テーマ:政治について(19781)
カテゴリ:世界を見る切り口
有名な 『大地 (The Good Earth)』 の著者で、昭和13年にノーベル文学賞も受賞した Pearl S. Buck は、中国一辺倒の人で、云々とどこかで読んだ覚えがあって遠ざけていたのだけれど、彼女の 『私の見た日本人 (The People of Japan)』 を読んで、その洞察力とバランスのとれた記述に感嘆した。
つくづく先入観はよくないと反省した。『大地』 も試しに読んでみようか。 パール・バック 著、小林政子 訳 『私の見た日本人』 (国書刊行会、平成25年刊) パール・バック女史は昭和35年5月~12月に日本に滞在した。当時67歳。 ちょうどぼくが1歳の乳児だった頃の日本人が活写されている。日本人の義理人情、偏見差別、娯楽と性意識、宗教、そして日米関係が、じつにバランスよく書かれている。 そこに書かれた日本人は、21世紀の今日から見ると一層奥ゆかしく一層粗野である。いずれの国民にもそういう矛盾に満ちた国民性が付帯しているだろうが、これに素直に愛情こめて向き合った。 米国での出版は、滞日の5年後、昭和41年だったが、本書は長らく和訳されぬままだった。 ≪私がアジアで前半生を終えてアメリカに生活の場を移したとき、アメリカ人が 「日本人は外国の猿真似ばかりする国民だ」 と言ってはばからず、日本をまったく理解していないのを知って情けなくなりました。これほど真実からかけ離れた認識はありません。日本人は、出会ったどの文化からも最高のものを見つけ出す人たちです。≫ (7頁) ≪昔、大陸へ渡った日本人は古代中国の文物の素晴らしさに目を見張りましたが、持ち帰った中国の建築、美術、書道、衣服までもが日本風に改良されました。中国の非階級制社会は日本に持ち込まれませんでした。民主主義的原理に基づいた中国の制度も、儒教も持ち帰られませんでした。中国では官位は科挙に合格した者たちだけに与えられましたが、日本では封建制の下で官位は世襲でした。さらに、日本は中国のように王朝を変えて国家を再興することはしませんでした。≫ (7頁) 中国の 「民主主義的原理に基づいた」 制度とは何ぞやと違和感があるが、たしかに 「貴族の血筋」 「賤民の血筋」 を言わないという意味で 「非階級制」 であるところが漢人社会の特徴である。古代には階級制だったのだろうが、異民族が次々に侵入してぐちょぐちょ混ぜこぜにしてしまったからね。 逆に 「非階級制」 であることから、カネのちからで身分を判別する拝金主義も生まれ、権威と粗暴な権力が一緒くたになっているわけだけど。 ≪日本人は、人間には2つの心があり、1つは「やさしい」心、他方は「荒ぶる」心で、それぞれ必要であると考えます。人はやさしい心にも荒々しい心にもなり、やさしい心の方が好ましいのでもなく、荒々しい心と闘うのでもありません。人間性は本来善であり、人間は己のいかなる部分とも闘う必要はないと日本人の哲学者は主張します。然るべき時にそれぞれの心を正しく使うことを知っておけばよいのです。日本人にとって美徳とは、他者に対する己の義理を全うすることです。≫ (128頁) ≪日本はインドを起源とする佛教を自分たちの流儀で受け入れました。日本人的性格と伝統が育んだ最も成熟した形態は禅です。禅は仏教の他宗派と同様に、人は実在であれ非実在であれ、生のあらゆる迷いに打ち勝たねば森羅万象を理解できないと教えます。禅と他宗派の違いは、禅は知性偏重を一切認めず、もっぱら直観に頼ることです。悟りとは長い修行のなかではなく、一瞬の閃きのなか生じます。≫ (196頁) 本質をじつに簡潔なことばで表現してある。さすが。 ≪楽しみがあるなら、どこにでも楽しみを見つけようとするのも日本人の特徴です。日本は単位面積当たり、また、国民1人当たりで世界のどこよりも娯楽施設が多い国です。…<中略>… 今や日本人は人生を楽しむことに躍起です。≫ (212頁) 意外な指摘だったが、言われてみればそうかもしれない。古来からの「祭り」の多さ、多様さも、そのあらわれの一端か。 ≪体制順応は煽動政治家が現れれば、すぐになびくということになるのでしょうか。過去にもそういう人物がいましたから、危険はつねにあると思います。ただし、現れたのは国家主義者 (ナショナリスト) というより因襲打破を唱える煽動家でした。 日本人は個人よりも運動に動かされやすいので、危険は煽動家よりも煽動的な党派にあるといえるかもしれません。たとえば創価学会の抬頭です。 わずか数年で佛教に近い新興宗教の一伝道者から半宗教的、半軍事的な組織へと拡大し、今や無視できない政治勢力になりつつあります。創価学会の土台はキリスト教のように他宗派に非寛容な仏教の一宗派です。個人が組織への勧誘を強く働きかけますが、これはナチズムを思わせる方法であり、地区リーダー制度が組織造りに関与します。 この教団は、日本のような激変する国にはどこにでもいる寂しく無力な人びとに慰めを与えます。…<中略>… 日本の政府関係者によれば、創価学会という狂信的宗教集団からうまく分離できれば数年のうちに国政を支配できるかもしれないということです。もちろん創価学会はまだそこまでいきません。 予想どおりに創価学会が大進歩を遂げるかどうかは分かりません。日本社会はそれよりずっと大きな組織や伝統のなかで強さを維持するでしょうから、どの新興宗教も危険な勢力にはならないでしょう。創価学会も例外ではありません。いずれにせよ、日本人はもう軍事的狂信主義はご免だと思っています。≫ (243~244頁) 昭和30年代である。創価学会・公明党が過激かつ右上がりに勢力拡大していた頃だ。 本書のように幅広く日本人を論じる本のなかで、これだけの比重で創価学会・公明党が取り上げられているのには驚いてしまったし、社会をありのままに見ようという誠実な姿勢を感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 8, 2014 09:21:11 AM
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