚醒」も観たりして、それで気づきました。
 『エラゴン』のドラゴン・ライダーって、設定がジェダイに似てるんです。世界の秩序を守ってきたところとか、裏切り者が出るところとか、あれやこれや。それから、主人公エラゴンの生い立ちが、ルークに似てるんです。育ての親である叔父を失うところを初め、ブロムはオビワンと似てるとか、あれやこれや。

 いや、これはけなしているのではなく、両方とも、昔から人々が好んで繰り返してきた型をきちんと踏襲している証だと思うので、いわば正統性の証明といいましょうか。ライダーやジェダイに裏切り者が出るのは、聖書などに現れる反逆の天使の伝説。エラゴンやルークの生い立ちは、貴種流離譚の一種ですね。

 ドラゴンライダー・シリーズは続けて読まなかったし、映画も観ていませんが、今になって、また興味が出てきたりします。手離そうかな、どうしようかな。
 そんな悩みを何度も味わう年になりそうかも。






Last updated  January 1, 2019 01:33:50 AM
コメント(0) | コメントを書く
June 29, 2018
 もはや「近ごろの」作品と言えるかどうか…、「ハリポタ」と同時期の作品です。私は1巻だけしか持っていません。
 トールキンの『指輪物語』の成功以来、欧米では異世界ファンタジーが雨後のタケノコのように出版され、いくつかは“指輪物語を超える”みたいな帯文句とともに邦訳が出ました。しかし、ファンタジックな異世界を舞台にした若者の成長物語が多く、似たり寄ったり。
 それはそれでいいのですが、たとえば『石と笛』、ドラゴンライダー・シリーズ、グウィネド王国、リフトウォー・サーガ、ファーシーアの一族、ベルガリアード物語、力の言葉、他にもタイトルが思い出せないあれやこれや・・・みんな1巻目はまあ面白く読んだのですが(『石と笛』は全部読んだし、リフトウォーも何巻も読んだ)、続きを買いたいと思うほどではなく、今となってはどれがどれやら。
 つまり、王道の異世界&成長物語に何かプラスアルファがないと、インパクトが弱いということなんです。

 ハリー・ポッターが(私はあまり好かないですけど)、さすがに強烈に印象に残るのは、学園モノとの絶妙のカップリングだと思います。魔法や修行をする主人公は定番ですが、そこへ現代に通じる学園生活を持ってきたのは、アタリでしたね。

 で、やっと『ヨナタンと伝説の杖』です。異世界の分身の冒険を夢に見る、車椅子の少年という「枠」の設定が、この物語の個性的な特徴でしょう。
 それから、キリスト教。これはクリスチャンでなければ日本人にはとっつきにくいですね。異世界の成り立ちのベースにキリスト教の原理がはっきりとあって、C.S.ルイスの「ナルニア」でもそうですが、この部分が受け入れられないと、楽しんで読めません。

 私は現実世界では、車椅子のジョナサンとおじいさんとの心の交流に心温まりましたし、異世界ではヨナタンと友人ヨミの会話や雨林の住民ディン=ミキトの一風変わった生活も楽しかったです。しかし2つの世界のかかわりがよくわからないまま、1巻は終了し、以下2・3巻ネタバレ→ ジョナサンがネシャンの方へ行ってしまったままになってしまうのが、以前とても残念でした。
 せっかく枠設定を最初にしっかりと持ってきているのに、それはキリスト教とネシャン世界をつなぎあわせるための導入という意味だけだったんでしょうか? うーん。

 そういえばナルニアも、ラストはほぼみんな現実世界で死んでナルニアに来て、本当のナルニア(天国)へ行っちゃうところが、どうしてもなじめなかったのですが、つまり、ファンタジーの重要な機能としての現実世界へのフィードバックというのがないからなのです。

 結末が分かって再読すると、1巻のジョナサンが切ないのです。祖父はジョナサンがまた元気になる日を信じていたでしょうに・・・。主人公が、自分で選んだのかもしれないけれど、天に召される的に異世界に参入してしまう大団円は、うーん。俗な感覚では理解し得ないのかもしれません。そのうーんを埋め合わせる感じの3巻の派手な異世界ハッピーエンド、なんていう言い方は、よくないんだろうなあ、と思いつつ。






Last updated  June 29, 2018 12:41:42 AM
コメント(0) | コメントを書く
June 4, 2018
 読書メーターのランキングでタイトルを知って、何しろ「英国」「幻視」ですから、作者や作品についての予備知識もなしに1巻「ファンタズニック」を読んでみました。

 文章がみずみずしくて「現在」ですね。現代の若者の心のヒダを緻密に、でもくどくなく、流れるように綴っていて、このお話に出てくるピュアな精霊の銀の髪の毛に似ています。言葉遣いが若くて、テンポがよい。
 おもしろいのは、主要な登場人物カイとランスが、どちらもテンポの良い方ではない、むしろスローでぐるぐるして、微妙な間合いが常にあるようなタイプなのに、カイが一人称でつむぐ二人の様子ややりとりが、とてもアップテンポでリズミカルなこと。

  「…ってなんだよ」「なんとなく」「とりあえず」「みたいだな」「とにかく」「…だ。いや、…かもしれないけど」

というような表現が多発するわけです。まるでコミックスのセリフとか、ラップみたいに心地よい。まあ、これをアップテンポと感じる自分は、前世紀の遺物かもしれませんが…。

 で、イギリスの地方都市の風景、丘とか大学構内の木立や湖とかが舞台で、お皿洗いをしてくれる小さな妖精もさっそく出てくるんですが、なぜか、思ったほどイギリスっぽくないんですね。
 でも私の思うイギリスは古くさい前世紀、いやもーっと昔の小説や映画の中のイギリスで、私の旅行したイギリスもかれこれ30年ほど前ですから、たぶん現在のイギリスとは雰囲気が違うのかもしれません。

 妖精も、あとから出てくる水の精たちも、イギリスの妖精っぽくなくて、日本のアニメやコミックスの妖精みたいな印象。つまり非常にリアルなつくりもの、CGみたいな。
 ランスも、英国人だぞというより現代青年。コミュニケーションや自己主張に対して腰が引けていて、表情・表現にとぼしく、でも内面は優しくて繊細で個性豊か。そこんとこは、カイ(日本人)と同じ。
 たとえば各所でこまかく描写されている、息を吸って、はいて、という動作。カイは自分が生気に乏しいことを意識していて、生きている/死んでいる の違いにこだわっています(生きる/死ぬではないのが、ミソ)。でも大げさに悩みまくるんじゃなく、息を吸ってはく、ひとつひとつのかそけき呼吸を、そっとそっと意識して積み重ねていくんですね。そういう生き方してるんだ、現代の若人。
 
 というわけで全体的に期待外れだったか、というと、そうでもないのが不思議。それはそれで独特の世界を醸し出していて、ある意味幻想的。妖精スーの言葉を借りると、「あまい」世界。
 (この「あまい」のいろいろな使い方が、すごくいい。はっきり説明できにくいニュアンスを的確に「あまい」と言い当てている感じ。)
 そこへ、唯一原色でなまなましく圧倒的なのが、白い雪/肌と赤いマフラー/血の記憶。印象が強烈で、「あまい」幻想体験すべてを上回っています。もしかして、だからイギリスっぽくないのかな?

 こんなふうに、いろいろと楽しめたお話でした(ラノベだったんだ、と読み終わって知りました。こういうラノベもあるのですね)。続きもあるようです。そのうち。(ちょっと文体が伝染っています。)






Last updated  June 5, 2018 12:13:27 AM
コメント(0) | コメントを書く
October 4, 2016
 この夏『零崎曲識の人間人間』につづき、娘が借りてきた「人間シリーズ」をおおかた読んで、とくに『零崎人識の人間関係(戯言遣いとの関係)』読後に思ったんですが、とかくナゾの多い主人公「いーたん(いーちゃんと言うより私はこちらが好き)=戯言遣い」は、物語世界での作者西尾維新さん本人ですね、きっと。本名も、NISIOISINに1~2文字加えたものじゃないかしら。ほら、一般人の俊希(としき)が殺人鬼になると人識(ひとしき)という名になったように・・・

 って、「戯言シリーズ」本編未読で、西尾維新の他の作品群もまるで知らないのに、断言的な書き方をしてしまいました。でも、読んでいて直感的にそう感じましたから、そう感じさせる要素があるということですよね。
 いや、ここまで書いて、まるでハズレだったら笑って終わりますけど。
 ていうか、私が知らないだけで、いーたん=作者説なんてのは、この作家の愛読者の人たちには定説?の一つなのかもしれませんが。以下ネタバレ少々。

 この物語はタイトルに「戯言遣いとの関係」とあるのに、ストーリー本筋には二人の関係がまったく出てきません。殺人鬼人識が起こした「京都連続殺人事件」のあらましが語られるだけです。いーたんは、警察の事情聴取でちらりと登場しますが、死人のように無反応・無感動で、その無のオーラが常識人の刑事をびっくりさせます。つまり、彼は常識外ってこと。
 住んでいる骨董アパートも、一種空間がゆがんだエアポケット的場所に思えます。
 このシリーズ世界は、前にも書いたように、すべてを仕組み操ろうとする立場の人物が居て、その代表が西東天(どうもこの姓は私に、俳人の西東三鬼を思い起こさせます)ですが、この人は因果の外にあって物語世界を壊そうとして壊せず、世界終焉のキーパーソンをいーたんである、としています。
 人外魔境な登場人物が次々出てくる中で、いーたんは一見ごく地味な一般常識人(自分の興味が向かない世界への無反応も無感動も、世の若者の常とも言えるでしょう)なのに、なぜ物語世界構造のキーパーソンなのか・・・なぜ彼の存在や言動が周囲の調子を狂わせるのか・・・それはやっぱり実は彼が作者だからなんじゃない?
 いーたんの本名がわざと明かされないのも、◎のついた服を着ているのも、作者の「実は私ですよ」というマーキングじゃないかと私は思ったりします。

 ところで、この本に戻りますと、各章のとびら部分に、一見無関係に見える友人の日常的対話があります。何も書いていないけどどうやらこれは人識といーたんの会話。別のところで鏡像関係と言われているように、二人の対照的?な性格が出ているセリフが続きます。でも見方によっては、いーたんとの対話形式を借りた、人識のキャラ設定メモともいえそう。なぜって、他の本や本文で時々作者がキャラにツッコミを入れている、そのスタンスと、いーたんのセリフのスタンスが、私には同じに思えるのです。

 ついでに、誰でも気づくことを念のため書いておきますと、作者の名前は維新さんで、いがつくからいーたんとも言える。いーたんは関西人で鹿鳴館大学に在籍(のちに中退)、作者はたぶん関西人で立命館大学在学中にデビュー(のちに中退)。
 シリーズ本編では語り手の「ぼく」(一人称)だから、ふつうに考えて作家の分身。
 この話では、殺人事件に接点がないのに、犯人から聞いた形で事件の動機解明のカギを哀川潤に話した。結果、彼女はウラワザ的に--まるで推理小説の作者に謎解きしてもらったみたいに--事件を解決することができた。

 物語末尾にはタイトル「戯言遣いとの関係」の答えとして「無関係」と記されています。鏡像であり友人なのに「無関係」なのは、作者がこのシリーズでかなり中心的に描き込んでいるため作者自身の分身とも言える零崎人識の、鏡像は、つまり作者だから。
 創造者と被創造者という近いのに触れあわない関係(無関係)。それを作中に持ち込んでできあがったのが、いーたんという特殊なキャラクターなのかな、などと。

 


 






Last updated  October 5, 2016 01:10:28 AM
コメント(0) | コメントを書く
July 4, 2016
 基本的にライトノベルズは「読めない」私ですが、前に娘が貸してくれた『零崎人識の人間関係(匂宮出夢との関係)』を予備知識なしで開いたところ、いろいろ拒絶反応はありながら、なぜか印象に残ったので--「西条玉藻は現象である」などという文章が特に。それで、ふと『零崎曲識の人間人間』を借りて読んでみたのでした。

 作者は、人気で多作で縦横無尽にキャラやストーリーを産出しているらしいですが、知識が豊富だし文章がウマいですね。
 ラノベなんで(というと偏見ぽいけど)、会話が軽くて擬音だらけで辟易とするけれど、たとえば「修羅の道」「塗炭の苦しみ」のような表現がその中に自然に(わざと作った決めぜりふ等ではなく)出てきたりします。こんな古典的な言葉を若者コトバに入れこむと、そこだけ浮いてしまったり、ギクシャクしたりしそうなのに、なだらかに流れていきます。作者がその表現をじゅうぶん使いこなしているということでしょう。

 凝った固有名詞も、ぶっ飛んでいますがどれも魅力的で、一筋縄ではいかない感じ。たとえば西条玉藻は玉藻の前(伝説の九尾の妖狐)を連想させ、東洋伝奇物の香りがふとしますが、別にこのキャラクターは狐でも傾城でもなく、何でも?ナイフで「ズタズタ」にする少女狂戦士(バーサーカー=北欧神話の熊皮をかぶったアレです)。しかし、少女狂戦士に玉藻と名付けることで、作者は何らかの意味付け(または風味付け)を行っているらしく、それを考え味わいながら読むのも楽しいものです。

 この作品は「戯言シリーズ」の外伝ということですが、ちょうどシリーズのアニメ化が決まったそうです。
 しかし外伝もふくめて20巻近く出ているのに、物語世界の全体像や主人公「戯言使い」(そういえば戯言というコトバも古風ですねえ)こといーちゃん(他にも呼び名が多数)の本名、役割などもじゅうぶんに明らかにされていない--というより、作者自身も自分の作った世界やキャラがどこへ行き着くのか探索しながら書き進めているみたいです。少なくとも、私にはそう感じられます(もしかすると、そう感じさせるように作者がつくっているのかもしれませんが)。
 ミステリや推理ものを書くのに、世界の構造やストーリーを決めてから細部を創っていく作家も多いでしょうが、この作者はミステリを自分で創っては解きながら自分の内にある世界を産み出し(あるいは発見し)続けているようで、そのつくり方が、ファンタジー世界の構築と共通するように思います。

 そんな私好みなところもある一方、殺人と暴力が日常茶飯的にてんこもりで、これはいただけません。救いは作り物めいた可愛らしい挿絵なんですけど、私の脳内には挿絵とは別のリアルな殺し合い場面がどうしても浮かんでしまいます。『零崎人識の人間関係』ではいきなりクラスメイトがみんな殺されちゃったので私は相当、「退き」ました。
 これをほんとうの殺しと見ずに、たとえば疾風怒濤の思春期的、精神的殺しと読み替えることもできます--人識くんは匂宮出夢くんとの奇妙な友情世界に入り込むと同時に、他のクラスメイトのことが心から抹消され自分が周囲から浮いてしまったと意識した、のかもしれません。しかし、こういう読み替えは、この物語の読み方としては何か違う気がします。
 むしろ、登場人物全員が二次的空間の作り物のキャラクターに過ぎず、作者(あるいは西東天などという因果の外の登場人物)の試行錯誤やゲーム感覚のままに、生まれたり殺されたりしている、という方がしっくり来ます。

 というのも、登場人物たちは殺し合いながらもどこか醒めていて、時に自身たちを「プレイヤー」と呼びます。ゲームの「プレイヤー」でしょうか。背後の誰か(って、西東天的な? または作者?)に操られている「プレイヤー」でしょうか(他人に操られるということは、この物語群の重要な要素のようです)。いずれにせよ、メタフィクションな匂いを醸し出すコトバです。
 ライトな会話を連発しつつ、自分の運命さえ外から眺めているようなキャラクターたち。とくに今回の主人公零崎曲識は、若い(子供の)ときから自分も世界も見切っているようで、どんな状況に対しても、

  「それだけのことだ。悪くない」/「零崎を始める〔=殺人鬼と化す〕のも、悪くない」/
  「ここで死ぬのも、悪くない」/「それはそれで、悪くない」  --西尾維新『零崎曲識の人間人間』

などと言います。

 自分がどうして今ここに生きて(生かされて)いるのか、いつどうして死ぬのか、世界はどうなっているのか、私たちは実はなかなか分からないまま、「それはそれで悪くない」と見切って毎日を送る、それはありがちな生き方です。
 生も死も殺人にも、ほとんど無感動な曲識。しかし、それとは別の次元で実は彼には彼なりのこだわりと情熱があった、というのがこのお話です。そのあまりにもベタなこだわりと情熱は、常軌を逸した「殺人鬼」とスプラッタ世界の中では、かえって貴重な輝きを放っています。






Last updated  July 6, 2016 12:39:13 AM
コメント(0) | コメントを書く
June 16, 2015
 前回書いた『J.R.R.トールキン 世紀の作家』にはさまっていた評論社の広告で見つけ、とりあえず図書館で借りてみました:ドラゴンシップ・シリーズ1『インディゴ・ドラゴン号の冒険』。なんせ主人公の三人が、“インクリングス”のあの三人だというので――チャールズ・ウイリアムズ、C.S.ルイス、そしてJ.R.R.トールキン。

 三人のフルネームは物語の最後で初めて明かされます。しかし、C.S.ルイスかトールキンのマニアで多少なりとも伝記的情報を知っていれば、最初の章で気づくはず。これはまだ若い三人が、初めてオックスフォードに集ったその時に、じつは異世界の冒険に放りこまれていた・・・という設定のファンタジーなのです。
 しかも、物語中にはアヴァロンやノアなど神話・伝説から、プリデインなどの現代のファンタジーまでの、超有名な固有名詞が次々に登場。さらにこれから書かれるはずのルイスの「ナルニア国ものがたり」のモデルとなるかのような、フォーンやアナグマも活躍します。
 舞台となる空間の名前「アーキペラゴ」はル=グインの『ゲド戦記』シリーズに敬意を表したものでしょうし、ストーリーの主軸は、歴史ファンタジーの一大基点というべきアーサー王伝説です。
 どこをとっても、ファンタジーや神話・歴史小説などの読者にはお馴染みのキャラクターと舞台、展開があり、これはたいへんよくできたマニア小説と言えるでしょう。

 作者オーウェンはアメリカの有名なコミック・ライターだそうで、そういえばこういうクロスオーバー(異なる原作を複数混ぜ合わせたエンターテイメント作品)はアメリカではとても盛んだそうです。厳格な原作愛好家は評価しないかもしれませんが、しかしマニアとしては愛する物語世界やキャラクターで自分なりの世界を作って楽しみたいという思いは自然なこと。
 アイルランドの「民話」に、活躍年代の異なるはずの自国の二大ヒーロー、クーフーリンとフィン・マックールの対決、という滑稽譚があります。日本映画でいうと『キングコングVSゴジラ』なんかが古いでしょうか。まあいろんな無理矛盾はおいといて、「もしキングコングとゴジラが戦ったら?」みたいな発想は楽しいですよね。

 『インディゴ・ドラゴン号の冒険』に話を戻しますと、そうした有名作品のモチーフを発見する楽しみのほか、主人公三人の人物像を楽しむこともできます。あとで神秘的・オカルト的な作品を書くチャールズ・ウイリアムズがはじめとっても現実主義者だったり、若々しいルイスが熱血していたり、そして我らがジョン(トールキン)は初めから学究肌で、戦争体験の直後なのでちょっとじめじめしています。でも、大丈夫。彼らの成長ぶり(お定まりなんですけど)も、わかりやすく描かれています。

 ストーリーは次の『レッド・ドラゴン号を探せ!』、さらに第三巻へ続くようですが、ううむ、難を言うと、作者が漫画家なのに、私はその絵があまり気に入りませんでした。海外のコミックスでは先だって感動したフランスの『闇の国々』の圧倒的すばらしさに、及ばない気がします。
 さらに、「ドラゴン号」に焦点をあてた表紙と邦訳タイトルも、ベタすぎていけません。原題は異世界の地図である「イマジナリウム・ジェオグラフィカ」シリーズ、第一巻のタイトルは、I HERE, THERE BE DRAGONSといい、この方がカッコイイですね。(ここに我、かしこに竜在り とでも訳せそう)。でもこのタイトルだと日本では売れないのでしょうが。






Last updated  June 17, 2015 12:05:37 AM
コメント(0) | コメントを書く
April 21, 2015
 荻原規子の歴史ファンタジー新刊『あまねく神竜住まう国』は、ファン待望ということでさっそく購入しました。
 読書メーターの感想にもあったのですが、勾玉三部作『風神秘抄』に比べてとても“短い”。ほとんど一気読みしてしまいました。
 『風神秘抄』で大胆に歴史を動かした笛吹&舞姫のコンビ(カップルというより、コンビという方がしっくりきます)が、自分たちが変えた源頼朝の運命を気にしての再登場。作者自身も頼朝の命運を気にしている様子があったので、やっと書いてくれましたか!という感じです。

 そして、「土地」に根ざそうとする作者のこだわりも、変わっていません。そのうえ、あの大震災後のニッポン人としては当然のことですが、土地そのものの畏怖すべき脈動を感じての、ストーリー展開。「あまねく神竜住まう」とは、偉大な土地神に守られたという意味の他に、ニッポン全土が生きて動いているプレートの上に乗っかっているのだという意味でもあります。

 で、頼朝はそのように色んな意味で「生きて動いている」関東に、草十郎と糸世の助力のもと、自分の居場所を確立します。
 歴史上の有名人ですから仕方ないのですけど、最初の章で蛭が小島の「大蛇」が言及され、なんとなく結末が見えてしまうのが、ちょっと残念。
 そしてそのように結末が決まっているのなら、過程の、草十郎&糸世に怨みを持つ万寿姫の霊が、頼朝に(異母弟とは言え直接関係がなさそうなのに)からんでくるあたりに、もう少し動機づけや劇的展開が欲しいと思ってしまうのは、欲張りでしょうか。

 ともあれ、生来まさっていた「白い竜」に加え、「赤い竜」を見いだした頼朝は生き延びました。このあと、同じく草十郎&糸世の力で生き延びた後白河法皇との対決で、この二つの竜はどのような働きをしていくのでしょうか。そして、その時代にどうしても無視できない人、義経(万寿姫と同様に会ったことがない、異母弟)とのからみでは。
 また、続編を期待してしまいますね。






Last updated  April 21, 2015 11:45:16 PM
コメント(0) | コメントを書く

全79件 (79件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 8 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.