カテゴリ:ぼくの疑問符
日経の7月16日の日曜別刷り The Nikkei Magazine に掲載の
「外交のある風景 田中均の覚え書き」には、 商社マンとして、強烈な違和感を感じた。 問題の箇所の紋切型表現は 日経記者が書き起こしたものである可能性があるが、 新聞・雑誌出版の常識からいって田中均氏も必ず目を通しているから、 ここは田中均氏の文責として批判する。 (田中均氏は、例の小泉首相朝鮮訪問、日朝平壌宣言をお膳立てしたことで有名な、前外務審議官。) 問題の箇所は、田中均氏が 昭和49年の田中角栄インドネシア訪問時に起きた反日暴動のことを述懐して書いたもの。 ≪当時、東南アジアに日本の企業がなりふり構わず進出し、 現地の人々の強い反発を買っていた。 もしあの時、後に発表された「福田ドクトリン」のような 「心と心のふれあい」を旨とするようなアプローチをとっていれば、 反日暴動事件も未然に防げたのかも知れない。≫ 思ったこと。 ああ、田中均という人は、けっきょくいわゆる 揶揄の対象としての「役人」の域を出ていない。 反日暴動の理由として彼が挙げるのは 「日本企業がなりふり構わず進出し」たことだけだ。 インドネシア暴動のくだりで、800字ほど書いているのだが、 彼による原因分析が、これだ。 朝日・毎日の新聞記事であれば、まあこのていどであろうが、 外交官殿にこんな分析をされては困るのである。 ほんとに「企業進出」が原因の暴動か? もしそれが本当の理由なら、 暴動は、まず工場や工事現場で起きる; 国産品愛好の日本品不買運動が起きる; 日本人への嫌がらせ現象が起きる。 首相が訪問して、突如として暴動に遭った、という事象であってみれば、 それは「企業進出」云々とは別の要素が大きいはずだ。 東南アジアにおける日本の影響力が大きくなるのを好まぬ勢力が 巧妙に仕組んだものと見るのが、 外交官レベルでの分析というものではないのか。 そして、それに対する対策が 「心と心のふれあい」 というのだから、センチメンタルも度がすぎる。 われわれ企業人が、海外でどこまで及第点を取れているか分からぬが、 自信をもって言えることは、 少なくとも日本人として、 現地人社員が気合の入った仕事ぶりを見せてくれるとき、 ともによろこびあい、仕事の成果をたたえあう、 そういう気概がつねにあるということだ。 昭和49年も、いまも、その点はまったく変わらないと思う。 人間のあり姿というのは、そうそう変わるものではないのだ。 「心と心のふれあい」は、 謙虚さがたましいに染み付いている日本人として、 とっくに実践済なのである。 問題は、つねにその先にあるのだ。 センチメンタルが通用しないところで、 日本を貶めようとたくらむ勢力とどう対決するか、 それが外交の仕事というものではないのか。 田中角栄の時代より、 その30年後のいまのほうが、 よほど日本企業はインドネシアに「進出」している。 その後知恵(あとぢえ)がありながら、 当時の日本企業の仕事ぶりを 「なりふり構わず」と揶揄する精神がゆるせない。 田中均氏の文章でわかったのは、 すくなくとも外務省という役所は、 あのインドネシア反日暴動を「日本企業の進出度がすぎたから」と総括しているらしいということだ。 「落ち度は民間に押し付ければよい」という、 霞が関のごく一部の二流官僚がもっている感覚で、 日本史を総括しているわけだ。 たしかに日本の活発な経済活動も理由のひとつだったろうが、 首相訪問にあわせて暴動を起こすとには、 もっと複雑な仕組みが背後にあったと考えるのが常識人だろう。 いまはインターネットが発達し、海外メディアにも触れられるからよいが、 去年の中国の同時多発反日暴動が もうひとむかし前に起きていたら、 外務省や日経は 「中国に日本の企業がなりふり構わず進出し」たために起きた、と 民間を悪者にして左団扇していたかもしれない、 と、そんなことまで思わせてくれた 田中均氏であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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