文春新書『英語学習の極意』著者サイト

2007/05/15(火)08:21

現代中国を昭和後期の日本に引き比べる愚

中 国 界(103)

いまの中国を、日本の昭和30年代後半からの高度成長期にたとえて、その延長線で楽観論を展開する論者が比率的に高いことを知って愕然とした。 他国の状況を日本のある時期に引き比べるのは、一般大衆向けの導入としては確かに分かりやすい。 しかし、そういう「客引き」のために書いたフレーズによって、論理そのものが引きずられてしまっているのを見ると、失笑を禁じえない。 問題の作は、わたしが村上龍事務所発行の Japan Mail Media 5月7日号の中国論。 「中国経済は今後も勢いを持続できるか?」 という設問に、レギュラーメンバーが答えている。 ワイドショー向きのなんでも評論家の皆さんだが、なかでもあきれたのが 杉岡秋美さん(生命保険関連会社勤務)の所論。 ≪中国のかかえる様々な状況をみれば、昭和に日本が直面した問題が懐かしく思い出されます。≫ という一文で、まず“引いた”。 現代中国の惨状は、「懐かしく思い出す」レベルとは程遠いが、ね。 このひとにとっての「昭和」とは、≪日本の60年代や70年代の輸出ドライブとそれに続く消費の時代≫ということらしい。 このひとの結びはすさまじい。 ≪中国経済が、今後も「勢い」を維持できるかどうかについては、内部要因を列挙すると否定的になりますが、昭和の経験との類推からは十分可能なことであるように思われます。≫ そもそも日本の昭和後期の体験と引き比べるという前提が間違っているのだ。 強いて比べるなら、昭和「前」期の高度成長期に似ているのが、現代中国だがね。 社会福祉政策の不在。 階級間の格差はあって当然という社会構造。 農村の疲弊。 軍の政治介入。 幻のオリンピックの直前。 これに加えて、昭和の日本が体験しなかった 地獄のような環境汚染と その報道や住民運動を暴力で抑圧する、地元業者とつるんだ町役場。 それが現代中国だ。 日本のある時期にたとえることから始めるという論法そのものが間違っているが、 どうしても例えたいなら、例える時期をちゃんと選んでほしいね。 この杉岡秋美さんだけでなく、 真壁昭夫さん(信州大学経済学部教授)は、現代中国を≪1960年代以降のわが国≫にたとえているし、 津田栄さん(経済評論家)は、≪どこか日本の80年代後半のバブル時代に似ていなくもありません≫。 5名の論者ちゅうの3名が、現代中国を日本のある時代にたとえて、楽観材料につかっている。 「これだから素人さんは困る」と、おもわず言いたくなっちゃうのよね。 それ以上に笑止千万なのが、山崎 元さん(経済評論家)で、 ≪将来的には、中国は、軍事に加えて経済的にも圧倒的に大きな存在になるでしょうから、中国が合州国的な体制になって台湾が米国に於ける州のような形で併合されるような状況も考えられるのではないでしょうか。≫ (「合州国」は山崎さんの原文のまま。) こういう論者が多いから言うのだが、 こと「台湾問題」になると、「国と国のあいだで貿易が行われている」という、小学生でも知っていることが忽然と頭から消えるらしい。 中国が「経済的に圧倒的に大きな存在」になったら、中国と経済活動をするには単なる国際貿易ではすまず、「併合」されなきゃいけないわけ? もし仮にそれが正なら、世界数十カ国が米国に併合されているはずだがね。 東欧諸国はドイツに併合だよ。 韓国も東南アジア諸国も昭和後期に日本に併合されていたよ。 もちろん、そんなことはなかった。だって、貿易と投資が行われれば、それでいいわけだから。 経済は、「併合」の原因にはなりません。 それにしても、このていどの論者が跋扈しているから、それを嗤うわたしの文章もそれなりに読んでいただけるわけで、 きょうも、感謝、また感謝。

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