2009/10/12(月)21:44
「屋根の上のヴァイオリン弾き」 笹本玲奈さんの次女ホーデルの芯の強さ
お恥しいかぎりだが、幕が開き市村正親さんとは別の役者さんが屋根でヴァイオリンを弾いているのを見るまで、「屋根の上のヴァイオリン弾き」 とは主役のテヴィエ父さんのことだとばかり思っていた。
ああ……。
ふいに、
「森繁久彌さんがヴァイオリンを弾くわけではない」
と、大昔に新聞記事で読んだようなおぼろな記憶が脳の表面をただよった。
あのヴァイオリン弾きは、何なのだろう。
狂言回しですらない。台詞もなく、擬人BGMよろしく神出鬼没。
しかも、屋根の上で弾くのは冒頭のシーンだけだ。
ユダヤの 「しきたり」 がこの作品のキーワードだが、その 「しきたり」 を擬人化した存在だろうか。
プログラムに教えられたのだが、ショレム・アレイヘムの原作にヴァイオリン弾きは存在せず、マルク・シャガールの初期の代表作 「緑色のヴァイオリン弾き」 のイメージを作品に移入したものなのだと。
いたずら天使のような存在ぶりは、絵画イメージから来ていたのか。
これがその 「緑色のヴァイオリン弾き」 (1923~24年の作、ニューヨークのグッゲンハイム美術館所蔵):
森繁久彌さんが昭和57年に帝劇で6ヶ月の長期公演をなさったころ、ぼくは2度目の大学3年生をやっていた。
森繁さんの最後の公演が昭和59年、商社に入社したての頃。
国民的話題になっていたけれど、当時のぼくの関心は帝劇とは縁遠かった。
森繁さんを引き継いだ西田敏行さんのテヴィエ役も、国民的話題だったのを覚えている。
平成13年まで務められた。
せりふ劇の要素のつよい作品だから森繁さんや西田さんも主役を続けられた。
それぞれに味のある役作りだったろうけど、市村正親さんのテヴィエを見てそのしなやかさに魅せられてしまうと、前のおふたりのテヴィエを見ても物足りないかもしれない。
根拠なしに想像する。
市村さんのあの、愛嬌たっぷりに、ふりしぼるように、おずおずと真情を吐露する語り口と間合いが、舞台をつねに活性化してくれる。
テヴィエが頭の上がらない古女房ゴールデを演じる鳳 蘭(おおとり・らん)さんも、舞台の角度が右に左に揺すられるほどのパワーがあった。
*
笹本玲奈さんは次女ホーデル役。
第1幕では、いつもより高めの声色で (16~17歳くらいの娘という設定だから) 明朗な娘とインテリ青年パーチクとの出会いを軽やかに演じた。
第2幕は重い。
パーチクとの愛は深まり、ホーデルは青年との婚約を父テヴィエに報告する。
政治運動のためにホーデルを残してキエフへ発ったパーチクは、捕らえられシベリア送りとなる。
ホーデルは愛するパーチクのもとへ、シベリアへ、家族と別れて旅立とうと、きっぱり決意する。
ここで 「愛する我が家をはなれて Far From the Home I Love」 というナンバーを笹本玲奈さんが歌う。
途中に転調がはいる、くせもののメロディー。
8月末のファンクラブ イベントで笹本さんが披露してくれたときは乗れなかったのだが、舞台からの入魂の歌はちがっていた。
笹本さんが役づくりを深めることで生まれた声が、歌にいのちを吹き込んでいた。
父テヴィエとも、いよいよ別れ。
「今度は、いつ会えるのかと……」
と嗚咽をもらしてホーデルが父に駆け寄る瞬間、ぼくの背中にも熱い電気が走ってしまった。
笹本さんらしい舞台を見せてくれた。
ホーデルは、人のこころを打つ笹本さんの芯の強さを引き出してくれる役だ。
第1幕のホーデルに、いたずらっぽさと陰をもう少し加えられたらなぁ。
しきたりを破って異性のパーチクと手を握って踊るホーデルに、いたずらっぽさの伏線をどこかに仕掛けてみたいな。
「屋根の上のヴァイオリン弾き」 は、随所の群舞が印象的。
役者さんたちの動きにまだ若干の固さが感じられたが、これから日を追うごとに味わいが深まるにちがいない。
2週間おいて、10月25日にまた観にゆくつもり。
劇の進化が楽しみだ。
(10月29日まで、日生劇場にて)