カテゴリ:読 書 録
石 弘之さんは、朝日新聞の記者だった。ぼくが大学生のころ、石弘之特派員がアフリカから送ってくる記事や切り口が斬新な解説を楽しみにしていた。
その石弘之さんの本である。 鉄条網という切り口で近現代史を見ることで、主権国家どうしの戦争史でもなく、三面記事史観でもない、文字通り「縄張り」を確保しようとうごめくイキモノとしての人間史が見えてくる。 石弘之・石紀美子著 『鉄条網の歴史 自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』 (洋泉社、平成25年刊) バッタの大量発生は、こういうプロセスなのだそうだ。 ≪地中に産みつけた膨大な数のバッタの卵は、数年間生きつづけることができるものの、多くがカビの餌食(えじき)になる。ところが、乾燥に弱いカビが旱魃で死滅すると、生き残る卵が増える。 少しでも雨が戻ってくると卵から孵って、鳥やカビなどの天敵が回復する前に爆発的に発生する。ときには空が暗くなるほどの巨大な群れになり、通り道の作物や牧草をすべて食べ尽くす。今日でもアフリカや中東などで、旱魃の襲来とともにバッタの大きな被害が出る。≫ (54~55頁) 現代中国の環境汚染・土漠化もすさまじいが、米国大平原の荒廃も昭和5~14年にことのほか激しかった。 ノモンハンの戦いでは、ソ連軍が鉄条網の使用に工夫をこらした。 ≪たとえば、日本の戦車部隊が悩まされた 「低張鉄条網」 である。直径40~50センチほどの輪状や格子状にした鉄条網を地面に敷き詰めたものだ。 そこに日本軍の戦車が突っ込むと、キャタピラーを動かしている起動輪や転輪に絡みついて動きが取れなくなる。とくに、草原に隠すように幾重にも設置された場合には効果は絶大で、立ち往生したところをしばしば速射砲で撃破された。≫ (91~92頁) 昭和17年の日系米人強制収容所には、 ≪外見上見分けがつかないという理由で、年齢、性別、市民権の有無に関係なく、8分の1以上 日本人の血を引くものが対象になった。≫ (131頁) ボスニア紛争、南アフリカのアパルトヘイト、北米・南米の先住民の隔離など、踏み込んだ活写が食い入るように読ませる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 15, 2014 07:30:31 PM
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