「象牙海岸」 についてのぼくの記憶は昭和45年の大阪万博にさかのぼる。
展示国のなかに 「象牙海岸」 という名の国があって、 「アフリカの国だから漢字は使っていないはずなのに、なぜ漢字で象牙海岸と書くのだろう」 と不思議におもって親に聞いたら 「ヨーロッパ人が象牙をいっぱい取ったから象牙海岸なんだ」 と言われて、 「ぼくの質問のポイントはそこじゃないんだ」 と思って黙ってしまった。親との距離がまた1センチくらい離れた。 コート・ジボワール Cote-d’Ivoire というフランス語の翻訳が 「象牙海岸」 だが、独立するときに、せっかく独立するのだから、殖民地歴丸出しのフランス語命名でなく地元の地名を採用しようという発想はなかったのだろうか。 その対極の発想として、うつくしくはないし、ぼくは奨めないけれど、コート・デスクラーヴ Cote-d’Esclave という命名をして永遠の当てつけをする手もあったかもしれない。 「奴隷海岸」。 = = = ここまで書いてウィキペディアで 「奴隷海岸」 を引いたら、Slave Coast を表示した古地図があった。 Wikipedia 上の画像ファイル名には Guinea map 1725 とあった。 ナイジェリアのラゴスを東の起点として、ベナンあたりまでが Slave Coast と命名されていたわけだ。 その西のトーゴとガーナあたりが Gold Coast とあり、いまのコートジボワールとリベリアの東半分くらいが Ivory Coast だ。その西側に Grain Coast がある。 いっぽう、こちらは英語版やロシア語版に掲載の地図 (1729 年ないし 1736 年の古地図らしい)。 Ivory Coast の文字はなく、コートジボワールのあたりも Grain Coast とある。 ワールドカップ初戦で敗退したおかげで、調べものをしてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 15, 2014 04:00:15 PM
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