文春新書『英語学習の極意』著者サイト

2008/07/25(金)08:15

なぜ漁師さんには価格交渉力がないのか

ぼくの食堂(29)

漁師さんの全国一斉ストの日、朝の「とくダネ!」の解説で言っていたこと。 魚の販売は、いまや7~8割をスーパーマーケットがおさえていて、スーパーマーケットがサンマ1匹100円で売ろうと決めるところから価格が形成されてゆく。 「スーパーでサンマを100円で売るには」ありきで、仲買人の買い付け価格が決まり、漁師さんの実入りが決まる。 農作物の場合は、市場(いちば)で値段が決められるとき作り手の事情も反映されるのだが、魚の値段はスーパーが決めてしまう。 農作物と魚で、こうも扱いが違うのがなぜなのか気になって仕方がなかった。 このままでは日本の漁業が崩壊してしまうが。 ◆ 支える産業群 ◆ ふと、日本の漁業に崩壊されても、それで困る産業がほとんど無いことに思い至った。 たとえば、農業が崩壊すると、肥料メーカーが困る、農業機械メーカーが困る、農業用のビニールシートのメーカーが困る、農業用の段ボールのメーカーが困る……という具合に、農業を支えている関連産業がわんさと思い浮かぶのだ。 そして、肥料や農業機械や農業用のビニールシートは、農業のためだけに作られるものだから、農家の側が団結すれば価格交渉力がつく。 漁業の場合はどうだろう。 漁船も網も運搬用のプラスチックケースも、使い捨てではない。使い回してゆく。 購入量は、知れている。 経常的に消費されるのは、漁船を動かす重油であり、氷をつくるための電気だが、重油や電気の価格交渉を漁師さんたちがやれるものではない。 ◆ 店頭の付加価値 ◆ 農作物の場合、生産地できれいに包装して、そのままスーパーの店頭に並べるところまで「製品化」できる。 この「製品化」が、無視できない付加価値だ。 鮮魚の場合はちがう。 スーパーまで箱入りで冷蔵されて届く鮮魚を、スーパー側でさまざまに加工することではじめて商品となる。 商品化、製品化の部分をスーパー側でやっている比重が高いから、おのずとスーパー側に価格決定力が移るわけだ。 ◆ 魚のさばき方を家庭科で教える ◆ 日本の漁業を生かし続けるには、どうしたらいいのだろう。 燃料費補填の社会主義経済を、今さら導入するのには反対だ。 しかし、魚のおいしさを子供たちに知らせるために、給食につかう鮮魚代やその調理機器代を補填するというやり方は、あってもいいと思う。 さらに、家庭科のカリキュラムに鮮魚のさばき方、食べ方を教えるコマを小学校・中学校・高校それぞれに入れてゆく。 日本文化の継承という意味合いもある。 そういうところから取り組んでゆく価値は、じゅうぶんあると思う。 鮮魚はうまい。煮魚、焼き魚が大好きだ。

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