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HANNAのファンタジー気分

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かるいノリで古典を

May 9, 2018
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テーマ:本日の1冊(3224)
 古代オリエントの伝説の英雄、ギルガメシュの物語。先月、文の里の古書店、居留守文庫で入手したちくま文庫『ギルガメシュ叙事詩』は、その全文(といっても、残っていて解読された部分)と解説、発掘や解読の歴史、くさび形文字の読み取り例まで載っている、盛りだくさんでお得な一冊です。
 さらに、伝説に出てくる怪獣「天の牛」と星座の関係とか、ギルガメシュにも言い寄るオリエントの愛の女神イシュタルの冥界下りの伝説も収録。読者の好奇心をたっぷりと満たしてくれます。

 ところで、本に埋もれたい方にはおすすめの、居留守文庫さんには、拙著『海鳴りの石』『天までひびけ! ぼくの太鼓』を委託しています!

 ギルガメシュの物語は、旧約聖書よりもギリシャ神話よりも古い、世界最古の英雄譚として有名で、美しい大型絵本(ルドミラ・ゼーマン『ギルガメシュ王物語』シリーズ)があるほか、私は私市保彦『幻想物語の文法-『ギルガメシュ』から『ゲド戦記』へ-』で、あらすじを知っていました。
 ようやくその原本を読むことができて嬉しいです。

 ギルガメシュは、もともとシュメール人の伝説の王だったそうですが、アッシリアだのバビロニアだの、古代オリエントを制した人々がこれを受け継ぎ、さらに西洋に伝えられるに及んで、さまざまなバージョンが作られたのです。しかもどれもこれも、破損していたり部分的に失われていたりします。
 それらを照らし合わせて全体を復元しようという試みが、いかに大変で、しかし謎解きのわくわく感を刺激するものだったかは、復元された原文を見ると、わかります;

  ギルガメシュ〔
  夜になると〔
  彼が近づいて来ると
  〔エンキドゥ〕は通りに立ちはだかった
  ギルガメシュが通るのを防ぐため
  〔     〕の力によって
                 --矢島文夫訳『ギルガメシュ叙事詩』第二の書板

 などという調子です。〔 〕に言葉が補われていればまだ良し、抜けていたり、?がついていた り、「以下一七行欠」などとあったり。

 それでも、半神半人の英雄の生涯がいきいきと見えてきます。
 若いときのギルガメシュは不良青年のような乱暴者で、「父親に息子を残さぬ」「母親に娘を残さぬ」という暴君ぶり。ところが、野人エンキドゥと決闘をして引き分けると、彼と友達になったようで、一緒に杉(レバノン杉)の森に遠征して番人の獣フンババを倒します。
 これによって、彼は一人前の英雄へと成長します。
 するとすかさず、愛の女神イシュタルが英雄ギルガメシュに求愛しますが、彼は今までの女神の不誠実さを指摘してはねつけます。彼はもうすっかりクールな大人なのです。
 イシュタルは逆ギレして「天の牛」を送りこみますが、ギルガメシュとエンキドゥのコンビは牛を倒し、人々はますます彼らをたたえます。
 ところが、フンババや天の牛を殺したせいで神罰がくだり、エンキドゥは病で死にます。相棒の死に悲嘆にくれるギルガメシュは、不死の秘密を得ようと旅に出ます。探索行のすえ、大洪水を生き延びた老人(聖書のノアにあたる人)に教えられて、海底から不死の草を取ってくることに成功。
 しかし、草を持って故国へ帰る途中、水浴びをしている隙に、蛇がこの草を食べてしまいます!
 かくして、ギルガメシュ(と人間)は不死にはなれませんでした。

  そこでギルガメシュは坐って泣いた        --第十一の書板

 生者必滅の悲しみ。「坐って泣いた」は、この時代の叙事詩の定型表現のようですが、なかなか心に響く表現です。

 と、こんなふうに、12枚の書板に人生とか人間の宿命とかが凝縮されているのが見事です(12枚めの書板は本編とは別バージョンのエンキドゥの死のいきさつだそうです)。

 ところで、ちょうど「フェイト」というゲームをやっている娘が、キャラクターの一人、「ギルガメッシュ」を教えてくれました。赤と金色の優男で、もちろん出土した彫刻にある長いくるくるしたひげのおじさんとは大違い。
 けれど、最初に書いたように、伝わっている伝説自体が、もとのシュメールの話を他の民族や後の人々が彼らなりに脚色したもの。ほんとうのギルガメシュ(実在したらしいですが)とは異なるところもあるでしょう。

 そう思うと、現代こんな形で伝えられるギルガメシュもあっていいのかもしれないとも思います。フェイトのアーチャー「ギルガメッシュ」は、傲岸不遜な俺様ですが、やっぱり「エルキドゥ」と親友で、死に別れるとき悲嘆にくれるんだそうです。
 他にも、ギルガメシュやメソポタミアの神々、幻獣は、多くのゲームに出てくるようです。その絢爛豪華なこと、夢解きが好きな古代人も夢にも思わなかったことでしょうね・・・






Last updated  May 26, 2018 08:13:32 PM
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November 18, 2013
テーマ:本日の1冊(3224)
メディチ家のイソップ物語 『夜の写本師』からの連想で、むかし父の知人?を通して手に入った非売品『メディチ家のイソップ物語』をよっこらしょと引っ張り出してみました。
 これはバブル時代のメセナ事業のさかんなりしころ(実際はバブル後の1992年に刊行)、安田火災がつくった豪華翻訳復刻版で、布ばり(ハコも布ばりにコーティング)、小口は金色。メディチ家に伝わる豪華手書き本の英語復刻版を全ページカラーで載せたうえ、日本語対訳をつけたというもの。そのへんの美術展の図録よりずっと上等でございます。

 美しい挿絵と周囲のカラフルな草花の装飾、インクの濃淡もはっきりとわかる手書きのギリシャ語など、ながめるだけでうっとりの世界。大もとは、かのロレンツォ・メディチが息子のために作らせた本だそうで、メディチ家こそは「メセナの元祖」だと、当時の安田火災の取締役さんが巻頭の辞に書いておられます。
 なるほどルネッサンス期のフィレンツェとバブル期のニッポンと、比べてみるのも一興かもしれません。

 なかみは100以上の短い寓話+教訓がずらりと並んでいます。日本でおなじみの話では、「ありとはと」(小学校の教科書にもありましたっけ)と「金の卵を産む雌鳥」、「セミとアリ」(アリとキリギリス)もあります。
 イソップ寓話は西洋文化の源流の一つらしく、他にも、どこかで聞いたようなモチーフが次々と出てきます。
 たとえば、「ライオンの皮をかぶったロバ」の話が2つあるのですが、ああ、これはC・S・ルイス「ナルニア」シリーズの『さいごの戦い』に出てくる、ライオンの皮をかぶって皆をだますロバのトマドイだなあ、と思い出します。

 挿絵もとってもおもしろいです。起承転結、いくつかの場面を順番に描いてあります。一つの絵の中に登場人物が2体も3体も描いてありますが、よく見るとコマ割りこそないけれどマンガのようにちゃんと絵だけでもストーリーを追っていけるようになっているのです。
 どの絵も、登場人物(動物が多い)の細かい表情から背景まで、じつに緻密に描かれています。キツネやワシ、ニワトリなど身近な動物は真にせまっている一方、たとえば「ワニ」は胴長のキツネにうろことくるくるのしっぽをつけたような、奇妙な姿で描かれています。当時の挿絵画家はワニを知らなかったのですね。

 古代ギリシャの原典の雰囲気を伝えているのが、ゼウスやヘルメスなどギリシャの神々が登場するお話。おかしいのは、神様だとて良い役回りだとは限らないところです。たとえば、「ヘルメス神と彫刻家」では、人間に身をやつしたヘルメス神が、大神ゼウスやその妃ヘラの彫像の値段を尋ねます。そのあとで、自分(ヘルメス)の像の値段を訊いたところ、

  「ゼウスとヘラを両方お買いあげなら、どうぞヘルメスはただで持っていってください」
                            ――『メディチ家のイソップ物語』野口由紀子訳

して、その教訓は

  「うぬぼれが強く、他人の評価以上に自分がすばらしいと思っている人間は、このような目にあう。」

 うーむ、ヘルメスもさんざんな言われようですね。
 


 






Last updated  November 18, 2013 11:56:58 PM
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July 7, 2012
テーマ:本日の1冊(3224)
 岩波文庫にも『ロランの歌』がありますが、むかし絶版(岩波の古典はときどき復刊されますがまたすぐ絶版になります)だったので、当時売りこみ中だったちくま文庫「中世文学集」の『ローランの歌 狐物語』を入手しました。

 「ローランの歌」は中世フランスの英雄叙事詩(武勲の歌=シャンソン・ド・ジュスト)の最高傑作です。世界史でおなじみの、シャルルマーニュ大帝がスペインのイスラム教徒と戦ったころのお話。
 シャルルマーニュ大帝の甥ローランは、王の部下「十二人衆」の筆頭で、若くて腕自慢の熱血漢。しかし義父ガヌロンの裏切りによって、イスラム教徒の大軍と戦う羽目になり、奮闘するもついに戦死します。
 一人で百人倒したなどという誇張表現の中に、槍や剣で血みどろになったり脳みそが出ちゃったりするリアルさが同居するところは、『イーリアス』以来の叙事詩の伝統なのでしょうか。

 近代小説ではないのでクドい人物描写はないですが、ローランの一途さ、若さゆえの気の逸りが彼の行動やせりふから感じられ、一方ナンバー2で彼の親友である「智将オリヴィエ」の思慮深さ、思いやりも伝わってきます。
 敵の大軍が迫るのを見て、オリヴィエは救援の角笛を吹いて王シャルルマーニュの本隊を呼ぼうと言いますが、ローランは、殿後を守る役に選ばれた以上は臆病なまねはできないと言い返します。
 吹け、吹かぬと争ううちに敵と入り乱れて大苦戦となり、十二人衆は一人また一人とたおされていきます。ここへきてようやくローランは「角笛を吹こう」と言いますが、もはや時機を逸しています。オリヴィエは

  「先刻吹けと奨(すす)めしとき、吹かざりけるが
   吹きたくば、吹けよかし、・・・剛勇の士のまさに恥ずべき振舞いなるを!」

と責めますが、その時ローランが傷を負って血に染まっているのに気づいて「はっと胸つかれ、親友愛がこみ上げてくる」(注釈)のです。

 ローランは血を吐きながら角笛を吹きますが、結局オリヴィエも討たれ、ローラン自身も戦死したところへ、息せき切ってシャルルマーニュ王が本隊を率いて引き返してくるという、ドラマチックで悲劇的なクライマックス。

 一言で言うとこの物語、ヨーロッパ版「平家物語」ですね。華やかで高潔な騎士道精神とキリスト教精神あふれる、悲劇のヒーローたちの合戦の物語が、長々しく格調高く吟遊詩人によってうたわれるのです。
 日本語訳は慣れないととっつきにくい擬古文体ですが、軍記物だと思って頭の中で講談みたいに熱く語ってみると、とっても素敵です。

 何より、『指輪物語』系のファンタジーにはおなじみの、由緒ある名剣とか、朗々とひびく角笛などの原型がここに! ローランのデュランダルとアラゴルンのエレンディルは音が似ているし、角笛オリファンの響くさまは、ボロミアの角笛みたい!
 トールキンの目指した格調高い祖国の英雄叙事詩って、まさにこういうのだったのだと納得できます。






Last updated  July 7, 2012 11:47:48 PM
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May 10, 2012
 リチャード三世は、確か「ナルニア国ものがたり」のルーシーが「バラ戦争よりややこしいわ」と言っていた、そのWars of the Roses(15世紀)の白バラ側(ヨーク家)の王様。シェイクスピアの劇が有名ですが、私は森川久美の「天の戴冠」の方が先でした。

天の戴冠.jpg この話のリチャードは、キラキラした金髪の兄たちから一歩下がったところにひっそりと立つ、ナイーブな黒髪の「弟」です。無口で内向的で感情表現がヘタ、しかし(そのぶん)戦には強いという、複雑な性格。カリスマ的な魅力を持つ兄の「影」として、兄に対する愛憎いりまじった感情を自分でもてあましています。
 そして、兄王が病死すると後継争いのごたごたの末、自分が王になりますが、やがて赤バラ側(ランカスター家)の巻き返しにあって、ボズワースで戦死します。戦いで死んだ王様というのは、イギリスではほとんどいないそうです。
 最後の戦闘におもむく時の彼のセリフ、

  もぐらは・・・(中略)・・・土を掘ることをやめるわけにはいかない/
  掘り続け…土はもぐらを埋め続ける/
  ・・・〔王冠など〕すてておけ!/
  そんなものに心を動かされたことはない!!
                 ――森川久美傑作集『青色廃園』より「天の戴冠」

というくだりが印象に残った私は、これには原典があるに違いないと思い、シェイクスピアの『リチャード三世』を買い求めました。

ヘルプマンのリチャード三世.jpg ところが、びっくりするほど違うんですね、こちらのリチャードは。まず口絵にある舞台俳優(ロバート・ヘルプマン)さんの、ものすごい目ヂカラに衝撃を受けてしまいます(左画像)。シェイクスピアのリチャードは生まれながらの大悪党、実の母からも呪われる、一見、悪魔の化身みたいな人物なのです。
 しかし解説によると、このリチャードも一筋縄ではいかない複雑な性格を持っているようで、「冗談や皮肉を弄ぶ明るい意識家」とか、「おのれの才能に自信があればこそ」自分のさえない容姿を「皮肉たっぷり、上機嫌に、誇張して」語るのだと評されています。
 観客(=読者)は、ただのひねくれ者ではなくて、自覚して自ら悪役を演じきっているリチャード、それを演じる俳優さん、という二重構造を楽しめるのでした。
 ちなみにこちらのリチャードの、最後の戦闘あたりのセリフは、

  馬をくれ! 馬を! 代りにこの国をやるぞ、馬をくれ!  ――シェイクスピア『リチャード三世』福田恆存訳

です。モグラは出てきません。一説によると、愛馬ウォールが倒されたため、リチャードは落馬して、なおも戦い続けますがついに殺されたのだそうです。
 そして、余談ですが有名なマザー・グース「ハンプティ・ダンプティ」は、塀(ウォール)から落ちてつぶれてしまったハンプティ(=ズングリムックリ)が実はリチャード三世のことだという説もあるようです。

 ともあれ、最後の戦いで(そして実はそれまでもずっと)リチャードが、王位に執着していたのではなく、彼自身には彼なりの別の人生観があった、というのは二つの物語の共通点といえるようです。

 ただの悪役、ただのアンチ・ヒーローではない、奥の深い二つのリチャード三世像。彼を扱った作品を他にも読んでみたいという気にさせられます。
 ジョセフィン・テイの『時の娘』を読もうと思うのですが、なぜか近所の図書館にはないので未読です・・・






Last updated  May 13, 2012 09:45:27 PM
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March 30, 2010
テーマ:本日の1冊(3224)
 1922年といいますからトールキンの『指輪物語』より何十年も前です。舞台は「水星」、17世紀風の英語を使って書かれた長大なヒロイック・ファンタジー『ウロボロス』。創元推理文庫版で700ページ、厚みが2.5センチもあります!

 冒頭は異世界への導入部で、水星に旅する男の屋敷の様子から語られますが、この屋敷自体がすでに古めかしい異郷という感じ。そこの「蓮(はちす)の間」へグリフィンのような天馬の曳く馬車が現れ、雨燕(あまつばめ)を案内人に、いざファンタジー世界へ。お定まりの異世界往きです。

 異世界・水星では中世風“剣と魔法”ものの活劇がくり広げられます。
 「修羅国(デモンランド)」「悪鬼(インプ)国」「魔女(ウィッチ)国」「吐火(スピットファイア)卿」「赭顔(レッド・フォリオット)王」などと訳者の苦労がしのばれる固有名詞をはじめ、大時代的な言い回しがどっさり出てきて、これらをうまく楽しみながら読み進まねばなりません。相当クセのある文体ですから、邦訳をどこまで楽しめるかは読者の好みや訳との相性もあり、個人差が大きいと思います。

 物語は男性的な英雄ファンタジーで、戦いあり探索あり裏切りあり、どんどん展開して、ページ数を感じさせません。結局は善玉の「修羅国」が勝ち、悪玉の「魔女国」側が敗れるのですが、その結末がわかっていても、最後の方は個性的な悪役たちがどんな最期を遂げるのか、目が離せないほどです。

 しかし、最後まで古風なこの物語は、平和になってめでたしめでたしでは終わらないのです。勝利と誉れを手に入れた「修羅国」の王はすぐさま平和に倦み、もう武勲をうちたてられなくなったと嘆きます。『指輪物語』など現代のファンタジーの平和主義とは無縁な世界ですね。
 そんな中世的な世界をあとに、主人公が現世に帰還する、というのが予想される結末なのですが、実は主人公はすっかり消えうせてしまい、物語の枠であったはずの現世も無視されて、最後にどんでん返しがあります。異界の物語は振り出しに戻るのです。
 トールキン以降の近代的なファンタジーの定義からすると、やはり物語はきちんと決着し、読者は浄化されて帰還し終わらねばなりません。しかし、『ウロボロス』はもっと原初的な異界譚で、行ったきり帰ってこないパターンなのでしょう。

 そもそも「ウロボロス」とは自分の尾を呑もうとして輪になった蛇のこと(画像参照。洋書の表紙です)。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の象徴であり、そういえばあのお話も途中で、ファンタジー世界の物語が振り出しに戻り、永遠にぐるぐる繰り返されるという場面がありました。
 『ウロボロス』でも、最後に来て読者は「ウロボロス」の終わりなき円環にはまるのです。物語は終わらず、現世に帰ることもない。これこそファンタジーの恐るべき罠、という感じです。






Last updated  April 6, 2010 10:09:01 PM
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November 27, 2009
テーマ:本日の1冊(3224)

 古代北欧文字で記された暗号文の解読。
 自己発見の旅に出る、ゲーテ以来伝統的なドイツ青年。
 古今のSFに不可欠ともいえる唐変木なマッド・サイエンティストの元祖、リーデンブロック博士、その意外に面白い人間性。
 地の果てアイスランドの、荒々しい自然、どこかものがなしい風物のていねいな描写。

 ヴェルヌの古典『地底旅行』には、地の奥底の大冒険談そのものの他にも、いろいろ味わい深いポイントがいっぱいあります。
 青少年向けの作品なので、青少年のころに読むと、どきどきはらはら夢中になるんでしょうが、私はだいぶ老成してから(といっても10年以上前)に読んだので、あらすじも何となく知っていたし、わりと冷静に細部を楽しみました。

 今回は再読なのですが、実は、高いところも狭いところも苦手な私は、あまりのめりこんでこういう話を読むとホントに怖くなっちゃうので、意識的に距離を置いて読むことにしています! 
 博士と甥の青年と、ガイドの3人が死火山の火口からどんどん下って行き、狭くて真っ暗なトンネルを進み、迷ったり引き返したり水がなくなったりはぐれたり・・・こういったところは、サクサク読み進まないと、怖くて息が詰まりそうです。

 地下の大空洞に着いてからは、ほっと一息。影のできない不思議な光に満たされた静かな海辺の景色、足下にくだける古生物の骨。そのうちお定まりの、生きた怪獣や原始人?などが登場しますが、このあたりはもうファンタジーの域に入っていて、色々なんでも出てこいのワンダーランドです。
 しかし、リーデンブロック博士はこのファンタジックワールドを純粋に楽しんではいません。地底湖をいかだで航海しながら、水平にしか進んでいないと不平をもらすのです。博士はひたすら垂直に下へ、地球の中心まで行き着くことしか考えません。

 けれども、さらに地下へのトンネルの入り口は、巨石でふさがれていました。古代北欧文字の暗号を書いた錬金術師はトンネルを進んでいったのですが、博士たちはその先に行くことを禁じられたかのようです。脈絡なく、私は日本神話の黄泉の国との境に据えられたという「千引きの岩」を思い出しました。
 通るなといわんばかりに行く手をふさいだ岩を、文明の無粋な道具(火薬)で爆破した時、ファンタジックワールドは崩壊します。そして3人は恐ろしい水流にのって、逆ジェットコースターというか、それこそエレベーターのように、別の火山の噴火口から地上へ噴き出されて戻ります。
 まるで、禁忌をおかしたために神々の手で地底世界から放り出されたかのようです。

 ともあれ、150年以上前に書かれたとは信じられない、大スペクタクル。何度か映像化されているようですが、一度観てみたい、いや、最初と最後は怖いから観たくないです。
 (私の読んだのは岩波文庫ですが、表紙が暗いので、別の画像を載せてみました)






Last updated  November 27, 2009 11:30:47 PM
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November 16, 2009
 作者ヴィルヘルム・ハウフは、25歳で夭逝したドイツ・後期ロマン派のメルヘン作家だそうで、肖像画?で見るとなかなかの美形です。グリムなどドイツの民話をもとにした作品もあるようですが、この『魔法物語』(原題どおりに訳すと『隊商(キャラバン)』)は、アラビアンナイトを彷彿とさせる異国情緒たっぷりの童話集です。

 いくつかの不思議な物語が連なっていますが、それはある隊商のメンバーたちが砂漠の旅のつれづれに一人ずつ語ったおとぎ話や体験談だという設定になっています。いわゆる“枠物語”ですね。

 本の表紙の画像が見つからなかったので、この画像は、語られるお話の一つ「幽霊船の物語」の挿絵。殺された船乗りたちが夜な夜な生き返ってはまた殺し合う恐ろしい幽霊船!

 さて、その“枠”にあたる隊商の旅の描写の冒頭に、魅力たっぷりの謎の男が登場;

  頭には、ふんだんに金の刺繍をほどこしたまっ白なターバン。上着とゆったりしたズボンは燃えるような緋色、柄をたっぷりとったサーベルを腰脇におびていた。ターバンは目深におろしている。それに、もじゃもじゃの眉毛の下に光るまっ黒な眼、先のまがった鼻の下にはやした長い髭が、野性的でだいたん・・・(後略)  ――ハウフ『魔法物語』種村季弘訳

 この「よそ者」を心に留めて読み進むと、隊商の語る物語の中にも負けず劣らず謎めいた登場人物「赤マントの男」が出てき、とうとう最後に「よそ者」が赤マントに着替えて現れます。まるでアラビアンナイトのおとぎ話から抜け出てきたようなその登場のしかたが、紋切り型なんですが、ツボにはまった感じで心地よい。

 ドイツではとても有名で評価の高い童話作家だそうで、別の作品も読んでみたいなと思いました。






Last updated  November 16, 2009 11:03:56 PM
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August 2, 2008
テーマ:本日の1冊(3224)
 前々回にアイルランドの『小人たちの黄金』を再読しましたが、小人がお宝をためておく黄金の壺というアイテムは、ヨーロッパ共通のものらしく、ドイツ・ロマン派のE・T・A・ホフマンにもずばり『黄金の壺』というタイトルの幻想物語があります(絶版です)。
 以前ホフマンの『ブランビラ王女』の日記では書き漏らしましたが、この人、「くるみ割り人形」(チャイコフスキーのバレエ)の原作者でもあるんですね。

 200年近く昔の作品ですから、文章は(訳文で読んでも)古風でまわりくどいところもあります。しかし気にせず進んでいくと、実は少女漫画かライトノベルにもできそうなキャラクターが、甘くてちょっとコミカルなストーリーを展開しています。

 主人公は、何をやってもドジってしまう貧乏学生アンゼルムス。素直でまじめだけど夢見がち、周囲からういている。物語冒頭でも、お祭の日に屋台につっこんで、積んであったりんごをばらまいてしまい、店のお婆さんにさんざんののしられています。
 ところがそのすぐ後に、川のほとりで彼は不思議な体験をするのです。緑色にきらきら光る小さな蛇がクリスタルの鈴の音のような声で愛をささやく・・・何だか唐突な気もしますけど、これが彼の運命の出会いなんです。
 あとで分かりますが、蛇は美しい乙女の化身で、名前はゼルペンティーナ。なんとハーレクイン小説的に魅力的な名前でしょう。主人公アンゼルムスは世俗的にはうだつがあがらないけれど、純粋無垢な性格ゆえに、彼女に選ばれたのです。

 しかし、世間の人はそんなアンゼルムスを精神的に病気なのだと思い、馬鹿にしたり警戒したりします。クリスタルの鈴~などと口走る彼の、就職を心配した教頭先生が、古文書の筆写の仕事を紹介してくれ、彼は王室文書管理役リントホルスト氏の家を訪ねます。

 最初は、玄関のノッカーに魔女(祭の日のりんご売り)の顔が現れて呪いの言葉を吐くので、アンゼルムスはぶっ倒れ、あわや失職するところでした。
(余談ですが、ディケンズの『クリスマス・キャロル』にも、亡霊の顔がドア・ノッカーに現れますが、欧米ではノッカーはそういうアイテムなのでしょうか?)

 ようやく回復して仕事場を再訪すると、そこは奇妙な屋敷で、熱帯植物園のような庭や風変わりな家具があり、オウムが話しかけてきたりします。リントホルスト自身も突然ファンタジーな服装になったり指先から炎を出したり、ただ者ではありません。
 実はリントホルストこそ、蛇乙女ゼルペンティーナのお父さんなのでした。しかも彼は実は実は“火の精”で、アトランティス王国の廷臣だったのが、百合の花から生まれた緑蛇と禁断の恋をしたために罰せられ、人界に落とされて人間の暮らしにあまんじなければならないというのです。しかし、

  人類が堕落してしまって、自然のことばが通じなくなり・・・(中略)・・・そんな不幸な時代がおとずれたら、火の精の火は、また燃えあがるのだ。 ―――ホフマン『黄金の壺』神品芳夫訳

 というアトランティス王の予言があり、まるで、来るべき大いなる時まで眠り続けるアーサー王や英雄たちのように、火の精リントホルストも本性を眠らせたまま、ドイツの片隅で文書管理役などをやっているというわけです。
 リントホルストにはゼルペンティーナを含めて三人の娘(お母さんが蛇ですから、娘もみんな蛇)がおり、それぞれに純粋無垢な夢見る人間のお婿さんが見つかれば、アトランティスの楽園に帰れるんだそうです。
 時空を越えたロマンですねえ。・・・でも何だかおとぎ話にしてはご都合主義っぽい理屈ですが、まあとにかく、アンゼルムスは栄えあるお婿さん第1号に選ばれたということです。

 その後、教頭先生の娘との世俗的な恋に目がくらんだアンゼルムスが瓶にとじこめられるという波乱がありますが、これも恋愛ものとしてはお定まりのライバル出現!てな感じで。
 結局、娘は別の男と婚約し、敵対勢力の魔女も打ち負かされ、アンゼルムスはゼルペンティーナと結ばれて、めでたくアトランティスに行ってしまいます。
 この時、二人の永遠の愛のあかしとして示されるのが、昔アトランティスの地霊が予言成就の助けにとリントホルストに贈った「黄金の壺」。タイトルになっている割には、この壺がストーリーに何か影響を及ぼすことはありません。ただ現世を超越した世界のすばらしさ・完璧さを象徴しているだけかも?

 ともあれ、現実界ではドジでだめ男のアンゼルムスは、愛ゆえに現世を解脱してアトランティスの詩人になりました。お婿さんが3人揃ったら火の精復活で何か現実界へも新たなアプローチがあるのかもしれませんが、その時まで、彼は蛇姫と黄金の壺とともにアトランティスに行ったきり、現世には戻ってきません・・・
 それでホントにいいのかアンゼルムス? とつっこみたくなる気もしますが、多分これで十分なんでしょうね。






Last updated  August 2, 2008 11:31:08 PM
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February 21, 2008
 お昼間ひさびさに暖かくて、春が近いなと思わせるお天気でした。私の持っている『ヨーロッパ歳時記』という岩波新書によると、2月には欧米で謝肉祭(カーニバル)が行われ、冬を追い出し春を招くお祭が古くから続いているということです。
 今日のぽかぽか陽気にふと思いついて、もしかして謝肉祭かなあっと調べたら、今年は復活祭が早い(3月23日)関係で、復活祭から逆算して決める謝肉祭も2月5日に終わっちゃってました。

 謝肉祭には、仮装行列が出たり、いろんな無礼講のどんちゃん騒ぎが行われたりするんだそうですが、日常の秩序からとびだしたお祭のファンタジーというと、E・T・A・ホフマンの『ブランビラ王女』(ちくま文庫)が、古典的ハチャメチャです。
 ファンタジーというジャンルがまだ出来る前の、怪奇小説とか、幻想小説とかいう呼び方の方がしっくりくるかも。
 作者は19世紀はじめの人で、法律学校を出た裁判官。といっても、他にも画家・作曲家・劇場監督などいろんな職業をこなしつつ、恋愛歴も色々のようで、どうやら多面性の人らしいです。その人が41歳で

  閑暇数刻、真面目とはきれいさっぱり縁を切って、おそらく少々破廉恥すぎることもなくはない妖怪の、無鉄砲にも気まぐれな戯れに身を任せてみようという、ご用とお暇のある読者諸兄に・・・  ――E・T・A・ホフマン『ブランビラ王女』種村季弘訳

という「前口上」をつけて書いた、めくるめく祭の夢のようなどたばた劇の物語です。

 ローマの謝肉祭前日、仮装用のすばらしいドレスを縫っていた貧しいお針子ジアチンタが、ふとそのドレスを試着すると、不思議にぴったり、まるで彼女はどこかのお姫様のようになります。そこへ、彼女を恋する三文役者の遊び人ジーリオがやってきて、奇妙な王女の出てくる夢を見たと語ります。
 やがてジーリオが通りをぶらついていると、早くも祭の仮装なのか、派手で奇妙な行列がやってきます。広場では町一番のペテン師チェリオナティが、怪しげな演説をぶって、その行列はエチオピアの高貴なブランビラ王女の一行で、許嫁コルネリオ王子(虫歯を抜きにローマに来て、行方不明になった!)を探しに来たという。
 さて、物語はペテン師チェリオナティの語りのように、進むにつれてどんどん荒唐無稽、うさんくさい魔法かおとぎ話のようになっていき、お針子ジアチンタが王女で遊び人ジーリオが王子??かと思えば、チェリオナティは大魔術師ヘルモート?
 劇中劇のようにいろんなおとぎ話が披露されますが、そこに出てくる主人公とヒロインがどれもジーリオとジアチンタのように思え、どれが本筋やら幻想やら分からなくなります。
 あまり堅苦しく思い詰めず、おつむのふわふわしたジーリオと一緒に、お祭の雰囲気と人出に酔って歩き回るつもりで読み進むと、なんだか心が軽くなってきます。アッシリアの王子もイタリア仮面劇の登場人物も、そして現実の遊び人やお針子も、お祭の幻想の中ではすべてが等価で真実なのです。

 小説を読みながら、めくるめく幻想的な舞台を見ているようなこの感じ。むかし友人に勧められて観たり読んだりした野田秀樹の“夢の遊民社”みたいです。
 現実をぶっこわして精神をリフレッシュさせたい時にはおすすめ、でも、真面目に読むと疲れます!






Last updated  February 21, 2008 11:27:41 PM
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October 16, 2007
 先日の続きで、ギリシャ神話関連の本の話をもっと。

 CRALAさんにコメントをいただいて思い出したのが、私が小さい頃愛読していた、『星座と伝説』(偕成社ジュニア博物館10、小尾信弥)。表紙には、ワシに変身したゼウス神に連れ去られる美少年ガニメデの絵で、美術にうとい私もうっとり。1970年の本ですが、天体写真はもちろん、図も詳しいし、ギリシャ神話を題材にした絵画のカラー写真がいっぱい載っていて、ロマンを誘います。

テーバイ物語 それから、『ギリシア神話 テーバイ物語』は、「呪われたハルモニアーの頸飾り」という副題の示すとおり、美しいが不幸をもたらす首飾りがテーバイ王家にまつわるいろんな登場人物の手に渡っては新たな物語が展開する、というスタイルで一つの都市の歴史が語られていきます。
 地図と系図はこの手の物語には必須といってもいいですが、この本には、発掘された陶器に描かれたギリシャ時代の絵が、たくさん収録されているのがグッドです。『星座と伝説』がルネッサンス絵画のアートな気分にさせてくれるのに対し、こちらは博物館でホンモノを見る時の静かな感動、みたいなのを味わえます。

 最後に、ファンタジー(コミックス)です。西洋文化の根幹ともいうべきギリシャの神々をこんなふうに描いちゃっていいのかー、でもゲームのキャラなんかにデフォルメしちゃうのとは違って、わりと真面目なファンタジーだぞー! と思うのが、安彦良和の『アリオン』です。(画像は4巻)
アリオン 初代ガンダムに入れ込んでいた私は、安彦氏がギリシャ神話を描く!というだけでもう大興奮でして、映画も(あんまりいい出来じゃなかったと思いますが)3回ぐらい観た覚えがあります。
 何がいちばんすごいと言って、『アリオン』に出てくる大神ゼウスの、貧相で情けない最悪な容姿と性格。オリンポスの主神がこんなダメ男でいいのか!とびっくりするのですが、この徹底的に醜悪なゼウスが、なんだか人間くさい妙な味があって、忘れがたいです;

  ゼウスは/おびえきって/…いた/彼がその時/私に見せたものは…/死を恐怖する/みにくいまでに赤裸々な姿だった/彼を生きながらえさせたのは/たぶんこの強烈な死への恐怖なのだと/一刹那私は/…思った  ――安彦良和『アリオン』

 こんなゼウスやら、オッサンくさ~いポセイドン、見かけはいいけどゼウスよりもっと陰険な悪者アポロン、権勢欲とお色気の同居したアテナ、などの中で翻弄される主人公アリオンに、同情しながら読み進むと、最後には(どたばたとご都合主義な所もあるけれど)この人間より人間くさい神々は、天上へ去って、ほんとうに神様になり、あとには人間たちの新しい世が始まる、という大団円となってキッチリ終わります。
 さすが安彦さん、押さえるところはきっちり押さえているなあ、という感じ。
 でも間違っても『アリオン』で初めてギリシャ神話を知るというパターンだけはおすすめできませんが!
 






Last updated  October 17, 2007 11:43:01 AM
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