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2010/08/15(日)19:04

封印を解かれた 「樺太1945年夏 氷雪の門」

映画・演劇(とりわけミュージカル)評(243)

 渋谷の映画館でこの映画を見て、後悔した。  もっと早く見て、もっと早くブログでご紹介すればよかったのに、と。  36年前の昭和49年に、当時のカネで5億円超をかけて制作され、前売り券70万枚が売れた。公開直前にソ連の抗議に屈して上映中止が決まり、北海道と九州で2週間だけ上映された、幻の映画。  昭和20年8月に、終戦日のはずの15日以降も無差別殺傷を繰り広げながら樺太を南下するソ連軍がもたらした日本人の悲劇を描く。  クライマックスは、樺太西岸の真岡(まおか)郵便局勤務の若い女性電話交換手9名の、8月20日の集団自決に至る、よく知られたあの出来事だ。  平成20年8月に、日本テレビが新たにテレビドラマを制作放映している。 「霧の火~樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち」。  わたしは見ていないが、日テレのドラマ放映によって南樺太・真岡の悲劇はあらためて国民の常識となった、はずだ。Wikipedia によれば、視聴率は 11.7%だったという。 ■ 散逸し、平成16年に見つかったフィルム ■  昭和49年の映画のほうは、お蔵入りのまま、いつしか散逸した。  36年前に映画の助監督をつとめた新城 卓(しんじょう・たく)さんが、平成16年になってフィルムの存在を偶然に知り、公開に向けて動いた。  新城さんによれば ≪153分と109分の2つのヴァージョンがありますが、今回上映する上映素材は、数少ない残されたプリントのなかからテレシネをして再編集をした119分ものです。 多くのプリントが散逸し、保存状態も最良とはいえませんが、この日本の閉塞した状況の中で公開することに大きな意味を感じております。≫  自決を選んだ乙女たちの定めは悲しいが、無差別殺傷で撃たれ、あるいは逃避行に耐えられず、何らの意義を与えられることなく絶命するひとびとの姿はいたましい。  この悲劇にロシアからの反省・謝罪を確保することなく、韓国・北朝鮮へ反省・謝罪の再表明をすることが、いかにバランスを欠くものであるかを痛切に思い知らされる。 ■ 丹波哲郎さん、南田洋子さん ■  キャストのうちには丹波哲郎さんもいて、沈着にして熱い鈴木参謀長を演じている。  南田洋子さんは、日ソ国境ちかくの町から赤ん坊を背負い小学生ふたりの手を引いて南へ南へと歩く母、安川房枝を演じる。  谷川で逃避行の渇きをいやす人々をソ連機の機銃掃射が襲い、敵機が去ると小学生の子供ふたりは水辺で血を流して死んでいる。  引き揚げ船の出る町にようやくたどり着いた安川房枝と赤ん坊だが、市街に乱入したソ連兵の銃に撃たれる。 「あなた……、せっかくここまでたどり着いたのに……」 と、虚空の夫に言い残して絶命する房枝。あとには、赤ん坊が幼い手で宙をかきながら泣きつづける。 ■ 日本軍の最後の奮戦 ■  この悲劇は南樺太どまりだったが、日本軍の最後の奮戦がなければソ連軍は怒濤のように北海道になだれ込み、北海道で同じことが起きていたのは間違いない。  北千島最北端の占守島(しゅむしゅとう)では日本陸軍の戦車部隊がソ連軍に善戦し、局地戦では勝利を収めた。  南樺太でも、熊笹峠の戦いで日本軍は激闘してソ連軍の南下を阻止した。  これら日本軍の防衛戦によってソ連は北海道侵攻を断念し、北海道民の逃避行の悲劇は起こらなかった。  当時もしも日本国憲法第9条第2項のごとき無抵抗主義をふりかざしたら、日本領内の北海道でいかに巨大な悲劇が起きていたことか、映画 「氷雪の門」 を見ると思い知れる。  その意味では、「9条」教の信者らにいちばん見てほしい映画だ。    といっても、おおかたの信者らは この映画を見ても 「だから戦争はいけないんです」 と目をくりくりと輝かすだけ、だろうか。  わたしは、「9条」教信者らの 「戦争反対」 姿勢の妙な明るさ、能天気さが堪えられない。  戦争反対とは、現実の矛盾を直視した苦渋に満ちたものでなければならない。 * 「樺太1945年夏 氷雪の門」 は、東京の 「シアターN渋谷」 で上映中。  受付で聞いたら、 「少なくとも8月20日までは必ず上映します。 それ以降も上映が続くとは思いますが、1日じゅうの上映ではなく、回によっては他の映画を上映することになるかもしれません」 とのことだった。 シアターN渋谷  電話 03-5489-2592 渋谷区桜丘町24-4 東武富士ビル2階  小さな映画館。平日の夜6時半からの回に行ったら、満席に近い入りだった。  『祖國と青年』誌によれば、おって北海道、新潟、神奈川、愛知、京都、大阪、沖縄の道府県でも上映があるそうだ。 *  映画館で売られていた本をご紹介しておきます。わたしは、これから読むところです。 川嶋康男 著 『永訣の朝 樺太に散った九名の逓信乙女』 (河出文庫、平成20年刊) 定価: 720円+税  この本は、地道な取材を重ねたノンフィクション。  いっぽう、日本テレビのドラマは、テレビドラマなりの演出も入っているとのことです。 ■◆ 再録 ◆■  産経新聞、平成22年6月15日の文化面に、この映画の紹介記事が掲載されています。ここに再録します。 ≪南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開 「この映画は歴史の証人」 “幻の映画”と呼ばれる 「樺太1945年夏 氷雪の門」 (脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男) が、36年の年月を経て、全国で順次公開される。 太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太 (サハリン) に侵攻し、自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた物語。 昭和49年の公開直前、ソ連側の抗議によって公開中止になった。助監督を務めた映画監督の新城卓さんは 「この映画は歴史の証人」 と訴える。 同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの 『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』 (講談社) が原作。 南田洋子さんや丹波哲郎さんらが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力した。 製作実行予算が5億円を超えた超大作映画として話題を呼んだ。 だが、公開直前に配給元の東宝が上映中止を決定。「反ソ映画は困る」 という駐日ソ連大使館の抗議や、東宝が進めていたソ連との合作映画 「モスクワわが愛」 への配慮が あったとされる。 結局、北海道と九州で2週間だけ上映された。 1945年夏、太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。 ところが8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。 そして8月20日、真岡の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始。 電話交換手の女性たちは職務への使命感や故郷 (自分が生まれ育った樺太) への思いから、職場を離れることはなかった。 ソ連兵がいよいよ郵便局に近づいた。路上の親子が銃火を浴びた。 「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。 この通信を最後に、9人は服毒死を選ぶ。 配給会社 「太秦(うずまさ)」 の小林三四郎社長は 「同作は日の目をみないまま月日が流れ、多くの関係者が亡くなった。 樺太の街のセットを作り上げた美術監督の木村威夫(たけお)さんと上映を目指したが、木村さんも3月に亡くなった。さまざまな思いが詰まった作品」 と話す。 新城さんも 「表現の自由が約束された社会であるはずなのに、この映画には自由がなかった。 日本というのはどういう国なんだろう、と悔しかった。 政治的意図はなく、史実を伝えたいだけ。ザ・コーヴの上映中止や普天間問題などを考えるきっかけにもなるのでは」 と話している。 7月17日からシアターN渋谷で。全国各地の劇場でも順次公開する。≫

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