2007/08/20(月)00:36
<秀作> Kate Winslet の「リトル・チルドレン」 “オトナ”って何なのでしょう
あれはセックスのあと。
爪をトルコ石の色に塗ったケイト・ウィンスレットの右の素足が、床に横たわる男の胸板をゆっくりなでる。
なにかに坐って男を見下ろすケイトの両脚。
そのケイトに男はまさぐるような視線で応じる。
この映画でいちばん好きなカットだ。
ボストン郊外の住宅地。2組の夫婦。
4人それぞれセックスが嫌いじゃないはずなのだけど、夫婦どうしは何かとタイミングが合わないというか。
それで
娘をつれたケイト・ウィンスレットと息子をつれた“主夫”のパトリック・ウィルソンは、
公園で遭遇しプールで出会い遊び心が本気に、そして次の遊び心が本気に、どんどん本気になってゆくのですね。
まちの風景として
児童愛の性倒錯者(ジャッキー・E・ヘイリーが無駄をそぎ落とした好演)とコンプレックスまみれの堕ちこぼれた元警官が交錯する。
「タイタニック」「ホリデイ」のケイト・ウィンスレット主演で数々の賞もとった作品なのに東京で封切館がわずか2館という扱いが不思議だったのだけど
(その割りに人口150万人の愛媛県で松山市、今治市の2ヶ所で封切る予定という無謀……)
なるほどラヴストーリーというよりは、
世間さまがいう“フツウ”から“アブナイ”ところへ紙一重を超えるいろんなカタチを淡々と描いた作品だったのですね。
Little Children(小さな子供たち)という映画名が指しているのは、ケイトの娘や
男の息子や
性倒錯者が追いかける幻影の児童らでもあるわけですが
さて
あまたのオトナたちのことも Little Children と括(くく)っているのかどうか。
30歳をすぎた男や女のことを「おとな」だ、いや「こども」だと品定めするときの尺度って、何なのでしょう。
なんとなく、一途(いちず)であればあるほど「こども」と呼ばれるような気がしてならないけれど、
映画のなかでいちばん「こども」だと思ったのは、
ここぞという大事なときに一途になることを放棄してスケートボードに興ずる餓鬼どもに加わるパトリック・ウィルソンの姿でした。
あるいは目的にまっすぐ向かえるかどうかが「おとな」か「こども」かの尺度なのでしょうか。
あるいは覚悟をきめた迷い道こそ「おとな」の姿でしょうか。
たとえ世間さまからは「こども」だ、と嘲(あざ)けられても。