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2008/05/05(月)17:10

綿矢りさ 著 『夢を与える』 100頁の中篇にすればよかった

読 書 録(57)

週に1~2回は劇評を書く身が たまさかに書評を書くと、よほど読書と縁遠いように思われるかもしれませんが、読書もしております。 最近読みおわったところでは、 柿崎一郎 著 『物語 タイの歴史 微笑みの国の真実』(中公新書) 小林秀雄 著 『考へるヒント』 兵頭二十八(ひょうどう・にそはち)著 『新訳 孫子』(PHP新書) 三谷幸喜 著 『オンリー・ミー 私だけを』 などなど。 去年のいまごろ買った 綿矢りさ さんの『夢を与える』は、30頁近くまで読んだところでギヴアップしていた。 小説というより平板な「あらすじ本」という感じがした。 『蹴りたい背中』の突き抜けたような、媚びを突っぱねた表現の躍動はどこへ消えてしまったのか。 倉庫へもってゆく前に斜め読みしておくかと、1年ぶりに手にとった。 196頁まできて、ふいにスイッチがはいった。 ≪首が長くて歯並びが悪く、指と指の間には水かきがついていそうな和哉は、海の生き物か陸の生き物かと訊かれると、どちらかといえば海の生き物といった感じの容姿だった。≫ 「指と指の間には水かきがついていそうな」 という形容句が唐突に出てきて、ようやく綿矢りさ調が出たかとうれしくなった。 じつはそのあたりから文体が急変し、ストーリーも佳境にはいってゆく。 ≪舌はなめたての飴のように赤く小さくとがって短い。≫ という228頁の表現なども綿矢流だ。 これがまた284頁にきて、もとの「あらすじ本」の調子に返ってしまう。 ≪それでも犯人探しを始めない理由は、理由は……。夕子は頭を振って疑惑を追い払い、(後略)≫ また斜め読みを始めてしまった。 295頁で 綿矢りさ的緊張感が復活する。 ≪分かったことがありすぎて脳みそが追いつかないくらいだ。頭よりさきに私の皮膚が理解するだろう。≫ そのままラストまでの10頁は一気に読める。 題材からいって、300頁の長篇小説にするのに無理があった。 作品としては196頁からラストの305頁まで読めば十分。 そこまでの部分は主人公「夕子」に身の上話を2頁ほど語らせれば済んでしまいそうだ。 じっさいその辺りまで、小説らしい出来事は何も起きないのだ。 かといって伏線にしてはあまりに長すぎる。 さて これを本気で書くと、出版社殿が雇うネット対策業者にネチッこい書き込みをされそうだが、 どうもこの 『夢を与える』 の 「あらすじ本」 的な部分は編集者が手をいれた、というか、あけすけにいえば 編集者が長篇小説単行本に仕立てるために加筆(代筆)したように思えてならない。 196頁~284頁の躍動する文体が芥川賞受賞作を引き継いでいるのに、195頁より前の部分の平板な文体はまるで別人の作だ。 「あらすじ本」 文体が 綿矢りさ さんの新境地だとしたら、方向を間違えている。 彼女を特別あつかいする人のいない環境で もまれれば、次々と産み落としそうな人。 しかし、いわゆる作家生活をこのまま続けようものなら、けっきょくフツウの主婦になってしまわれそうで、こわい。

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