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2007/06/09(土)01:08

年金不始末への処方箋

ぼくの疑問符(188)

日本社会主義共和国の 社会保険庁の年金不始末を見ていると、 底知れぬいい加減さが 単なるうっかりミスが積み重なったていどとは、とても思えず、 労働運動の教科書にあるような典型的 「サボタージュ」 (=意識的にメチャクチャな業務を行ったり器物損壊を行い職場を混乱させること) の領域に至ったとしか思えない。 ここまでサラリーマンが堕落するのは、指示系統が腐りきって、 ひとりひとりの担当者の存在意義を上層部が全く顧(かえり)みてくれない そんな組織におちぶれてしまったときだ。 6月8日の『北國新聞』(金沢市)の社説を読んで、 「ああ、そういうことだったか」 と思った。 事務を行う担当者はほんらい、 「ふつうの県庁職員」として雇用されていたはずなのに、 自治省と厚生労働省の綱引きに端を発する組織いじりで 国家公務員の「最下層民」となってしまった。 マネッジメントとのあいだで 「同じ組織に帰属しているのだ」 という意識を形成することができない担当者たちは、 「すねる」 という動詞が意味しうるところの窮極のかたちを社保庁という舞台で演じたのではないか。 いわゆる「道州制」を導入すると、 おなじ問題が起こるのではないか。 「霞が関の国家公務員」 「国家公務員出身の道州職員」 「県庁出身の道州職員」 「県庁レベルに残る職員」 の4段階ができ、 「国家公務員出身の道州職員」と「県庁出身の道州職員」が混在する道州役所では 県庁出身者が下層民としてサボタージュを開始し、 国家公務員出身の道州職員は 「どうせ自分は霞が関から捨てられたのだ」 と白けきって、ろくなマネッジメントをしない…… というような。 コラム子のかねてよりの持論は、 「府県合併を行って、県庁を一人前の存在にせよ」 である。 そういう姿勢で組織改革しておれば、社保庁のサボタージュ状況は回避できたのではないか。 以下、『北國新聞』6月8日付け社説を参考のために引用します: ≪社保庁の無責任体質 失敗だった地方事務官廃止 社会保険庁の年金記録不備問題で、該当者不明の5000万件とは別に、最大1400万件の未統合の記録があることが判明した。 この役所の底なしの無責任体質、規範の緩みには、形容すべき言葉も見つからない。 組織のタガが外れ、深刻なモラルハザードを招いた要因は、2000年4月の「地方事務官制度」の廃止にさかのぼる。 それまで、身分は国家公務員で、形のうえだけ知事の監督指揮を受けていた地方事務官が「厚生事務官」となって社保庁に組み込まれた。 これにより社保庁は厚生省出向のキャリア組、社保庁採用職員、地方採用の元地方事務官の3階層に分かれてしまったのである。 それぞれの階層にミゾがあり、厚生省キャリア組は業務の詳細を知らない。 社保庁採用職員は中2階にあって現場を知らず、全体の94%を占める地方採用職員は、きちんとした監督指揮の下で仕事をした経験がほとんどなく、上の指示を受け流す流儀が染みついていた。 図体は大きくとも統制が効かぬ組織ゆえに、社保庁は「頭のない竜」と呼ばれる。 地方事務官制度が廃止された当時、所属を「地方に移すべき」という自治省と、「国の仕事」という厚生省の間で綱引きがあった。 厚生省の主張が通ったのは、政府の地方分権推進委員会が、地方事務官の廃止と、年金業務は国がすべき仕事との提言をまとめたからである。 この結果、都道府県の知事部局に所属していた国民年金課などが地方社会保険事務局に切り替わり、地方事務官も厚生事務官に変わった。 このとき、地方事務官が県職員になっていたら、年金保険がこれほどひどい状況に置かれていただろうか。 地域とのきずなを断ち切られ、「浮き草」のようになったツケが今回の不祥事の遠因になっていると思わざるを得ない。 社保庁は、年金記録不備のほかにも、年金保険の流用や保険料納付の不正免除などの不祥事が続いている。 だれの目から見ても社保庁の組織が機能不全に陥っているのは明らかだ。 野党の一部などから、年金記録不備の問題解決を理由に、社保庁の「延命」を図るかのような主張が出ているが、社保庁組織を確実に解体しなければ、禍根を残すことになるだろう。≫

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