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2009/06/07(日)19:09

「日台戦争」の交通整理

台湾の玉石混淆(49)

(4月6日の 「NHK用語 <日台戦争> 不適格な “歴史用語” をテレビで普及させる気か」 の書き込み応酬の続き) 一部の論者が 「日台戦争」 という用語を使おうとするとき、2つの歴史事象が混同されているように思われる。 (1)下関条約に承服できない在台湾の清国勢力による抵抗: 清国から派遣されていた巡撫(=知事)の唐景松* が選挙もなしに大統領となり 「台湾民主国」 独立宣言をし、日本支配に抵抗する戦闘を台湾西部で繰り広げた。 (* 「松」 は、山かんむりをつけて、「すう」 と読む。) 戦闘は、日本からの進駐軍が台北県に上陸した明治28年5月29日にはじまり、10月21日の台南陥落で終わっている。 この戦闘は、日清戦争のために設けられた大本営が日本軍を引き続き指揮した。 清国側が日清戦争の講和条約の内容を台湾において意図的に徹底させず、日本側が武力によって講和条約内容の実現を図ったものということができる。 これらの理由から、この一連の戦闘は下関条約締結後であるが 「日清戦争の一部」 と整理するのが正当と考えられる。 (2)清国による法の支配が及んでいなかった台湾東部の先住民族の抵抗: 奇しくも清国が 「化外(けがい)の地」 と呼ばざるをえなかった先住民族の領域を、近代社会の法治に従わせようとする台湾総督府の政策への、先住民族による抵抗運動。 日本側から見れば、叛乱。 先住民族側の立場を現代的に解釈すれば、民族自決権確保のための闘争。 日本側から見れば、「首狩りの習俗をほうっておけるか?」。 先住民族側から見れば、「長年にわたり漢人の侵入を食い止め、清国でさえ干渉してこれなかった領域を、日本人が侵害するとは許せない」。 この抵抗運動の鎮圧は、初期対応は警察力によったが、規模が大きかったため軍による対応となった。 この一連の戦闘は、第(1)項の 「台湾民主国」 なる清国勢力による戦闘とは、主体も経緯も異なる別物である。 この戦闘を 「戦争」 と呼ぶかどうか。 先住民族側に、国家樹立を目指した計画性はなく、台湾総督府に取って代わる実力も意図もない。 先住民族側が書く歴史では 「戦争」 であろうが、日本側から見れば 「叛乱(の鎮圧)」 ないし 「紛争」 と整理するのが妥当である。 共産党ふうには、「遅れた封建社会を解放する、民族解放戦争」 などと整理されるかもしれないが、もちろん論外であろう。 日本側が仕掛けた 「侵略戦争」 と呼べるか。 一部論者は、そういうふうに議論を持っていきたいのであろうが、それならそもそも漢人が台湾に移民し先住民族の領域に侵入しつつ融合した過程をも 「侵略戦争」 と呼ぶことから始めていただかねばなるまい。 * 4月5日のNHKスペシャルでは、第(1)項にも若干触れつつ、第(2)項の叛乱を現地の写真つきで紹介しながら 「日台戦争」 ということばを字幕で出した。 第(2)項にいう紛争を 「日台戦争」 と称したことに、視聴者は驚いたのである。

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