豊かな知識が土台の『ニルスのふしぎな旅』
冬鳥が北へ帰る季節。「Nils! Come on Nils! Come on up!」という(ちょっと素っ頓狂な)声とともに、タケカワユキヒデ作のオープニング、 ♪Oh come on up, Nils 旅に出かけよう/準備なんか いらない 春をさがしに 空を行けば/はじめて見るものばかり [以下略]が、耳によみがえります。『ニルスのふしぎな旅』、アニメ(1979年)自体はあまり観ていなかったのですが、それというのも主人公ニルスがとても幼い外見・口調で、お子様番組だからとチャンネルを変えられてしまうのが常(昭和のテレビ事情ですね)だったのです。 で、原作(岩波文庫版、主人公はニールスという表記)を読んで判明したのは、ニルスは14歳、いわば中2の反抗期なのです(左の偕成社版の表紙絵は年相応だと思います)。体も大きいので、いつも猫のしっぽを引っぱるというと猫にとってはひどいイジメでしょうし、飼い牛の耳にハチを入れるなどは、とんでもない悪行です。 きっと彼は、農家の日常生活におさまりきらない、ティーンエイジャーのエネルギーを、もてあましていたのでしょうね。 こういう状態は、父母がしたように「お説教を読ませる」では解決しません。やはり、(現代風にいうと)何かハードな部活にうちこんで集団で合宿などするとよいかも…、と、教育者である作者はちゃんとわかっています。かくして、ニルスは小人にされたうえ、野生のガンの群れとともに旅に出るというハードかつわくわくな“合宿”に出かけることになります。 最初は家に帰りたがったニルスですが、すぐ新生活に慣れ、旅を楽しむようになります。今まで友人も父母も好きになれなかった、というくだりもあってちょっと驚きますが、彼が自分を他人や家族と切り離し、自立しようとしている証拠なのでしょう。 この本は、地理の副読本にと書かれた物語だけあって、ニルスとガンたちの旅程を示したスウェーデンの地図がついているし、構成も考え抜かれた感じです。 旅が始まるとまずは、ニルスが空から俯瞰した南スウェーデンの広々した田園風景がすばらしいです。ニルスも感動のあまり笑っています。日頃のストレスを解消する笑いかもしれません。 それから、彼の放りこまれた野生の小動物たちの世界をリアルに描きます。たとえば、ガンは敵から身を守るため湖の浮氷の上で寝る、それでも夜中には接岸箇所からキツネが襲ってくる、などです。 ニルスはキツネのしっぽを引っ張ってガンを救いますが、おお、猫へのイジメの技がこんなところで役立っています。 第4章グリミンゲ城では、黒ネズミ族と灰色ネズミ族の戦いが出てきます。私は最初読んだときハッとなったのですが、斉藤惇夫『グリックの冒険』で語られる、東京の町の覇権をかけたクマネズミとトブネズミの戦い、あれは、グリミンゲ城のエピソードが下敷きなのでは。灰色ネズミ(ドブネズミ)が外国からの“移民”で、強い生命力で勢力を広げたいきさつが書かれているところも、似ています。『ニルス』の方は黒ネズミ(クマネズミ)視点で語られているのに対し、『グリック』はドブネズミ側から描かれているなど、対比してみるのも面白いです。 また、第6章に出てきた、ガンたちの呼び声「きみはどこだい? ぼくはここだよ!」にも、初読当時の私はうれしがりました。このシンプルな“翻訳”を、動物行動学者のローレンツが「著者セルマ・ラーゲルレーフ女史は、ガンのこの気分感情声の意味を天才的なひらめきでみごとにいいあてた」と書いている(『ソロモンの指環』)のを、私は先に読んでいたからです。 第7章や第12章、第15章では訪れる地方の地理的特色を物語風に紹介したり、第9章や第14章では地方の伝説が一夜の夢、的に語られます。 特に第14章は、海に沈んだ町ヴィネタの物語。バルト海南岸にあったという伝説の中世都市で、今では同名のゲームにもなっているようです。私がこの話が好きなのは、フランスやコーンウォールの、イースの伝説と似通っているからです。 このほか、訪ねた土地に暮らす人とニルスとの交流が描かれる章もあり、ニルスの人間観、人生観が深まっていくのが分かります。いや、ほんとうに内容の豊かな本です! きっと教育者としての経験のほか、多くの知識や入念な調査を土台にしているのだろうと思います。 こんな調子で、岩波文庫は上下巻合わせるとかなり分厚いにもかかわらず、もとの本の前半だけで終わってしまっています。ガンたちの目指すラプランドへはたどり着かないままなのです。ちなみに、ガンの群れのリーダーは「ケブネカイセのアッカ」と呼ばれますが、ケブネカイセはラプランドの高峰だそうです。 ラプランドといえば中世魔女伝説の故郷。どのように描かれているか、いつか完訳版を読んでみたいものです(偕成社などから出ているようです)。