2010/06/13(日)18:18
「日露戦争の生き残りですか」
かつてシベリア抑留で苦労した83歳のひとが若者に
「ロシアと戦った」
と言ったら
「日露戦争の生き残りですか」
と言われた、という実話がある。
もし 生き残り なら130歳前後のご老人だ。
アホっぽくて笑えるが、
はたと気がつけば、「ソ連」 という存在がドテッと横たわっていたことが、同時代人のぼくの記憶脳からも少しずつ薄らぎ、「ソビエト社会主義共和国連邦」 だの、ロシア語の CCCP という略語だのが、ベールの向こうに遠のいている。
娘たちの世代にとっては、「ソ連」 は 「ローマ帝国」 や 「ササン朝ペルシア」 と等距離なのだろう。
6月10日に、ひょいと会社を休んで、両国のシアターX(カイ)にチェーホフの短篇小説の芝居仕立てを観にいった。
ロシアの俳優ふたりがロシア語で演じてくれた。
「チェーホフ作品を読む」 が、ぼくの未来メニューにしっかり書き込まれた。
『北國新聞』 コラム 「時鐘」 平成22年6月13日
≪日本がアメリカと戦争をしたのを知らない大学生がいて
「どっちが勝ったの」
と真顔で聞くという。
冗談だと思っていたが、現実にいるそうだ。
先日の投稿欄には、シベリア抑留体験者 (83) の話があった。
「ロシアと戦った」
と言ったら
「日露戦争の生き残りですか」
と言われたと書いている。
太平洋戦争を知らない学生がいるくらいなら、シベリア抑留を知らない若者もいるのだろう。
抑留体験者にこんな話を聞いたことがある。
強制労働は夜間にまで及んだ。凍るような満月が輝いていた。
見張り役の若い旧ソ連兵が自慢そうに言ったそうだ。
「きれいだろ。日本にも月はあるのか?」
質問の意味が分かっても、笑うどころか悔しかったという。
旧ソ連と日本の教育水準の違いを思った。こんな国に敗れたのかと思うと悔しかったのである。
帰国できず凍土の土となったのは6万人以上ともいい、定かではない。
成立確実とされた抑留者のための補償法案の行方がさだかではない。体験者の高齢化が進んでいる。
補償以上に大事なのは抑留の歴史を正確に伝えることであり、これも新内閣の仕事である。 ≫