40年前の“聖地巡礼”――上海レトロ旅の記憶22完 外灘、動物園~So Long上海
第22回は旅の6日め、1986年1月5日(日)最終日つづきです。『南京路に花吹雪』(森川久美)を、当時私たちが呼んでいたように『南京ロード』と表記しています。記述や画像は当時の私たちの記憶であり、何かの正確な記録や証拠ではありません。 外灘の建物をさんざん撮った私たちだが、最後に広東路を昔の五馬路(現漢口路)と勘違いして立て札を写した(左写真)。背景は外灘3号(上海地質研究所)。建物の壁に「新年」などと落書きがある。 さて、すっかり冷えこんだので、再び和平飯店8階のレストランへ逃げこんだ。念願の窓辺の席で、ストーブで手を温めながら、ぜいたくな朝食(7.3元、右写真は伝票)。しつこく炸醬麺と小籠包子を食べる。お茶は、この旅で知った銘柄「鉄観音」、淡い黄金色の上品な烏龍茶である。サントリーのウーロン茶とはまた違った色と味なので、私たちがレストランで何というお茶か尋ねたところ、この銘柄を教えてもらった。おいしいのでお土産にも買ったと記憶している。 窓からは朝日に金色に輝く黄甫江が見渡せ、旅の最終日にふさわしい感慨に浸った(左写真)。 午後の帰国までの時間をどう過ごすか、話し合った結果、ホテルにほど近い上海動物園に行くことにした。南京路を西進するバスで行ったと思う。動物園前で降りると、入り口付近の道端にパンの屋台が出ていて、買って食べた。西洋風のパンだからか、あるいは観光地値段なのか、結構高いがそれなりにおいしかったとメモしてある。 右写真は動物園の入り口、左画像はチケット。表には「公園を訪れるさいは礼儀正しく行動せよ」「ゴミを捨てないでください」。裏は時計店の広告で「上海時計 上海市時計産業貿易センター 優れた職人技と正確な時間管理」とある。入り口近くに、中国に住む動物たちのマップがあって、とにかく動物好きの私は写真を撮った(右写真、一部)。 日本の動物園と違って、桁外れにだだっ広い公園、というか原野みたいな所だった。見渡すとところどころに植えこみや塀があって、てくてく行ってみると何か動物が居る。次の動物は、と見渡して、また彼方の何か囲いまでてくてくと歩く。左下写真はペリカン池であるが、これだけで一つの公園のようだ。 パンダが何頭か居たが、広い場所で飼われていたので遠目にしか見えず、しかも地面にころげてどろんこになっていた。日本のように特別扱いせず、動物園の一員でしかないという感じ。それで私たちは写真も撮らなかった。とにかく全部へめぐるのに何時間かかるのか、心配になっていた。 右下写真は「珍しい牛の一種」とメモにある。最近調べたところ羚牛(ターキン)、四川省やチベットなどにいる希少種だった。 何とか全部見終えてバスに乗る。今度も(まだ昼間なのに)切符が全部はけているらしく、何度交渉しても車掌(服務員)さんは運賃を受け取らなかったので、タダ乗りである。 ホテルに戻るとすぐ、帰国の途に就く(私はあわただしさの中で旅行鞄の鍵をなくした)。 さらば上海―― 夢と希望と光の上海 So Long上海 さらば おまえ 外国(とつくに)の姿たもちて 波の果てに放浪(さまよ)う街よ―― (『蘇州夜曲』) (左画像は黄子満、模写です) 寒かったけれど雨には一度もあわず、ほとんどが晴天だった。心残りは上海博物館。人民公園に昼間行けなかったこと。饅頭を買えなかったこと。ジャンク船が見られなかったこと。挙げればきりがない。 けれど私たちは、それぞれ大事な物をかかえて帰った。Mは孔明先生の白羽扇(第6回参照)、司馬遼太郎『項羽と劉邦』の項羽ファンであるNは、米粉でつくった項羽人形*、そして私は馬のカルローズ(第14回参照)である(右イラスト)。 *項羽人形 最近Nに訊いたら、蘇州で買ったということだった。米粉や小麦粉を練って作る漢民族の郷土民芸品で、麺人形とか麺塑とかいう。三国志などの有名人物のものが多いが、最近では棒なしでガラスケースに入った高級品や、日本のキャラクターのもあるそうだ。 今度はJALに乗り、夕方6時に大阪に着いた。とたんに周りじゅうから耳に襲いかかってくる日本語の洪水に、めまいがしそうになる。たった四、五日でずいぶん耳も変わるものだ。 完 思ったより長くなりました。この旅に調子づいた私たちは、同1986年夏、今度はシルクロードの旅へと暴走。この顛末と古い写真も、夏ごろ連載したいと思っています。