文春新書『英語学習の極意』著者サイト

2010/05/06(木)07:47

八木重吉の詩のような遺書 @ 靖國神社

八木重吉の詩のように心をうつ遺書だった。 この4月、靖國神社社頭に掲示された。 神門をくぐり参拝者が拝殿へと向かう参道の左側に、英霊が残した思いを月ごとに掲げる掲示板がある。 同文が月刊 『やすくに』 の最終ページにも掲載される。 この4月は、陸軍少尉 山川弘至 命(やまかわ ひろし の みこと)の 「私が死んだら」。 28歳で亡くなられた山川さんの詩情が、とりわけ心を打った。 ≪私が死んだら 私は青い草のなかにうづまり こけむした ちひさな石をかづき 青い大空の しづかな くもの ゆきかひを いつまでも だまつて ながめてゐよう。 それは かなしくもなく うれしくもなく 何と なつかしく たのしい すまひであらう。 白い雲が おとなく ながれ 嵐が時にうなつて頭上の木々をゆすぶり ある朝は名も知らぬ小鳥来て ちちとなき 春がくれば あかい うら青い芽がふき出して 私のあたまのうへの土をもたげ わたしの かづいてゐる石には 無数の紅の花びらが まふであらう。 そして音もなく私のねむる土にちりうづみ やがて秋がくると枯葉が 日毎(ごと)一面にちりしくだらう。 私はそこで たのしくもなく かなしくもなく ぢつと土をかづいて ながい ねむりに入るだらう。 それは なんと なつかしいことか。 黒くしめつた にほひをただよはせ 私の祖父や曽祖父や そのさき幾代も幾代もの祖先たちが やはり しづかにねむる なつかしい土 その土の香に なつかしい日本の香をかぎ 青い日本の空の下で 私は日ごと こけむす石をかづき 天ゆく風のおとをきくだらう。 そして時には時雨(しぐれ)がそよそよとわたり あるときは白い雪がきれいに うづめるだらう。 それは なんと なつかしいことか。 そこは父祖のみ魂(たま)のこもる日本の土 そこで わたしは ぢつといこひつつ いつまでもこの国土をながめてゐたい。≫ 山川弘至少尉は、岐阜県郡上郡(ぐじょうぐん)八幡町(はちまんちょう)の出身。 台湾屏東(へいとう)南飛行場で昭和20年8月11日に戦死した。ときに28歳。 「それは なんと なつかしいことか」 のリフレーンに万感がこもっている。 みずからの生を深く見つめて思いの至った <土> の香。その <土> から想いを拡げ羽ばたかせて、時のうつろいを歌い上げている。 「春がくれば あかい うら青い芽がふき出して」 という箇所で、さいしょ つかえてしまった。 「あかい うら青い芽」 は推敲すれば別の表現に改まっていたろうが、日をおいて読むと 「あかい うら青い芽」 が眼前に浮かぶのを感じた。 じつは、上に引用させていただいたのは全文ではない。 最後の3行が、時流への配慮で書き加えた借り物のことばのように思われて痛々しく感じられた。 この3行がなければよかったのに: ≪ただ わたしの ひとつのねがひは ―― ねがはくは 花のもとにて 春死なん    そのきさらぎの もち月のころ ――≫ 日本の <土> につながるだけでなく、西行法師(さいぎょうほうし)の歌を介して日本の <時> へと つながる。 しかし、ほんとうは、山川少尉に西行の歌を借りる必要はなかった。 「もしも私が死んだら」 という仮定の心象風景と、「春死なん」 を 「ねがひ」 と語る陳述は痛々しいほどに異質だ。 そして、その痛々しさが、あらためて我々の頭(こうべ)を垂れさせる。

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